中間市 -6:58-
「……これとこれは使えるか? こっちは駄目そうだな……」
押入れという押入れに、外の物置の中。
家中のあらゆる物をひっくり返し、使えそうなものを引っ張り出し。
どれを使うか、あるいは使えないかを判別し、気付いたときにはだいぶ時間が経っていた。
「……一時間、か」
起きてから一周した時計の長針を見上げ、英人はポツリと呟いた。
それなりに動き回り、音も立てていたが外部から何かが侵入してくる気配はなかった。特にノイズも聞こえてこない。英人としては都合がいいが、不気味といえば不気味だ。
昨日であれば、これだけ動き回っていれば、ゾンビが様子を窺いにやってくるくらいのイベントはあっただろう。そこから芋づる式にゾンビの追加や怪鳥の出現、巨人や触手子供の登場までありえたかもしれない。
だが、街は不気味に静まり返ったままだ。まるで、まだ眠ってしまっているかのように。
「………まあ、いいか」
英人は不気味な外の気配に不穏なものを感じつつ、気を取り直して準備を続ける。
気にしても仕方がない。今のところ安全に準備を進められるというのであれば、それに越したことはない。
英人はひとまず使えそうなものを集め終えると、いくつかの道具を掴んで礼奈が待っている二階へと上がってゆく。
「礼奈?」
「おにい、ちゃん……」
部屋に戻ると、礼奈がかすれたような声で英人を呼んだ。
相変わらず呼吸は荒く、苦しそうな様子だ。
「礼奈? 大丈夫か?」
「うん……へいき……」
明らかに平気ではない様子でそう返してくる礼奈の姿を見て、英人は焦りを感じる。
どう考えても無理をしている。こんな様子で、一体彼女の体がどこまで持つのか……。
そもそも、下手に動かしてよいものなのかどうか。激しい振動か何かで、容態が急変してしまう可能性はないだろうか。
彼女の容態を考えれば、礼奈をここに残し英人は外に助けを求めに向かうのが安全かもしれない。
しかし、昨日のようにビニール男などの化け物が来てしまえば、それこそ礼奈の命はないだろう。
(……考えてる暇はない。とにかく、行動しないと)
英人は振り切るように結論付け、礼奈の体を起こし上げる。
「礼奈、ちょっといいか? お兄ちゃんが、背負っていくからな」
「うん……」
そのまま礼奈の体を背中に負ぶい、太ももの下に持ってきていたスコップの柄を引っ掛ける。
そうしておいて、礼奈の体を自分の体に、スコップの柄をズボンのベルトに括り付ける。こうすることで、英人が手放しになっても礼奈の体を落とす心配は多少減る。無論、激しく動けばその限りではないが。
「しっかりつかまってろよ?」
「うん……」
礼奈の腕が弱弱しく自分の首に回るのを感じながら、英人はその上から冬物の半纏を羽織る。まだ夏なのでどうしようもなく暑いが、礼奈の体は驚くほど低い。この半纏だけで、彼女の体温を保てるか不安なほどだ。
「大丈夫か? 痛くないか?」
「へいき、だよ……」
しきりに礼奈に声をかけつつ、英人は下へと降りてゆく。
そのまま居間へと向かい、用意しておいたザックを手に取る。
中にはある程度の食料と、物置に残っていた武器になりそうなものだ。
スコップは礼奈の体を支えるための道具として使ってしまった。だが、物置にもっと武器に適した道具があったので、それを使うことにした。リーチは短くなってしまったが……多分問題はないだろう。
「………」
英人は今、背中に背負っている礼奈の体重をほとんど感じることができないでいた。
礼奈を背負っていると意識していなければ、ふとした拍子に彼女の体を落としてしまっても、気が付かないかもしれないほどだ。
昨日のビニール男を蹴飛ばしたときからなんとなく、体に力が溢れているのを感じていた。
きっかけは……ゆかりに止めを刺した瞬間だろうか。いきなり化け物と化した彼女に怯え、どうにかしなければと無我夢中で拳を振るった、あの瞬間。
一介の高校生であったはずの英人の拳は、化け物の頭ごとコンクリートの壁を粉砕した。
あの後、放心してその場を去ってしまったが、恐らくまだあの場には英人が残した傷跡が残っているだろう。
――聞こえ始めたノイズ。怪力乱神にも等しい力。いよいよ、秒読みといったところか。
「……フフ」
自嘲するように英人は小さく笑った。
だが今はそのどちらもがありがたい。ノイズは敵の接近を知らせ、怪力乱神は群がった敵をなぎ払うことができる。
