18.正体
お披露目会から二日、この日もノアは現れず、結局マルセルには黙秘を続けたまま何とかやり過ごしている。幸い、晴れて正式に貴族になった為、マルセルが勝手にわたしの部屋に押しかけることは出来ない。城の外れにある塔なので、今まで通り正面口を使わなければ、食事以外ではそれほど生活に不便はなかった。
「はぁ、やっとシェリエルと落ち着いて遊べるよ」
「お兄様はもうすぐ成人でしょう? ご友人と遊んだりしなくて良いのですか?」
遊ぶと言ってもお茶をしたり商会のあれこれを手伝ってもらったり、たまに使用人の控え室で実験めいたことをするだけだ。十四歳にもなれば、同年代の男の子たちと遊びたい盛りだろうに、わたしとばかり遊んでいて良いのだろうか。
「同年代の友人ほど退屈なものはないよ。少し耳触りの良い言葉をくれてやるだけで僕を善人だと勘違いして媚びを売ってくるだけ。少しでも僕を知っている奴は近寄って来ないしね」
「擬態の習得もそういう面では困りものですね。お兄様は意図せずとも魅力的に振る舞ってしまいますから」
「そうなんだよ〜! 分かってくれるかい? たまに飽き飽きして釘を刺してやれば子鹿のように震えるものだから、それはそれで楽しいんだけどね」
共感はしないけれど、なんとなく理解は出来る。ベリアルドは反射的に人格者として振る舞うよう訓練されるのだから。
そう言う意味でも素で居られる城内が心地よく、学院に行きたがらないのは分かる気もする。
「お兄様、同年代のご友人は大切ですよ。わたしは前世であまり友人が居なかったのですが、それでもたくさんの事を学びました」
「シェリエル、前世では頭が悪かったの?」
「ええと、そういう事では無くてですね。他人の価値観や体験を見聞きするだけでも自分の世界が広がるのです。それでもお爺様には未成熟だと言われましたけど……」
わたしの数少ない友人たち。わたしには恋愛経験もブラック企業勤めもアイドルオタクの趣味も無かったけれど、友達の話を聞くだけでも世界が広がった気がする。
新しい世界を知って自分自身がのめり込んだ物もある。考え方や価値観も、そういう見方もあるのだと知る事自体が大切だったのだ、と今では思う。
「人心の授業に近い話だね。上位の者から学ぶ事も大切だけれど、上下関係無くあらゆる価値観を吸収し、適切に取捨選択して行く。たしかに、興味深い話を聞いたり、珍しい品を手に入れられたりと利もあるんだけどさ」
うーん。こう、もっと人と人の繋がりで得られる豊かさみたいな話がしたかったのだけど、未熟なわたしにはまだ難しかったようだ。それに、ディディエに偉そうな事を言っているが、わたしの方が友人を作れるか不安が大きい。
「わたしも友人が出来るか心配になって来ました。この髪はやはり戸惑いが大きいのでしょう?」
お披露目会での視線を思い出す。大人、しかも城内で働くいわば両親の部下たちでさえあの反応だったのだ。子どもであれば露骨に嫌悪感を示されても仕方がないと思う。その視線はまだ体験していないにも関わらず、わたしの中には記憶として残っていた。
「別にいいじゃないか。たしかに最初は驚いたけど、シェリエルの事を知ればみんな好きになるよ。髪の色如きでシェリエルを判断するような奴は仲良くなる必要もないだろ? 手っ取り早くて良いじゃないか」
「たしかにそうですね。わざわざ腹の探り合いをしなくても良いのは楽ですね」
「まあ、敢えて近づいて来る奴はそれだけ狡猾だったりもするから、仲の良い子が出来たら必ず僕に紹介するんだよ?」
ちょっと過保護過ぎやしないだろうか。今度開かれるお茶会は、七歳から十歳くらいの貴族の子女を招待すると聞いている。他領との関係で数組ほど領外からも招くらしいが、殆どが領内の貴族なので嫌悪はされても謀などはないはずだ。
「お兄様のご友人も紹介してくれるのなら、わたしも一番に紹介しますね。お友達が出来たらの話ですけど」
「はは、天才である僕たちに一番難しいのは友人作りかもね」
