25.上書き
「ーーという事があってですね、リヒトが騎士になれるならそれは喜ばしい事なのですけど、少し悔しかったのですよ」
「うん、そのようなくだらない話をしながらでも魔術を維持出来るようになったのは素晴らしいよ」
柔らかい笑顔から投げられる辛辣な言葉にも慣れてきたわたしは、自分の身長ほどある炎を目の前に灯し続ける。スペルではなく、自分の名を使い詠唱する中級魔法も、基本の属性全て扱えるようになり、今は操作の訓練をしているところだった。今日は一年の最後の日。ディディエが昼過ぎに帰ってくる事になっているので、朝食前に魔術の授業を受けていた。
「先生、リヒトは新しい名で中級の魔法が使えないのですけど、どうにかなりませんか?」
「洗礼の儀をもう一度やれば名を上書き出来るよ。名を変えたという事は公に出来ない事情がありそうだね。私が手伝ってあげようか」
「良いのですか!」
「もしやるなら今日の夕刻が良いだろうね。皆祝祭の準備で忙しくしているだろうから、それほど目に付かないはずだよ」
そうだ、また光の柱が降りるなら面倒な事になりかねない。ディディエが帰ってきたらセルジオやヘルメスにもお願いしてみようと思う。
「魔法陣は間に合うのですか?」
「ああ、今日は私も時間があるから授業が終われば描いて来よう」
「ありがとうございます、ユリウス先生!」
ほくほくとその後の予定を話しながら、みっちり魔術を練習する。呪文はスペルよりも長いけれど、決まった言葉通りに唱えれば術自体は発動する。ただ、スペルと同じくらいに魔力を絞ると魔法陣の発現だけで終わるので、加護がないと中級以上の魔術が使えないというのはこの為だろう。発現後の操作はイメージ力や集中力、慣れが必要なので、その訓練が必要だった。
授業が終わると、セルジオに祭壇の使用許可をもらいに行く。ユリウスも一緒にと思ったけれど、城内で働く者たちに姿を見せたくないと遠慮されてしまった。わざわざ往復するのが面倒だっただけかもしれないが。
無事許可を貰い、今度はリヒトを連れて祭壇へとまた戻る。これから魔法陣を描くならばと、朝食用のパンとリンゴを包んで貰い、ユリウスの元へと早足で歩く。抱っこをして貰うには育ちすぎてしまったが、自分で歩くにはかなり距離があり、雪の舞いそうな寒空の下でも湯気が出そうなほど身体が温まっていた。
「シェリエル様、その洗礼の儀というのは……」
「もう一度洗礼の儀をすれば、新しい名で上書き出来るらしいの。リヒトも新しい名を神々に祝福されたいでしょう?」
「そんな事が可能なのですか。ですが、私などの為に術士を呼び寄せるなど」
「ふふ、わたしの先生はすごいのよ。わたしも手伝うから大丈夫」
オロオロとわたしの後を歩くリヒトを宥めていると、やっとユリウスの待つ祭壇へと辿り着いた。
「お待たせ致しました。こちらがリヒトです。あと、祭壇の使用許可も取れたので、儀式の準備をお願いできますか」
「君がリヒトか。元神官かな? 年は?」
「お初にお目にかかります、リヒトと申します。年は、十三になりました」
リヒトはユリウスを前に特に驚く様子も無く、けれどいつも通り恐縮した様子で頭を下げる。そんなリヒトを上から下まで検分するように眺めたユリウスは、少しの間黙って何かを考えこんでいた。
「君、この後予定は? 手が空いているなら手伝って貰おうかな。陣を描きながら君の話を聞かせてくれるなら、それを儀式の対価にしよう」
「私の話…… などで良いのですか? 喜んでお手伝いさせていただきますが」
そんな上手い話があるのかと警戒するように、チラリとリヒトがわたしを見る。手間のかかる魔法陣は本来両親が用意するもので、足りない術士の派遣にも安くない額のお金を払う。加えて、リヒトは死を偽装して身元を詐称しているので、誰にでも本当の事情を話す事はできない。話して良いのか、そんな話が対価で良いのかとリヒトが混乱しているのがヒシヒシと伝わってきた。
