中間市 -8:02-
「……何なんだよ、こいつは……」
かすれた声で呟く武蔵。
辛うじて搾り出せた言葉に対するディスクの回答はどこまでも淡々としていた。
「名称で言うならば“適合者”。CVに完全適応している、現状唯一の人類が彼女だ」
「適応……? どこがだよ!! 今迄でダントツにウィルスに飲み込まれてるじゃねぇかよ!!」
武蔵は荒々しく叫びながら、肉の花弁が蠢くモニターに指を突きつけた。
「顔とか上半身は原型を止めてるけど、その下が壊滅的じゃねぇか!! 一体どうしたらああなるんだよ!! 何をどう見たら、あれがウィルスに適応してるってんだよ!!」
武蔵が言う間にも、自らの体積を増やそうと肉の花弁から生まれた触手が手当たり次第にゾンビたちを捕食している。
あの光景を見て、花弁に包まれた少女がウィルスに適応しているなどと、確かに馬鹿げた話だろう。
空を飛ぶ怪鳥。二人は知らないが、分厚い甲殻に包まれた巨人。黒い肌の奇女に、触手の四肢を持つ逆さま人間……。
いずれも一切劣らぬ不気味さを兼ね備えていたが、今モニターに映っている彼女はそれとは別の次元にあると言えた。
「あんな頭のおかしい生き物が、どうして適合者だなんて呼ばれてるんだよ! 納得の行く説明をしてみろよぉ!?」
「納得いくかがわからないが、説明はさせてもらおう。……彼女が現れたのはほんの数年前。通常通り、いずこからか拉致されてきた、実験用の検体が彼女だった」
ディスクはモニターの向こう側にいる適合者を遠い眼差しで見つめながら語り始めた。
――少女が異形へと身を貶めてしまった話を。
「慣例通り彼女をCVで満ちた部屋に監禁し、その経過を観察すると言う実験を行なっていた」
「……プライバシーとか、ないんですか……?」
「妙なことを気にするな。……残念ながらそんなものはない。まあ少女に対し欲情するものは少なからずいたのは事実。彼女に対する観察実験は女性研究者のみで行なわれていたよ。通例としてね」
話の腰を折る湊の問いにも丁寧に答えるディスク。
人体実験を行なっている時点で人道やらプライバシーも何もあったものではないが、ともあれ話は続けられた。
「経過観察は一週間行なわれる。変異者への変容が行なわれるもっとも多いパターンが、“CV感染から一週間以内にZVを投与しない”。その為、一週間の間は少女に適切な食事を与えてその様子を観察し続けた。……そして、この時点では少女に変異者の兆候は見られなかった」
「……全体の5%ちょいなんだろ? そんなに簡単にゃでてこねぇだろ」
「その通り。だが、その5%のほとんどが、一週間以内に変容したのであれば、一週間の観察はやむなしだよ」
「………」
いやみのつもりの一言にまじめに返され閉口してしまう武蔵。
ディスクは怯まず、言葉を続ける。
「そして一週間が経過した後、実験は次の段階へと移行する。“ZVの体内への直接投与”。これによっても、ごく稀に変異者へとなるものが確認されている」
「……無理やり捕まえて、最後にはゾンビにしてしまうんですね……」
「そうして生まれた者たちは、新たな実験へと駆り出され、最終的には廃棄処分となる。……実験場はここだけではなく、その内容もZVの研究ばかりではない。処分に困る人の肉も、猛獣の餌としてなら価値はあるのだ」
「……ッ!」
あまりにも直球奈ディスクの言葉を聞いて、湊は反射的に口を手で覆う。
武蔵も表情を険しくするが、いちいち噛み付いていては話も進まない。ぐっと奥歯をかみ締めて、ディスクの次の言葉を待った。
「話が逸れてしまったな……ともあれ、彼女に対するZVの投与実験が行なわれた。投与形式は無針アンプルによる皮下注射。痛みがない無針アンプルの使用は、当時実験を担当していた女医のせめてもの慈悲だったそうだ」
慈悲も何もない話だ。
「彼女へのZV投与は慎重に行なわれた。何しろ、当時はまだCVやZVに対する有効なカウンターが完全に完成していなかった。いくつかのワクチンは開発されていたが、どれも有用とは言いがたかった」
「ワクチン自体はあったのか。何で役に立たなかったんだ?」
「ありていに言えば、根本的な解決にならなかったからだ。知ってのとおり、ワクチンは毒性を弱めたウィルスを使用するが……弱めたCVやZVを投与しても、せいぜいゾンビ化が多少遅れる程度。CVとZVへの完全な対策は“感染しない”ことのみであったのだ」
「……自分たちで作っておいて、薬も完成させられなかったのかよ?」
