表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/103

中間市 -19:41-

 霧の中にいても分かるほどに、闇の帳がとっぷりと落ちた頃合。

 高級住宅街にて一時の休息を得た英人はようやく当初の目的地であった、中間北小学校までたどり着くことができた。


「やっと着いた……」


 手にしたスコップを杖代わりに歩きながら、英人はぐったりと霧の中に埋もれている北小の校門を見上げる。

 あの高級住宅街から北小まで、かなりの時間を要してしまった。おかげですっかり夜になってしまっている。

 シロガネ屋からであれば、恐らく三十分程度で到達できていただろう。それを考えるとあの化け物に追われてしまったことが腹立たしくて仕方がない。

 電池さえ取らねば、恐らく無事に逃げ切れたはずであるというのに……欲目など、出すものではないと英人は若干後悔した。


「しかし暗いな……誰もいないのか?」


 英人は目の前にある学校を見上げながらポツリと呟く。

 礼奈の留守電によれば、北小に通っている児童とその親はこの北小の体育館に集まっているはずだった。……だが、それにしてはいやに暗い。

 校舎はもちろん、体育館にも明かりがついている様子がなかった。学校を照らしているのは、頼りない街の街灯だけだ。

 当然ではあるが、街灯の明かりなど高が知れている。夜の帳に覆われた北小は……不気味なほどに静まり返り、生きている者等一人もいないかのようにそこに佇んでいる。


「………」


 いやな感じだ。不気味なほどの静けさを保つ校舎。ゾンビすら立ち寄っていないかのように、静謐な体育館。

 中間高校は窓ガラスを割るほどの勢いで鳥の化け物が襲ってきたというのに、この差はなんであろうか。高校の教師たちは狼煙を上げて助けを呼ぼうとしていたわけだが、それが怪鳥どもの呼び水にでもなったのだろうか?


「……くそっ」


 英人は小さく悪態をつきながら、スコップを背負いなおす。ここに来る途中で、ブティックや洋品店を襲って背負い紐を入手しておいたため、問題なく背負える。

 そしてかばんから懐中電灯を取り出し、逆手に持って電気をつける。

 そうして手にした懐中電灯を目の高さにやり、もう片方の手にはバールを構えた。

 どこかで読んだのだが、このように懐中電灯を持つことで視線の先を明るく照らし、暗い中でもしっかりとした視界を確保できるのだという。さらに、逆手に持って槍を投げるように構えることで、緊急時には打撃武器として懐中電灯を利用できるという。

 洋画で、よく警察官や警備員が構えているような感じだ。あんなのフィクションの中でのことだろうと英人は考えていたが、実際試してみると案外悪くなかった。確かに、暗い視界に懐中電灯をあわせると、視界が開けてよく見える。


「……っ」


 そうして視界を確保し、英人はゆっくりと北小の敷地内へと侵入する。

 ここに来るまでの道中、その数が減ったのか、ほとんどゾンビや化け物に遭遇することはなかった。

 英人としてはありがたい話であったが、こうした施設に人が集まっている可能性を考えると一概には喜べなくなってきた。外をうろついている連中が少ないということはつまり、そこ以外に化け物たちが集まっているということだ。

 先のシロガネ屋や、中間高校のように人が立て篭もり、助けを待っている施設。英人を襲った怪鳥や、シロガネ屋であった巨人はそういった場所を襲う性質や知能は持っていた。

 なら、北小とて例外ではないはずだ。化け物に襲われ……当の昔に壊滅している可能性も、否定できない。


「……チッ!」


 いまさらその可能性に思い至ってしまい、英人は忌々しそうに頭を振る。

 家族に会うことで頭がいっぱいだったが……もう、すでに、出会える家族などこの世にいないのかもしれない。そんな思考に胸を押しつぶされそうになりながらも、何とか英人は足を進める。


(ここまで……ここまで来れた。なら、皆無事だ。俺が生きてるなら、皆だって……!)


 顎を伝う嫌な汗をそのままにしながら、英人は足早に体育館を目指した。


「………!」


 早鐘のように鳴り響く鼓動を、叩いて無理やり収めようとしながら、英人は体育館の出入り口に立った。

 嫌に生臭く、そして地面にびっしりと黒い汚れがこびりついた、北小体育館に。


「………」


 英人は無言のまま、懐中電灯で足元を照らす。

 鋭い電球の光に照らされた汚れは、ぬらりと赤い光を返してきた。

 見れば、赤黒い肉片や、白く硬そうな欠片もこびり付いている。少なくとも、数人分。


「………」


 だが、臭気の源はここではない。より濃い臭気は目の前から……かすかに開いた、体育館の扉のほうから漂っている。

 どれだけ鼻が馬鹿になっていようとも、脳髄の奥底をかき回すような、吐き気を催す血生臭さ。

 すえた様な脂のにおいや、酸のようなすっぱい匂いも漂ってくる。……直後、英人は喉元にせり上がってきた胃液を吐いた。


「おぶ……ごぁっ……!」


 どうやらすっぱい匂いは自分で生み出したものだったようだ。

 赤い血の上に混濁した汚い嘔吐物を撒き散らし、英人は俯きながら口元を拭う。

 想像が想像でなくなった。ならば、どうするべきか。


「………」


 見ずとも、確認しなくともはっきりしている。この扉の向こうには、生存者はいない。

 あるのは恐らく凄惨な食後風景。臓腑をむさぼられ、首を噛み千切られ、四肢を噛み砕かれた哀れな犠牲者たちの骸だけだ。

 眼前にその事実をぶら下げられ、匂いを嗅いだだけで胃は食物を拒絶し、足は根が生えたように動かなくなってしまう。

 ……そんな場所をわざわざ見る必要があるのか? 誰も生きていない、それは分かった。ならば、おとなしく離れるべきだ。死者を、その骸を、必要以上に辱める必要はないはずだ。