ユリウスならば話しても問題ないだろうと、わたしはコクリと頷く。もちろん信用しているし、ユリウスが良いというならば、対価はリヒトとのお喋りで良いのだ。きっとユリウスは自分の知的好奇心を満たすものが一番の報酬になるのだろう。
けれど、何か納得いかない。
「先生、わたしもお手伝いしたいです。魔法陣を描くところも見てみたいですし」
「君はディディエの出迎えがあるだろう? それに手伝いはそれほど必要じゃないんだ。彼には話し相手になって貰うだけだよ」
セルジオに続いてユリウスまでリヒトに興味を持つなんて。仲良くしてくれるのは嬉しいし、リヒトにとっても良い事だと思うけれど、何だか仲間外れにされたようで少し寂しい。親友だと思っていた子に自分以外にも仲の良い友人がいると知った時の絶妙な寂しさ、だろうか。
「それでは、儀式の時にまた……」
リヒトに後を頼み、わたしはまた城内へと歩く。
簡単に着替えを済ませて食堂へ向かうと、ヘルメスは私用があるらしく姿が見えなかった。セルジオとディオールと三人で朝食を食べ始めたとき、バタバタと廊下から足音が聞こえてくる。
「ただいま戻りました」
「お兄様早かったですね。学院の朝食は早いのですか?」
「いや、シェリエルと一緒に食べようと思って、食べずに出て来たんだ」
ディディエがいつもの席に座ると、すぐに食事が用意される。二月ほど会っていないだけで、また少し大人っぽくなった気がした。
「なんだか、どんどん背が伸びますね。身体が痛くなったりしないのですか?」
「高位貴族はこの時期から三年ほどで一気に成長するんだよ。聞いてはいたけど脚や背骨がミシミシ鳴って本当に最悪」
ほう、魔力の量でそんな違いもあるのか。と言う事はユリウスが十五歳だというのも本当なのかもしれない。最初に聞いたときは猫の年齢だと思っていたのであまり深く考えてはいなかったが、ユリウスはディディエの一つ上だとは思えないほど大人びていた。
「そうだ、シェリエル、お土産があるんだ」
ディディエがそう言うと、すぐに補佐官であるディルクが両手で抱えるほどの木箱をテーブルへと置いた。「開けてみてよ」と促され、そっと蓋を開けると、中には大木をそのままミニチュアサイズにしたような植木鉢が入っていた。
「アルフォンス殿下の首でも土産にしようかと思っていたけど、一応聞いてからにしようと思って。授業で育てた魔花なんだ。上手く育つと妖精を呼ぶみたいだからシェリエルにあげるよ」
えっと、前半に何か聞き捨てならない言葉があったような。気のせいだろうか。見た目は木なのに魔花なんだ、と当たり障りのない事を考えながら気を紛らわす。いや、聞き捨ててはいけないだろう。
「あの、殿下の首というのは……」
「お茶会での話聞いたよ。友人の妹君が茶会に参加していたらしくてね。それはもう立派な姿だったらしいと褒めてくれたんだけど、そういう問題じゃないよね。その足で王宮に乗り込もうかと思ったんだけど、流石に今の僕じゃ根回しが足りないからちゃんと計画を立ててたんだ。そしたらディルクが女の子は生首じゃ喜ばないって言うもんだから」
「お兄様…… お気持ちだけで嬉しいです。生首はちょっと……」
ディルクありがとう。お兄様の計画というのを阻止してくれて本当にありがとう。ディルクに熱い視線を送ると、それを察したのか軽く会釈してディディエの元へと戻って行った。
「やっぱそうか。嫌な奴の顔なんて見たくないよね、ディルクの忠告を聞いておいて良かったよ。でもどうしようかな、シェリエルの大事な髪をさぁーー」
特に怒っているだとか苛立っているだとかそういう空気は一切感じないのだが、ディディエがぶつぶつと物騒な話を続けている。そんな中、アルフォンスの名が出た事で、何かを思い出したかのようにセルジオが話に加わってきた。
「そうです、アルフォンス殿下といえば、婚約の打診が来てましたけど、シェリエルどうします?」
「は?」「は?」
間の抜けた返事がディディエと重なり、「仲が良いですね」と笑うセルジオに視線が集中する。ディオールは知っていたのか、少し不機嫌そうに眉を顰めていた。
