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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第二章 洗礼

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16.身内だけのお披露目会


 授業で魔力を使った影響か、体内の不快感は消えても身体が怠くて仕方なかった。脚は思うように力が入らず、腕を少し上げるだけでも重さを感じる。

 もしかして、これがわたしの本当の筋力?ずっと魔力で強化するのは良くないと言われたけれど、そういう事だったの?

 これは、早めに強化とやらを習得しなければ。やる気とは裏腹に疲れた身体を寝台に預ければ、すぐに眠りに落ちていた。



 

「シェリエル様、そろそろお時間です」


 メアリの優しい声がわたしを夢の世界から引き戻す。短い仮眠にも関わらず、目が覚めると頭がスッキリし身体の怠さも無くなっていた。


「ん…… ありがとう。そうだ、ノアの事なんだけど、存在しない色ってみんな怖がるものなのかな?」

「申し訳ありませんでした…… その、黒という色は、悪魔を連想してしまい……」

「ベリアルド家で働いていても悪魔は怖いものなんだね」


 メアリは天啓を受けたかのように一息飲むと、目を丸くして納得の声を漏らす。


「たしかに、ベリアルド家の皆様の方が…… いえ、失礼致しました」


 悪魔の森の話に色や容姿といった具体的な話は出て来なかったけれど、黒というだけで恐いというイメージが付きやすいのかもしれない。前世でも黒猫は不吉だという迷信もあったし、きっとそういう類のものだろう。実際に見たことのないものの方が恐怖心や偏見は膨らみやすい。

 

 窓の外では陽が沈みかけていた。藤色の空には紅と紺が混ざり合い、ベリアルド家のような色をしている。三色に染められた雲に親近感を抱いていると、わたしはあっという間に飾り付けられていた。

 ドレスと言ってもまだコルセットなども無い、布の多いボリュームのあるワンピースといったところだろうか。お披露目の席では両親の色を纏うため、真紅の布地に紺の刺繍が入っている。七歳児にしては少し大人びているが、とてもシックでかっこいいのでとても気に入っている。

 わたしは数日前にディディエから貰った白薔薇を一輪、ハーフアップにした髪に刺してもらった。


「大丈夫かな」


 初めてここへ来たときとはまた違う不安。これから向かうのはわたしのお披露目会のようなものだ。ごくごく身内のみが集まり、今まで制限されていた両親の補佐官、騎士たちに顔見せをする。これが終わってからやっと城内を自由に歩けるようになるのだけれど、さっきの話で途端に自分の色が不安になってきたのだ。


「もちろんです、だってこんなに可愛らしいのですもの」

「子どもの可愛さがベリアルドにも有効だといいけど……」


 子どもを無条件に可愛いと思うのは動物としての本能らしい。脳裏にチラチラと死の夢で見た令嬢令息の嘲笑が浮かび、溜息を漏らす。コンコンと扉が鳴り、メアリがそれに応じると、ディディエが正装して立っていた。


「ふふ、僕の可愛い妹はどうやらどこかのお姫様だったみたいだね」

「ディディエお兄様、お迎えありがとうございます」


 藤色の少し癖のある髪を高い位置で結い、白を基調とした礼服には細やかな青の刺繍が施されている。白の布はあまり見たことがないので、この日の為に誂えてくれたのだろう。

 

「お兄様の色が無いのは少し寂しいですね」

「そうだろう? だから、コレ」


 スイっと差し出されたのは一輪の薄紫色をした薔薇だった。綺麗に刺の処理もしてあり、先日もらった白薔薇より一回り大きい。ディディエが白薔薇の隣に差し込むと、まるでわたしたち兄妹のようだった。


「ありがとうございます。あとはお爺様が」

「シェリエル、お爺様には白薔薇を一輪贈ってあげなよ。これ以上頭に花を咲かせると大変なことになる」

「お兄様からいただいたものなのに、良いのですか?」

「もちろん。その為の白薔薇だからね」


 ディディエにエスコートされ、本館の奥の方まで歩いて行く。身内だけのお誕生日会でこれほど飾り立てるなど少し大袈裟な気もするが、貴族とは本来こういうものだ。

 似たような扉をいくつも通り過ぎ、やっと使用人が控える扉まで辿り着いた。


「いつもの食堂では無いのですね」

「うん? 一応お披露目会だからね。でもここは小広間だよ」


 ギィっと音を立て、開かれた扉の向こうの光景に、わたしは一歩も動けなくなった。

 

