1.外の世界
空白の祝祭は去年よりも賑やかなものになり、あっという間に新年が始まってしまった。
旅の準備で忙しくしていたというのもあるが、洗礼を終えた事で顔を合わせる人が増えたのだ。毎日ユリウスが食事を共にするようになった事も大きいだろう。
目の前の庭も、背後にそびえ立つ城も、わたしがここへ来たときから姿を変えていないのに、今では全く違うもののように感じる。
「そろそろ出発しますよ、準備は良いですか」
セルジオの声にわたしは慌てて駆け出した。これからついに、わたしの初めての旅行が始まる。
大きな馬車にセルジオとディディエ、わたしが乗り込むと、タタっとノアが駆け込んで来る。もの珍しそうに馬車の中をウロウロした後、お行儀良くわたしの隣で丸くなった。
「ノアおかえり。ゆっくり休めた?」
「ナァ〜」
精霊界で多少は魔力を回復してきたらしいのだが、わたしには違いが分からなかった。ディディエも興味があるのか検分するようにノアを眺めている。
「ふーん、本当にこの姿だとただの猫って感じだね。魔力の少ない奴なら気付かないんじゃないかな」
「そういうものですか」
ガタガタと馬車が動き始めると、ノアがビクッと飛び起きた。身体が軽いからか、揺れに合わせて軽く跳ねている。わたしの膝の上だと少しは安定するようで、ノアの特等席が決まったようだ。
「お爺様は別の馬車ですか?」
「父上は長旅は辛いと言って、獣魔で先に帰るそうですよ」
「少し寂しいですけど、仕方ないですよね」
途中で視察がてら、街や村を回る予定になっているので、片道二週間ほどの日程になっている。グリフォンならゆっくり飛んでも一日程度で着いてしまうので、それに慣れると馬車での移動は辛いのだろう。
人生二回目の馬車は少し揺れるものの、羽毛を入れた座椅子のような上等のクッションを敷いてもらっているので、案外大丈夫そうだった。
「ほら、城壁を抜けるよ。ここからは貴族街だ」
ディディエの指す窓の外には綺麗に整備された石造りのお屋敷が立ち並んでいた。庭もあり、隣の屋敷とは道で隔たれているが、碁盤目状に整備されているらしい。
「貴族は皆ここに住んでいるのですか?」
「実際に住んでいるのは城で働く者が殆どですね。王都に出ている貴族の生家や、街や村を管理する貴族の別宅も多いです。親交のある他領の貴族の別荘があったりもしますね」
「貴族はたくさんいるのですね」
わたしたちの馬車が走る大通りには殆ど人通りがない。たまに人が通りかかると、皆一度止まってこちらに向かって頭を下げる。隠れるように覗き見を続けていると、また大きな壁と門が見えてきた。
「ここから平民の住む城下町です。顔を出さないようにしてくださいね、大変な事になりますから」
そう忠告され、サッとカーテンが閉められる。ディディエやセルジオは少しも外を見ようとせず、何かに耐えるようにジッと目を瞑っていた。領民に嫌われているのだろうか。姿が見えたら卵を投げられたりするのかもしれない。
わたしは怖いもの見たさ、という訳ではないが、せっかく初めてちゃんとこの世界を見る機会なので、少しだけ隙間を作ってまた隠れるように外を覗いた。
「キャァアァァァ!」
「侯爵様だ! 侯爵様の馬車だぞ!」
ヒッ! っと息が止まり、一旦カーテンをピシャッと閉め、反射的に窓から顔を離す。悲鳴が伝染するように、どんどん大きくなっている気がする。けれど、わたしもベリアルド家の一員だ。きちんと受け止めなければならないだろう。そう自分を奮い立たせ、もう一度カーテンの隙間から外を覗く。全開に出来ないのはディディエやセルジオを思ってのことだ。決してビビってなどいない。決して。
そっと目を開けると、大勢の人がこちらに手を振っていた。手を振るどころかそこらへんにあるものをぶんぶんと振り回している。投げるつもりかと思い少し身体に力が入るが、人々の表情はどれも明るく輝いていた。
「え?」
「うちの領民たち、ちょっとおかしいんですよね。あれで僕たちに敬意や親愛を表現しているらしいんですよ。まあ、シェリエルのお披露目もまだですし、少し顔でも見せてあげます?」
「わたしの髪は大丈夫でしょうか」
「ん、まあ平民はそれほど気にしないでしょう」
本来であれば、平民街と貴族街を隔てる大壁の上に、式典などで使うバルコニーのような場所があるらしい。洗礼が終わるとそこからお披露目をするらしいのだが、わたしは色々あった為まだそのお披露目をしていないのだ。
はぁ、とディディエが溜息を吐き、すぐに優等生スマイルを顔に貼り付けた。
「シェリエル、なるべく柔らかく笑い、手を振ってください」
セルジオがそう言ってカーテンを開けると、一際大きな悲鳴が聞こえる。これは、歓迎されているのだろうか?
