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中間市 -17:49-

―グガァァァァァァァァァ!!!―


 両腕を使い英人を追いかける化け物は、目の前にはもはや英人しか写っていないかのような勢いで彼を追う。

 両腕二本しか使っていないが、その速度は英人のマウンテンバイクに追いつきかねない。

 純粋に体が大きいせいで、移動した際の距離もスピードも桁外れなのだろう。


「ハァ、ハァ、ハァ!!」


 対し、英人は立ち漕ぎでマウンテンバイクを走らせる。

 小さく、スピードもあるため小回りが利くが、霧のせいで視界が判然とせず、さらに土地勘もいまいち働かない。

 携帯電話のナビも、こうなってしまうと悠長に使っている暇はない。


「くっそ、どうする!? どうする!?」


 英人は化け物にひき潰されないように必死にマウンテンバイクを漕ぎながら、考える。

 どうすれば化け物から逃げ切れるか? スピード勝負はすでにお話にならない……一向に引き離せる気がしない。

 となれば……かく乱するしかない。


「ハァ、ハァ、ハァ……!!」


 英人は一目散に目に付いた路地へと逃げ込む。

 大体乗用車が二台、ぎりぎりすれ違えるかどうかといったところか。化け物の体の幅からすればぎりぎりであったが。


―バァァァァァァァ!!!―


 狭さなど諸共せず、化け物は路地へと侵入してくる。

 路地の幅を制限している民家の壁を踏み砕き、辺りに立つ電信柱をなぎ倒し、英人めがけて化け物は走り抜けようとする。

 背後から聞こえてくる破砕音は、英人の焦燥感を一気に煽り立ててきた。


「だめかくそったれ!?」


 さらに粉砕された壁材の一部が耳元を掠めたのを感じ、英人は大急ぎで路地を抜け出した。

 今はまだ欠片が体を掠めただけだが、これが拳サイズのものが後頭部にでも当たろうものならそれだけでお陀仏だ。何か策が思いつくまでは広いところで逃げ回ったほうがいいかもしれない。

 路地を抜けた先はまた公道。誰も走っていない道路のど真ん中を英人は堂々と走り始める。

 それを追い、路地を突破した化け物もまた、道路のど真ん中を走り始める。


―アアアアァァァァァァァッ!!―

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」


 曲線を描く道路を走る英人と化け物。

 そこそこの角度があったため英人は大回りに。化け物は勢いに任せて道路を破砕しながらカーブを曲がる。

 さらに乗り捨てられたらしい自動車が彼らの目の前に現れる。


「くっ!?」


 英人は眼前に現れた道路を辛うじてかわしながら、化け物の進路を自動車の上に入るように自身の体を使って誘導を試みる。

 多少足止めになってくれればと思ったが――。


―バァァァァァァァァァ!!!―


 化け物は何もなかったかのような勢いで自動車を踏み砕きながら、英人を追いかけた。

 化け物にひき潰された自動車は、さながら踏み潰された紙コップか何かのように軽々と宙を舞い、化け物の甲殻と自動車の車体がこすれて上がった火花でも取り込んだのか、中空で爆発を起こした。

 白い霧の中に紅い華のような爆発が上がるのを見て、英人の表情にいよいよ余裕がなくなってくる。……いや初めから、そんなものはなかったかもしれない。


「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!」


 荒々しい呼吸の感覚が徐々に開き始め、マウンテンバイクを漕ぐ足の力も弱まってくる。

 激しい運動により酸素が欠乏し始めた脳髄は少しずつ思考力を失い、その瞳からは輝きが失われ始める。

 今、自分が、どこをどのように走っているのか。それすら、定かではなくなってきた。


「ぐ……くそ……!」


 果たして自分が道を登っているのか? それとも下っているのか? それすらはっきりとわからなくなってきた。


―………!―

「―――!?」


 瞬間、英人の真横に何かが高速で下りてきた。

 くすんだ肌色の皮膜を持った、鳥のような生き物……学校を襲った、怪鳥が真上から襲い掛かってきたのだ。

 その一撃を合図にしたかのように、さらに一匹、また一匹と、英人の頭上から怪鳥たちが次々と飛来してきた。


「な、なんでだ……っ!? クソォォォォ!!」


 英人は叫び、がむしゃらにハンドルを切る。

 蛇行しながら進むマウンテンバイク。その頭上より襲い来る怪鳥たち。

 英人が舵を切った瞬間に、彼の頭があった場所へと牙を突き立てる怪鳥。

 速度を殺すことなくそのまま地面へと激突した怪鳥の首はいやな音を立てて捻じ曲がり――。


―ガァァァァァァァァァ!!!―


 後方から迫ってきた化け物の口の中へと入り込んでしまった。

 化け物は一呼吸で怪鳥の体を飲み下し、一切スピードを落とすことなく英人の背中を追い続ける。


「ハッ…ハッ…ハッ……!!」


 上から降り注ぐ怪鳥。背後から迫る化け物。辺りでは、獲物を狩ることのできなかった怪鳥たちの骨肉が砕け散る音が生々しく響き渡り、後方の化け物の口内に収まった者たちが咀嚼される音が聞こえてくる。

