3.神々の思し召し
「お父様、あの神官さんかなりお疲れのようなので、数日こちらで休んでいただく事はできませんか?」
「構いませんよ。神殿には連絡しておきましょう。シェリエルは本当に優しい子ですねぇ」
洗礼の儀で派遣してもらう人員は、形式上洗礼を受ける子の客人となる。もちろん、派遣を要請したり客室を整えたりなどは両親がやってくれるのだが。
メアリにお風呂と簡易スポーツドリンクの用意、それと、あまり長湯はさせないよう言付ける。
そういえば、洗礼失敗事件が有耶無耶になってしまった。
魔法が使えないと、夢の通り学院に行っても魔術の授業は受けられないし、侍女としても働けない。
あとは政略結婚だが、他家に利益がないのでそれも望みが薄い。そういえば、なぜあの夢では第二王子と婚約していたのだろう。
……まあいいか。
今日は授業が休みなので、グリちゃんに会いに行くことにした。
漏れなくディディエも付いて来るし、ついでにマルセルもいつの間にか最後尾を歩いていた。
「グリちゃん、久しぶりだね〜! はぁ〜、かわいいね〜元気にしてたかな〜」
少し伸びた身体でバフッとグリちゃんに抱きつくと、グリグリと頭を擦り付けて応えてくれる。
「覚えてくれてる〜グリちゃんは賢いね〜はぁ〜いい子〜」
洗礼の失敗をグリちゃんに癒してもらっていると、後ろでは大人が何やら話し込んでいた。
「ヘルメス様、アレは何です?」
「ん? 私の可愛い孫娘だが?」
「あ、いえ、それはまぁ、存じてますが。あの魔獣はシェリエル嬢の従魔ではありませんよね?」
「ああ、私の従魔だ。何故かシェリエルには懐いたな。ディディエは警戒しているが、私が一緒であれば背には乗せるぞ」
「マルセル様、従魔は人に慣らした魔獣のことですよね? ディディエお兄様は以前グリちゃんを夕食にすると脅したので嫌われているだけですよ」
「僕は今でもそのつもりだよ。こうして見張っていないと、いつシェリエルが怪我をするか分かったもんじゃない」
またバチバチと睨み合いをしているが、それでも今朝はヘルメスと一緒にディディエも乗せてくれたらしいので、しっかりと褒めてあげる。
「あんな事を仰るお兄様も乗せてあげるなんて、グリちゃんは良い子ねぇ〜」
「そんな筈はないんですが…… 従魔とは契約を経て自身の魔力で調教した魔獣。人に危害を加えないよう教える事は出来ても、魔獣が飼い主以外に懐くなど聞いた事もありません」
「そうなのですか? きっとグリちゃんは特別優しい子なんですよ。あ、クルミも懐いてくれていますけど、わたしの言うことは聞きません」
黄色いオウムのクルミは餌付けやおしゃべりはしてくれるが、芸というかお願いは聞いてくれない。
主人はセルジオだけなのだそうだ。
「クルミ? 木の実の?」
「いや、セルジオの魔鳥だ。シェリエルが名を付けたらしい」
「魔鳥に名を? 変わった趣味をお持ちのお孫さんですね」
「なんだ? 最高の孫だろう? 其方、頭まで筋肉になってしまったか?」
本当なら洗礼の儀を無事終えたらグリちゃんに乗せてもらう約束をしていたのだが、失敗してしまったのでグリちゃんに乗ることが出来なくなってしまった。
魔獣も魔法を使うので、洗礼で身体の準備が整わないと危ないらしい。
「グリちゃんごめんね、せっかく一緒にお散歩出来ると思ったのに」
「グルルルルァ」
「本当? グリちゃんは優しいね。でも、もうちょっともふもふさせてね?」
「シェリエル嬢!! 魔獣と話せるのか!?」
魔獣もビックリな大きな声が轟くと、グリちゃんがバサりと翼でシェリエルを包み込む。その動きにディディエまで杖を構え、大変迷惑な事態となってしまった。
シェリエルがぽふっと大きな翼から顔を出すとマルセルが額に汗を浮かべてこちらを凝視していた。
「いえ、適当ですけど」
「ッ…… これだからベリアルドは……」
「マルセル、貴様いい度胸だな」
グリちゃんを驚かせたのだからしっかりお爺様に怒られてほしい。
「お爺様とマルセル様もお知り合いだったのですか?」
「ああ、ヘルメス様は私が入団した時からお世話になっている。魔術士は討伐や戦争で心を病みやすいんだ。まあ私は常日頃から鍛えているから穢れに負けたことはないのだがな! ナハハハ!」
「シェリエル、知能が高くなければ狂わないと教えたはずだぞ?」
「、? お爺様は心のお医者様ということですか?」