「ふふ、全く笑えませんよ、お兄様」
唯一の友達であるノアが最近先生になってしまったので、わたしは今のところ友人がいない。このまま一生を終えれば、前世よりも悲惨な人生となるだろう。
「そういえば、リヒトもお友達が居ませんよね? 退屈しているでしょうし、少し顔を見に行きませんか?」
「リヒトなら今お爺様の治療を受けているはずだよ。今まで麻痺していた心が急に動き出しているからね、まだ少し時間がかかるんじゃないかな」
お披露目会ではずいぶん顔色も良くなったと思ったのだけれど……
「シェリエルはリヒトにとって劇薬みたいなものだから、少しずつでいいんだよ」
「なんです、人を毒物みたいに」
ここ数日バタバタとしていたので、久しぶりにゆっくりと出来た気がする。
翌日、魔術の授業の時間になると、すぐに扉がノックされた。今日はメアリも悲鳴を上げる事なくノアを迎え入れる。
「ノア先生、ごきげんよう」
「失礼するよ、シェリエル。おや、ディディエも居たのか」
「少し聞きたい事があるんだけどいいかな」
少しも驚いた様子のないノアに、ディディエは挑発的な笑みを向ける。
初めから喧嘩腰は良くないと思います、お兄様。
見た目の年齢が近いせいで、少しハラハラしてしまうが、ノアは「ああ」と短く返事をし席についた。
「そうだ、どうして一昨日来てくださらなかったのですか? 了承してくれたと思っていたのですけど」
実際は勝手にわたしが思っていただけだ。グリちゃんもそうだが、猫のノアとは意思疎通が出来るわけではない。なんとなくそう言っているような気がする、という適当なものだった。
「ん? あの日の夜か。すまない、ちょうど聞いていなかったようだ」
「いえ、こちらが勝手にお願いしただけなので、良いのですけど。それで、無詠唱の事が少し問題になってしまったので、兄に説明して欲しいのです。わたしでは上手く説明ができなかったので」
ノアは少し考えるようにディディエを見つめ、コテっと首を傾げる。この仕草が猫のようで、人型になっても癖は同じなんだな、などと思っていると、ディディエ対ノアの静かな戦いが始まってしまった。
「何が問題なんだ?」
「あ? なんで無詠唱で魔術が発動するんだよ」
「出来ないのか?」
「お前、喧嘩売ってるのか? 普通出来ないだろう。なんで出来るのか聞いてるんだよ、こっちは」
「慣れれば出来るさ。シェリエルも出来ただろう?」
「だから、なんで!」
あああ、これはいけない。ノアは本当にあの夜の話を聞いていなかったようだ。ディディエの我慢がたった数分で限界に達している。
「あ、あの、お兄様、落ち着いてください。わたし、少し思い当たる事があるのです」
「何さ? こないだは訳の分からない説明しかしなかったじゃないか」
訳の分からないとは失礼な。確かに下手な説明だったけれど、これでもフリーでエンジニアが出来るくらい説明能力はあったはずなのに。
「いえ、あの後思い出したのですよ。ノアは猫ちゃんなので詠唱しないのが普通なのです。グリちゃんもクルミも詠唱しないでしょう?」
きっとノアも人間が詠唱しないと魔術を発動出来ないなんて知らないのだ。だからこんなすれ違いが……
なぜか二人がキョトンとこちらを見つめている。
「私は猫ではないよ?」
「え?」
「ん?」
猫ではない、とはどういう事だろう。魔獣だとか猫又だとかそういう意味だろうか。
「え、シェリエルまだノアのことを猫だと思ってたの? とっくに気づいてると思ってたんだけど。アハハ! 本当に?」
「ああ、君は私が猫だと思っていたのか。道理で少しおかしな子だと思ったんだ」
なに、この人たち。さっきまでピリピリしていたくせに、二人揃ってわたしのことを…… いや、分かっている。分かりかけて来た。わたしはとんでもない勘違いをしていたのだ。みるみる頬に熱が篭り、顔全体が火を吹きそうなほど熱くなるのを感じる。