「耳の痛い話であるが、ZV自体が秘境と呼べるような場所から採取したウィルス。その場で暮らしている生命体の全てに、ZVに対する抗原体を確認することが出来なかったことから、ZVがいかに特異なウィルスであったか察して欲しい」
普通は、どんな生き物でも一度感染すればそのウィルスに対する抗原が生まれる。
インフルエンザなどであれば、それと同じ型のウィルスにはかかりづらくなるし、その抗原による過剰な免疫反応がアナフィラキシーショックと呼ばれるものだ。
だが、ZVに感染したものにそうした抗原が生まれることはなかったという。ZVの性質が、まず感染した宿主に馴染もうとするために起こる現象だろうか。そうした分野に詳しくない武蔵たちには想像のつかぬ世界であった。
「ZV投与の際、少女はたいそう怯えたと言う。まあ、当然だろうな。ウィルス兵器に対する完全防備を固めた無菌服を纏った人間が数名、いきなり部屋の中に入ってきたのだ。誰でもそんな反応をするだろう。少女の体は押さえつけられ、ZVの投与が行なわれた。……それから24時間。それが、少女に残された最後の時間となるはずだった」
だが、そうはならなかった。ディスクはその一言を告げることなく、その先を口にした。
「……果たして少女は人のままであった。24時間を一時間越えても、観察対象であった少女にゾンビ化の兆候は見られなかった。初めは、彼女に対する実験に一番関与していた女医に疑いがかけられた。彼女が、ZVをブドウ糖などの害のない薬品に摩り替えたのではないか、とね」
「……なんでだ? そいつも“組織”の人間だったんだろ?」
「その女医が情け深い性格であったからだな。前例もあった。難民の少女に対する実験の際、こっそり数名を逃がしたりなどな。……それに彼女が現れるまで、CV投与から一週間経過した人間へのZV投与は、100%ゾンビ化を引き起こした。そのうちの何%かは変異者への変容であったがね。ともあれ、ZVのウィルスとしての精度はすでに検証するまでもなく明らかであった。そのことより彼女は少女の実験担当から外され、もう一度ZVの投与が行なわれた。今度は、ZV以外の投与などが行なわれないよう、複数名で監視を行ないながらでの実験だった」
「二回目……二回目は、どうやって?」
「二度目は通常の注射器による筋肉注射であった。素早くZVが彼女の体にいきわたるようにだったか。そうしてZVを投与された少女であったが……結局、彼女がゾンビ、あるいは変異者に成り果てることはなかった」
ディスクが僅かに口角を上げる。その時の情景を思い出しているのだろうか。
「あの時は、研究所が俄かにざわめいたものだよ……。何しろ、今まで誰一人としてゾンビ化に抗えたものなどいなかった。誰もが気が付いたときには思考を失い、人と言う存在から堕していた。場合によっては、人としての姿も失ってしまった。……実験の最中にCVに感染してしまっていた研究者たちの末路も、似たり寄ったりであった。あるものは突如変異者に。あるものはZV感染していたゾンビにうっかり噛まれてその仲間入りをしてしまった」
「……ヘッ。自業自得だな」
「まさしくだな」
ディスクの言葉に武蔵はムッと顔をしかめる。
だがディスクの顔はどこまでも冷徹であった。……その自業自得に、己も含まれているといわんばかりに。
「……身を持って知っているからこそ、信じられなかったのだろうな、あの時は。ゾンビにならぬという彼女に対する実験は、経過観察からウィルスの過剰投与へと変わった。量が足りぬと考えた研究者の一人が、通常の十倍近い濃度のZVを彼女の体に投与した」
「……その結果があれか?」
武蔵は呟きながらモニターを指差すが、ディスクは首を横に振った。
「いいや。彼女の体は、それでも変わることがなかった。ZVなど無駄といわんばかりに、彼女は健康であり続けた。……そこまで行なってようやく、我々は前提を謝っていることに気が付いた。ZVに誤りがあるのではなく、彼女が特殊なのだとな」
「普通はすぐに気が付きませんか? なんだか、馬鹿みたいです……」
「そういってくれるな。石頭ばかりだったと言うのもあるが、それ以上にZVの力が凄まじかったのだ。彼女が現れるまでの七年余り……全ての人間が人ではなくなったのだ。理解できんさ。いきなり、ZVに抗す者が現れるなど」
彼らにとっての常識を、根底から覆されたわけだ。
いうなれば、天動説と地動説の関係に近いのかもしれない。信じていたものを否定された、と言う意味では。
