中間市 -7:12-
礼奈を背負った英人はひとまず近所の小児科医である、蟹岡小児科の元へとやってきていた。個人で経営している、一般的な開業医だ。そこそこの広さの敷地を持つ二階建ての建物で、普通の家屋を病院に改造したと聞いたことがある。
住宅街の中にぽつんと立っている英人の近所ではなじみの小児科であり、英人も幼い頃はよくお世話になったものだ。
そんなに病気にかからなくなり体も大きくなった今ではほとんど面識もなくなってしまったが、英人の家から大して距離が離れていないこともあり、立ち寄るにはちょうどよい距離だったのだが……。
―キ、キキィ……―
―キシィー……キシィー……―
聞こえてくるノイズは触手子供のものか。数にしておおよそ五体前後だろうか。
割と広い範囲を自由に移動しているように感じる。それ以外にはノイズを感じない……。
つまり、今の蟹岡小児科には化け物しかいないと言うことだ。
「チッ……」
英人は小さく舌打ちした。いきなり当てが外れてしまった。
ここで開業していた蟹岡医師がどうなったかはわからないが……少なくとももう生きてはいないだろう。
さて、どうしたものか。
「………」
英人は少しだけ思案する。
普通に考えれば気が付かれない内に離脱し、次の目的地になる総合病院に向かうべきだ。
今は礼奈が背中にいるし、あまり時間を掛けている余裕も無い。化け物とやり合うメリットも当然無いので、早々にここを離れるべきだろう。
しかし、ここに触手子供が五人も固まっていると言うのが気になった。
ゆかりが触手子供へと変化したのは一瞬だったが、礼奈は風邪のような症状が出ている。
仮に礼奈もゆかりのようなウィルスに感染しているのであれば、もっと小さな子供は親が小児科医へと連れて行くのではないだろうか?
確かこの蟹岡小児科は個人開業している医院では珍しく、小規模ながらも入院設備が整っていたと記憶している。五、六人程度であれば、入院が可能であったはずだ。
今、礼奈の体を襲っている症状が未知のものであるなら、蟹岡医師もつきっきりで病状を確認しようとするかもしれない。つまり、何らかの形で礼奈に対する処置方法が判明するかもしれないのだ。
今この状況、総合病院に向かっても生存者が望めない可能性が高い。ならば、多少無理をしてでも蟹岡小児科で情報を得るべきではないだろうか……?
「……よし」
英人は鉈を握り締め、蟹岡小児科への侵入を決意する。
今は少しでも情報が欲しい。もちろん無駄足の可能性もあるが、同時に情報が残されている可能性もある。
未知の病症に対して何の記録も取らない……と言うことは無いだろう。蟹岡医師がそうした研究に対して積極的であるのを祈ろう。
「礼奈……?」
「………」
英人は礼奈に声をかけ、蟹岡小児科の中に入るのを伝えようと思ったが、礼奈からの返事はない。
ゆっくり振り返ってみると、礼奈は瞳を閉じて苦しそうに眠っているところであった。
移動中、それなりに揺れていたはずだが、それでも眠っているということは……やはりだいぶ苦しいのだろう。早く何とかしなければ……。
「……っ」
決意も新たに、英人はなるたけ音を立てないよう、ゆっくりと蟹岡小児科の門を潜る。
出入り口のそばに屈み込みながら目を閉じ、ノイズに集中する。
正確な位置はさすがにつかめないが、距離が近いか離れているか程度なら感じ取れる。
「………」
聞こえてくるノイズは付近のもので三つ程度……すぐ近くに一つ。
恐らく扉の向こう側にいるのだろう。残りの二つは……待合室の中だろうか? 記憶に残っている蟹岡小児科の内部の間取りを頼りにそう判断し、英人は小さく頷くと扉を押し開ける。
開いた扉の向こうには、感じ取ったノイズの通りに三匹の触手子供が我が物顔で待合室内をうろついているところであった。
うち一匹は扉の付近でゆっくり体を休めているところで、入ってきた英人とちょうど視線が合った。
―キ?―
突然の侵入者の姿に不思議そうな声を上げる触手子供を、英人は無言で踏み潰す。
悲鳴を上げるまもなくつぶれる触手子供。聞こえてきた異常な音に、残りの二匹が反応し、こちらへと振り返ってくる。
―キキィ!?―
―ギィィィ!!―
仲間を踏み潰されたことに、うち一匹が怯み、もう一匹が怒りの鳴き声を上げながら英人に向かって飛び掛ってくる。伸びてくる触手を鉈で打ち払い、触手子供の体を床に叩きつける英人。
―ギッ!?―
「………」
そして間髪いれずに触手子供の頭を踏み潰し、残った一匹に向かって体を向ける。
