26.精霊
「先生、嫌いな食べ物はありますか? 軽食と菓子を用意したので食べられそうな物を召し上がってください。 リヒトもね」
「変わった食べ物ばかりだね」
わたしたちがそれぞれ菓子を食べ始めると、リヒトが皿に取り分けたサンドイッチを口に頬張る。それを見てユリウスも躊躇いがちに蒸し鶏と卵のサンドイッチを小さく齧った。目を丸くさせたかと思うと若干眠そうにしながらゆっくりと咀嚼している。
「お口に合いますか?」
「ん、初めて食べたけれど、美味しい、と思う」
ユリウスは多分良いお家柄の貴族だと思っていたのだけれど、と不思議に思う。シチューなどの野菜を使った料理や、菓子はわたしが前世の記憶から持ち込んだものだが、サンドイッチは普通にこちらの世界にあったものだ。
「先生はいつもどういったお食事を?」
「パンと干し肉だよ」
「それだけ…… ですか?」
「ああ、たまに果実も食べるけれど、干し肉は保存も効くし食事の時間が短くて済む」
仙人かな? というか、カロリーバー的な補助食品で栄養補給する技術オタクの姿が頭に浮かぶ。よくその食生活でここまで立派にお育ちになったと感心する反面、流石に栄養面が心配だ。リヒトは自分も同じような食事でしたと頷いているが、リヒトは完全に栄養失調だった。
「お父様、先生をこれから食事にお招きしてはどうですか?」
「もちろん構いませんよ。授業料がシェリエルの研究という事になっていますから、それでは足りないかなと思っていたんです」
あれ、聞いてないぞ? マルセルから提案された条件をそのままユリウスにも使ったのか。結局わたしが実験台になることが対価になるなんて。けれど、たしかにそれでは報酬として不十分だ。
「先生、そういうことなので是非明日から」
「わたしはこの姿だからね。他家の晩餐にお邪魔するわけにはいかないよ」
「大丈夫ですよ、わたしもこの姿なので。白も黒も変わらないではないですか」
「ククッ…… いや、まあ…… そうか」
なぜかユリウスは堪えるように喉を鳴らしながら一応納得の色を見せる。「いいんじゃない?」とディディエの後押しもあり、明日からユリウスと食事を共にすることになった。いっそのことノアも一緒にと思ったが、ノアは最近遊びにくる頻度が減ってしまい、ここ数週間会っていない。
「食事もですけど、ユリウスには年明けからの旅行に同伴して貰いたいのですよ。お時間ありません?」
「ああ、精霊を探しに行くんだったね。わたしは長時間出歩くことが出来ないから、ノアを連れて行くといい。何かあればそちらへ転移するよ」
全員話を飲み込めず、ノア? と首を傾げていると、ユリウスもそれを察したのか食事を中断し一度席を立つ。
「私はノアと自分の位置を入れ替えることが出来るんだよ。今はどこにいるのかな? ああ、森に居るね。少し替わってみようか」
そう呟くと、ユリウスの姿にノイズが入る。あ、これ前にも見たことがある。
目を凝らすと足元に浮き上がった魔法陣の縁から、文字のような記号が柱のようにユリウスを覆っていた。なんとなくその光景がユリウスをスキャンしているように見えて、転移という魔術の仕組みが気になってくる。一瞬でユリウスがノアになってしまった。
「ね、お父様、お兄様! これを見れば変化したように思っても仕方ないでしょう?」
「ん〜、確かにそう見えなくもないけど。変化の魔法はギフトでも存在しないからね。ていうかさ……」
久しぶりに会うノアはこの場に特に驚いた様子も無く、タタッとわたしの膝に乗る。あれ、このまままた入れ替わると先生がわたしの膝の上に……
かと言って愛らしいノアを退けることもできずあわあわしていると、ユリウスが元の位置に戻ってきた。
「先生! 入れ替わるんじゃなかったんですか?」
「入れ替わる前に転移の座標を残しておいたんだよ。本来、自分が直接行って座標を残さなければ転移出来ないところを、ノアと位置を入れ替わることである程度自由に移動が出来る、というだけだね」
ほう、転移の仕組みは結構システマチックなんだな。知っている場所を思い浮かべるだけで瞬間移動が出来るのだと思っていたけれど、座標の指定が必要らしい。転移は上級魔法なのでわたしはまだ習っていなかった。
予習がてら、転移について話込んでいると、ディディエが珍しく遠慮がちに話に入ってくる。
「あのさ、取り込み中悪いんだけど…… それが、例の猫?」
「あ、お兄様はノアに会ったことありませんでしたか? こちらがノアですよ、わたしのお友達です」
ノアはやはり言葉が分かるのか、瞑っていた瞳をパチリと開け、一度ディディエを横目で見る。ディディエも黒い動物に驚いているようで、メアリほどではないが困惑していた。
「いや、それさ。精霊じゃない?」
「え? そんなまさか」
わたしは確認するようにユリウスに視線を向けるが、ユリウスも「ん?」と首を傾げている。ディディエはノアが珍しい色だから魔獣ではないと思っているのだろう。わたしも始めは魔獣とは思えず、猫又だと思っていたのだし。
しかしセルジオの言葉でわたしの認識が一変する。
「その子、たぶん精霊ですよ。かなり力が弱まっていますけど、魔獣のそれとは違いますからね」
「父上もそう思いますよね? ていうか、ユリウスも気づかなかったの?」
全員の視線がまたもユリウスに集まる。絵画のように整った笑みを浮かべ、今度は反対に首を傾げた。
「ふむ、君、精霊だったのか。全然気づかなかったよ」
「そんなことあります!?」
物珍しそうにノアを見つめるユリウスがあどけなく、普通の十五歳の男の子に見えた。