「当初は、彼女がZVに対する何らかの抗原を持っていたと推測されていた。抗原があるのであれば、当然ウィルスは機能しなくなる。何らかの奇跡により、彼女の体内には特殊な抗原があると思われていたのだが……」
「? アイツの体の中にある抗原が、ワクチンの材料になるんじゃないのか?」
素人考えで口を開く武蔵だが、考え方としては間違っていない。
ある種の抗原を持つ、ということはその抗原がZVのカウンターになるということだ。
その抗原を研究すれば効果の高いワクチンや、ZVに対する抗体を生み出すことが出来るはずである。
だが、ディスクの回答はその斜め上へと向かった。
「いいや……彼女の体には抗原はなかった。いや、それどころの話ではない。彼女の体内ではZVとCVがより活発に活動していたのだよ」
「……え? それ、どういう意味ですか?」
ZVとCVの活性化。
そのことの意味がわからず、湊は困惑した。それでは、より早い段階でゾンビ化するだけなのではないだろうか?と。
その疑問ももっともだろう。ディスクは小さく頷き、彼女の言葉に答えた。
「活発に活動……といいはしたが、ZVもCVも元々の効果を発揮しているわけではない。彼女の脳はZVによって破壊されることなく……むしろZVおよびCVと結びつくことで、特異な効果を発揮するようになったと言える」
「特異な効果……?」
「ああ、そうだ。ありていに言えば、肉体の変容……変異者に現れるその効果を、自在に操れるようになったと言うべきか」
「……は?」
「……ある日のことだ。彼女の体細胞に関する研究が今だ途上にあった頃、暴走した一人の研究員が彼女の部屋に押し入った。……どうもどこかでZVに感染したらしくてな。どうせ死ぬならと、自らの欲望を叶えようとしたらしい」
「……最低」
その意味について考えると吐き気がするが、次にディスクが語った言葉は衝撃を伴っていた。
「その時だよ。彼女の腕が、巨大な触手状に変化したのは」
「……え?」
「私も監視カメラの映像を見たが、ごく自然に彼女の腕は触手と化し、自らに襲い掛かった研究員を押しつぶした。彼女は自らが襲われた事実と、己の変化した右腕が受け入れられずに呆然としていたよ。壁の染みと化した研究員のことなど、気にならない様子だった」
「……話がとっぴ過ぎてついていけねぇ」
「そうだろうな。私としても、同じ意見だよ」
ディスクは頷き、それからうっすらと微笑んでみせた。
「だが、話はそれで収まらない……その後、彼女の肉体に対する耐久実験が行なわれることとなった」
「耐久……実験?」
「そう……ありていに言えば、拷問だ。刃や銃弾に止まらず、酸欠状態は炎上状態、果ては強酸性や強毒性の薬品に満ちたプールに漬け込むなど、種々様々な方法で彼女の体そのものを試し続けた。人類が生きてきてこの方考えられてきた、あらゆる人間の殺し方……それを彼女の体でもって試してみたのさ」
「………!」
「……それって、単なる虐殺っていわねぇか?」
「そう表現するのが、正しいのだろうな……もっとも、それで彼女が死んでいれば、であればだが」
ディスクは笑みを浮かべたまま、モニターへと視線を向ける。
うごめく花弁に包まれたまま、静かに眠る少女。どこかあどけなさが残る彼女の顔を見て、ディスクはかすかに笑みを強めた。
「彼女は生き抜いた。言葉の通り、地獄のような環境からも彼女は生き延びて見せた。あらゆる脅威、殺害方法に対し、彼女は肉体を最適な形に変化させることで生き延びて見せた。刃や銃弾に対しては硬質化。酸欠状態や炎上状態に対しては自らの肉体を使って空気を生産。薬品に対しては中和剤を生み出すことで無力化して見せた。……何よりも驚くべき点は、彼女はただの人間だったと言うことだ。何か高度な教育を受けたわけじゃない。天啓が振ったわけでもないのに……与えられた環境対しての最適解を、彼女はその都度その都度生み出した。己の身で体験した事象に対するカウンターを、本能によって生み出したのだ」
ディスクは笑みを浮かべたまま、武蔵と湊を見やる。
強い狂気に満ちた笑みを浮かべ、ディスクはもう一度その名を唱えた。
「故にこその“適合者”……。あらゆる環境に対し、適応し続けてきた我ら人類の最も先を行くもの。その身一つを持って、全てに対し適合せしめんとする者を……我々はそう呼ぶのだよ」
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