 化け物同士で喰らい合うのか……と、英人はぼんやりとした頭の、どこか片隅のほうで感心してしまう。

 少なくとも、仲間意識はないのかもしれない。あるいは、弱肉強食の関係か、ただ単に化け物のほうに個体認識できるだけの知能がないのか。

 ペダルにかかる力も、もうだいぶ弱々しくなってしまってきている。半ば慣性で足を動かしているが、もはや後方の化け物の声も聞こえなくなって―――。


「………?」


 いや、おかしい。マウンテンバイクが慣性で漕げるものか。ギアは最強で、最もスピードの出るものを選択している。それが、こんなにも弱い力で漕げるわけがない。

 ふとそんなことに気が付いて、英人は今の自分の状況にようやく気が付く。

 いつの間にか、下り坂を走っていたようだった。もうペダルを漕がなくても相当なスピードでマウンテンバイクは坂を下り続けている。


―グゥゥゥゥゥ……!!―


 だいぶ後ろのほうで化け物の悔しそうな声が聞こえてくる。どうも、途中で手を踏ん張って耐えているようだ。

 それもそうだろう。あの巨体では、この下り坂は厳しいだろう。変に走ろうとすれば、そのまま勢いも殺せず転がっていってしまう。あんな化け物でも、自分が何を制御できて制御できないか程度を判別することはできるらしい。

 怪鳥たちは相変わらず英人めがけて急降下してきているが、下り坂を下ってゆくスピードについてゆけずにあえなく英人の後方で地面に激突してしまっている。


「あ……はぁ……」


 ここに来て、ようやく英人は安堵の息をつく事ができた。化け物が現れてから、ほとんど心休まる瞬間もなく、必死にマウンテンバイクを漕いで逃げ回るだけだった。

 こうして奴から逃げ切れたのだ。ほんの一時安堵の息をつくくらいは許されるだろう――。


「―――あ?」


 ……そう考え、油断していた。

 英人は完全に忘却していた。

 ……今、自分が走っている場所が下り坂であるのならば、その先には何があるのか?


「………あ」


 下り坂は永遠に下るわけではない。場所によっては民家があるし、壁は当然存在するし、場合によっては落とし穴もあるかもしれない。


「………ああ」


 空中に放り出された体。白いガードレールにぶつかってひしゃげたマウンテンバイク。

 限りない開放感と、果てしない落下感を味わいながら、英人の体はくるくると中間市の空を舞い落ちる。


「……ああああぁぁぁぁぁぁ……」


 どうやらいつの間にか、中間市の郊外、山間部付近を走っていたようだ。

 下り坂の先にあった、曲がり角のガードレールにぶつかった英人は、そのまま空に放り出されて中間市内へと落下していき―――。


「ぐ!? ごぼっ!!」


 落下途中に横に張り出していた木の枝に腹から激突。

 腹部に容赦なく突き刺さる小枝の激痛に悲鳴を上げながら、落下する方向が捻じ曲がる。


「お、あああぁぁぁぁ!!??」


 痛々しげな悲鳴と、自分の体でへし折った木と一緒に落下した英人の体を受け止めたのは、飛沫を上げて彼を歓迎した大量の水――。


「ぶっ!? ごっぼぉ!?」


 高級住宅街の一つに存在していたプールであった。

 思わず飲み込んだ水を吐き出しながら、英人は大急ぎでプールの岸へと急ぐ。


「が、ごほっ! っだぁぁぁ!!」


 プールのふちに手をかけ、一気に体を水の中から引きずり出す。

 そして腹に刺さったままの小枝を引き抜き、乱暴に横へ投げ捨てながら、英人は仰向けに倒れこんだ。


「っぐ! ……ごほっ……」


 血泡の入り混じる咳をしながら、英人は己の幸運に感謝せざるを得なかった。

 今いる高級住宅街、山間部にややのめりこんでいる中間市の一部を高級別荘街にしようと計画された市内開発計画の一部によって生まれた物であり、第一弾としてプールつきの豪邸をいくつも建てたはいいが結局買い手がほとんど付かず、それ以降の計画が頓挫したという行き当たりばったりの産物であったりする。

 高級感を出すために、高い木々で家の敷地を覆い、森林の中に立つ神秘的な一戸建てを演出したと聞いた事があるが、切り開かれた山間部に密集する木々の塊は遠めに見ても間抜けとしか思えなかった。

 だが、その間抜けが功を奏して今こうして英人は生還することができた。木に体がぶつかったのも、プールの中に体が落水したのも、まさに幸運としかいえなかった。

 少しでも落下する位置や角度が異なれば、英人の体は高級住宅の屋根のシミと化していただろう。

 本当に、そうならなくて良かった。英人は心の底から己の幸運に感謝しつつ、ポケットから携帯電話を取り出す。


「………」


 高高度から落水し、完全に水浸しになったものの、こちらも奇跡的に起動してくれた。通話はわからないが、地図アプリを起動する分には問題なく動く。

 英人は今度こそ本当に安堵しながら、水浸しになった体を引きずって高級住宅に近づいてゆく。

 そしてズボンのベルトに差し込んでいたバールを使って、窓ガラスを割って内部へと侵入する。

 さすがにこの体のまま、街を歩く気に離れない。人が住んでいないためろくな道具はないだろうが、それでも布の一枚や二枚くらいはあるだろう。

 濡れた体を乾かすべく、英人は人気のない住宅の中を探索し始めた。






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