11.新しい教師
ディディエとお茶をしていると、少し眠くなって来た頃にノアとヘルメスが戻ってきた。
「シェリエル、これからノアに魔術を教わりなさい」
少し顔色の悪いヘルメスが、渋々といった様子で溜息を吐く。
一体どんな話をしていたのだろう。けれど、ノアが認められ、魔術を習えることになったのでわたしとしては大満足だ。
これが怪我の功名というやつか。
「ありがとうございます、お爺様! ノアもありがとう! でも本当にいいの?」
「ふふ、私としてもちょうど良かったんだ。明日から授業を始めようか」
やはりノアは良い猫ちゃんだ。この世界の魔獣と呼ばれる動物たちは皆やさしい子たちばかりだと思う。
ヘルメスが一つ咳払いし、歯切れ悪く言葉を続けた。
「あぁ…… シェリエル、いくら友人と言えどこれからは教えを請う立場だ。言葉は整えなさい」
「あ、そうですね。わかりました。では、よろしくお願いします、ノア先生」
ノアの薄い笑みは崩れることなく、少し頷いただけだった。やはり、知らない人ばかりで人見知りしているのだろうか。
「あ、こちらわたしの兄です。お兄様、ノア先生と仲良くしてくださいね」
スッと立ち上がったディディエはノアの前へとゆっくりと歩いていく。お猫相手に喧嘩を売らないでくれと願いながら、年齢の近い二人の様子を見守った。
「ベリアルド侯爵家長子のディディエ・ベリアルドだ」
「ノア、と呼ぶことを許そう」
ヒィ〜危なっかしい。ノアには少し人間社会の事を教えなくてはいけない。少なくともベリアルドの取扱い注意は先に伝えておかなければ。
下手をするとディディエを挑発しかねないノアの不遜な態度は、見ていて心臓に悪い。
「お前が何者だろうが、身分を明かさない以上、僕はお前に敬意など払わないからな」
「ディディエ! 大人げないぞ」
ヘルメスが珍しく声を荒げる。たしかに猫相手にムキになるなんて、お兄様は案外子どもっぽいのかもしれない。
「いいんですよ、お爺様。コイツもそれを望んでいるはずです。なぁ、そうだろ? ノア」
「ああ、構わないよ、ディディエ」
なんだか良く分からないけれど、男の友情が芽生えたようだ。そういえば、ノアは男の子だから、わたしとゴロゴロ寝台で遊ぶよりもディディエと遊ぶ方が楽しいかもしれない。
「ノア、お友達が増えて良かったですね。あ、ノア先生」
「フフッ…… そうだね、人間のお友達は君たちが初めてだよ」
ヘルメスはもう諦めたのか、それ以上何を言う訳でもなく、スッと気配を消して壁の側へと下がってしまった。ヘルメスにも仲良くなって欲しかったが、すぐには無理そうだ。
「そうだ、君に言わなくてはいけない事があったんだ」
「はい、なんでしょう」
「君、あと三年程で死ぬかもしれないからそのつもりでね?」
「はい?」
時が止まってしまったかと思うほどに、衣擦れの音一つ聞こえず、わたしはただ固まってノアの言葉を反芻した。天気の話をするかの如く、余計な感情の乗らない雑談程度に余命宣告をされたのだ。
わたしだけじゃない、ディディエもヘルメスも口を開く事はない。沈痛な面持ちで俯くヘルメスの姿に、この言葉が嘘ではないのだと実感する。
「えっと、それは? わたしが? あと三年で? 死ぬ?」
ええと、九年後ではなく? なんか死期が早まってませんか?
