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中間市 -21:39-

「フンッ!!」


 クッキーのようにやわらかい扉はそれだけで破壊され、飛んでいった破片は部屋の中に鎮座していた不審な化け物にぶつかった。


―ウギッ!? アッ!?―


 二つに分かれたドアの破片を両方とも受け、化け物は間抜けな悲鳴を上げてごろりと転がる。

 礼奈の部屋に居座っていたのは、黒い肌の丸々太った男のような何かだった。断言できないでいるのは、まるで水を入れたビニール袋のように男の体が床に広がっているからだ。短い手足をばたつかせ、ビニール男は体にぶつかったドアの破片を何とかどかそうと奮闘している。

 黒い肌をした、スライムか何かの様なその姿に、英人は不快感を露にした。


「……気味の悪い生き物もいたもんだな」

―ッ!! ヒヒ、ヒヒヒヒ!!―


 英人に気が付いた化け物はグニャリと体を動かしながら、英人のほうに向き直り不気味な笑い声を上げる。


―キタ、キタ! エモノ、エモノ!―


 ひたすらそう叫びながら、化け物は息を吸い込み体を膨らませる。

 ドアの欠片をめり込ませたまま膨らんだ化け物は……そのままドアの破片を飲み込み、そして体で一気に押しつぶしてしまった。

 物々しい音を立てて棒状に押しつぶしたドアの破片を誇示するように床に放り出し、ビニール男はいやらしい笑みを浮かべながら、英人のほうへと近づいてくる。


―ツブス、ツブス! コロスコロス、タベルタベル!!―

「……テメェが父さんをやったのか」


 英人が低い声で尋ねると、ビニール男は笑い声を上げた。


―ヒヒ、ヒヒヒ!! カイダンノオトコ? アイツ、シツコイ! ダカラツブサナイデ、チギッタ! チギッタ! ソンデ、ムシミタイニ、ハリツケタ!! ヒャハハ!!―

「―――そうか」


 ビニール男の自白に、英人は笑みを浮かべた。


「―――だったら、遠慮は要らないな?」


 言葉の通り、親の敵を見つけたものが浮かべる、凄絶な笑みを。

 ビニール男は笑みを浮かべた英人の姿に怯むことなく、一気に近づいていく。

 ブクリと体を膨らませ、ボールのように跳ね飛び、水のように英人に圧し掛かろうとする。


―アトノヤツラハ、タベラレナカッタ! ダカラオマエヲ―

「長々待っててくれてありがとう」


 己に圧し掛かってくる化け物を英人は笑顔で向かえ――。


「――おかげで、お前をぶち殺せる」

―ヒハハハ! ゴハンゴハン!!―


 ――そのまま飲み込む化け物。

 膨らみきったその体で英人を飲み込み、押しつぶすように力を入れるビニール男。


―ヒ、ヒヒ!―


 しばらくの間愉悦に染まった表情で、咀嚼するように英人の体を揉んでいたが……。


―……ヒ、ヒ?―


 しばらくして異変に気が付く。

 どれだけ力を込めても、英人の体が折れるどころか形が変わる気配もしないのだ。


―ヒヒ、ヒ?―


 ビニール男はしばらく不思議そうに体を動かし、英人を圧殺しようとする。

 だがそれは叶わず……代わりに著しく体の一部が伸びた。


―イギッ!? ヒィ!!―


 腹を突き破られるような一撃に、思わずビニール男は飛びのく。

 ビニール男が飛びのいた後には、大きく拳を前に突き出した英人の姿が現れた。

 ――何のことは無い。ビニール男に飲まれた後、力を込めて目の前の不愉快なビニール腹を殴り抜いただけの話だ。

 英人は硬く握り締めた拳をそのままに、一歩前に踏み出す。


―ヒ、ヒギィ!?―

「………」


 突然殴られた痛みに怯え、目の前の潰せなかった生き物の存在に怯え、ビニール男はずるりと一歩下がる。

 それを追う様に、英人はまた一歩踏み出した。


―ヒ、ヒィ!?―

「………」


