中間市 -14:39-
「そんな……!?」
「黒沢……!?」
英人が足止めしてくれていたはずのバケモノが現れたこと……そしてかつての級友が現れたことに驚き戸惑う二人。
思わぬ事態に足を止め、体を硬直させてしまうがバケモノ……クロサワの様子は明らかにおかしかった。
―グ、グゥゥ……ガァァァ………!!―
一見してわかるが、クロサワの左腕はごっそりと欠けていた。
まるでスプーンか何かでくり抜いたように、彼の腕は肩辺りから完全に消滅していたのだ。
それだけならまだしも、抉れた傷口は黒く澱んでいた。焼け焦げているわけではない。クロサワの体表の黒皮で覆われているわけではない。
まるで病魔にでも蝕まれているかのように、傷口が黒く澱んでいるのだ。体組織自体が、黒色を発しているとでもいうのだろうか。
そしてその黒色は脈を打つように蠢き、脈を打つたびにクロサワは激痛に身を捩っているようだった。
―オ、オオォォ……グォォォ!?―
「ヒッ!?」
「うぉ……!」
クロサワは咆哮を上げながら、残った右腕を地面に向かって叩きつける。
その振動に、体勢を崩しかける二人。
たたらを踏んで一歩前に出た武蔵の姿に気が付き、クロサワは顔を上げた。
―ムサ、シィ……!―
「黒沢……」
変わり果てた級友が己の名を呼ぶのを聞き、武蔵は顔を歪める。
よく聞けば、聞こえてくる声色の中に、確かに黒沢のそれを思わせるものがあった。
武蔵はそんな級友を憐憫の眼差しで見つめることしか出来なかった。
クロサワはそんな武蔵の眼差しを真っ向から見つめ返し、震える声で尋ねてくる。
―ナンダ、アイツハ……!―
「あいつ?」
―エイト……! エイトダ……! アイツハ、ナンナンダ……!―
抉れた肩を抑え、クロサワはゆっくりと立ち上がる。
―ドウシタラ、アイツハアンナ……アンナフウニ……!―
クロサワの声に入り混じる恐怖の色。体が震えているのは、肩の激痛のせいばかりではないということか?
武蔵は英人の名を聞き、かすかに瞳の色を取り戻しながらクロサワに向かって一歩踏み込む。
「なんだ……英人がどうしたんだ? 何があったんだ、黒沢!」
―ワカラネェ……ワカラネェヨ! ジブンデモ、イッタイナニガアッタカ……!!―
傷口から血が噴出すほどに強く抑えながら、クロサワは声を張り上げる。
―イッシュンダッタ……アイツノカラダカラクロイテガデテキテ、オレノテヲモッテイキヤガッタ!!―
「黒い手……?」
―ソレダケジャネェ……カスッタキズグチハコンナフウニナッチマッテ……コウシテアイツカラハナレテモ、マルデエイトノヤツニカラダヲムサボラレテイルカノヨウデ……!―
クロサワは武蔵たちの見ている前で、大きく肩口を抉り取る。
「ヒッ!?」
「黒沢、なにを!?」
クロサワの凶行に湊は息を呑み、武蔵は悲鳴を上げる。
だが、クロサワは傷口を誇示するように胸を張る。
―ミロ、コレヲォ!!―
今しがた、クロサワが抉ったばかりの傷は黒い膿のような液体をだらだらと垂れ流している。
……だが、次の瞬間、黒い膿はグニャリと形を変え、クロサワがつけた傷を自ら埋めてゆく。
そして数瞬の後には……クロサワの傷は元通りに治っていた。
「な……!?」
寸分違わぬ、先ほどまでとまったく同じ……クロサワが抉る直前の形に治っていた。
傷口を埋めた黒い膿はもうない。後に残るのは、抉れた後に残る黒色の澱みのみであった。
―ミロ……! イクラエグッテモエグッテモモトドオリニナル……! ソノクセ、コイツハオレヲイタメツヅケル!!―
「なんなんだ、それは……!? 一体……!」
―エイトノヤツガ、コレヲウエツケタ! オレノウデヲエグッテナァ!!―
「英人が!?」
―アア、ソウダ!! ヤツハオレノウデヲエグッタアト、コウイッタ……!!―
“……死ぬのが嫌なら今すぐ逃げろ。今のお前なら隔離防壁も越えられるだろ。腕のそいつは保険みたいなもんだ。あの医者の言うことがホントなら、お前の命くらいは守ってくれるだろうさ……”
―イノチヲ、マモル!? オレノイノチヲオビヤカスノマチガイダロウ!? イマモキズカラウチガワヲクワレテイルカノヨウデ……!―