いやいや、今更それはないでしょう。ディディエはテーブルに額を付け、足を踏み鳴らしながら大爆笑している。わたし以外のことでこれほど笑うディディエを初めて見た。
ユリウスはノアに「いつから精霊なの?」と話しかけているが、それを聞いたディディエが更に過呼吸になるほど笑い、セルジオは傍観しリヒトは困惑し、わたしは…… 考えるのをやめた。
「ユ、ユリウス…… 勘弁してよ、クッ…… なんで気付かないのさッ」
「物心付いた頃には側に居たからね。たしかに少し気配が違うなとは思っていたけど、私と同調しているからかと思っていたよ」
ユリウスは自由に出歩けない子どもの頃からノアと同調し、外の景色を眺めていたらしい。それほど長く一緒にいて、魔獣より先にノアを知ったのなら、分からないのも仕方ない。と思う。
「ノアと契約できるか試してみるかい?」
「良いのですか? ノアはずっと先生を守っていた精霊なのでしょう? なんだか横取りするみたいで申し訳ないです」
「別に構わないよ。今まで契約していないんだからね」
ユリウスに促され、ノアに一応聞いてみる。契約の方法などわからないので、ただそのまま「契約してくれる?」と声をかけた。しかし、ノアは尻尾をブンブンと振るだけだった。
「ふむ、何か違うようだね。自分では無いと思っているみたいだ」
「先生はノアとお話し出来るのですか?」
「思考を共有すると大まかな考えや感情が伝わるだけだよ。君が泣いていた夜も、何とかしろと私に怒っていたから、君のことは気に入っているようだけど」
あの時先生が来てくれたのはノアのおかげだったのか。ありがとう、と頭を撫でると、また気持ち良さそうに膝の上で丸くなる。嫌われているわけではないけれど、ノアとは契約出来ない。結局旅行は必要なようだ。
「先生はノアと契約しないのですか? あの、気になっていたのですけど、先生も魔力が多いのに石化の心配は無いんでしょうか?」
「私は洗礼の儀の魔力を殆どノアが肩代わりしてくれたからね。君ほど広がっていないんだよ」
なるほど、それで先生は一人で洗礼の儀をする方法を知っていたのか。ノアに教えて貰ったのかな?
少しずつ先生のことを知り、また新たな疑問が生まれる。
ユリウスは少し考えるようにノアを見つめながら仮説を立て始めた。
「そうか、洗礼の儀で私がノアの魔力を殆ど奪ってしまったから精霊としての力が弱っているのかな?」
精霊というのは精霊界で魔力を補充するため、本来なら人と同じように自然と魔力が回復するらしい。けれど、ノアは四六時中こちらの世界にいるので、魔力を回復出来ていないのでは、という事らしい。
「ユリウス、やっぱ試しに契約してみてよ。どうやって契約するのか分かれば、シェリエルの時も安心じゃないか」
「それもそうだね。 ノア、私と契約するかい?」
ぴるぴると動いていたノアの耳がユリウスの方向で固まったかと思うと、むくりと立ち上がりユリウスの膝の上へと飛び乗った。ユリウスは何かが聞こえたのか、それともさっき言っていたように、感情が伝わって来たのか、応えるようにノアの口元へと頬を寄せる。
ノアが軽くユリウスの頬に口づけしたかと思うと、シュタッと膝から飛び降りた。
「ん? これで契約出来たのかな?」
特に何かが変わった様子も無いらしい。わたしたちからも魔法陣だとか光だとかそれらしい現象は確認出来なかった。けれど、ズズッとノアの気配が大きくなかったかと思うと、ノアの身体が巨大に変化する。
「大っきい猫ちゃん……!」
大型の猫、いや骨格や顔つきが逞しく、猫というより黒豹のような姿に変わる。しかし黒豹というのはこれほど大きい動物だっただろうか。大人が余裕で乗れそうな、馬より大きな神々しい姿は、まさに精霊という風格だった。
「ああ、たしかに精霊だね。私の魔力を結構持って行ったんだな。それに今までよりずっと鮮明に思考が伝わってくる」
「契約出来たのですね。どうやってやったのです?」
「よく分からないな。ノアが何かしたみたいだ。契約は精霊に任せるしかないようだね」
なるほど、それで精霊の契約に関する情報があやふやだったのか。特に儀式めいたこともなく、人間がやるべきことは特にないらしい。
「ノア、少し精霊界で休んでおいで。私の魔力を喰いすぎだよ」
「ガァ〜ォ」
ノアが大型肉食獣らしい返事をすると、しゅるると元の猫ちゃんに戻っていった。そして、そのまま霞のように姿を消す。
「おや、魔力が戻ってきた。共有というのは本当のようだ」
「先生はいつもそうやって実験と考察を重ねて魔術を研究しているのですね」
凄いですよね、と皆を振り返れば、リヒトだけでなくセルジオやディディエも固まっていた。身体は硬直しているが、表情は放心しているように何の感情も読み取れない。
「どうしました?」
「い、いや、シェリエルは良く平気ですね…… 少し魔力に当てられてしまいました」
「でも魔力自体は先生のものでしょう?」
「ノアの様子からすると、精霊は魔力が剥き出しの状態みたいだね」
どうやら、人と精霊では魔力の持ち方が違うらしい。人は魔力の湧き出る泉から、一度器に移して使う。わたしはその入り口が広がってしまい器が耐えきれない状態らしいが、精霊は存在そのものが魔力の泉なのだという。
だからノアは身体を小さくしたり大きくしたり出来るのだろう。セルジオやディディエで当てられたという事は……
「リヒト! 大丈夫ですか!」
リヒトをよく見ると目を開いたまま気絶していた。