 ビニール男はまた一歩逃げ、そのまま英人から離れようと背中を向ける。


「―――ッ!!」


 英人はその隙を逃さず、一気に三歩踏み込み、ビニール男の背中を一気に蹴り抜いた。


「ウウゥゥゥラァァァァァァァァ!!!!」

―イギ、ビャァァァァァl!!??―


 英人の懇親の一蹴りを喰らい、ビニール男は悲鳴を上げる。

 そのままボールのように蹴り抜かれたビニール男は勢いよくすっ飛び、礼奈の部屋に据え付けられていた天窓からガラスと共に外へと飛び出していった。

 ガラスを砕いた拍子に、全身の節々を切り裂かれ、黒い体液を噴出しながら視界から消えうせるビニール男の姿を目にし、英人は忌々しげに吐き捨てた。


「くずが……」


 わざわざこんなところでじっと待っていた理由は不明だが、あんな不愉快な化け物が妹の部屋にずっと居座っていたと考えるだけで怖気が走る。

 英人は小さく嘆息し、あの化け物に妹の部屋があらされていないか見回してみる。

 ……そうしたら、すぐに見つかった。ずたずたに引き裂かれ、下半身が消失している、母の死体が。


「っ! 母さん!!」


 英人は急いでその元に駆け寄り、屈み込む。

 あの化け物に背中から襲われたのか、背中の皮は存在せず、肺を初めとする内臓も存在していない。

 下半身にいたっては、丸ごと飲み込まれでもしたのか、ぷっつり切れた脊髄が残されているだけだ。


「あの野郎……」


 英人は響くような低音で呟き、拳を握り締める。

 こんなことであれば、あのビニール腹を引き裂くべきだったか。いや、今からでも引き裂きにいくべきだ。

 そう考えた英人は、あの不細工な化け物を追うため、父と母の遺体を安置すべく、まずは母の遺体に手をかける。

 ひとまず無事である礼奈のベッドに横たえようと考え……すぐに気が付く。


「……ん?」


 母の両手が、がっしりと押入れの戸口を押さえ込んでいることに。

 その両手は、鎹のようにがっちりと押入れを掴み、誰にもその扉を開けさせまいとする意思が伝わってくる。


「……なんで、こんな……?」


 英人は不審そうに呟きながら、母の手を外そうとその部分に近づく。


―……ハァ………ハァ………―

「―――」


 苦しそうな吐息が聞こえてきたのは、その時だ。

 薄い戸を一枚挟んでいるせいか、あるいは別の理由からか……かすれるようなその吐息には……ノイズが、聞こえなかった。

 母が守るように閉じた押入れの奥に、いる誰か。

 ……英人には、心当たりが一人しかいなかった。


「………!!」


 英人は素早く母の手を両手に握り、なるべく千切れないように慎重に引き剥がしにかかる。

 死後硬直もあり、がっちり握り固められていた指を、折らないようにゆっくりと力を入れながら一本一本外してゆく。


「………っ!」


 一本。ペキリといやな音を立てながらも、無事に外せた。

 さらにもう一本。そしてもう一本……。

 ゆっくりと、時間を掛けながら、英人は母の鎹を外してゆく。


「………!!」


 母の体を、ほっそりとした指を壊さないように慎重に作業するうち、滝のような汗が体中から噴出す。

 雫となった汗が、ぽたりと顎先から流れ落ちる。

 今にも崩れ落ちそうな母の指を、慎重に外す作業は、今日という日の中でもっとも神経を削る作業だった。

 ……だが、少しずつ。確実に。英人は、母が残した鎹を外してゆく。

 そして遺された最後の一本の指も、ゆっくりと英人の手によって外される。


「っ!」


 英人は焦り逸る気持ちを抑え、まずは母の遺体をベッドの上に運ぶ。

 鎹となっていた指先はもはやぼろぼろになっていたが、幸い顔は綺麗なままであった。

 凄絶な表情に固まり、目を見開いていた母の瞳を閉ざし、英人は押入れのほうへと向き直る。


「……礼奈……!」


 そして妹の名を呟き、押入れに手をかける。

