27.最後の日
反応の無いリヒトの頬をディディエがペシペシと叩くと、程なくしてリヒトは意識を取り戻した。これから洗礼の儀をするというのに大丈夫だろうか。
「大変失礼致しました」
「気にしなくて良いのよ、仕方ないことだもの。それより、儀式は大丈夫そうかしら?」
「はい、問題ありません」
よかった。まさか精霊の魔力に当てられて気絶するとは……
セルジオとディディエは何事もなかったかのようにお茶を飲みながらユリウスと談笑している。魔力の差はこういう面でも出るみたいだ。単にベリアルドの人間が図太いだけかもしれないが。
休憩のつもりが一騒動になってしまったので、気を取り直してユリウスに菓子を勧める。
「砂糖菓子はあまり好きではないのだが、これは良いね」
「甘い物を食べると頭が良く働く気がするのですよ。魔術を研究する時に試してみてください」
ユリウスには菓子のお土産を用意しよう。甘いものばかり食べていては身体によくないけれど、ユリウスの場合は栄養失調が心配だった。こうして和やかにお茶の時間を過ごし、わたしたちはついにリヒトの儀式を行うことにした。
わたしも中級魔法程度なら魔力を使って良いと言われ、張り切って祭壇へと続く階段を昇る。改めて見るととても細かい魔法陣で一つの芸術作品のようだった。けれど、一箇所、なにか違和感がある。
「あれ? ここの記号、わたしの儀式の時と違いますね」
「そんなことは無いはずだよ。この陣で以前儀式をしたことがあるからね」
ユリウスがそう言うならば、この陣が間違っているというわけでは無いのだろう。自然とセルジオへと視線が注がれる。
「え、僕が間違っていたってことですか? でもあの陣でシェリエルは儀式が成功したのでしょう? マルセルも間違っていれば陣が作動しないと言っていましたし」
「というか、シェリエルはこの陣を覚えてるってこと? 僕らベリアルドでもこの規模の陣は魔導書を見ながら描くものだよ。気のせいじゃない?」
わたしは興味のあるものや、きちんと理解して頭に入れたことはいつでもその情報を詳細に思い出すことが出来た。ただ文字をなぞっただけだったり、聞いているだけでは覚えられないのだけど。
魔法陣に関しては理解をしていないので自信が無いが、とても感動したので目に焼き付いている。自分の儀式で使われた魔法陣を今も脳内で詳細に再生できているのだ。
「でも、ここ、線があと二本引いてありませんでした?」
「おや、確かにそう言われてみると。まあ一度やってみましょう。作動しなければユリウスがうっかりさんだったということになりますね」
ユリウスは心外だと言わんばかりにセルジオを睨んでいるが、このまま試すことには賛成らしい。セルジオが空、ディディエが命の位置につき、そしてわたしとユリウスがリヒトの両脇に並び、中央から儀式に参加する。本来周りにいるはずの六人が二人になり、リヒトは本当にこれで大丈夫かと心配そうにしていた。
「シェリエル、私が君にやったように、リヒトの背に手を当て、魔力を送り込むんだ」
「あの、リヒトもわたしと同じように泉源の口でしたっけ? それが開いてしまいませんか?」
「それは問題ない。リヒトは元の魔力が多くないからね。むしろ、以前より効率良く魔力を扱えるようになるはずだよ」
なるほど、わたしは生成される魔力そのものが多いからダメだったのか。余計に不安がるリヒトの背中にゆっくりと手を置き、「大丈夫」と声をかける。リヒトがスッと落ち着く様子が背中から伝わってくると、わたしたちは儀式を始めた。
「我、空の加護賜いしセルジオ・ベリアルド」
「我、命の加護賜いしディディエ・ベリアルド」