「そんな…… じゃあノアは猫ちゃんじゃなく、人が猫に化けていたのですか? お喋りしたり、寝台でゴロゴロしたり、お腹を吸ったりしていたのも、全て、人…… 男の人だったと」
「いや? わたしとあの猫は別物だよ。だから先日夜に君のところへ行ったのも私じゃない」
「プッ…… アハハハハ! もしかして、シェリエル、猫相手に先生って話しかけたりしてた? そりゃ翌日来るはずないよね」
そんなに笑わなくてもいいじゃないか。子どものかわいい勘違いなのに!だいたい、ノアだって最初は……
「じゃあなんでお爺様やみんなと鉢合わせた時に言ってくれなかったのですか」
「子どもは突飛な言い訳を考えるのだなと思って感心していたんだよ。まさか本気で猫だと思っていたとはね」
「でも猫ちゃんに話したこと、先生知っていたでしょう……?」
「それは、思考を繋いでいたからね。こないだ君にやったのと逆だよ。猫の視覚と聴覚を自分の思考へと繋いでいたんだ。ああ、触覚や嗅覚なんかは繋いでないから安心しなさい」
あー、もう、訳が分からない。なんでこんなことに。待って、落ち着こう。先生は人で、猫は猫ちゃん。ああ、そんなの当たり前だバカ。ちょっと涙が出そうだ。恥ずかしいやら何やらで上手く頭が回らない。
「じゃあ、ノア先生はちゃんと人の名前があるのですね。どうして教えてくれなかったのですか」
「あの時は誰にも会うつもりがなかったからね。君が口を滑らせると面倒だなと思っていたんだ。結局すぐに知られてしまったんだけど」
「え、じゃあもしかして、お父様やお母様は先生の事……」
コクンと頷くノアを見て悟った。猫だと思っていたのはわたしだけだったと。そういえば、メアリも魔獣が人に化ける事は無いと言っていたっけ。なんて滑稽な嘘を吐く子だと思われただろうか。
まだ腹を抱えて笑っているディディエはついさっきまでノアに火花を散らしていた事をすっかり忘れたようだ。
「はい、分かりました。わたしがとても失礼な勘違いをしていたようです。申し訳ありませんでした、ノア先生」
「……ユリウス」
「?」
「私の名だよ、ユリウスと呼んで」
「ユリウス……先生?」
闇夜に浮かぶ月のように穏やかで神々しい笑顔が真っ直ぐにこちらを見ていた。反則だ。この顔で人だなんて信じられない。
「ふふ、それにしても猫だと思われていたのか。初めての体験だ」
「ふははッ! たしかに猫に間違われるなんて滅多にないよね。僕もユリウスと呼ぶよ、いいよね」
「ああ、ノアはあの猫に譲ろう。彼を思って付けたようだしね」
本当に碌でも無い人たちだ。こんな幼い子を囲んで笑い物にして。わたしが普通の七歳児だったら泣いているところだ。
「ハァー、で、結局どういうこと? ユリウスは猫、というか魔獣かな?それと思考を共有出来るから、無詠唱で魔法が使えるって?」
ようやく本題に戻ってきた。少し思っていたのとは違ったが、どちらにせよ魔獣が詠唱しないというところが鍵な気がする。
「ふむ、たしかにそれはあるかもしれないね。気付いた時には勝手に思考が繋がっていたから、あまり意識した事が無かったんだが」
「ギフトですか?」
「たぶんね。それより、無詠唱で魔術を使えないというのは本当なのかい? 私の知ってる人間は魔術が苦手だからだと思っていたんだけどな」
「わぁ」
王国内でもかなり数が少ないという話なのに、こんなにすぐに会えるなんて。
ギフトに驚くわたしを他所に、ディディエとユリウスはどんどんと認識を擦り合わせ、仮説を立てていく。喧嘩腰でなければこれほど話が合うのだなと、感心してしまった。
「ふーん、なるほどね。じゃあさ、僕にもシェリエルにやったやつ、試してよ」
「いいよ。私としてももう少し検証したかったんだ」
「それいいですね! お兄様も出来るのなら、ベリアルドだからで説明が付きますし。折角なのでお父様も呼びますか」
こうして執務で忙しいはずのセルジオを呼び出すことになった。ザリスには渋い顔をされるだろうが、きっとセルジオには喜んで貰えるだろう。