 ……ここに礼奈が閉じ込められ、どれだけの時間が経ったのだろう。

 あの化け物に襲われ、母の手でここに押し込められ、身を挺して守られ……。

 出るに出られなかっただろう。礼奈がいるからこそ、あの化け物はここに居座ったのだろうから。

 噛まれてはいないか、いや、化け物になっていやしないか。

 英人の頭の中にぐるぐると様々な考えが浮かんでは消え、浮かんでは消え……。


「―――ッ!!」


 意を決し、英人は押入れの戸を勢いよく開く。

 観音開きの押入れの中、二段になっている下のほう。

 そこに作られた小さな隙間の中に、窮屈そうに体を丸めた礼奈の姿があった。


「………っ」


 手足を折りたたみ、膝を抱えるようにしながら、瞳を閉じている礼奈は苦しそうに呼吸を繰り返している。

 その姿に英人は息を呑んでいると、目の前に誰かが現れた気配を感じてか、礼奈がかすかに瞼を動かす。


「ん……うぅ……?」

「っ!」


 そして、目を開けて己の目の前で固まっている兄の姿を見上げ。


「……おにい、ちゃん……?」


 ゆっくりと、英人を呼んだ。


「………っ!!」


 英人は溢れだす涙をそのままに、礼奈の体を抱きしめる。


「礼奈っ……!!」

「おにいちゃん……おにいちゃん………!!」


 妹の名を呼ぶ英人。礼奈もまた、己の兄を呼び、涙を流しながらその体を抱きしめる。


「おにいちゃん……! おとうさんが……おかあさんが……!」

「ああ……! もう、大丈夫だ……! 父さんと、母さんの敵はとったから……!」

「う、うあぁぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁあああん!!!」


 兄の言葉に、その体温に。安堵することのできた礼奈は堰を切ったように大声を上げて泣き叫ぶ。

 化け物に聞かれるかもしれない。だが、それでも抑えることができないほど膨れ上がった感情が、彼女の喉から迸る。

 英人も礼奈の体を抱きしめながら、決してそれを止めようとはしなかった。

 止める必要など無い。これからは、自分が礼奈を守るのだ。


「大丈夫だ……! お兄ちゃんが、守ってやるからな……!」

「うあぁぁぁ、うわぁぁぁぁぁぁん!! お兄ちゃん、おにいちゃん!!」


 誰に憚ることなく、二人の姉妹はお互いを抱きしめあい、しばしの間再会の喜びを分かち合っていた。






 ――泣きつかれた礼奈を自室のベッドに横たえた英人は、外に赴き庭に穴を掘り始める。


「―――」


 掘る穴は二つ。

 階段に貼り付けにされていた父と、押入れを守る鎹となっていた母の分だ。

 スコップで土を掘り、手早く二人分の穴を掘る。


「―――」


 そして持って下りてきた、父と母の遺体を、それぞれ穴の中へと収める。

 父と母の遺体のそばに、一緒に自分と礼奈の写真も収めておく。……遅くなってしまったが、これで安らかに逝けると信じて。


「―――」


 収め終わった後は、ゆっくりと二人の上に土をかけていった。

 父と母、二人の埋葬はさして時間もかからない。

 祈りの言葉は無く、ただじっと二人の墓を見つめる英人。


「……父さん、母さん」


 ポツリと呟きながら、英人は天に召された父母へと誓う。


「礼奈は、俺が守るから……。なにがあっても、なにをしてでも守るから……」


 だから、安心してくれ……。

 その言葉は飲み込み、英人は踵を返す。

 あまり礼奈のそばから離れ、彼女が悲しんではいけない。

 それに、今日はもう疲れた。一眠りして、明日に備えよう。

 それだけ考え、英人は家の中へと戻る。

 ――その瞳に、黒い意思を湛えながら。






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