「これのどこが身内だけのお披露目会なのです?」

「これでもかなり人数は絞っているよ?」


 そんな馬鹿な!ざっと100人、いや200人くらいはいるだろう。誰の結婚式かと言いたくなるような華やかさに眩暈がする。

 立ちすくむわたしに会場内の人々が気付き始め、一瞬無音になる。眉を顰める者、目を逸らす者、見定めるように上から下まで観察する者、たまに頬を緩めている者もいるが、好意的な視線はごく少数だった。


「さ、行こうか。お爺様がお待ちかねだ」


 ディディエの微笑みと同時に、会場の空気が変わった気がする。困惑、焦りだろうか。

 二つに分かれた階段を降りて行くと、下でセルジオ、ディオール、そしてヘルメスが待っていてくれた。強張った身体がほどけて行くような心地に、自然とわたしの頬も緩む。

 あれだけ怖れていたベリアルド家の面々が、今は一番安心出来るなど、七年前には想像も出来なかったことだ。


「シェリエル、少し遅くなってしまいましたけど、誕生日おめでとうございます」

「ありがとうございます、お父様」

「我が孫のなんと愛らしいことか…… しかし、ディディエ、なぜお前だけそのような衣装を?」

「ああ、これは学院で他国に伝手のある者を見つけまして。学院も悪くないところですね」


 ヘルメスの睨みに涼しい顔をして応えるディディエは、ツンツンと肘でわたしに合図を送る。なるほど、この為に……


「お爺様、こちらを贈らせていただいてもよろしいでしょうか」


 そう言って白薔薇を一輪差し出すと、ヘルメスは両手で顔を覆い天を仰ぐ。微かに呻き声が漏れているが、いつもの事なので大丈夫だろう。お爺様は相変わらず照れ屋さんなのだ。


「ん、ありがたく頂戴しよう」


 正気に戻ったヘルメスが少し腰を屈めてくれたので、胸元に白薔薇を刺す。代わりに、ヘルメスは小さな宝石箱を目の前に取り出した。


「これは私からシェリエルへの祝いの品だ。受け取ってくれるか?」


 そっと開かれた宝石箱の中では、つるりとしたオパールのブローチが広間の明かりに照らされ変光していた。ヘルメスの淡いブロンドのように乳白色でありながらゴールドのような煌めきが美しい。派手すぎず、けれど細やかに意匠の凝らされた縁取りのそれはずっと眺めていたい程だった。


「お爺様、とても素敵でどうしたらいいのか…… 宝物にします」


 胸元に付けて貰い、これでベリアルド家の色が全て揃った。ふと、周りに目を向けてみると、懐疑的だった眼差しが繕った笑顔に変わっていた。

 ディディエとセルジオに手を取られ、壇上へと登る。小広間には三つのテーブルが設置されていて、たくさんのお肉料理と果物がプレートに盛り付けられていた。立食パーティーのような形式らしく、200人ほどの大人が全員こちらに注目している。


 セルジオが一歩前に出ると、微かな衣擦れの音さえも消えた。


「皆、よく集まってくれました。今日は我がベリアルド家に新しい家族が増えた日です。身内だけのお披露目ですから、堅苦しいのは抜きにしましょう——」


 ヘルメスが眉を顰め、セルジオを睨んでいるが、当の本人は全く気付いていない様子で軽快に言葉を続けている。わたしとしては少しでも気が楽になるのでありがたいのだが、と思っていると、締めに入ったセルジオがこちらを振り返った。


「さ、シェリエル皆に挨拶を」


 そうなりますよね。でもこんな大人数だなんて聞いていなくて何も考えていません。マルゴット先生助けて!

 ディディエに軽く背を押され、一歩出ると、わたしは全ての感情を捨て社交の授業を思い出すことに専念した。


「お初にお目にかかります。ベリアルド侯爵家次子、シェリエル・ベリアルドと申します。こうして皆様にご挨拶出来る喜びを、神々に感謝致します。以後お見知りおきを」


 指先まで神経を研ぎ澄ませ、貴族式の挨拶をする。重心がブレないよう体幹を固定し、軽くスカートを摘むと、左足は少し開き右足の爪先を滑らせるように後ろへと回す。カクっと膝を折る事は許されず、所作としてはバレエのお辞儀に近い。今日は略式なので少し腰を落とすだけだ。だが、とにかく脚と腹筋がつりそうになる。

 

 わたしが彼らにこの挨拶をするのは今日が最初で最後となる。いわば、練習というわけだが、教師陣と使用人、あとは数人の補佐官しか居ないと思っていたのでもっと練習しておけば良かったと後悔する。


 パラパラと始まった拍手が会場全体に広がると、やっと肩の力が抜けた。



 一息吐く間もなく、壇上に用意された椅子に座ると、次々にやってくる貴族たちの挨拶を受ける。


 セルジオの補佐官やディオールの護衛騎士、それにヘルメスの護衛騎士までもが参加してくれたようだ。それでも全員ではなく、役職に付いてる者のみみたいだが、一回で覚え切れるか不安になる人数だった。

