6.祝福の朝
唖然と立ち尽くすわたしに、セルジオとディディエ、それにマルセルまでもが血相を変えて駆け寄ってきた。
「何があったんです! 今光の柱が降りましたよね⁉︎」
「シェリエル、無事⁉︎ 大丈夫なの? 何があったんだ」
どう言えば…… ノアの事話して大丈夫かな?
「どういうことだ、凄い魔力の残滓だ!これはシェリエル嬢がやったのか⁉︎ まさか一人で洗礼の儀を⁉︎」
巨大な筋肉の塊が猛突進して来る様は恐怖でしかない。身を引いた拍子にぺたんと尻餅をついてしまった。
「あの、眠れなくて、散歩を……」
苦しい言い訳だ。
「あぁ〜、シェリエル泣いてたのか。儀式の失敗がそんなにショックだったの? かわいそうに」
ディディエがヒョイと抱き上げてくれ、マルセルから隠すように背を向けた。
わたしも大きくなったはずなのに、グラグラと揺れることもなく安心して身を任せられる。ディディエは見かけによらず力持ちらしい。
既にわたしの体力は限界だったようで、暖かい腕に包まれた途端、瞼が重くなってきた。
ディディエの背中越しにマルセルの声を聞きながら、適度な揺れの心地よさで眠ってしまった。
翌朝、目が覚めるとやけに顔が重い……
「お目覚めですか? 少し目を冷やしましょうか」
寝台の側に居たらしいメアリが水に濡らした布を持って来てくれた。
ああ、昨日たくさん泣いたから目が腫れてしまったのか。そういえばあれからどうなったんだろう。
布を顔に乗せたまま、昨夜の事を思い返していると、誰かが部屋に入ってきた。
「あれ? シェリエル生きてる?」
「おはようございます、お兄様」
布を取り、ゆっくり身体を起こすと、寝台の側にはディオール以外の大人たちが揃っていた。
「え、マルセル様まで⁉︎ あの、まだ身支度が」
「そんな事言ってる場合じゃないだろう! 昨日の話を聞かせてくれ!」
「おい、私の孫を怖がらせるな」
マルセルが首根っこを掴まれ後ろへと引っ張られて行く。代わりにディディエが寝台に腰掛け、掌でわたしの目を塞ぐと何か呪文を唱え始めた。
「どう? 目の腫れは引いたようだけど」
「わ! 目がスッキリしました。お兄様、ありがとうございます」
こうしてディディエに治癒をかけてもらうのは初めてだ。重くシパシパしていた瞼が嘘のように軽い。
「ほら、平気みたいですよ? やはり昨夜の光はシェリエルの祝福だったみたいですね」
「本当ですね。祝福が無ければ今頃頭が割れるように痛み、鼻血を出しながら嘔吐していたはずですから」
今なんて???
「お兄様、もしかして、祝福を確かめる為に……?」
「大丈夫だったんだからいいだろ?」
もし祝福を得てなければどうするつもりだったんだ、まったく!
それはそうと、やはりわたしは祝福を得ているらしい。怒涛の一日だったはずなのに、最後のアレで全て持っていかれた気分だ。
「そうだ、シェリエル嬢、昨日教えたスペルを! 試してくれ!」
起き抜けの七歳児に対する配慮は微塵も無い。
けれど、お兄様も良くやっているのでイメージはバッチリだ。
手のひらを突き出し、神経を集中させる。すると、昨夜の儀式で感じたのと同じ、体内を蠢く何かが腹の底から沸き上がってきた。
これが、魔力?
