4.鋼の侯爵令嬢
ディディエに見つかる前に、と急かされ、セルジオの持参した騎馬服へと着替えた。
子どもはもちろん女性用のズボンは騎馬服しかないらしい。子ども用であれば性差はほとんど無いと判断し、ディディエのお古を持って来たのだとか。
「あの、女性は剣術を習わないのですよね?」
「そんな事ありませんよ。護身術は学院でも習いますし、短刀の扱いや剣への対処法を学ぶためある程度剣術も必要です」
「たしかに、そんな気もしてきました」
例の死の夢で、体術の授業でマリア嬢を転ばせたのはあの令嬢だ、なんて考えていたような気がする。
二人は庭に出ていた。出たり入ったり忙しい一日である。
「一応洗礼の儀はもう一度試してみますけど、魔術が使えないなら剣術を極めれば良いんです。まあ、女性の騎士は今のところいませんが、ベリアルド一族には討伐に参加する義務がありますからね」
そうか、だからわたしは役立たずだとか欠陥品だとか言われていたのか。
と、妙に納得し、前々世の記憶もあってか妙にやる気になっていた。
子ども用の刃を潰した剣を渡され、構え方を教わる。
「お父様? まずは木刀とかじゃないんですか?」
「大丈夫ですよ、ベリアルドですから」
お、重い……
グッと腕に力を込め、体幹に意識を向ける。
少しだけ腰を落とし重心がブレないよう注意しながら、剣を落とさないよう指先にまで力を入れると、一気に血が全身を巡りはじめた。
うん、持てるね。振れるか分からないけど、しっくり来る。
ぶわりと毛穴から汗が吹き出るような感覚が頭の先まで到達した。
「ほう、面白いですね」
何が面白いんだ、いきなりこんな重い剣を渡しておいて!
明日は絶対筋肉痛だ。腕も背中もビリビリするし、わたしはまだ七歳なのに。
「ちょっと振ってみましょうか。真っ直ぐ上から振り下ろして。うん。いいですね。最初は両手で構いませんけど、基本は片手で振れるようになりましょう」
剣の重みで身体が持っていかれないよう、必死で重心を保ちながら、何とか剣を振り下ろし。
次はひっくり返らないようにおでこの延長線上まで戻す。
「ふむふむ、ちょっと打ち合ってみますか。私ここに座っているので好きに打ち込んで来てください」
セルジオとの身長差ではシェリエルの剣は届かない。それを考慮してか、芝生に胡座をかいたセルジオが片手で剣を構えた。
「わたしが怪我したらディディエお兄様に言いつけますよ」
「それは怖い。怪我しないようにしてください」
丸投げかい! と、軽く左足を引き、右の足先で地を掴むように踏み込んで。
セルジオの構える剣へとめがけ斜めに打ち込む。キン、と甲高い音が鳴り同時に手のひらが痺れた。
いけない、と咄嗟に剣を握り直すと、セルジオが軽く押し返してくる。
上半身に置いていかれないよう素早く足を戻すと、今度は剣を持つ手とは反対の肩に向け。
ズッ、と手首を返して剣を突き出してみた。
——カンッ
剣が手からすり抜け、宙を舞って地面に落ちる。セルジオに弾き飛ばされてしまった。
でも、案外いける。
「すごいですね。シェリエルには僕と同じ剣の才があるのかもしれません。あ、前に言ってた前々世の記憶でしょうか? 身体が覚えているみたいな事はありますか?」
一拍置いてジンジンと痺れ始めた手の平をグーパーグーパーしながら、先程の感覚を思い返してみる。
「前々世はたしかに騎士だったみたいですけど、記憶という記憶は殆どないんです。でもいま、なんとなくですけど。こうしたいと思った時にどうすべきか、みたいなのは分かっていた気がします。身体は違うのに身体が覚えてるなんてことあるんでしょうか?」
「いや、それは知りませんけど。僕、考えるの嫌いなので」
「自分から聞いておいて!?」
「それより、その強化は意識してやってるのですか? 無意識です?」
「何ですか、それ?」
「無意識ですか。いやね、その剣本当は持つのがやっとな筈なんですよ。振り降ろすくらいなら技術で何とかなるんですけど、しっかり振れてましたからね」
なぜそんな物を渡したんですか、お父様? だいたい、スパルタ過ぎやしませんか?
