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眠れる森の悪魔  作者: 鹿条シキ
第四章 事業

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ディディエの進捗報告

※チラッと残酷な描写があります


 貴族学院の寮に戻ったディディエは、(たかぶ)った感情のまますぐに通信具に魔力を注いだ。ユリウスから貰った耳飾りではなく、セルジオから借りて来た元来の魔導具だ。


「シェリエル、一通り片付いたよ」

「ごきげんよう、お兄様。随分ご機嫌ですね」

「分かる? はぁ〜、最後の最後で最高の屑を引いて、つい殺しちゃった」

「え、本当に? 大丈夫なのです?」


 シェリエルの声は多少跳ねはしたが、それほど驚いている様子もない。きっとこうなることを予想していたのだろう。

 ご機嫌なディディエだったが、人の命を奪う事に楽しみを感じているわけではなかった。ただ、その過程が満足行くものだったので、その興奮を大事な人と共有したかったのだ。


「うん、ディルクが上手く処理したよ。やっぱアレだね、人の感情を一番揺さぶるのは死だよね……」

「いけません! いけません! お兄様ー! いけませんよ! お兄様ー!」


 通信具の向こうから愛らしい叫び声が聞こえて、ディディエはやっと先程の愉悦を塗り替えることができた。もっと揺らしたい…… 若干タガの外れたディディエは、「ダメ?」と悪戯に囁いた。


「お兄様、人にとって死が抗いようのない恐怖なのは明白です。そんなもの、誰がどう取り扱おうと結果は同じなのです。完成された道具を使い、お膳立てされた寸劇を眺めて、それでお兄様は楽しいのですか? お兄様の好奇心はそれほどお手軽なものだったのです? お兄様、死は、感情を揺らす道具として最も安直で退屈なものではありませんか?」

「すごい喋るじゃん」

「はぁ……」

「いや、分かるよ。ちょっと揶揄ってみただけ」


 シェリエルの溜息一つでスッと心が落ち着いて行く。たしかに、恐怖や絶望で人の心を揺らすなど簡単過ぎる。そういった単純な遊びはもう卒業したはずだった。


「いやぁ、でも今日のは仕方なかったんだよね。奴隷の子が寝台の鎖に繋がれたまま血だらけになっててさぁ。最初は何とも思わなかったんだけど、シェリエルと同じくらいの年頃だなって思ったら急にね。これが共感ってやつかな?」

「その子は無事なのですか……」

「うん、命は助かったし、もうすっかり薬で心は閉じてたからきっと何も覚えてないと思うよ。もう少し早く助けてあげれば良かったね……」


 こいつを一番最初にすれば良かった。もっと早くに調査を終わらせれば良かった。

 そんな考えに気づいたとき、自分でも少し驚いた。見ず知らずの平民の奴隷のために、自分の行動を悔いたのだ。


「そうですね。でも、これがわたしたちの最善でした。もし期間を空けていたら誰かに逃げられていたかもしれませんから」

「うん、分かってる」


 強い感情の揺れではない。さざ波のような胸の揺れを不快に感じ、ディディエはその元凶となった男の末路を思い出すことで強引に思考を切り替える。


「ふふ、そいつ、既婚者だったんだよね。しかも息子まで居てさ。娘だったらもっと面白かったんだけど、奴隷部屋に家族全員招待したんだ。その時の男の顔っ! 傑作だったよ。もちろん妻と息子もね」

「相変わらず悪趣味ですね」

「夫人はすぐに失神しちゃったから無理矢理起こしてさ。顔つきが変わるくらい怒り狂って。でもね、夫人ってば嫉妬してたんだよ。死にかけの奴隷の少女にだよ? 息子は軽蔑と嫌悪って感じかな。貴族としても夫としても父親としてもすべて失った瞬間? はぁ、本当に最高だった」


 思い出してまた気が昂ってしまった。

 机で書類を整理しているディルクが小さく「きもちわるっ」と呟いたが、今は聞かなかったことにしておく。


「ご家族の穢れは大丈夫だったのです?」

「いや、神殿入りだね。気付かなかったなんて言い訳だよ。予感はあったはずだ。彼らも自業自得じゃない?」

「それもそうですね」


 シェリエルの同意に気をよくしたディディエの舌は良く回る。


「だから、家族の前で全裸にして手のひらと足の裏の皮を剥いでやったんだ。これ今回の作戦で思い付いたんだけど、切るより剥ぐ方が苦痛が大きいんだよね。全員四つん這いになって手のひらひっくり返して無様に泣くのさ。それでね、僕命の加護あるじゃん? ここまで来れたら治してあげるって言って、手を叩いてあげるわけ」

