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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第二章 洗礼

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2.洗礼の儀


「我、空の加護賜いしセルジオ・ベリアルド」

「我、火の加護賜いしディオール・ゾラド・ベリアルド」

「我、水の加護賜いしディディエ・ベリアルド」


 声に従って足下が光り、次々に線を繋いで行く。

 最後の一人が終わると全ての模様が光を放ち。

 魔法陣全体が淡く浮き上がった。

 それを合図に全員の声が重なり祭壇に木霊する。

 

「——天元に留まる神々に奏上す」

「——此処ベリアルドの地にて神々の恩寵賜る式を」


 澄んだ響きの祝詞(のりと)が紡がれ、魔法陣の光が強くなる。

 内容はよく分からないけれど、神々の名前が出てくるので何かをお願いしているらしい。


「——此処にシェリエル・ベリアルド成り出でたる」

「——天降し依さし奉られよ天元六神の儀を以て祝福授け給へ」


 カッ! と一際強く発光し、いよいよ光の柱が。

 

「…………」


 降りてこない。


「…………」


 ……降りてこないね?

 そんな、まさかという空気が流れ、皆一様に顔を見合わせる。灰桃髪の神官がガタガタと震えだし、魔術士団副長のマルセルが動揺の声を上げた。


「洗礼の儀が失敗だと? そんなバカな…… ありえないだろう! まさか本当に魔力が無いのか…… 魔力不全でもこんなことは。ハ、加護が……」


——ドサッ


 鈍い音の方を見れば、灰桃髪の神官が真っ青な顔をして倒れていた。

 もしかしたら儀式前から具合が悪かったのだろうか。

 流れた前髪の隙間からは窪んだ目と濃いクマ、やつれた頬という酷い顔色が覗いている。


 “失敗”という言葉が脳裏を過った瞬間、酷く頭が冷えた。

 変わらず目の前の景色は見えている。けれどセピアのフィルターがかかったように目の前が急に色を失くしていた。

 ああ、そういうことか。だからわたしは魔法を使えなかった、魔術を習うことすら出来なかったのか。

 神々から、祝福されなかった。

 なるほど…… そういう事だったのね、()()()()()。 



「ふむ、まあ仕方ないですね」

「ちょっと面白過ぎるでしょ! 洗礼の儀が不発とか」

「ディディエお黙りなさい。疲れたわ、戻ってお茶でもしましょ」


 フッ、と空気が緩んだ。

 必死に笑いを堪えるディディエや、何でもない事のように解散の空気を出すベリアルド家の声に気付き、途端に我に返った。


 いやいやいや、もっと他に言う事ありますよね? というか神官さん倒れてますけど、まず心配しましょう? そうか、この人たちベリアルドだった。違う、そんな事に納得している場合ではない。

 と、シェリエルは思考を忙しくする。


「ちょ、あの、神官さんが…… え、これ、大丈夫なんですか……?」

 

 何から突っ込んで良いか分からず使い慣れた筈の言葉が出てこない。

 混乱しつつもシェリエルはある事に思い至った。


 もしかして、あの夢の中でもお父様やディディエはこんな様子だったんじゃ……?

 今わたしは、ハイハイ、ベリアルド、ベリアルド。と、流せているけど、もしわたしがみんなに受け入れられていなかったらどうだったんだろう。


 ゾッと肌が凍てついて、カッと心臓を熱くした。

 そしてこの四年間を愛しく思う。


「シェリエル、大丈夫だよ。神々が祝福しないなら僕が祝福しよう。魔法が使えなくても僕の可愛い妹には変わりないよ」

「お兄様……!」


 柔らかく微笑むディディエが頭を優しく撫でてくれた。

 じんわりと愛情が染み込んで来るようで、冷えた頭が温度を取り戻して行く。

 そうだ、魔法が使えないなんて分かっていたはずだ。けれど今のわたしにはお兄様が——家族がいる。


「いやでもホント最高だよね。……ククッ! シェリエルは持ってるなぁ…… いや、持ってないのか。プッ!」

「お兄様ッ!!」


 さっきの感動を返して欲しい。何だってんだ、まったく!