こんな調子では訓練の途中でうっかり死んでしまう。享年七歳死因養父なんて笑えない。
それはそうと、強化? 火事場の馬鹿力みたいなものだろうか。
たしかに、前々世の記憶では何人もの兵士を振り切って火の中に飛び込んでいた。
そういうタイプなのかもしれない。パワー型というか、肉体派というか。
……嫌すぎる。
「僕あんまり魔力の流れを読むの得意じゃないんで、マルセルを呼んで来ましょう。ザリス、ちょっと呼んで来てもらえます? たぶん、魔法陣の検証してるはずなので」
ハァ、と溜息を吐いたザリスは優雅に立ち去りながらも瞬く間に見えなくなった。
「魔力が何か関係あるのですか? わたしは何もしていませんけど。洗礼の儀もあの通りですし」
「うーん、僕も不思議なんですけど、そうとしか考えられないですしね。もしくは生まれつき物凄く強い鋼のような肉体なのか」
鋼の侯爵令嬢か…… それなら悪くない。筋肉バカはちょっとね。女の子だし。
と、シェリエルは勝手にかっこいいふたつ名を考えて肉体派でやっていくことを受け入れようとしていた。
前世は生粋のインドア派であったことを忘れている。
と、そこに。
マルセルがものすごい勢いでやってきて、セルジオがのんびりさっきと同じような説明をしはじめた。
「何をバカな事を。しかし生まれながらに鋼の筋肉なら……それは羨ましいぞ、シェリエル嬢」
筋肉はなぁ……
鋼の筋肉令嬢とかちょっとイメージと違う。そのちょっとのニュアンスが大事なのだ。
「とりあえず見てみてください。シェリエル、ほらもう一度。今度は最初から本気で打ち込んでみてくださいね」
セルフブランディングに精を出している場合ではなかった。
もう一度体幹に意識を集中し、全身のバランスが取れたところで腕や足にも力を込める。
さっきよりはっきりと血の巡る感覚があって、踏み込んだ直後、剣の交わる瞬間に握った手のひらに特別力を込める。
——キン!
今度は剣を落とさずに済んだ。
「いや、これは…… あり得ないだろう。なぜそんな事が? シェリエル嬢、もしかして前に洗礼の儀を受けた事があるのか」
「無いですよ? 鋼の筋肉じゃなかったですか?」
「たしかに、魔力が動いていた。しかも全身に帯びる魔力じゃなく、的確に使うべき筋肉へと淀みなく魔力が流れて行っている。こんな事はあり得ないぞ! どうするんだ、セルジオ」
「いや、どうすると言われましても。良かったじゃないですか。これで僕の後継者も出来ました。領地はディディエ、騎士団はシェリエルで決まりですね」
いやいや、そんなまさか。
あまりにも軽く笑い飛ばすセルジオに頭が痛くなって来た。のはマルセルである。
シェリエルは慣れていた。
「ちょっと待て、祝福も無く魔力を操作するなんて出来るわけ無いだろう。それに属性も分からないんだぞ。これは魔術士団で預かって詳しく調べる必要がある。私だけでは分からん!!」
「ダメですよ、シェリエルはここで僕と剣術を磨くんですから」
どうしよう、大人が喧嘩をはじめてしまった。ザリスは完全に空気に徹しているようで、微動だにせず立っている。
ようやく話がまとまったかと思うと、マルセルがある提案をしてきた。
「シェリエル嬢、少し魔法を試してみないか? もしかしたら知らないうちに洗礼を受けているかもしれない」
「そんなことあります?」
死んだように眠ると言われているので、寝ている間に洗礼されてたのだろうか。
マルセルは何だかんだとぶつぶつ一人で考察を続け、簡単なスペルを試してみる事になった。
「じゃあ、掌を前に突き出して、そこに意識を集中させて。さっき身体を動かしていたときみたいな魔力の流れを感じたら、“ドロー”と唱えるんだ」
言われた通り、掌に意識を集中させる。
魔力がどうとかは分からないけれど、とりあえずさっきと同じでというなら、力を込めるような感じで良いはずだ。