「ドロー!」
ブンッと一瞬目の前の空気が揺らいだかと思えば、ザバッとバケツをひっくり返したような水が布団に落ちた。
「うわっ! メアリごめん!」
咄嗟にメアリを探して視線を上げると、寝台の側に立つ大人たちが一言も発さずに固まっていた。
そうだよね、いきなり布団の上でやるとは思わないよね。成功すると思ってなかったから布団の上だって事、考えて無かったや…… 完全に水浸しだ。
「いやいや、有り得ないだろう…… どうしてこんな量の水が」
マルセルは額に汗を浮かべ、ガクガクとセルジオを揺らしながらわたしを凝視していた。
「初めて使ったのですよ? 調整なんて出来ません」
いや、待って。わたしの初魔法、コレになるの? なんかちょっと嫌だ。
「そういう問題じゃないだろ!だいたい、魔力操作などどうやって」
「まあまあ、こんな事もありますよ。ベリアルドですからね」
「何でもベリアルドを理由にするな!」
身支度を済ませたら事情聴取されることになり、一旦大人たちは引き上げて行った。メアリは祝福を泣いて喜んでくれ、迷惑をかけた事を申し訳なく思った。夜中に部屋を抜け出した事は少し怒られてしまったけれど。
客間に入るとセルジオがうんざりした顔でマルセルに問い詰められていた。
「ほら、来ましたよ。僕はこういうの苦手なので、本人に聞いてください」
「おお、来たか! シェリ……んグッ!」
長椅子から飛び出しそうになったマルセルの後ろ襟をヘルメスが引っ掴む。
「シェリエル、誕生日おめでとう。何があったにせよ、喜ばしい事だ」
「ありがとうございます、お爺様」
誕生日、そして祝福を得られた事を改めて実感する。皆、次々にお祝いしてくれ、誇らしく、けれど少し気恥ずかしくて、頬が熱くなる。
「けどさ、何で一人でやっちゃったの? 僕せっかく属性分けの訓練までしたのに、立ち会えなかったんだけど」
「ごめんなさい、お兄様。わたしもあんな事になるとは思わなくて」
こればっかりは本当に申し訳なく思う。きちんと説明したいのだけど、どう話せばいいのか分からない。
「シェリエル、昨夜あった事を話してくれんか?」
「あの、わたしも良く分からなくて。洗礼の失敗が悲しくて、そしたらお友達が教えてくれて、それで言われた通りにしたら、ドン!って何か来て、気付いたら皆さんが来て……」
うーん、自分でも支離滅裂だとは思う。セルジオはもう聞く気が無いのだろう。ふんふん、と目を伏せ頷いている。
「友達というのは?」
「猫ちゃんです」
「……猫」
いや、分かりますよ。でも、一応本当の事なんです、お爺様!
「凄い猫ちゃんなんですよ、尻尾をタンタンしたら光の粒がキラキラ降ったり、わたしを連れて瞬間移動したりするんです。なので、きっと凄い力を持った子で、悲しんでるわたしを見て助けてくれたんじゃないかなと」
人に化けるのは秘密にしておこう。バレるのが嫌で二年も黙っていたんだろうし、わたしの為に正体を明かしてくれたのに、勝手に話す訳にはいかない。殆ど全て話してしまったけれど、これは不可抗力だ。
「おかしいな、嘘を言ってる訳では無さそうだ」
「シェリエルは夢でも見ていたんじゃない? それをそのまま信じちゃってるとか? 夢なら前科もあるしね」
そう言われてみると、たしかにそんな気もしてきた。泣き疲れて寝ちゃって、夢の中の儀式がリアル過ぎて祝福を?
いや、流石にそれはないでしょ。実際に外で見つかり、祝福も得ているのだから。
「とりあえず、夢という事にしておきましょうか」
突然口を開いたセルジオがまとめに入った。もう、この話自体に飽きて来たようだ。ディオールもティーカップをゆっくりと置き、退室の支度をはじめる。
「おいおい、セルジオいくらなんでも無理がある!魔術士団で調べさせてくれ。というか、そうしないと絶対に団長がここに来るぞ! そんな事になったら魔術士団は終わりだ!お前も困るはずだ! そうだろ?」
「うーん、たしかにそれは困りますね。では、シェリエルに直接交渉してください。ベリアルド城内で調べるなら僕はかまいませんよ?」
あれ? お父様? 昨日はあんなに反対してたのにどうしたのだろう。まさか、祝福を得て剣術をやる必要が無くなったから、わたしへの興味が失せた?
「シェリエル嬢、良いだろうか」
「あ、シェリエル、剣術の稽古は午前にしましょう。空いた時間であれば好きにしてください」
「父上、剣術の稽古ならせめて僕の休暇が終わってからにしてください」
あ、はい。なるほどですね。
「マルセル様、わたしには時間が無いようです。申し訳ありません」
「そ、そんな…… 少しだけで良いんだ。無茶な調べ方はしないと約束する。少しだけだから!」
うーん、これからずっと探られるのも面倒だし、悪い人では無いと思うのだけど。それにセルジオが困るというほどの団長さんとはどんな人なんだろう。
「では、明日、お返事させてください。今日一日考えてみます」
「おお! ゆっくり考えてくれ!そうだ、もし時間を貰えるなら、代わりに魔術を教えよう! セルジオ、教師はまだ決まってないんだろう?」
なんだって?
たしかに、魔術の教師は決まってないはず。わたしは教師という存在にまだ苦手意識があり、史学専門の教師も雇っていなかった。
「でもお仕事は……」
「マルセル、それは良い考えですね。給与はシェリエルの研究と相殺させて貰いますよ?」
「もちろんそれで構わない! 私は元々執務に向いてないんだ! その分団長を抑えるという役割があるからな! これもその一つというわけさ! フハハハハ!」
どんどんと大人の事情で勝手に話が進んで行く。これはちょっと不味いのでは?
「あ、あの! とても有難いお話ですけど、明日まで待ってください!」
王国の魔術士団副長から直接魔術を教わるなんて、昨日のわたしには考えられなかった事だ。
とにかく属性のことを今夜ノアに聞いてみなければ……