背中に背負った、無いにも等しいかすかな命を守るのに、これほど頼りになるものは無いだろう。
英人は玄関のドアを乗り越え、家を出る。
「………」
もう、ここに戻ることも無いだろう。そう考え、軽く振り返った。
そう、大きな家ではない。この辺りは埋立地であり、安くなっていた土地に似たような様相の家を綺麗に並べて売り出していたニュータウンだったらしい。
両親曰く、手ごろな値段であったが、元が沼地であったため地震が起きたら沈んでなくなるらしい。冗談にしても、もっと面白い冗談もあるだろうと幼い心に感じたものだ。
武蔵と湊を招いて、ちょっとしたバーベキューパーティーをしたこともあった。やたら蚊に食われて、バーベキューどころではなかったのを今でも思い出す。
そういえば、湊の家は三軒程度隣向こうになっているが、そのことで武蔵が文句を言っていたのを思い出す。幼馴染なら家は隣同士で、窓から会話ができるのがお約束だろうとわけがわからないことをほざいていた。
「………」
――英人の思い出はこの家で全て始まっていた。そして、これから起こる未来もずっとこの家が始りになると思っていた。
それも、もうありえない。二度と、ここには戻ってこない。
それを意識すればするほど胸に去来するのは、寂寥感だろうか? それとも、後悔?
確かなのは、英人の足はこの家を離れたがっていないということだ。
「……後ろ髪ってのは、ホントに引かれるんだな……」
英人は自嘲気味に呟いて、ゆっくりと自分の家を離れてゆく。
振り返ることなくそのまままっすぐ歩いてゆくと、すぐに家は霧に埋もれて見えなくなった。
「………」
しばし瞑目し、英人は足を止める。
しかしすぐに目を開いて歩き出した。まず、探すべきは生存者だ。できれば医者か何かで、礼奈の容態に関する判断のできる人間だとなお良い。
「この近くで病院は……」
英人は携帯電話を取り出してマップを呼び出す。
家の近くにあるのは小児科だった。もう小児と呼ぶには大きすぎるが、頼らない手は無いだろう。
仮に小児科医がいなければ、少し足を伸ばして総合医大に向かうのもありだろう。状況的に、そうした大きな建物に立て篭もっている人がまだいる可能性はあるはずだ。
そうして次の行き先について思案する英人の脳内に、一瞬ノイズが走る。
「………」
英人は静かに携帯電話をしまうと、持っているザックの中に手を忍ばせる。
そして中にあるものの柄を握り締め、いつでも取り出せるように準備する。
だが、足は止めない。わざわざ足を止めて待ち構えてやる必要も無いだろう。
― ………!―
そう考えた瞬間、真上から怪鳥が超音波のような甲高い鳴き声を上げながら襲い掛かってきた。
重力加速も追加した急降下、空を裂く風斬り音も耳に鋭く聞こえてくる。
英人はそんな怪鳥の一撃を、一歩横に動いてかわす。
―ッ!―
己の必殺を回避され、驚いた怪鳥は地面に衝突する一瞬前に羽ばたき、何とか自分が地面のシミになることを回避する。
そうして動きの止まった一瞬を狙い、英人はザックの中から抜き払った園芸用の鉈を怪鳥の首に叩き付けた。
手ごたえはたいしたことなく、悲鳴も無く一撃で怪鳥の首は跳ね飛ばされた。
……元々は園芸が趣味の母が買い込んだ道具の一つで、太目の枝を切り落とすのに使うものらしかったがあまり力のない母の手にはなじまず物置の奥で錆びかかっていた一品だった。
だが、威力はまだまだ十分であり、今の英人であれば十全に武器として生かすことができる。
「よし……」
手にした鉈の使い心地に確信を持ち、英人は柄を強く握り締める。
瞬間軽く屈みこみ、頭に襲い掛かってきた触手をかわす。
―キキィー!!―
甲高い鳴き声と共に飛び掛ってきた触手子供の顔面を、英人は一撃で二つに叩き割る。
……辺りから聞こえてくるノイズが、少しずつではあるが強くなってきている。
先の怪鳥の襲撃から考えるに、いよいよ英人たちの居場所がばれ始めたということか。
「………?」
聞こえてくるノイズの中に、ゾンビのものらしいものが聞こえてこないことに不審を覚える英人だったが、すぐに気を取り直して軽く走り始めた。
なるべくノイズの聞こえない方向を選び、一端包囲網を抜け出さなければ……。
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