18.ヘルメスの診断
なんか物騒な言葉が聞こえた気がする。
なんだって? 人を? 言葉で?
「あの、それって、大丈夫なんですか?」
「ん? 何? 殺そうとしたって話? ベリアルド的にはちょっと危なかったけど、実際には少し壊れたくらいだし大丈夫だよ」
おっと? 何かが噛み合ってない気がするな?
この“ベリアルド的に”という枕詞は要注意であった。
国の法律、ベリアルド侯爵領の法律、さらにはベリアルド一族内での掟があり、彼らはそれぞれ都合よく使い分けている。
「あの頃のディディエは——たしか洗礼の儀を終えたばかりだったか。感情の振れ幅がどこまでなのか試していただけだろうが、周りは随分気を揉んだ」
「そうなんですよ、やはり限界値を知らないとなにも始まらないじゃないですか」
むかし懐かしい子どもの失敗談みたいなノリで殺人未遂の話をしないでほしいし、一生なにも始めないでほしい。
シェリエルがげっそり反社会的な思い出話に揉まれていると、ヘルメスがスッと表情を整えた。
「では、人心の授業をしながらシェリエルの診断をするとしよう。二人とも楽に座りなさい」
三人分のお茶が用意され、軽く喉を潤すと珍しい花の香りが広がる。
ふぅ、と息を吐き、身体が沈み込むようなふかふかの長椅子に、ディディエを真似て深く腰掛ける。
「ある日、悪魔がやって来て領民の半分を渡せ、断れば領地を滅ぼすと言って来た。自分一人で戦っても勝てない。ベリアルド一族全員で戦っても良くて相打ち。一族は全滅だ。ディディエ、お前ならどうする?」
「それはベリアルド領の人間じゃないとダメなのですか?」
「他領の人間でも良いと言われたらどうする?」
「僕なら王国中の犯罪者を集めますね。そうすれば自領民の半数くらいにはなるでしょう」
「ふむ。王国には軽犯罪でも牢に入れる領があるが、両親が死に、食べるものに困ってパンを盗んだ哀れな子どもでもその中に入れるか?」
「他領の量刑を決めるのは我々の範疇じゃありません。その子どもに情けをかけるのなら、国が慈悲を与えるべきでしょう。責任はその領地もしくは国にある」
「どうして奴隷は含まない?」
「奴隷は立派な労働力で契約があるからです。犯罪者であれば牢の管理費用も浮きますし、残った民に罪悪感も残さない。それに“悪い事はしない方が良い”という意識を持たせられるかと」
「ディディエらしい回答だな」
思いのほか合理的な考え方で驚いた。彼なら「領民の半分くらいあげればいいでしょう」とか言いそうなどと思っていたから。
このように、人心の授業は最初に人としてのルールを教えられ、後はひたすら問答のような形式で進んでいく。
自分がどうしたいのかを考え、ベリアルドとしてはどう振る舞うべきかを学び。
ひたすら「なぜ」「どうして」「どうあるべきか」を掘り下げ、少しずつ世間との齟齬を無くして行く。反射的に“正解”の振る舞いが出来るように訓練するのだ。
道徳の授業というより、洗脳に近い。
人様の害にならないよう、人としての振る舞いを身につける。
これを、彼らは“擬態”と言った。
ヘルメスはしばらく考えを整理するように黙り、それから「ベリアルド領だけだと言われたら?」と、ディディエを最初の問いに戻した。
ディディエは少し考え込んだ後、さらりと答える。
「シェリエルを残し、一族全員で戦います。シェリエルはどうせ戦力にはなりませんし、シェリエルさえ居ればベリアルド家が途絶える事はありませんからね。最悪負けてもそこまでやれば領民も諦めがつくでしょう」
お兄様……!