言われた通り指を真っ直ぐに揃え、手首を左右に揺らすよう軽く手を振ると、馬車の横で何かを振り回していた人たちが、一斉に両手を地面に付けるよう伏して行く。馬車の速度に合わせ大きな波が出来ていた。
馬車が通り過ぎた後は、次々に立ち上がり馬車を追いかけて来ている。ディディエやセルジオが慣れた様子でそれぞれ窓から手を振る様は気品に満ちていて、彼らが領主一族である事を思い出させてくれた。
「あの、ベリアルド家は悪魔侯爵だと恐れられているのですよね?」
「平民からすれば魔獣や魔物から守ってくれる有難い存在だからね。悪魔でも何でも構わないんじゃない?」
「んふふ、他領の民からは悪魔信仰だと嫌悪されているようですけど、ベリアルド領には精神的にも逞しい民しか生き残れませんからね」
「そういうものですか」
民から人気があるのは良いことだと思うが、熱量が凄すぎて面食らってしまった。さっきの覚悟はどこに行ったのだろう。
既にわたしの存在は噂になっているらしく、顔を見せた以上少し挨拶して行くことになった。大きな波とそれを追う民衆の群れを携え、わたしたちは大きな広場で一度馬車を止める。
扉を開くと、すでに護衛騎士や衛兵が配置されていて、青いカーペットが広場にある壇上へと続く。大事になってしまったと内心焦りつつ、ディディエを見習って良い子そうな笑みを作ると、セルジオに続いてわたしも馬車を降りた。
「キャァーーーーー!! ベリアルド侯爵様!」
「ディディエ様だ! なんて立派な姿だ!」
「あの方が新しい姫か!」
「新年早々縁起が良いわ!」
悲鳴混じりの歓声に笑顔で応えながら、壇上へと上がる。この短時間でよくこれほどの人が集まったと思うほど、広場には人がみっちりと詰まっていた。手には棒切れや料理に使っていたらしいお玉、布などを持ち、元気よく振り回している。スッとセルジオが手を上げると、それを合図にピタッと音が止み、民は一斉に頭を下げた。
「皆、面をあげよ。我々の新しい家族、シェリエルを紹介しよう。私と共にこの領地を支える愛しい娘だ」
挨拶の言葉は必要ないと言われていたので、ぐるりと取り囲む民たちを順に見廻しながら手を振っていく。
「シェリエル様ーー!」
「なんて神々しいんだ! 悪魔様が天使を産んだのか!」
えぇ……、そんなカジュアルに悪魔呼ばわり……
ここの民たちは悪魔を何だと思っているのだろうか。
またそのうちお披露目のお祭りをすると告知し、わたしたちは再び馬車へと戻る。城下街を抜けるまでは民が追ってくるという話なので、しばらくわたしたちは笑顔を貼り付けたまま馬車から手を振っていた。
「はぁ〜、疲れた。民に学が無いというのも困りものだよね。下位貴族ですら僕たちに声を掛けるなんてしないのに」
大門を抜けるとすぐにディディエが表情を崩し、伸びていた背筋が溶けて行った。
「ああいった熱烈な歓迎はベリアルド領だけなのですか?」
「ベリアルド領特有の文化ですね。他領の貴族にあれをやるとその場で斬り殺されますよ。でも、これもベリアルド家の印象を良くしようとした結果なんですよ」
昔、まだベリアルド一族が今の教育方法を確立していなかった時代、他の貴族も民衆も、それこそ悪魔に対する恐れのような物を抱いていたらしい。ベリアルドが段々と倫理や理性を身につけ、領民との関係を見直そうという頃に、一人の領主が積極的に民の前に姿を現したのだ。
「祭りを開催したり、演説を行ったりと色々と試みたらしいんですよ」
「精霊祭や納涼祭を作った方ですか? たしかに習った覚えがあります」
「そうです、その領主です。そうやって何年も民に自分たちの安全性を訴えていると、それまで怯えひれ伏すしかなかった民が、ある時彼に手を振ったらしいんですよ。その領主というのがとても感動屋さんだったようで、手を振る民を見て涙を流したとか。それから、領主を喜ばせる為に民は全力で敬意を表現するようになったというわけです」
「なるほど、何にでも歴史があるのですね」
イメージアップどころか、安全性からか……
たしかに習った歴史を思えば、過去のベリアルド一族の印象を払拭するのは大変だったと思う。むしろ、今こうして笑顔で手を振って貰えるのが凄いと思えるほどだ。
思いがけない寄り道になったが、座学では分からなかった領民との関係を肌で感じることができ、この旅で大きな学びを得るだろうと期待が膨らむ。
そういえば、ゆっくり町の様子を見ることが出来なかった。わたしの記憶にあるのはぶんぶんと何かを振り回す狂気じみた民たちの姿だけだった。