「わぁ、外道……」


 シェリエルの呆れた声が心地良く、軽蔑の音が含まれていないことに安堵する。顔の見えない状態なので、本当は嫌悪しているかもしれない。それでもシェリエルに対する信頼は厚かった。


「平民狩りしてたやつの時に思い付いたんだ。手足の皮を剥いだ状態で、お前も狩られてみる? ってね。あはは、みんな良い顔してたなぁ。あ、そいつらは生きてるよ。調教するのに時間掛けちゃったけど、もう社交界には出られないね。奴隷はリヒトに治療させて北部に送ったよ」

「それはよかったです。闘技場をしていた者はどうなりました?」


 コロシアムで奴隷と魔獣を戦わせていた者のことは、シェリエルに報告するか決めかねていた。シェリエルはきっと、心を痛めてしまう。


「お兄様? もしかして、魔獣を処分なさったことで気遣ってくださってます?」

「……分かってたのか。シェリエルってさ、平民とか奴隷もだけど、魔獣や動物の方が感情移入するだろ?」


 これまでシェリエルを観察してきて、シェリエルの感情を揺らすものを多少は理解しているつもりだった。

 シェリエルは自分から遠い存在であるほど庇護欲を抱く傾向にある。

 立場の近しい貴族よりも平民を。

 意思疎通出来る人間よりも魔獣を。

 同じ魔力を持つ魔獣よりもただの動物を。

 それは単なる弱者に対する慈悲や同情とは違う、もっと別の価値観によるものだ。


「人の味を知ってしまった魔獣を野に放つわけにはいきませんもの。そこは理解しています。その男も殺して差し上げて良かったかもしれませんね」

「今からでも行ってこようか?」

「冗談ですよ」


 冷たいシェリエルの声は理性によって紡がれていた。ユリウスの裏の顔から目を逸らしたように、シェリエルは自身の本質に気付かないふりをしている。そのせいで、今もこうして面倒な策に労力を費やしているのだ。


「やっぱりシェリエルが一番だよ。早く開花するといいね」

「なんの話です?」


 大切な蕾を強引にこじ開ける訳にはいかないと、ディディエは話を本題に移した。


「雑談はこれくらいにしておこうか。問題は残りの二人なんだけど、シェリエルの手を借りたいんだよね。動けそう?」

「ええ、タリアの方と話は付きましたから、手は空きましたよ」


 ここ数日で脱法奴隷の所有者が襲撃されたことは、一週間もすれば噂になるだろう。コロシアムは派手に燃やしてしまったし、元々黒い噂があった人物もいた。

 急がなければ逃してしまう。

 寝台に繋がれボロボロになった幼女が頭を過ぎるが、気が急いているのは自身が取り仕切る作戦に汚点を残すのが許せないだけだと考え直す。

 

「二日後の他領のお茶会に同伴してくれない? 招待状は僕が受け取っているし、それほど規模も大きくないからただ一緒に来てくれるだけでいいんだ」

「急ですね。呼ばれていないわたしが参加しても良いのですか?」

「正確に言うと先方はシェリエルをご所望だよ。そうなるよう仕向けたのは僕だけど」

「わたしを餌にしたのですね……」


 今日までに新たな手がかりが掴めれば、シェリエル抜きでお茶会に参加するつもりだった。しかし、数件の襲撃で立て込んでいたこともあり結局シェリエルで反応を探ることにしたのだ。