シェリエルは思わずジン、と胸を熱くした。あの日、守ると言ってくれたことが嘘じゃなかったように思えて。
「ふむ、シェリエルを残すか。ではシェリエルは?」
「わ。あ、えと。そうですね…… 悪魔に理由を聞きに行きます」
「理由を?」
「はい、なぜ領民が必要なのか聞いて、もし食べる為なら代わりになる食料を提案しますし、今すぐでなくても良いのなら、毎年死刑囚を渡すと交渉するのも良いかもしれません」
「代替案に分割払いか。なぜ悪魔相手に交渉などと?」
「悪魔にもどうしようもない事情があるかもしれないでしょう? 領民を半分も失えば貴族だって食べて行けなくなりますし。 ……か、家族が死んでしまうのも嫌ですから」
ヘルメスは掌で両眼を覆い、天を仰いだ。
う、ダメだった……? 思い切って家族と言ってしまったけど、もしかしたらお爺様はわたしがベリアルドの本当の娘では無いと聞いているのかも。
隣のディディエをチラリと横目で盗み見ると、なぜかヘルメスと同じ格好で固まっていた。
「そうか、良いだろう」
ヘルメスは何事も無かったかのように元の姿勢に戻り、問答を再開した。
前世の記憶にも触れながら、いくつか御伽噺のような問答を繰り返す。
それらは優先順位の確認のようでもあった。
親を残すか子を残すか。
国を残すか民を残すか。
貴族か平民か。
金か権力か。
法か愛か。
答えはない。考えることを強いられている。
「シェリエル、前世の記憶は今でもハッキリ思い出せるか?」
「小さい頃の事は覚えてないのですけど、辿って行けばそれなりに細かく思い出せます」
不思議な事に、大人になって忘れてしまっていた小学校のクラスメイトなんかも、仲の良かった友達やクラスの風景などを順番に辿って行けば思い出せたりした。
授業で習った内容。何気なく流れてきたSNSの情報。適当に流していた某動画ストリーミングサービスのドキュメンタリー。
何についてどこで知ったかまで思い出せれば、ほとんどが詳細まで引き出せてしまう。
なんとなく、データベースのインデックスを思い浮かべていた。パチンと情報が紐づくような。それぞれの記憶が関連テーブルとして整理されているような。
よって、知らないことは知らない。当たり前に思えるが、いまとなっては不思議な感覚だった。
そんなことを考えていれば、ヘルメスの落ち着いた声が彼女をスッと現実に戻した。
「前世の記憶を残して生まれる子はたまにいるのだよ」
「そうなんですか!? だからお父様もあまり驚いていなかったんですね」
「だが、大抵ぼんやり名前やその土地の雰囲気、職業などを覚えているだけで、三歳までには消えてしまう。私はこれを前世の残り香のようなものだと考えているんだが、シェリエルは完全に焼き付いている状態なのかもしれんな」
「それは、大丈夫なんでしょうか?」
「それは分からん。こんな症例は初めてだからな。だが、だからこそ興味深い」
研究者の顔をしたヘルメスは両手を組み、ジッと観察するようにシェリエルを見つめた。
「問題があるとすれば精神だ。単純に前世の記憶だけでも赤子の頭では情報量が多過ぎるはずなんだが……」
「あ、赤ちゃんのとき…… 夢を繰り返すうちにだんだん思考がクリアになってきて、夢だとか自分の事だとか理解出来るようになって来た時期があるんです。たぶんその時に、容量が増えたのかも……?」
お爺様に伝わるかな……
あの頃、ギュンギュンと頭の血が巡り、熱を持つような感覚がたしかにあった。
身体を動かせば発汗しそうなほど体温が上がり、思考すれば熱が上がる。
赤ちゃんだからと思っていたが、いま思えば……
「ふむ、充分あり得る話だ。ベリアルドの教育も理論的には同じ。……ああ、もしかしたら、ベリアルドだから大丈夫だったのかもしれんな。普通の脳では耐えきれなくとも、ベリアルドならば段階的に情報量を増やすことが可能だ。我々には“欠落”があるから」
「けつらく……?」
なぜだかストンと腑に落ちた。
この城に住む“呪い”を継いだ者たちは、皆が幼少期からとんでもない思考力と記憶力で急速に知識を蓄えていく。
それが天才たる所以であり、シェリエルも例外ではなかったのだろう。
それがなければ脳が焼き切れていたかもしれないと思うと、ベリアルドに生まれて良かったと心の底から安堵した。
物騒だけど。ちょっと話が通じないけど。
「他に何か精神面で気がかりな事はあるか?」
「わたしは、子どもなのか大人なのか分からなくて自分の存在や立場が曖昧に感じる事があります」
納得と安堵のせいか、ディディエにも言えなかった鬱屈とした心の澱のようなものが不思議とすんなり口から出ていた。
ヘルメスは気味悪がることなく、むしろ専門分野だと言いたげに声を深くする。
「子どもと大人の違いが何か分かるか?」
「知識と自制心の有無、でしょうか」
「いいや。成人の儀を迎えれば大人だ。親の庇護が必要な年齢までは、ベリアルド家の者であっても皆等しく子どもなのだ。上位の成長は早いが、魔力の扱いが不安定な十六まで子どもと見做す」
思いもよらないシンプルな答えに、わたしもディディエも言葉が出なかった。
「だが、人によって精神の成熟度は違う。ベリアルドの呪い持ちは早くに多くの知識を持つ。だが精神の熟成となるとそれぞれだな。どちらかというと、いつまでも子どものように興味だけを追いかける者の方が多いかもしれん。セルジオが良い例だ。ああはなるなよ、周りの迷惑だから」
何となく分かる気がする。
知識、自制心はあっても、良く言えば少年のように、ひたすら好きな物へと突き進むセルジオの姿が浮かんだ。
それからヘルメスは続けて言った。
「シェリエルは…… 思考能力が高く大人の記憶もあるが、学問の知識量ではディディエに劣るだろう。人に接した機会は多少あるようだが、前の生では平民だったか? 貴族としての価値観が年相応。苦難や挫折を味わったことが無い、と思っているのは困難なことから無意識に逃げるからだろう。上手く割り切っているだけだ。言い換えれば逃げ癖がついている。好きなものを極める——職人のように何かひとつかふたつ、そこそこの自負があり、他は切り捨てていたのだろう。けれど、深くはない。よって前世の記憶を合わせても精神の成熟度はあまり高くない。違うかね?」
「な、なんでそこまで分かるんですか……」
怖すぎる…… ただ、少し質問に答えていくつか問答を繰り返しただけなのに。
しかも結構ショックだ……
「これが私の研究だからな。だが、呪いの有無はまだハッキリしないのだ。引き続き、人心の授業を受けなさい」
うぅ…… そうか、わたしって全然ダメダメだったんだな…… そこそこお金を稼いで気楽にひきこもって好きな娯楽に囲まれて人生ハッピーなんて思っていたけど、成熟度が低い…… わ、わかる…… 何というか、めちゃくちゃ的を射てるよね、あぁ、本当、前世の記憶なんて消えてしまえば良かったのに。今更気づきたく無かった。
と、シェリエルは自分では上手く生きていたと思っていただけに、羞恥で穴を掘りたい衝動に駆られた。
「お爺様、少し抉り過ぎですよ。シェリエルが虫の息です」
「うむ? 存外、耐性がないのだな」
いや、いま知れて良かったと思おう。
まだ五歳だし。そう、五歳だから!