「ふふ、物は言いようだな。私にとっても良い研究材料が手に入るので利があったのだ。いまでも騎士団からはたまに来ているよ」
「ヘルメス様、本当ですか! ではぜひ魔術士団の者も診てください! 最近少し穢れが濃くなっているようで心を病む者が増えているのです」
ヘルメスの人望の厚さを実際に目の当たりにし、シェリエルは改めて尊敬と憧れを抱くようになった。
人心や社交の授業でいつもお手本にしているのはヘルメスだ。
マルセルは随分とヘルメスを信頼しているようで、近頃の情勢や魔術士団の様子、それから、魔術士は騎士を見習ってもっと身体を鍛えるべきだという持論まで熱く語っている。
「魔術士団と騎士団は仲が良いのですね」
「神殿は陰気なやつが多いが、騎士団は日々鍛錬を積んでいるからな! 筋肉を愛でる者に悪人はいない!」
「神殿は魔術士団を陰気な集団だと思っとるがな。神殿は相変わらずか?」
「以前より酷い有様ですよ。何かあると神が聖霊がと言いながら金と権力の事しか考えていない! 癒しの力を独占して好き放題だ。まあ、一部と言えなくもないですが。その一部の声が大きく厄介なんです!」
随分語気が荒くなって来たところを見ると、神殿とは仲が悪いらしい。
それでも灰桃髪の神官さんにはそんな素振りを一切見せなかったので、彼は気持ちの真っ直ぐな優しい人なのだろう。
「あの人たち僕のところにも打診に来ましたからね」
「それは酷いな! ディディエが神殿に入れば誰がベリアルド領を継ぐというんだ!」
命の属性を持つ子は殆どが神殿に入る事を推奨される。
癒しの力は家門や派閥で独占せず、平等に使われるべきという流れが昔にあったのだ。
今の話を聞くと暴論にも思えるが、領地や爵位を継げない長子以外は、神官というだけでも優遇されるので進んで神殿入りするらしい。
それに、一人では治療し切れない大怪我を、複数人で治療出来るという利点もある。
「その嫌がらせもあってあんな貧弱な神官を送って来たんでしょう。シェリエル、僕のせいじゃないけどなんかごめんね? 神殿でも燃やして来ようか?」
「いいえ、結構ですよ、お兄様。大人しく学院にお戻りください」
「なんだい、すっかり反抗期だな」
ぷにぷにとわたしの頬を突くディディエをグリちゃんがグワッと威嚇してくれた。
「あの神官さんは大丈夫でしょうか。儀式の失敗はたぶんわたしに原因があると思うのですけど、少しお話ししてみて貰えませんか?」
「シェリエルの願いなら喜んで。と言いたいところだが、私も気になる事があるからな。後で少し診て来よう」
「ありがとうございます、お爺様」
自室に戻るとメアリが何か思い詰めたような顔でグッと拳を握りしめていた。
「メアリどうかした? お客様のお世話大変だったでしょ? 少し休んでね」
「いえ、それが……」
普段から明るく、きちんとシェリエルにも言うべき事は言うメアリが珍しく言い淀んでいる。
神官のお風呂の補助も頼んでいたので、それが嫌だったのだろうか。
「何か嫌な事された?」
「そうではありません。これはお耳に入れるべきでは無いのかもしれませんが…… 実は……あの方のお身体に、多数の傷が……」
「傷? というのは拷問や虐待を受けた痕ということ?」
見かけで判断して申し訳ないが、彼に戦闘が出来るとは思えない。メアリの表情や今日の怯えた様子からしても、誰かに傷付けられたと考えるのが自然だろう。
「切り傷に打撲の痕、火で炙られた痕までありました…… わたしにはあの方の傷を見ていられそうにありません」
「うん、お母様の使用人に頼んでみるね。教えてくれてありがとう」
「申し訳ございません、お嬢様」
メアリは優しいので他人の傷や辛い事情を知るだけでも心を痛めて穢れを溜めやすい。
それにしても、虐待か。お爺様が診ると言っていたのはこの事に気付いていたからかな?
神殿に居るのだからただの怪我はすぐに治してもらえる筈だ。小さな傷ならすぐに治療すれば痕が残らないと言うし、余程酷く傷付けて治療もせず放置したということになる。
ちょうどタイミング良く、自室の扉が叩かれた。
お爺様早かったな、などと思いつつ、メアリに扉を開けて貰うと、なぜかそこにはセルジオが立っていた。
「シェリエル、良い事を思い付きましたよ。これは神々の思し召しです、さぁ剣術をやりましょう」
「はい?」





