閑話.セルジオ・ベリアルドの溜息
※セルジオ視点
ディオールとのお茶会の少し後くらい。
「はぁ…… 面倒な事になりましたね」
セルジオは数日前にディオールから聞いた話を、与太話だと切り捨てる事が出来なかった。
シェリエルがメイドの血抜きをやめるよう進言したと聞いた時は、シェリエルの呪いの有無についてしか考えが及ばなかったが、その理由に嫌な予感のようなものを感じていたのだ。
病は穢れによる災いの一つとされている。例えば身近なところでは風邪がそうだろう。
風の魔力が邪に染まり、人を害する。
普段は自己の治癒力により守られているが、疲れや体力の低下で治癒力が下がると、常にそこらへんにある微かな穢れによって風邪を患う。風邪をひいた者が更に穢れを増幅させ、近くの者も風邪をひく。大なり小なり、病とはこういうものだ。
けれど、血液で人に伝染るという話を、セルジオは納得しかけている。
穢れでは説明が付かない病がいくつかあったのだ。エイロ病という病がその一つだろう。エイロ病のほとんどが娼館で広がり、一緒に生活する同じ館の娼婦よりも一度や二度相手にした客の方が先に貰うという。
これは娼婦の怨恨が穢れとなり客に向くのではと言われてきたが、それだけでは説明が付かなかった。
けれど、もしシェリエルの言う通り、血液で他人に感染るのであれば、全て説明が付くのではないか。
そうした確信に近い予感があり、セルジオはすぐにディオールのメイドを全て検査させ、今その結果が書かれた書類を手にしていた。
エイロ病では無かったですが、もっと厄介な病の者が居たとは……
「ザリス、この者は今どうしてます?」
「こちらに書類をお持ちする前に離れの塔に移しました」
「そうですか、あ、シェリエルとは別の塔ですよね?」
「はい、もちろんです」
それにしても、遅病とはまた厄介なものを……
遅病は病を患ってから数ヶ月から数年は発症しないとされる。けれど発症した途端三日ほどで確実に死ぬのだ。
家族単位で遅病が流行り、家族内でも死んだ時期に開きがあったこと、その時期に病を鑑定するギフト保持者がいた事でこの事実が明らかになった。
幸い、そのギフト保持者が残した魔術により、病を特定する事が出来るようになったが、滅多に無い奇病であり、発症までに自覚症状が無い事から、身内の誰かが遅病で死なない限り、この病が発覚する事は無かった。
「このメイドは例の商人と繋がりが?」
「今調べさせておりますが、その可能性は低いかと。念のためこの者の家族にも鑑定を受けさせるよう手配致しました」
「そうですか。メイドがここ数年で血液を介する接触をした者を洗い出すしかないですね。シェリエルは血液と言っていたそうですが、エイロ病を考えると体液なのかもしれません」
あまり子どもに聞かせる話では無いが、ディオールとディディエにも話して、城内全員の鑑定を行った方がいいようだ。
それにしてもディオールが患って居なくて本当によかった。遅病は一家族が全滅するのが普通ですから、あのメイドの血を使っていたらディオールもきっと……
発症前に発覚すれば、神殿で発症を抑える事は出来るが、そうなるともうディオールと一緒に居る事は出来ない。それはセルジオにとって、身を引き裂かれるより辛い事だった。
シェリエルの才は一体何なのでしょうか。不思議な子ですが、危ない感じはしないんですよね。
セルジオはシェリエルに対して、感覚的な庇護の義務感はあったが、それ以上に関心を持つ事は無かった。
二年前、大金を出して引き取ったのも、クロードに対する情と、家門の掟、そして会場で一目見た時の直感が理由だ。
いつか、ディディエに話した「気にかけている程度」というのは二年経っても変わっていなかった。
それから二週間ほどして、例の異国の商人を調べさせて居た部下から報告が入る。
「失礼致します。ただいま帰還しました」
「ご苦労様でした、ジョルジュ。それで、どうでした?」
セルジオの補佐官であるジョルジュは何枚かの書類を提出し、姿勢を正す。
「商人の足取りは掴めたのですが、隣国タリアで死んでいました。その者はあらゆる所で詐欺を働きかなりの恨みを買っていたようで、被害にあった商家の娘が刺し殺したようです」
「その娘はどうなりました?」
「はい、タリアは私刑が許されているので、取り調べを受けた後釈放され、今は別の国に移ったようです。なんでも、その娘は母と一緒に娼館に売られ、母はその後自殺。父は一度私刑を試みたようですが、返り討ちに遭いその場で斬り殺されたようです」
なるほど、それなら私刑が適応されるでしょうね。しかし、どうもタイミングが良過ぎる。
ジョルジュの報告に耳を傾けながら書類に目を通していたセルジオは、その日付に作為的なものを感じていた。
「ディオールに謁見し、すぐにオラステリアを出てタリア入り。タリアに着いたその夜に刺殺、ですか。これは偶然ではないでしょうね」
「他にも怪しい点がありまして、その商人は普段から傭兵を雇っており、貴族との繋がりもあったようで、本来平民の娘が簡単に殺せる相手ではなかったようです」
ふむふむ、たしかにそのようですね。
ジョルジュの書類には傭兵の戦闘能力、疑惑のある隣国の貴族の名前まで調べてあり、そこからは醜悪な男の像が浮き上がっていた。貴族との繋がりまであったのでは、斬り殺された父親の件も握りつぶされたのだろう。
「たまたま娘の働く娼館の近くで飲み、たまたま娘の休憩時間に店を出て、たまたま傭兵が通行人に絡み裏路地で金を巻き上げ、たまたま詐欺商人が一人になったところ、たまたま娘がそれを見つけナイフで刺し殺した」
偶然にしては出来過ぎですね。「外に出たら憎き仇が目に入って無我夢中で武器を探して刺し殺した」と書いてありますが、オラステリアでの一件も踏まえると……
「この件はもう少し調べる必要がありそうですね。けれどきっとその娘は見つからないでしょう。私刑の応酬にならないように徹底的に身元は隠されますから。この詐欺商人の周りをもう少し探ってください」
「承知致しました」
ジョルジュが退出すると、筆頭補佐官のザリスが温かい紅茶を用意する。
「セルジオ様、城の警備を強化致します。ご許可を」
「ええ、お願いします。あと、僕も少し身体を動かしておかないといけませんね。執務ばかりで鈍ってしまっては有事の際に動けませんから」
こんな面白くも無い書類ばかりに頭を使うより、自由に剣を振り身体を動かしたい。
これは良い大義名分が出来たと席を立つセルジオの肩が、後ろからがっしりと抑えられた。
「いえ、セルジオ様なら大丈夫です。執務に集中なさってください」
「はぁ……優秀な補佐官を持つと、こういうところで苦労しますね……」
一番苦労しているのは、ザリスだった。