なんてったって天下の五歳児様よ、普通の家庭だったら神童と崇め奉られ聖女とかになっていた。
うんうん。やっぱり五歳にしては上等だと思う。
「お、吹き返した。大丈夫かい、シェリエル?」
「は、はい。なんとか」
授業としてはここで終わりとなり、メレンゲやスイートポテトを用意してもらって改めてお茶の時間となった。
「ヘルメス様は本当に凄いのですね。わたしは今日生まれ変わった気分です」
「私のことが嫌いになったか?」
「いえ、そんな! ハッキリ子どもだと言われてスッキリしました」
かなりの傷を負った事は確かだが、曖昧だった自分という存在がやっと輪郭を持てた気がする。
誰だって自分のことが分からないと不安だから。
「そうか、それは……よかった」
「ヘルメス様、このお菓子。メレンゲというのですけど、前世の記憶から作ってもらった物なのです。良かったら食べてみてください」
ヘルメスはメレンゲに視線を移したまま、黙ってしまった。
前世に興味を示していたけれど、やはり心にしか興味がないのだろうか。
少し残念に思ってメレンゲを勧めた手のやり場に困っていると。
「シェリエル、お爺様と呼んであげなよ」
「お爺様……?」
ディディエに耳打ちされ、戸惑いつつも口に出してみた。
すると、ヘルメスはまた天を仰いでしまった。
「ッ!」
「お爺様? お爺様ぁー?」
「……孫はいいな」
突然?
「お爺様は小さな子どもが大好きなんだ」
「おい、ディディエ、その言い方は語弊があるからやめなさい。他人の子は研究対象としては面白いが情という程でもない。ベリアルドの子が特別なのだ。直系の孫となると特にな」
ビックリした……
「お爺様はわたしを孫だと認めてくれるのですか?」
「当たり前だろう。こんなに愛らしいとは思っていなかったせいで、少々動揺したがな」
「よかった…… こんな髪色ですけどね」
認められたという安堵と、ストレートに褒められた気恥ずかしさで頬が熱くなってしまう。
思わず自虐の言葉が漏れてしまうくらいに。
……あ、こういうところだ。
自信の無い、コンプレックスのような事柄に関しては、他人に指摘されて傷付くのが嫌で先に自分で言葉にして予防線を張ってしまう。
「私は魔術にあまり興味がないからな。シェリエルに魔力がなくとも何とも思わんよ。それに、クロードの子であれば私の孫には変わりない」
「知っていたのですか」
「セルジオやディオールを見れば分かる。それに、シェリエルは目元がクロードに良く似ている」
父親か…… あまり考えた事はなかったけど、この世界にもわたしの両親は存在するのよね。
シェリエルは前世で親がいたせいか、不思議な気分だった。恋しいと思うこともないし、だからって他人という感じでもない。それはセルジオやディオールに対してもである。
「お爺様、シェリエルの考えた菓子ですよ。別の世界の食べ物など興味があるのでは?」
「ああ、そうだったな、いただこう」
ディディエが菓子を勧めるとヘルメスは不審がる事もなく口にした。
「ほう、これは旨い。前世の世界では菓子の文化が発展していたのか?」
「はい、食はとても豊かな世界でした。魔法が存在しなかったので、他はまだ違いが良く分からないんですが」
「そうか、使えるものは使うといい。だが、無闇に前世の話をするのはやめておいた方がいいだろう。どのように話が広がるか分からんからな」
「はい、気を付けます」
それから意外にもヘルメスとの話は弾み、今日初めて会ったにも関わらず、随分と打ち解ける事ができた。
ディディエも取り繕うのを諦めたからか、いつもの適当な感じに戻っている。つまり、軽薄で飄々としていて、油断ならない妹思いのお兄ちゃんだ。
「また僕だけ仲間外れですか? どうして今日来たばかりの父上がそれほど仲良くなっているんでしょう」
「子どもは無意識に大人の考えを感じ取るものだからな」
「はぁ、父上は何でもお見通しですね」
ん?
家族の増えた食堂へと向かう道すがら。
どこからともなく現れたセルジオはシュンと眉を落としていた。