わたしとユリウスは魔力の補填だけなので詠唱には参加しない。リヒトが命の属性なので一応ディディエには命を担当して貰ったが、本当に成功するのだろうか。
ユリウスが魔力を込め始めたのか、手に集めた魔力がズズっと引っ張られるような感覚があり、その流れに任せ魔力を流すとリヒトが手を付いたところから魔法陣が光り始める。セルジオとディディエの方からも光が伸び、足りない箇所は中央から埋めるように光が伸びていく。
リヒトという新しい名を宣言し、わたしは三度目になる洗礼の儀の祝詞を聞きながら、魔力を使いすぎないよう調整していた。
陣の隅々まで光が行き届いた頃、静かにユリウスが立ち上がり、わたしにも陣から出るようにと目線で合図する。リヒトの集中を切らさないよう、ゆっくりと気配を消して外に出ると、魔法陣を縁取っていた淡い光がそのまま天へと昇るように揺らめいていた。
詠唱が終わったその瞬間、昇る光に呼応するように空から光の柱が降りてきた、周りが見えなくなるほどの光ではないが、美しい淡い光の柱がリヒトへと注がれる。
「成功ですね」
「私の陣は間違ってなどいなかっただろう?」
ユリウスはどこか勝ち誇ったように光の柱を眺めていた。徐々に光が弱まり、それが完全に消えた頃、リヒトは陣に崩れ落ち自身の肩を抱いていた。
「リヒト、おめでとう。神々にも祝福されたのね」
「は、はい…… この名で神々に祝福されたことがいかに幸福か…… シェリエル様、皆様、ありがとうございました」
リヒトはツーっと一筋涙を流していた。これまで色々なことがあったのだ。リヒトとして神々に認められるという体験はきっと洗礼や祝福といった儀式以上の意味があったのだろう。
「ささ、リヒト! 魔法を試してみてください」
「ディルク来い! 腕を切らせろ」
ベリアルド〜! ちょっとはゆっくり感傷に浸らせてあげてほしい。しかもディディエは筆頭補佐官であるディルクの腕を治癒させることで魔法を試すつもりだ。ディルクもいそいそとこっちに向かって来ているが、この主従大丈夫だろうか。
「待ってください、ディルクだって治るとは言っても痛いでしょう。その方法で試したいのならディディエお兄様が自分の腕をお切りください」
「だって僕、命の属性持ってるから自己治癒力が高いんだよ。それだと魔術の効果か僕の治癒力が分からないだろう?」
「じゃあ僕の腕切ります? リヒトが失敗してもディディエが治してくれるでしょう?」
誰の腕を切るかの話し合いをしていると、リヒトが自分の腕でも切られたかのように血の気を失い目を回している。そんな私たちを見かねたのか、ユリウスが呆れ気味に仲裁に入った。
「ベリアルドは血が好きだね。別に木でもいいだろう?」
「木も治癒出来るのですか? ならそうしましょう。木も可哀想なのでリヒトは頑張って治してあげてね」
庭師と木には申し訳ないが、近くの木の枝をセルジオが切り落とす。初級では治せない事を確認し、リヒトが片手で枝を支えると、そのまま中級の詠唱を始めた。
「我、命の加護賜いしリヒト奏上す 天元に坐す皇神等の前に命の御言申し受く 乞い願わくは命の女神 我がため不二術示し給へーー」
ジジッと魔法陣が浮かび上がると、切り離された枝同士を引き寄せるように桃色の光が切断面から伸びて行く。リヒトがその光に誘導されるように枝を動かせば、光の消失と同時に枝が元どおりくっ付いていた。
「リヒトすごいわ!」
「ほ、本当に出来た……!」
リヒトは自分の手をグッと握りながら信じられないと言いたげに見つめていた。
「おや、本当に名前の上書きが出来るのですね。魔法陣に間違いは無かったということですか」
「お父様、もし良かったらわたしの儀式に使った魔法陣を見せていただけませんか? ユリウス先生と調べてみたいと思います」