―キ、キィ!?―
瞬く間に二匹の仲間を殺され、完全に怯えた様子に触手子供は背中を向けて逃げ出そうとする。
だが、ここで逃がして後で襲われては叶わない。英人は手にした鉈を無造作に触手子供の背中に向かって投げつけた。
音を立てて飛んだ鉈は触手子供の背中に叩きつけられ、その体を真っ二つに叩き割った。
―オギッ―
最後に間抜けな悲鳴だけを残し、絶命する触手子供。
英人は大股で触手子供の死体に近づき、鉈を回収する。
「………残りは」
そして、残ったノイズの場所を探る。
感じたノイズは五つか六つ。ここで見つけた触手子供は三匹。
残ったノイズの場所は扉の向こうに二つと、頭上に一つ。
扉の向こうは恐らく診察室と入院患者用の病室だろう。上は、蟹岡医師の私室か何かだろうか。
調べている間に襲われてもかなわない。まずは扉の向こうのノイズに対応すべきだろう。
英人はそう考え、そのまま扉に近づき無造作に蹴破る。
この板が割れる轟音が、蟹岡小児科中に響く。
―ギ!?―
扉の向こうの診察机の上で飛び跳ねていたらしい触手子供が突然の物音に怯え、こちらを振り返る。
英人は反撃の間を与えないまま、触手子供に近づき、怯んでいる触手子供の首を鉈で叩き切る。
―イギィ!?―
―キ!? キィィ!―
悲鳴を上げる触手子供。その悲鳴が聞こえたのか、診察室の向こう側からまた触手子供の鳴き声が聞こえてきた。
英人がそちらの方を振り返ると、扉が開きその向こうから触手子供が現れる。
―キ、キキィ! ギィィ!!―
四つんばいでこちらに近づいてくる触手子供は怒りの鳴き声を上げ、英人を威嚇してくる。
「………」
英人は冷めた眼差しでその威嚇を見据え、そのまま叩き潰してやろうと一歩踏み出す。
瞬間、触手子供が四肢を曲げ、そのまま真上へと飛び跳ねた。
「っ!」
―キ、キシャァァ!!―
そのまま天井に張り付き、逆さになった触手子供は英人に向かって鋭い咆哮を上げ、頭上から英人の首を狙って触腕を伸ばしてくる。
英人は小さく屈みこみその一撃を回避し、返す刀で鉈を投げつけてやる。
だが機敏な動作で英人の一撃を回避する触手子供。
「!」
―キィィィ!!―
それを好機と見たか、触手子供はそのまま一気に英人に向かって飛び掛ってきた。
英人の喉首に向かって伸びる触腕……英人はそれを片腕で掴む。
右手一つで触手子供の腕一つ。残った腕は、そのまま英人の喉に食い込んだ。
―キィヤァァ!―
声に喜色を浮かべ、英人の喉にかかった腕に力を込める触手子供。
みぢりといやな音を立てて英人の喉に触手子供の赤黒い指がめり込む。
「……!」
気道が狭まり、喉仏が押しつぶされそうになる。
触手子供の爪も英人の喉に突き刺さり、皮が破け、血が溢れ出す。
英人の顔は一瞬、苦痛に歪む。
それを見て、触手子供は愉悦の表情を浮かべる。
―キキィィィ!!―
そのまま止めを刺そうと触手子供は腕に更なる力を込めようとする。
だが、それより早く英人は掴んだ触手子供の腕を力任せに上に向かって振り回す。
鞭かなにかのようにしなった触手子供の腕は英人の力を余すことなくその体に伝え、そのまま乱暴に触手子供の体を天井へと叩き付けた。
―イギッ!?―
予想外の反撃と英人の力に悲鳴を上げる触手子供。
先の勢いで英人の喉から触手子供の指は無理やり引き剥がされ、真っ赤な血が吹き上がる。
爪が頚動脈を傷つけたのか、その勢いは一瞬噴水のようであったが、吹き上げたのは一度だけ。瞬きを一つ行なった後には英人の喉から血が噴出すことは無くなった。
「ふんっ!」
―イギィ!?―
そのまま英人は触手子供の体をもう一度床に叩きつける。
蟹岡小児科全体が揺れ動くほどの衝撃と共に床に叩きつけられた触手子供の体はひしゃげ、折れた骨があちこちから飛び出し始める。
だがそれでは終わらせず、英人は止めに触手子供の頭をしっかり踏み潰した。
―ンギィ!―
悲鳴と共にぶちまけられる脳漿。これで、五匹目、残るは二階にいるであろう最後の一匹だ。
「………」
英人は頭上から感じられるノイズの様子を窺う。
先ほどから相手に感づかれることを一切考慮せずに暴れたが……上のノイズが動く気配が感じられない。
こちらに気が付いていないのか? あるいは気が付いていても動く気が無いのか。
定かではないが、動かないならこちらから出向くまでだろう。
英人は視線を巡らせて、礼奈の症状の手がかりを探しつつ、蟹岡医師の私室へと繋がっているであろう扉を探す。