 皆一様にわたしの髪へと視線が移り、露骨な態度には出さないけれど、それでも困惑している様子が伝わってくる。わたしも少しは貴族らしい表情の読み方が出来るようになったらしい。

 下位貴族である使用人たちも宴には参加しているが、彼らはわたしの顔を覚えるのが目的のようで、直接話す事は出来なかった。


「シェリエル、疲れたかい? 少し食べ物を持って来させよう」

「ありがとうございます、お兄様。果物を少しだけお願いしたいです」


 糖分、糖分をください。頭が疲れてお肉よりも甘い物が欲しいのです。


「シェリエル様、御生誕のお祝い申し上げます」


 聞き慣れた声で視線を前にやると、落ち着いた深緑のドレスを着たマルゴットが美しい最上級のお辞儀をしていた。

 つま先を綺麗に伸ばし膝を床まで付けているはずだが、スカートから足先は少しも出ていない。スッと淀みなく姿勢を戻すその姿はまさにわたしが目指すべき淑女だった。

 

「マルゴット先生!」


 つい、うっかり口に出した瞬間、マルゴットの鋭い視線に射抜かれる。いけない、何を油断しているんだわたしは。


「マルゴット様、よくおいでくださいました。祝いの言葉、ありがたく頂戴いたします」

「マルゴット、今日くらいいいじゃないか。せっかくのお祝いなのに」

「今日だからこそです、ディディエ様。貴重な練習の場なのですから。ですが、シェリエル様、先程のご挨拶はとても美しく優雅でしたわ」


 にっこりと笑うマルゴットの言葉に、思わず走り出して抱きつきたい衝動に駆られる。もちろんそんな事をすれば懇々とお説教されるのだけど。


「マルゴット先生…… 一番嬉しい祝いの言葉です」


 うるうると感動の涙を堪えているとジーモンもやって来た。同じく挨拶や振る舞いを褒めちぎって貰い、どんどんと元気を取り戻して行く。わたしは思っていた以上に落ち込んでいたようだ。いまだに会場からは会話や食事をしながらチラチラと視線が向けられている。

 こうなる事を予測して、見知った補佐官や教師たちは他の人の挨拶が終わるまで待っていてくれたのかもしれない。マルセルやリヒトとも喋る事が出来たのでずいぶんと気持ちが楽になった。


 一通り挨拶が終わり、それぞれが食事やお酒を楽しむ中、第二のお披露目の時間がやってきた。


「さ、シェリエル、この杯に水を」


 お披露目会はわたし自身のお披露目、そして、祝福を得た事を披露する場でもある。そのため、儀式を失敗した本当の誕生日に無理やり生誕祭を決行する事が出来なかった。

 皆が見守る中、初歩の水魔法で大きな杯に水を入れるのが、貴族の習慣らしい。滴程度でも良いのだが、ここは練習した綺麗な水球を出そうと思う。


「シェリエル、寝台で出したような大洪水はやめてよ? 多少狙いが外れても、あの大きな杯なら大丈夫だから」

「お兄様、今日たくさん練習したので大丈夫ですよ」


 ディディエにそう告げ、皆の注目が集まる中、杯に手のひらを向ける。一度昼寝を挟んだけれど、感覚は忘れてない。

 そのまま盃の真上に綺麗な水球を作り出すと、形を維持する為もう一度魔力を調整する。


「ふふ、どうです? 綺麗に出来たでしょう?」


 自信満々に振り返ると、家族全員が目を見開いて固まっていた。そんなに驚くほど綺麗に出来てしまったのか…… 照れるな。


「待ってください、これは流石にベリアルドでもちょっとどうかと……」

「いや、おかしいでしょ、何で詠唱しないわけ? どうなってるのさ!」


 おや?と思った瞬間、近くで見ていたマルセルが落雷のような雄叫びをあげた。


「シェリエル嬢ぉおお!」


 え、怖い。マルセルの絶叫を皮切りに会場内が騒つき始める。わたし何かやっちゃいました?と言える雰囲気でも無く、仕方なく水球を杯へ落とし、おずおずと皆の横に整列する。


「何シレッと戻ってきてるのさ!」

「ハイハイ! ベリアルド家は一時撤退しますよ! ザリスはマルセルを止めておいてください。あ、皆は宴を続けてくださいね。はい、ではまた明日の執務で!」


 見たこともない程セルジオが素早く指示を出し、マルセルから逃げるように慌ただしく会場から出るベリアルド一族。

 どうやら、今夜も長くなりそうだ。

 

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『眠れる森の悪魔』1〜2巻


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