「いいでしょう、旅中の良い暇つぶしになりそうですしね」
日が陰り始め、流石に暖房の魔導具があっても寒くなって来たので、このまま城内へと戻ることにする。ユリウスも今日はこの後予定もないと言っていたし、先ほど話していた通り夕食に招待するつもりだ。
今日は一年最後の日。祝祭の本番は明日からだが、夕食も少し豪華になっていた。食堂には最低限の使用人だけを配し、他の者は別室で集まっているという。そこでリヒトのお祝いをしてもらおうと、面識のある使用人たちに言付けておいた。
前世で言えば、忘年会だろうか。一年を振り返り、そして翌日から始まる祝祭を各々どう過ごすかなど語り合う。空白の祝祭は基本的に王国民全てが休みとなる。王宮で働く大臣も、田畑を耕す平民も、金で買われた奴隷でさえも、皆等しく休暇を楽しむ。
けれど、ここぞとばかりに働く者もいるらしい。それが商人だ。祝祭に合わせて商売をしている者の中には、一年分をこの五日で稼ぐ者もいるという。案外、どの世界も同じようなことが起こるのだと笑ってしまった。
「先生、珍しい食べ物もありますから、食べられそうなものだけ召し上がってくださいね」
そういえば、料理を取り分ける補佐官がユリウスには居なかった。どうしようかと悩んでいると、それを察したのかユリウスが長い杖を取り出し、自分の隣にささっと魔法陣を描き始めた。食事中に何を……
カッ! と魔法陣が光ると、身なりの良い青年がそこに立っていた。
「ユリウス様お呼びでしょうか」
「晩餐に誘われたんだ」
「…………」
いやいや、いきなり呼び出してその説明だけっていくらなんでも……
もはや召喚という言葉がピッタリの呼び出しを喰らった青年は、黙って食堂を見渡し、顔色を変えずに貴族の礼をした。この状況にはこちらの方が面食らっている。
「お初にお目にかかります。ユリウス様の筆頭補佐官オウェンスと申します。以後御見知りおきを」
アルフォンスを思わせる金色の髪を肩で切り揃えたオウェンスは、優雅に頭を上げると笑みを固定したままサッと食器やカトラリーを取り出し配置し始めた。けれど、どこからとも無く呪文のような言葉たちが聞こえてくる。
「ユリウス様、事前に一言お願いします。祝祭前だというのにいつまでもお戻りにならないと思ったら、人様の晩餐にお邪魔していただなんて、驚き過ぎて意識を飛ばすところでした。きちんとお食事をしていただけるのなら喜んで給仕致しますが、あのような呼び出し方をされては困ります。もし私が着替えの最中でしたらどうするのですか。ですが流石ですね、我が主。微塵も予期せぬ呼び出しだったというのに転移酔いも四肢の一つを置いて来ることもありませんでしたよ」
腹話術かな? 口元は一切動いているようには見えないが、たしかに喋っているのはオウェンスだ。隣のわたしがギリギリ聞き取れるくらいの音量でくどくどとユリウスにお説教していた。ユリウスでも誰かに怒られることがあるのかと、つい頬が緩んでしまう。
準備を一瞬で終わらせたオウェンスと、パッと目が合った。わたしは慌てて声をかける。
「お初にお目にかかります。このような形で申し訳ありませんが、ご挨拶させていただきますね。シェリエルと申します。ユリウス先生に魔術を習っているので、食事にお招きしたのです。急な話でさぞ驚かれたでしょう」
「これはこれは。シェリエル様のお話は主から伺っていますよ。これほど愛らしいお嬢さんだとは。ユリウス様のことを今後ともよろしくお願い致します」
優しく笑うオウェンスはわたしの髪色に驚く様子もなく、配膳を一通り終えるとセルジオの元へと挨拶に向かった。やはり、ユリウスの補佐官だけあって、髪色を気にする人ではないようだ。決して愛らしいと言われ浮かれているわけではない。