シェリエルは張り切って大きな声を出した。
「ドローッ!」
「……」
うん、何も起こらないね。
おかしいな、と首を傾げるマルセルを置いて、セルジオとシェリエルはサッと屋敷に退散した。
が、結局その後も議論は終わらず、夕食の席でもその話となる。
ディオールは商会を理由に魔術士団での調査は反対。
ヘルメスは魔術士団で調べるのも一つの手だと言う。
ディディエは魔術士団行きも反対だが、騎士は絶対ダメだと猛反対。
保護者の意見がまとまらず、結局、ヘルメスから神官の様子も聞けなかった。
灰桃髪の神官はあれからぐっすりと眠り続けているという。
シェリエルは早めに自室へと戻り、すぐに寝る支度をした。
本当に疲れたのだ。色々な事があったし身体もたくさん動かしたのだから。
メアリが灯りの魔導具を切り、退室したところでタイミングを見計ったようにいつもの黒猫が遊びに来た。
「猫ちゃん、いらっしゃい」
「ナァ〜オ」
「静かにね」
「ノァ」
黒猫はシェリエルの言葉を理解しているかのように、控えめに鳴き声をあげる。
月明かりしかない暗い部屋。
布団の上で並んで寝転び、つやつやの毛並みを手のひらで撫でながら、今日あったことをとりとめもなく話す。
今日は本当に大変な一日だった。
初めて会う他家の貴族に儀式の失敗。
灰桃髪の神官は倒れ、皆で食事をし、初めての剣術に、今後の進路決め。
人生で最大の事案だと思われる儀式の失敗が霞むほど、色々なことがありすぎた。
と、徒然なるままに黒猫を撫でながら零すのである。
シェリエルはこの時間が一番心穏やかでいられた。何者でもない自分が許される気がして。
「はぁ…… せっかくここで落ち着いて暮らせるようになったのに。魔術士団なんて行きたくないよね」
ピクリと黒猫の片耳がこちらへと向く。話を聞いてくれるのだろうか。
「でもね、今日洗礼の儀に失敗しちゃったから。わたし魔法が使えないのよ。魔術士団に連れていかれても、ただの実験体で研究対象なの。猫ちゃんわかる?」
「ンノァ〜」
「ね〜、嫌よね〜」
マルセルの様子を思い出しながら、どこまで可能性があるだろうかと考える。
はじめはただお遣いに必死なだけかと思っていたが、いまはシェリエルの事も親身になってくれているのが分かる。
彼が良い人でも、他の魔術士がどういう人間か知らない。
調査と言いつつ拷問の日々が待っていたらどうしよう。
「でもね、マルセル様の言ってることも分かるの。魔術の授業すら受けられないと、学院でもね…… その、色のこともあるし。わたし、虐められちゃう。女のイジメって怖いんだから」
「ンァ」
「じゃあやっぱり商会しかないか…… でも、顧客が貴族だと結局信用がね。足りない。もういっそ、騎士もアリかも。才能あるみたいだし」
「ニァ」
「へへ。そうなの。ま、それくらいしか特技になりそうなものがないんだけど。お菓子作りとかは趣味の範囲だし」
魔術士団に原因を解明出来るのか分からないし、例の死の夢ではこの流れがあったのかすら分からない。
何が正解なのか。どうすれば生きられるのか。
「はぁ…… あ、猫ちゃんは魔法使える? わたしと同じで存在しない色なんて言われてるけど」
返ってくるはずのない問いを零しながらスリスリと鼻筋を撫でてやる。
黒猫は気持ちよさそうに目を瞑り、グッと突き出すように頭を伸ばしていた。
リズムをとるようにタンタンと尻尾を布団に叩きつけているのは、もっと撫でろの催促だろうか。
「ふふ、お客様、痒いところはございませんか〜」
一度大きく持ち上げた尻尾がタンッと再び振り下ろされた時。
「うそ……」
ふるふると寝台の上に小さな光の粒が降り注いだ。
それはあたたかな雪華のようで。
残酷な希望であった。
シェリエルはキラキラと輝く砂金のような瞬きに手を伸ばす。
やはり、触れるそばから消えてしまう。
「猫ちゃん、魔獣だったの?」
※[騎馬服]は造語です