 (せき)を切ったようにディディエが腹を抱えて笑い出し、シェリエルはポカポカとディディエを殴った。


「一体どうなってるんだ……」


 一人置き去りにされたマルセルを屋敷へと招待し、灰桃髪の神官を客室で休ませる。

 セルジオに言われ客間で待っていると、少ししてマルセルと共にやってきた。

 身体の大きさばかりに目が行ってしまうけれど、マルセルは王国の魔術士団副長だ。

 そういえば、そんなすごい人がなぜ?


「約束ですからね。少しだけシェリエルを貸してあげましょう」

「お前が団長に余計な事を言うからだろう? 団長を止めるの大変だったんだぞ」


 その後も続く二人の会話から察するに、どうやら魔術士団の団長をわたしの白髪(はくはつ)で釣ったらしい。

 結局、忙しい団長の代わりにマルセルが来たようだ。 


「改めまして、シェリエル嬢。魔術士団で副長をやってるマルセルだ。こんな事になって残念だが、我々も原因を探ってみるから気を落とさないようにな!」


 芝頭のマルセルは快活に挨拶を交わしながらも私の白髪(はくはつ)が気になって仕方ないようで、チラチラと視線が泳いでいる。


「お気遣いありがとうございます、マルセル様。やはりこの白髪(はくはつ)が原因でしょうか?」

「分からない! 分からないから調べる必要がある! 髪を少し分けて貰えないか、シェリエル嬢! 少しだけ、少しだけで良いんだ!」


 待ってましたと言わんばかりに巨大な筋肉が迫ってくる。なぜ魔術士がこんなにも筋肉を育てているのだろう。


「マルセル、ダメですよ。あなた方に渡すと何に使われるか分かりませんからね。髪の毛一本持ち出し禁止です」

「おい、このまま帰ったら俺が団長に殺されるだろうが!」


 釣るだけ釣っておいて、餌はあげないというセルジオが酷い大人に思えてくる。

 餌はわたしなのだけど。


「お父様はマルセル様とお知り合いなのですか?」

「ええ、僕が騎士団にいた頃によく顔を合わせてましたからね」

「これでも君の父君は歴代でも三本の指に入るオラステリア騎士団の団長だったんだぞ?」


 ん? 騎士団長? お父様が? 団長?


「あの、ベリアルド騎士団ではなく、オラステリアのですか? 団長って騎士団で一番偉い人ですよね?」

「ええ、言ってませんでしたっけ?」


 聞いてませんけど?

 マルセルはガハハと豪快に笑い、相変わらずだなとセルジオの肩を殴っていた。

 見るからに線の細いセルジオが元騎士団長で、筋肉盛り盛りのマルセルが魔術士団副長という事実に、頭が混乱する。


「それはそうと、副長である貴方でも原因が分かりませんか? 魔法陣に問題があったのでしょうか? 私あまり魔術には興味がないのでどこか間違えていたのかもしれません」

「いや、一箇所でも間違っていたら陣が発動すらしなかった筈だ。やはり団長が来た方が良かったかな。俺はそういうのはちょっと……」


 カチャリと客間の扉が鳴り。か細い声が入って来る。


「あの、申し訳ありません…… 私のせいだと、思います」


 顔色の悪い神官がフラフラとこちらへと歩み寄って来たかと思うと、倒れ込むようにわたしの前で跪き、床に頭を擦り付けるように懺悔をはじめた。


「申し訳ありません……私のせいです、私の魔力が足りなかったのか、私の信心が足りなかったのか、私の罪が…… シェリエル様の大事な儀式でこのような……! 私のような者が来てしまったばかりに、このような事に」

「落ち着いてください、神官さん。大丈夫ですから、落ち着いて」

 