 だが――。


「…………」


 英人は携帯電話を取り出す。

 そして、留守電に録音されている礼奈の声を再生した。


《――私たちはこれから北小体育館に行きます。お兄ちゃんも、学校の夏期講習が終わったら、北小の体育館まで来てください――》


 流れる礼奈の声は、彼女の居場所を告げている。彼女は、両親と共に、この場所に来たはずなのだ……。


「………」


 携帯電話を閉まった英人は、懐中電灯とバールを握り締める。

 ……確認するしかない。礼奈が、両親が、この場所にいるかどうか。

 もし、仮に、この場所に三人がいなければそれでよし。もし、三人がここに残っていれば……その時は――。


「―――!」


 英人は覚悟を決め、慎重に体育館の入り口に近づいてゆく。

 中から音は聞こえてこない。だが、それが誰もいないというわけではないだろう。

 息を潜めた生存者がいるならまだしも、次の獲物を待ち構えている姿を知らない化け物がいる可能性も考えられる。

 怪鳥と巨人のほかに、少なくとももう一体、赤い触手のようなものを持つ化け物がいるのははっきりしているのだ。

 英人は、かすかに開いた扉に背中をつける。


「………」


 隙間から香ってくる血の匂いにえづきそうになりながらも、ゆっくりと背中で扉を押し開けた。

 蝶番が軋む音と共に、扉の向こう側にあった何かが押し返される音が聞こえてくる。

 水が弾け、そして肉が引きずられる音が耳朶をかき回す。

 ……この、扉の向こうで、誰かが――。


「―――!!」


 それに耐えられなくなった英人は、一気に背中の扉を押し開ける。

 大きな音を立てて扉は開き、中に篭っていた臭気が英人の全身を包み込む。

 英人はその匂いに耐えながら、逆手に持った懐中電灯で体育館の中を照らした。


「―――ッ!!」


 そして、目を見開いて体育館の惨状を目に焼き付ける。

 ――それは、あちらこちらに飛び散った肉塊。

 ――それは、強引に引きずり出された臓腑。

 ――それは、逃げ惑い撒き散らされた、血飛沫。

 ――誰もが生きようとした。みなが、逃げようとした。

 ――だが、それは叶わなかった。全てが、踏みにじられた。


「―――」


 広い広い体育館の中に、ひしめくように広がる骸。

 男が。女が。老人が。子供が。

 誰もが逃げ惑い、助けを求め、無残にも食い散らかされた。

 ……人間が生き延びようとした痕が、中間小学校の体育館には刻まれていた。


「――フ、ハ」


 気の抜けた声を上げた英人の足から力が抜け、がくりとひざから崩れ落ちる。

 辛うじて、血塗られたのは膝から下だけですんだが、今にも意識が飛んでしまいそうだ。

 覚悟を決めたつもりだった。だが、甘かった。甘すぎた。

 嗅覚。視覚。そして触覚。五感の全てが訴えかける。

 今目の前に広がるこれが、これこそが……地獄なのだと。


「ハ、ハ――」


 力なく見上げると、天井の梁に何かがぶら下がっているのが見える。

 それは人の体であり、はらわたであり、あるいは長い髪の毛であり。


「ハ――ハァ……」


 眩暈がする。動機がひどい。息切れも感じる。

 息を吸い込めば、周りにいる人間の匂いが肺を満たす。

 生暖かい何かが体の中を犯すような気がして、英人は息を止めた。


「―――!!」


 そして再びせり上がってきた胃液を何とか飲み込もうと、口を手で塞ぐ。

 思わず下を向いたとき、ころりと転がっていた誰かの眼球と目が合ってしまった。


「―――!?」


 ギュッと目を閉じる。瞼が痛むほどに目を閉じ、とにかく何も見ないようにする。

 ――とたんに辺りは闇に包まれ、痛いほどの静寂が英人を包み込んでくれた。

 息を止めたおかげで匂いは感じなくなり、目を閉じたおかげで視界も塞がった。

 後感じるのは足元の血溜りの感触と、遠くのほうで聞こえてくる悲鳴だけだった―――。


「―――え?」


 悲鳴、が、聞こえた。

 しかも、遠くはあるがそこまで遠いわけではない。

 恐らく……学校の中。校舎の中から。人の悲鳴のようなものが聞こえた。

 英人ははっと顔を上げ、音が聞こえたほうに顔を向ける。

 そちらのほうにあったのは、体育館の側面玄関。正面玄関と異なり、引き戸が据え付けられたそこは校舎と直接つながっており、多くの行事において生徒たちが利用する出入り口がそこだった。

 英人は恐る恐る、逆手に持った懐中電灯で引き戸の方を照らす。

 すると半壊した引き戸の姿と、そちらのほうへと向かう人間の足跡が見えた。

 体育館を強襲され、逃げ惑う群衆の中で……何とか逃げおおせた者たちがいるのだ。

 中間北小体育館に集まった生存者たちは……まだ全滅していない。まだ、北小校内で、必死に戦っているのだ。生き延びるために。助かるために。


「―――!」


 聞こえてきた、小さな悲鳴が英人の意識を呼び覚ましてくれた。

 まだ、希望はある。希望は、残されている。

 礼奈が、父が、母が……家族が生きている望みは、まだ残っていた。

 英人は懐中電灯を握る手に力を込め、いつの間にか取り落としていたバールを拾い上げる。

 手足に血がこびり付くが、一切構わない。


「待っててくれよ、父さん、母さん……礼奈……!」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