中間市 -15:44-
こぼれた内臓と血液が、赤々と地面を濡らしてゆく。
光を失い、ただ天井を見据えている瞳はもはや死人のそれであった。
「――――――む、さし」
英人はゆっくりと、恐る恐る武蔵に向かって手を伸ばす。
信じられない。こうならないために、これまで立ち回ってきたはずなのに。
救えなかった。たった一人の、親友でさえ。
「あ、ああ……」
震える手を必死に伸ばす。今にもどこかへと去ってしまいそうな彼を捕まえようと。
しかし、震える手はまったく伸びてゆかない。今にも崩れ去りそうな彼に触れるのが、恐ろしくて。
英人が数瞬、躊躇している間。
「……は、ちゃん」
武蔵は、肺に残った空気を吐き出し、声を紡ぐ。
「でぃ……に…れんら……ておいた…ら、もうすっ……ちが……は…する……」
英人に向かって語られるはずの言葉は音すら為さず、ただ空へと消えてゆく。
だが、そのことにさえ気がつくことができず、武蔵は懸命に笑みを浮かべる。
「だか……いっ…にい……ぜ……」
そばにいるはずの、たった一人の親友に向かって。
自分のわがままで、最期まで迷惑をかけてしまった友に向かって。
「はっちゃ――――」
英人の手が、武蔵に向かって僅かに伸びる。
そしてそれを封じるように、武蔵の体に太い触手が叩きつけられた。
「――――」
轟音と共に爆ぜる武蔵の体。凄まじい圧力によって押しつぶされた彼の体は粉微塵と化し、辺りに撒き散らされる。
英人の顔にビシャリと武蔵の肉片が飛び散る。
武蔵がいた場所を見つめながら、英人は顔に飛び散った肉片に触れた。
「―――」
さっきまで生きていた人間のものとは思えないほど、その肉片は冷たく英人には感じられた。
武蔵を潰した適合者の少女は満足げに笑い……それから何かに気が付いて不愉快そうに眉をひそめた。
「……遊びすぎちゃったかなぁ。あのおじさん、スイッチ入れちゃったかぁ」
中間市の中央部の方を見ながら小さく呟き、それからため息と共に英人を見下ろす。
「それじゃあ、本当にさようならだね。もう、時間がないから私も篭らないといけないしぃ」
「―――」
適合者の少女の声に、英人は反応を返すことが出来ない。
ずるりと触手の退いた、武蔵がいたはずの場所を見つめてただじっとしている。
動く気配すらない英人の姿を見て、適合者の少女は軽く肩をすくめた。
「つまんないの。もう少し、反応があってもいいのになぁ」
「―――」
「……放っておいても死ぬと思うけど、きちんと殺してあげるよ」
適合者の少女はそう言いながら、幾本もの触手を持ち上げ。
「じゃあ、バイバイ。もう、出てこないでね?」
笑顔と共に、英人に向かって触手の束を解き放つ。
無数の触手はあっという間に英人の元に殺到し、その体を押しつぶそうとする。
津波のような触手の束を前に、英人は反応を返すことなく迫るまま触手をその体で受け止める。
大量の触手は瞬く間に装甲服を打ち破り、その内側にあった英人の肉体を食い破り、彼が生きていた痕跡を完全に抹消しようとする。
全身を叩き、潰され、削り取られ。
幾度となく再生を試みるもその度に破壊され。
激痛の濁流の飲まれ、常人であれば意識が消し飛ぶような嵐の中に放り込まれ。
「―――」
あらゆる苦痛が己を襲っている中でも、英人の顔は変わらない。
ただじっと、武蔵がいた場所を睨みつけていた。
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原子炉というものは正確には「原子力発電機」をさす言葉であり、一般的には核分裂によって熱エネルギーを得て、蒸気タービンを回転させるものとなる。
しかし、組織によって利用されている原子炉は、基本的に全て核融合を利用したものとなる。
もっとも身近なもので、太陽などに代表される核融合反応。それによって得られるエネルギー量は、核分裂など比較にもならないほどだ。
―ギ、ギ……!?―
―イイイィィィィ……!?―
それゆえ、オーバーロードによる自爆寸前のメイン動力炉内の放射能反応は、それこそ生身の肉体が溶けかねないほどに強烈なものであった。