クロサワは俯き、体を震わせる。
―イッタイ、ナンダアイツハ……。ナンデアンナ……アンナニカワッテ……!!―
「………」
クロサワの恐怖の源である英人の変化。
それは武蔵にも共感の覚えるものであった。
変化してしまい、遠く離れてしまった英人。
それについてゆくことができず、守られてしまった自分。
武蔵はその事実を受け止めきることが出来ず、自らの無力に打ちひしがれるしかなかった。
「……黒沢……」
武蔵は少しだけ迷い、それからクロサワに手を差し伸べた。
「……俺たちはこれからこの電車に乗って脱出する。一緒に行くか?」
「え……? 武蔵君、何を言って……!」
湊は武蔵の言葉に驚き、彼に抗議の声を上げる。
「冗談じゃないわ! こんな、バケモノと一緒に逃げるなんて!!」
「バケモノなんていうなよ。こいつは黒沢だよ。俺たちの、クラスメイトだった男だよ」
「そんな……! だからって……!」
―………―
武蔵の言葉に湊は戸惑う。彼の言葉を信じるに足るだけの確信を得られていないのだろう。実際、目の前のバケモノを黒沢と断定できるパーツはほとんどない。
武蔵は一歩クロサワに近づきながら、彼に手を差し伸べる。
「黒沢……英人が生かしたってことは、死にたくはないんだろ? だったら、俺たちと一緒に……」
確かに湊の言うとおり、今の黒沢を救う理由はないのかもしれない。
だが、今のまま捨て置くことも武蔵にはできなかった。
英人の変化を前に、それを受け入れられなかったもの同士、微かな共感を覚えたのかもしれないし、英人が生かしたから生かすべきだと思ったからかもしれない。
少なくとも、黒沢を死なせたくないと、微かに思ったことだけは確かだ。
―……イマ、サラ―
だが、クロサワは暗い声で武蔵の言葉を拒絶する。
―コンナスガタデ……ドウヤッテイキロッテンダ!? タシカニシニタクハナイ、ケドイキルコトダッテデキネェダロ!! エイトノヤツモ、アノトキヒトオモイニコロシテクレリャ……!―
クロサワは怨嗟を込めて地面を拳で砕く。
―クソガ! タトエニゲラレタッテ、オレハマトモニイキラレルワケガナインダ……!―
「黒沢……」
それは、人ならざるものと化してしまった少年の悲鳴。
望まずして人から堕してしまった者の悲しみの言葉。
確かに彼の言うとおり、もはやクロサワは人間社会で生きることは許されないだろう。
バケモノ然となってしまった彼の姿を見て、恐怖や脅威を感じないものはいないだろう。
街を数秒歩くだけで警察沙汰になり、果ては軍隊まで出動しかねない。
彼が生きるには、もう山野にくだりひっそりと仙人かなにかのように静かに暮らすしかないだろう。
……だが、彼の中身は成人もしていないような少年なのだ。全てを諦め、人の目の付かないような場所で静かに暮らせるほどに達観できるはずもない。
クロサワは濁った涙を流しながら、武蔵に向かって吼える。
―イッテミロヨ! オレガ、イッタイ、ドコデイキテイケルッテイウンダ!!―
「それは……!」
武蔵はクロサワの言葉に返答を返すことが出来ない。
絶望の込められた彼の言葉に、返せるほどの希望を武蔵は持ち合わせていなかった。
中間市を脱出することは……あくまで、武蔵と湊たちにとっての希望でしかないのだ。
クロサワは怒りの篭った眼差しで武蔵たちを睨みつけながら、唸り声を上げる。
―……オマエタチモ―
「黒沢?」
―オマエタチモ、オナジニシテヤル……オレノヨウニ、バケモノニ……!!―
唸り声は地響きとなり、武蔵たちの体を震わせる。
絶望に満ちていた瞳の中には、煮えたぎるような殺意が浮かび始めていた。
武蔵は黒沢の瞳の圧力に圧され、数歩下がる。
「待て、黒沢!! 俺たちは……!」
―オマエタチガナンデモカマウカヨ……! アノオンナノトコロニツレテイケバ、オマエラモオレタチノナカマイリダ!!―
「適合者のこと……!?」
あの女と言う言葉に湊が悲鳴を上げる。
今の二人は英人の細胞を利用したワクチンを投与している。その為、普通のZVやCVはすでに効かない体となっている。
だが、適合者であるあの女の体に取り込まれてしまっては、確かにどうなるかなどわかったものではない。