 まだ領外のお茶会に参加したことがないシェリエルだが、下手に政治が絡むお茶会よりも気安いだろう。

 当日の段取りや対象の情報を伝え、細かい調整をする。


「ドレスはそっちに送ってあるから」

「衣装も指定なのですか。ではこちらも準備しておきますね」

「もう一件は父上にも手伝ってもらうつもりだから、戻ったら連絡するよう言っておいてくれる?」

「わかりました。……お兄様、ありがとうございます」


 ふふ、顔が見れないのが残念だ。

 ディディエは通信具を切り、ディルクにリヒトを呼んで来させる。


 貴族学院には五つの寮があり、魔力量と学力によって入る寮が決まる。

 ディディエは高位の魔力量と常に満点の学力試験により毎年最上位のディアモン寮に入っているが、リヒトは下から二番目のカッパー寮で敷地内でも遠く離れた場所にあった。


「あれ、早かったね」


 リヒトは簡単に洗浄しただけらしく、まだ血の匂いがこびり付いている。周りに気付かれると厄介なので、ディルクの服に着替えさせた。


「リヒトさ、僕の専属にならない?」

「それは……」


 リヒトは下を向き目元が前髪に隠されるが、何を悩んでいるかはだいたい想像が付く。


「シェリエルの騎士になりたいのは知ってるよ。でも学院での専属はお試し期間みたいなものだから、そんなに深く考える必要はないんじゃない?」

「なぜ、自分を?」

「いや、さっきシェリエルに怒られてさ。一年の大事な時期なのに連れ回すなってさ。でもリヒトが戦力になるのは確かだから、僕に勉強見てやれだって。専属になればディアモンに移れるだろ?」


 ディルクも籍はゴルドの寮生だが、ディディエの補佐官としてディアモンの側近用の部屋で生活していた。

 ディアモン寮の生徒の側近になるということは、将来王族や高官、大領地の補佐官になることを意味する。爵位のない上位貴族の子息や、領地を継げない次男などは、こぞってその枠を争うのだ。


「シェリエル様のご意向であれば……」

「もうちょっと嬉しそうに出来ない? 本当お前可愛くないな」

「男ですから」

「そういうことじゃないよ」


 口数も少なく陰気なリヒトはシェリエルの前以外でほとんど表情を変えることはない。一連の襲撃でも眉ひとつ動かさず剣を振るっていたので、ディディエは案外気に入っていた。

 あ、そういえば、リヒトを実戦に出していいのかお爺様に確認するの忘れてたや。まあ大丈夫だろうけど。


「ま、勉強は表向きの理由なんだけど…… お前、実戦どうだった?」

「特になにも」

「だよね。あの奴隷たちを見てどう思った?」

「昔の自分を見ているようでした。剣術を学ぶ機会をくださったセルジオ様に感謝し、神殿に帯剣の許可が出れば良いなと思いました」


 ほうほう、なかなか良い感じじゃん。これならいざという時も殺れそうだね。

 ディディエは早くシェリエルに護衛騎士を付けたかった。ベリアルドの騎士たちは、以前よりマシになったとは言え、まだシェリエルを外側から見ている。

 守るべき主として認識できなければ、ギリギリのところで命をかけて戦うことが出来ない。そんな騎士は邪魔でしかないだろう。

 その点、リヒトなら何がなんでもシェリエルを守るはずだ。だからこそ一刻も早く、命をかけ、命を刈れる騎士にする必要があった。


「騎士に必要なことは僕が経験させてやる。一年だ。一年でシェリエルを守れるようになれ。呑気に授業受けてるだけじゃ、間に合わないからな」

「仰せのままに」


 リヒトは騎士らしく片膝を突き、頭を下げる。


「じゃあ僕の在学中の試験は全部A判定取るようにね」

「え……」


 顔を上げたリヒトは絶望に染まっていた。


「いやだって、シェリエルにバレると怒られるしさ。表向きは勉強を見るためなんだからそっちもちゃんとしとかないと」

「……」


 よっぽど座学が苦手なのだろうと察するが、そんなことはディディエに関係ない。どんよりと肩を落とし部屋を出るリヒトを見送ると、ディルクの淹れた紅茶で一息ついた。


「よろしかったのですか?」

「なにが?」

「シェリエル様は騎士がどういうものか、きちんと理解されていないのでは? リヒトが騎士になることを望むでしょうか」

「あはは、シェリエルはそんな初心な女の子じゃないよ! あれは正真正銘、ベリアルドの子だ。タリアの件が良い例だね。理想主義に見えて、本質は徹底した現実主義だ。僕たちとは見えてる現実が違うだけだよ」


 そう、シェリエルは冷たくて厳しくて、感情的で、そして温かい。

 二日後の楽しみを完璧なものにする為、ディディエはもう一度作戦を見直すことにした。

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