「あの、それはわたしの意見が通るのですか?」
「アレと婚約なんて僕は認めないよ」
「ベリアルド家としてはどちらでも良いんですけどね。ディオールは反対みたいですし、シェリエルが決めていいですよ」
「では、絶対にお断りしてください」
当たり前じゃないか。髪を切られた云々は置いておいても、このまま婚約してしまえば夢の通りになってしまいそうで怖い。うんうんと頷くディディエとディオールの様子からも、王族からの打診だから断れないという事もなさそうだ。ベリアルド家でよかった。これで一つ危機を回避出来た気がする。
「でもどうしてわたしなんでしょうか? アリシア様だっているのに、こんな髪のわたしと婚約だなんて」
率直な疑問を口にすると、それまで黙っていたディオールがブチっと勢いよくパンを引きちぎった。
「元老院はアリシア嬢を推しているはずよ。貴女を推したのはライアでしょうね。彼女、力を持った頭の良い子が王宮に入るのが嫌なんじゃないかしら」
「シェリエルはベリアルドですよ?」
「だからこそよ。ベリアルドでありながら従順で魔力も殆ど無い無能だと思っているのよ。元老院もベリアルドに新しい枷を付けられるならと承諾したんでしょう」
なるほど、それで夢のわたしが婚約者に……
菓子や事業の話はライアが来る前に話していた事だし、あの後はわたしの話にならなかったのかもしれない。他の貴族たちも敢えて他家の令嬢を推すような真似はしないだろうから、まだ耳に入っていないのだろう。
「ならお断りの手紙でも出しておきますか。どうせ空白の祝祭が終わったら城を出ますし、うるさいことは言われないでしょう」
この世界では一月が三十日で、年末と年始の間に空白の五日間という祝祭がある。それが終わるとまた新年が始まるのだ。わたしたちは、年明けから北部へ向けて旅行に出る事になっていた。
ディオールは領主代行としてお留守番をする事になっているが、初めての家族旅行というわけだ。
「そういえば、旅行の間の授業はお休みで良いのですか?」
「ああ、剣術は旅の合間も訓練しますよ。あと座学はお休みでも良いですが、出来ればユリウスも連れて行きたいですね。精霊と契約など僕もした事無いですし」
精霊との契約って学院で学んだりしないんだろうか。不思議に思って聞いてみたが、だいたいがたまたま出会って契約出来たというようなふんわりした情報しか無いらしい。ただ、精霊というのは会えばすぐに感覚で分かるそうだ。
色々な意味で賑やかになった朝食が終わると、ディオールとヘルメス以外、祭壇へ向かう事になった。ヘルメスは夕刻まで戻らないらしく、お茶をするならユリウスの作業を見学しながらにしようという話になったのだ。一人黙々と魔法陣を描いているはずのユリウスの横で、優雅にお茶を飲む気らしい二人は、ニコニコと使用人に準備させていた。
「ユリウス先生、魔法陣の方は……えッ」
祭壇へと続く低い階段を数歩上がると、そこにはほぼ描き終えたらしい魔法陣が広がっていた。こんなに早く描いてしまうなんて、どうなっているのだろう。
「僕なんてディオールに手伝ってもらっても一晩かかったのに、随分早すぎませんか?」
「やあ、君たちも早かったね。後少しで終わるよ」
こちらを一度振り返った後、ユリウスは大きな杖で外側を縁取りながら歩き始めた。セルジオとディディエは後を追いかけるように、陣の周りを歩きながらじっくりと観察している。
やっぱりわたしも見学したかったな。
「ユリウス先生、朝食は召し上がられたのですか? よかったら一緒にお茶でもいかがです?」
「食べ忘れていたよ。後でいただこうかな」
祭壇の横にテーブルを運んで貰い、ティーセットが準備されて行く。パンにお肉や卵を挟んだサンドイッチと、クッキーなどの軽食が並べば、真冬のピクニックの始まりだ。
魔術で温めたお湯がポットに注がれた頃、魔法陣を描き終えたらしいユリウスが降りてきた。