中に侵入したディスクを殺すべく、同じように侵入を果たした変異者たちであったが、皆一様に強烈な放射能反応により全身を焼かれ、ディスクがいる場所に到達することなく果ててゆく。
あるものは全身の皮膚が爛れ。あるものは体の一部が液状化し。
激しい放射能反応により全身がガン細胞化して達磨のように膨れ上がったり、あるいは強烈な熱エネルギーを受けたせいで全身が乾き逆に小さく萎んでしまったものもいる。
核反応を研究するものが見れば垂涎の光景を前に、己の背中をメイン動力炉の制御パネルに預けて座り込んだままのディスクは、辺りを照らす放射能光に目を焼かれながら、待ったく別のことを考えていた。
すなわち、櫛灘英人……この街に現れたもう一人の適合者のことについて考えていた。
「彼が、仮に全ての人間性を捨て去ったとして……その時はどうなるのだろうな?」
死の直前にあってなお、脳内に浮かび上がるのは自らの好奇心を満たしたであろう存在のことであった。
今考えるのは、彼が仮にその人間性を捨て去った場合。
果たしてそうなった時、彼はどうなってしまうのかということであった。
「彼女の場合は……あれは人間性を捨てたと言えるのかどうか」
もう一人の適合者……名前すら忘れ去られた少女の姿は、もはや人という器を逸脱していたと言い切ってよい。
だが、その目的は至極単純。生き延びるためだ。
あれだけ体積が膨れ上がったのも、生存戦略の一つとしては極めて正しい。通常の生物では、あれだけのエネルギーを保有し続けることは出来ないが、適合者たる彼女は全身の細胞をコントロールして蓄積することで、あれを生きるための糧や武器とするつもりなのだろう。
その果てに目指すものがどこにあるのかは、ディスクには及びつかないが……生存本能に従う彼女は紛うなき人間だろう。
人も結局は生物。生きることこそが最大の目的であり、それら以外の目的は全て二の次三の次だろう。
「だが、そうなると人間性を捨てるとはどういう状態を指すのだろうな?」
その一方で、人間性とは果たして何ぞやという問題も存在する。
言葉としての意味を語るのであれば、人間性とは人間の心理的性質のことを呼び習わす。その中には当然生存本能も含まれるが……ならば、人間の心理的性質を捨て去ることが人間性を捨てるということなのか。
では人間の心理的性質とは? ディスクの本分は心理学ではないため何とも言えないが、ひとまず人ではないものの考え方と言うのでよいのだろうか?
「人ではないものの考え……うむ、やはり難しいものだ。直接彼にたずねることが出来ればなぁ」
ディスクは鷹揚に頭を掻こうとして。
あるべきはずの腕がすでにドロドロに解けていることに気が付き、嘆息した。
「……やれやれ。もう、私も死ぬ間際か」
今更のように呟き、それから天井を見上げる。
と言っても、放射能光に焼かれた眼球が映し出すのは天井ではなく、底抜けに青い空であった。
なんとなく、今脳内に映している光景がただのまやかしであるのを感じながらディスクは考える。
「……彼はいまだに人の姿を逸脱していないとして、それが大きく変ずる時……彼は人の姿を保ち続けられるものなのだろうか?」
適合者の少女は……あれだけ巨大な体と異様な力を得ながらも、己を忘れたくないと主張するかのように少女としての体が巨大なバケモノの上にちょこんと乗っかっていた。
適合者の例はまだ一例しか経過観察を得られていないため何とも言えないが……人の形を忘れてしまう場合もあるのだろうか。
「ふぅむ……気になるなぁ」
先ほどから二転三転する己の思考に翻弄されながらも、ディスクは小さな笑みを浮かべる。
最期の最期まで己は己である。
そんなことを誇るような笑みを浮かべながら……ディスクの体はドロドロの粘液へと変わってゆく。
「ああ……き、にな、るな、ぁ……」
そうして人が一人、完全に溶かしつくされるような放射能を放ちながらも、今だ稼動を続ける中間市地下原子炉。
オーバーロードによる自爆が起こるまで、あとわずかとなっていた。
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