「予測だけれどね」
「お前ッ! どういう事だ! 説明しろ!」
ディディエに胸ぐらを掴まれても、ノアは平然と顔色一つ変えなかった。そういえば、ディディエの怒るところは初めて見たなと的外れな事ばかり考えてしまう。
「この子は元々魔力がとても多いんだ。本来、身体の成長と共に魔力も増えて行くが、身体の成長速度と魔力の増加速度が伴っていない。本当は後十年程度は持つと思っていたんだけどね」
「昨日の儀式で、早まったということですか……」
「理解が早いね、いい子だ」
わたしは結局、魔法が使えても使えなくても、早々に死ぬのか。むしろ何もしない方が長生きできたということになる。
というか、これも仕様バグでは? 普通、魔力が多いならそれなりの身体用意するでしょ。なんて使えない神なんだ。
「なんで……、なんでそんな儀式したんだ! だったら祝福なんて無くても良かったじゃないか! お前は知ってたんだろ!」
「予想はしていたけれど、実際にやってみないと分からないからね。魔術ってそういうものだろ?」
「お前、ふさげてるのか? シェリエルがあと三年で…… 嘘だろ……」
わたしが神に毒付いている間に、ディディエの目が虚になっていた。
「お兄様、大丈夫ですよ。前に約束したでしょう? お兄様より先に死なないと。きっと何とかなりますよ。ね? ノア先生」
「まあ、手が無いわけではない、かな。理論上は可能、とだけ言っておこう」
「絶対に何とかしろ。もし、シェリエルが死んだら、僕はお前を殺す」
「もう、お兄様!」
動揺してない訳ではないのだけれど、ディディエを見ていたら何となく冷静になれた。力業で祝福を降ろしてくれたノアであれば、何とかしてくれるのではないか。そんな根拠のない信頼があるのだ。
「親御さんにも話してあるよ。気になるなら詳しい説明は最初の授業でするとしよう」
「は、はい…… よろしくお願いします」
気にならない訳ないでしょう? 魔獣と人ではやはり感覚が違うのだろうか。あんなに可愛かった猫ちゃんに少しベリアルド味を感じはじめて複雑な心境だ。
祝福失敗事件の次は余命三年事案か…… わたしはただ平穏に過ごしたいだけなのに。
「そうだ、ここに転移用の陣を張ってもいいかい?」
「転移というのはあの瞬間移動みたいなやつですか? 部屋の中はちょっと…… 扉の外とかにしてください」
いくら猫ちゃんでもこうして人型になって話せるとなると、着替え中など突然現れないで欲しい、気がする。
「ふむ、それもそうだね。では今夜はこれで失礼するよ。また明日、シェリエル嬢」
そう言い残すと見送りも必要ないと片手を上げ、一人部屋から出て行ってしまった。すぐ後に扉の隙間から光が漏れたので、ノアは帰ってしまったのだろう。
今まで水を出したり火を調整したりといった生活魔法しか見たことがなかったので、折角なら転移も見せて貰えば良かった。
「はぁ…… シェリエルは次から次へと問題を起こすね。退屈はしないけど、死ぬのだけはやめて欲しいよ」
「わたしも好きでやっているわけではないんですが……」
昨夜に引き続き大騒動の夜となった。
既に眠気も飛んでしまったように思っていたけれど、横になるとすぐに眠ってしまっていた。
翌朝、朝食の前に神官を散歩にでも誘おうかと早めに身支度をしていると、セルジオの筆頭補佐官ザリスが部屋を訪れた。
「急で申し訳ないのですが、セルジオ様がお呼びでございます」
「お父様が? わかりました、すぐ行きます」
談話室に入ると、セルジオだけでなくディオールやディディエまで揃っていた。ヘルメスは別の用事があるらしく、不在とのことだ。
簡単に朝の挨拶を済ませると、早速本題に入る。
「シェリエル、無事祝福も降ろせましたし、これから王宮へ報告に行かなければいけません。それで、少し打ち合わせをと思いまして」
なるほど、戸籍のような管理はされていないと思っていたのだけど、洗礼の儀を終えてやっと報告がされるのか。
「それで、まずシェリエルの扱いですが、実子にします? 養子にします? 当初は実子で届け出るつもりでしたけど、ディディエが随分気に入ったようなので」
「ディディエお兄様が何か関係あるのですか?」
傾げた首をそのままディディエに向けるが、ディディエもよく分かっていないようだ。セルジオは少し驚いた様子でディディエに向き直した。