ヘルメスやディディエも特に警戒する様子がないので、危険な人物ではないのだろう。
「先生、すごい補佐官さんですね。いきなり呼び出されてこうもすぐに溶け込むなんて」
「オウェンスは順応性だけが取り柄だからね」
オウェンスが戻ってくると、わたしは彼に料理の説明をする。メモも取らず、ふんふんと一通り聞いたあと、淀みなく配膳を始める姿から、ザリスに並ぶほどの優秀な補佐官であると分かる。それぞれ毒味を終えた後、ユリウスは料理に手を付ける。上品に口に運んでは、少し眠そうにボーッとしていた。もしかしたらそれがユリウスの素の表情なのかもしれない。
普段、彫刻のように無機質な笑みを浮かべているが、こちらの方が人間らしくてわたしは好きだった。
ベリアルド一族の面々もすぐにオウェンスという人物、人一人が突然現れた事自体に慣れたのか、まるでこれまで何度も食事を共にしてきたかのような和気藹々とした晩餐風景となっていた。
「先生、お口に合いますか?」
「ああ、色々な味がする。面白いね」
こうしてわたしたちは楽しく一年の締めくくりをした。
色々あったけれど、今年も無事に生き延びた。本当に色々あったけれど。
祝祭が終わればまたわたしには未知の世界が待っている。北部への長期旅行、精霊との契約、アリシアやジゼルたちとのお茶会、あと他にも何かあった気がするけれど、楽しみなことがたくさん出来て嬉しくなる。
わたしは体力の限界まで一年最後の日を楽しんだ。
■■エピローグ■■
一年最後の日の夜を、王国の民は酒を飲み御馳走を食べ歌い踊り楽しんでいた。貴族も平民も、この日は奴隷すらもそれが許される。既に日付が変わり、もう空白の祝祭が始まっているのだろう。
けれど、そんなお祭り騒ぎの気配を一切感じさせない場所がここにある。
王宮から少し離れたある高い塔の一室では、薄く差し込む月明かりの下で一人の男が一心不乱に身体を鍛えていた。
恨み言は言葉に出さない。口にしてしまうと、恨みが増幅され全てを支配されてしまうから。だが、確かに腹の底から湧き上がる怒りがあった。怒りのぶつける先がないこの閉じた塔では、自身の身体を鍛えるしか、やり過ごす方法を思いつかなかった。
スッと床が何も見えなくなり、月が雲に隠れてしまったかと明かりとりの細い窓を見上げる。ガラスも何も嵌っていない、ただの隙間のような窓は真っ黒に塗り潰され、ガラス玉のような目が二つ、並んでいた。
自分もそろそろ気を保つのが限界に来たのか、と乾いた笑いが漏れていて、一方、自分の笑い声など何年ぶりに聞いただろうかと冷静に考えてしまう。
ふと、月明かりが戻ったかと思うと、真っ黒な、それでいて小さな獣が足元に降り立っていた。
なるほど、これが窓を塞いでいたのか。小さな身体に不釣り合いな神々しい魔力を感じ、自然と獣の前に膝を付く。すると獣は一つの魔導具をどこからとも無く取り出した。
獣が何か動作をしたわけではない。だが目の前に置かれた見慣れない箱型の魔導具を、他の誰が持ち込めると言うのだろうか。
ここは扉の向こうの見張りの兵を通すか、翼を持った小鳥しか入ることが出来ない牢獄なのだから。
今起こっているあり得ない状況も、男は静かに受け入れていた。そっと魔導具の蓋を開けるとそこには小さな紙が添えられていた。
ゴツゴツとした大きな手で、その紙を握り締める。一体誰が…… そう思って視線を上げると、獣は既に姿を消していた。
「悪魔の使いか……」
男はとうに神に祈るのをやめていた。神々は人を救いなどしないのだと身を以て知ったから。
そんな自分に微笑むのは、きっと神では無く悪魔だろう。
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