 開いたままの瞳孔をぐらぐらと揺らしながら、何かに怯えるように蹲る神官を咄嗟に止める。

 目線を合わせるようにしゃがみ込むと、顔を上げた灰桃髪の神官と目が合った。

 声が幼いとは思っていたけれど、顔がやつれているだけで年齢はディディエよりも下かもしれない。


「神官さんのせいじゃありません。それより、ちゃんと食べていますか? 眠っていますか?」

「いえ、あの……ッすみません……」


 途端に暗い瞳からオロオロと涙が溢れて来る。

 わ、泣かせてしまった。責めているように聞こえただろうか。ただでさえベリアルドは悪魔の印象が強いのだから、もう少し言い方に気を付けるべきだった。


「大丈夫ですよ。そうだ、お食事を召し上がりませんか? 少し変わっているのですが、身体に優しくて食べやすいのですよ」

「うんうん、食事は全ての源だ! 肉さえ食えば、気力も魔力も筋肉も育つ!」


 灰桃髪の神官はマルセルの大きな声にビクリと身体を震わせ、困惑したように辺りを見回しながら枯れた肌に涙を吸わせる。


「立てますか? 少し早いですが皆で朝食にしましょう。ね?」



 食堂へ移動すると、ディオールに続いてディディエとヘルメスもやってきた。ディディエは別室でヘルメスに絞られていたらしく、少ししょげている。


 料理が運ばれ、セルジオの祈りを皆で復唱した。 

 灰桃髪の神官には肉や油は控え、消化に良さそうな具沢山のシチューやスクランブルエッグなどを用意して貰った。

 

「神官さん、食べれそうな物だけで良いので、少しでも召し上がってください」


 反応が無いのを不安に思い、俯く神官の顔を軽く覗き込むと、目を見開いて順番に皿を凝視していた。


「私が、いただいてよろしい、のでしょうか……」

「はい、もちろんです。わたしの為にわざわざ来てくださったのですから。あ、お肉が良ければ言ってくださいね」


 皆が食事を始めると、神官はおずおずとシチューを口に運んだ。

 確かめるようにゆっくりと咀嚼し、一度固まったかと思うと、途端に凄い勢いでシチューをかき込む。


 良かった、口に合ったようだ。卵料理など、馴染みのありそうな物も出して貰ったが、シチューや蒸し鶏と温野菜のサラダなんかも躊躇うことなく食べてくれている。


 他の面々が呆気に取られている事に気付いたのか、ピタっと神官の動きが止まると、今度は顔を真っ赤にして謝罪を繰り返した。


「ガハハ! 良い、良い! そんなにベリアルドの食事は旨いのか! 変わった料理だな! セルジオ、私もお願いしてもいいか」

「ええ、構いませんよ。ですが、人を選ぶ料理ですから文句は言わないでくださいね?」


 セルジオがメイドに指示を出し、マルセルも用意出来るだけの料理を試す事となった。

 ヘルメスとディディエは何かを考察するように神官を眺め、ディオールだけが一瞬不快そうに眉を顰めたが、すぐに皆それぞれ自分の食事に戻る。


「気にせずお召し上がりください。気に入っていただけたならわたしも嬉しいです」

「わ、私は……ッこんなに美味しい食べ物を、初めて、食べました……」


 またポロポロと涙を流す神官に、わたしまで狼狽てしまう。既にベリアルド家の面々は神官への興味は失せたようで、各々好きに食事を楽しんでいる。


「ありがとうございます。きっと料理人も喜びます」


 神官の勢いは落ちたけれど、それでも少しずつ食べてくれている。神殿だから断食とかあったのかな?それだと回復食とかにした方が良かったか……

 

「このミルクスープのようなものは旨いな! 魔獣の肉か? 柔らかく甘い! この草は微妙だな! ミルクスープが一番旨い!」

「それは野菜と鶏を使ったシチューという料理です」

「なんと! あの根やミルクがこんなにも旨い料理になるのか! 錬金術のようだな」


 どっかで聞いたことあるなと思いつつ、マルセルの疑問に一つ一つ答えながらさりげなく野菜を推しておいた。

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