「ええと、ディディエがもしシェリエルと結婚したいなら養子としておかなければなりません。ディディエどうです?」
「シェリエルと結婚か…… 僕は嫌ですね、それより正式な記録として実の妹である方が良いです」
結婚⁉︎ ディディエと? たしかに従兄妹にあたるので結婚は出来るのだろうけど、考えたこともなかった。それに今何気に断られた。
「おや、意外ですね。一応理由を聞いても? シェリエルが他の男と結婚しても嫉妬しませんか?」
「もちろん、僕が認める男でなければ絶対に許しません。けれど解消できる誓約よりもただ互いの存在が支えとなり、誰にも切り離す事の出来ない兄妹という関係の方が美しいと思うのです。所詮他人である夫より血縁の僕の方が絆が強いでしょう? ああ、シェリエルの子には嫉妬しそうですね。僕より血が濃いのですから」
そういうものだろうか。フラれながらもディディエがとても大切に思ってくれているようで気恥ずかしい。
「まぁ、僕とディオールも従兄妹ですから分からないでもないですけど。僕はディオールと結婚して良かったと思いますよ?」
「シェリエルに欲を向けるのはちょっと……」
何となく微妙な空気になり、一同黙ってしまう。
「なるほど、良いでしょう。ならディディエも早めに相手を探してくださいね。ベリアルドは気の合う相手を見つけるのが難しいですから」
「はぁ…… やはり結婚はしなくてはいけませんか? そうだ、シェリエルの子を養子にするのはどうでしょう。それなら後継も問題無いですし、僕も実の子より可愛がれそうです」
待て待て、どう考えてたらそうなるんです? お兄様?
ベリアルド家では恋愛結婚を推奨されているとは聞いていた。それは、政略結婚をしても相手に情を持てなければ最悪殺してしまうからだという。だからこそ、このタイミングでディディエにも確認を取ったのだろう。
「うん、それも良いですね。ディディエに相手が見つからない時はシェリエルに頑張って貰いましょう」
え? そこは親として窘める場面では? またも完全に置いてけぼりのまま話が進み、あと何年生きられるか分からないわたしに大きなプレッシャーがかかる。
「ではシェリエルは実子として手続きをして来ますよ。これでシェリエルは今日から本当の娘となります。夜は一日遅れのお祝いをしましょう」
「は、はい!よろしくお願いします」
結婚のプレッシャーを背負い、けれど本当の家族という言葉に喜びも感じる。ディオールも最初では考えられない程、穏やかな笑みで頷いてくれた。
「それで、属性の届けなんですけど、どうします? ノアの話によると全との事ですけど、このまま届けを出しても面倒な事になりそうなんですよね」
属性の届けまで必要なのか…… 正直まだそこまで考えられて居なかったのだけど、セルジオが面倒だという事はベリアルドが処理しなくてはいけない問題が増えるという事だろう。
「水、の属性とするのはどうですか? ほら、お水って無色透明でしょう? わたしの髪も説明が付くと思うのですけど」
「シェリ……ッ! 水が透明だからって…… そんな馬鹿な言い訳ッ……」
なぜか、ディディエがまた変なツボに入ってしまったらしい。仲良くなれてもディディエのツボだけはいまだに分からないが、天才には天才の感性があるんだろうと、無視する事にした。
「いいじゃないですか、水ならディディエとお揃いですしね。まあ属色はそういうものでは無いんですけど、適当に言い包めるには最適です」
そうじゃないの? 何となく、前世で魔法と言えば水属性が青のイメージだったけれど、実際は水色だと言うし、より自然に近い色なのかと思っていた。
ここらへんは魔術の授業で習う事らしいので後でノアに聞いてみよう。
かくしてわたしの身分詐称の口裏合わせが終わり、今日の予定を告げられる。魔術の授業は既に昨夜ノアと話をしたようで、午後の遅い時間にやって来るらしい。神官と話をするには朝食後しか時間が無さそうだ。
意外にも余命三年の件には触れられず、深く考え込む事がなかったので助かった。今はやる事が多いので、あと半日くらいは余命のことなど考えたくない。
今日中に神官と話せるだろうかと心配していたが、朝食の席に姿を見つけホッとする。同時に、マルセルから昨日の返事を急かされる事になったのだけど。