湊は武蔵の背中を引き、彼の体を引っ張ろうとする。
「武蔵君! 急いで逃げよう! もうこいつは黒沢君じゃ……!」
―ニガスカヨ……! アノデンシャデニゲルンダナ!!―
クロサワはぎろりと視線を上げ、脱出用の電車を睨む。
今のクロサワであれば、あの程度の電車は一発で破壊できるだろう。
「くっ!?」
反射的に、武蔵は肩に担いでいるマシンガンの引き金を引いた。
軽い発砲音が連続して鳴り響き、乱雑に狙った銃弾はクロサワの見開いた眼球に当たった。
―グ、グオォォォ!!??―
「湊! 今だ、走れ!!」
「う、うん!」
眼球に走った激痛に仰け反るクロサワ。
武蔵は顔をゆがめながら湊に向かって叫び、湊はそれに従って駆け出す。
顔を抑えて叫んでいたクロサワは、マシンガンを放った武蔵を睨み、拳を振り上げた。
―ムサシィィィィ!!―
「うぉ!?」
振り下ろされた拳を、武蔵は跳んで回避する。
放たれた拳の衝撃は武蔵を吹き飛ばし、地面に叩きつけるのに十分な威力を持っていた。
「ぐお!? ぐ、く……」
―ヨクモ、ヨクモヤッテクレタナァァァ!!!―
全身を襲う痛みによろめきながら立ち上がろうとする武蔵に向かって、クロサワは掌を叩きつける。
巨大な掌に襲われた武蔵はその勢いのまま、クロサワの掌ごと壁に叩きつけられてしまう。
「おがぁぁ!!??」
臓腑を衝撃によって押しつぶされる激痛。
圧力で破裂した血管から血が溢れ、喉を逆流し口から迸る。
「武蔵君!?」
「かまう、なぁぁ!! 早く中に入れぇぇ!!」
電車に到達した湊が悲鳴を上げる。
武蔵はそんな湊に、血泡を吹きながら叫び声を上げる。
万力のように武蔵の体を壁に押し付けるクロサワの掌。
武蔵は何とか腕を動かし、まだ取り落としていなかったマシンガンをクロサワに向かって発砲する。
―グ、ク……!―
体を穿つ銃弾の痛みにクロサワは顔をしかめ、急いで飛びのく。
クロサワの掌から開放された武蔵は壁からはがれ、その場で膝を突く。
「づ、ぐあぁぁ……!!」
そして、胃の中にたまっていた大量の血液をその場に吐き出した。
夥しい血液はあっという間に地面を真紅に染め、電車の入り口からそれを見た湊の顔を青くする。
素人目に見ても、致死量に匹敵する両の血液だ。武蔵の体はたった一撃で限界まで追いやられていた。
「ぐ……くそ……!」
それを自覚し武蔵は悔しさを声に乗せる。
もはや英人と共に歩くことは叶わない。
だが。
「っつ! ああぁぁぁ!!」
だが、彼の望みくらいは叶えなければならない。
それが、英人を裏切ってしまった自分に出来る最後のことだ。
気合の声を張り上げながら、武蔵は取り落としていたタブレットに取り付く。
そしてアプリを操作し、素早く電車の扉を閉じる。
「!? 武蔵君!?」
閉じた電車の扉を前に、湊が悲鳴を上げる。
慌てて扉を開けようとする彼女よりも先に、英人はさらにタブレットを操作する。
コマンドは、電車の発進。
武蔵がそのコマンドを入力し終えるのと同時に、電車はゆっくりと発進し始めた。
「武蔵君!? 武蔵君!!」
電車の中で湊が必死に叫び声をあげる。
だが、彼女の悲鳴など関係ないといわんばかりに電車は無慈悲に武蔵を置いて中間市を脱出していった。
「タブレットから、ほとんどの施設が操作できる形式でよかったぜ……」
遠のいてゆく電車の姿を見つめて、安堵の笑みを浮かべる武蔵。
そんな彼の背後から、クロサワの掌が再び迫る。
―オオオォォォォ!!―
「くっ!?」
聞こえてきた咆哮に慌てて振り返るが回避には遅く、武蔵の体は再びクロサワの掌によって押しつぶされてしまった。
「おがぁぁぁ!?」
―ミナトハニガシタカ! マアイイサ、オマエガイレバジュウブンダロウサ!!―
クロサワは暗い愉悦の笑みを浮かべながら武蔵を見つめる。
―サア、オマエモオチテコイヨ!! オレタチノイルトコロマデェ!!―
「ぐ、ぐ……!!」
自らを押しつぶすクロサワを睨み付ける武蔵。
自らを押しつぶそうとするバケモノを前に、彼はゆっくりと口を開いた。
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