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中間市 -14:29-

「―――ぅ、あ……」


 英人が目を覚ましたときに、まず目に入ったのは白く濁った、細長い空だった。

 不自然なまでの薄暗さの中、ぼんやりとした頭で白く細長い空を見つめる英人。

 一体なぜ、空が細長くなっているのだろうか? 空というのはもっと広いものだった気がする……。

 などとぼけた頭で考えながらゆっくりと体を起こそうと手を突いたとき、ガサリと奇妙な音がした。


「ん……?」


 ちらりと音の正体を確かめてみると、半透明の白いゴミ袋が自分の体の下敷きになっていた。

 半ボケの頭のまま辺りを見回すと、どうもそこは狭い路地の間で、自分は積み上げられたゴミ袋の上で眠っていたらしいことがわかった。


「んー……?」


 何でこんなところに?とボケた頭で考えながら、英人は今日の自分の行動を思い返す。

 今日は夏休み夏期講習の日で、いつものように湊と武蔵と一緒に学校へ向かい―――。


「―――」


 脳裏に浮かぶのは、吹き上がる血液。

 紅く染まる教室内。

 己の腕に走る激痛。

 湊の涙、武蔵の自分を呼ぶ声。

 そして、頭に走った鈍い衝撃―――。

 すべてを思い出し、英人は反射的に後頭部に手をやった。


「………」


 軽く撫でてみても、こぶや裂傷、あるいは血が付いたような後は感じられない。

 どうやら頭に受けた一撃は、傷を負うほどのものではなったらしい。

 そのことに安堵しながら、英人は直前に黒沢が叫んだ名前を思い返す。


「委員長……」


 眼鏡をかけた文系の彼の凶行に、英人の眼差しが険を帯びる。

 よもや奇襲まがいの一撃をくれるような輩だったとは、思わなかった。

 次に会ったときどうしてくれようか……などと思いつつも、心の片隅では彼の行動に納得してしまっていた。

 あのときの自分は、限りなく化け物たちに近い立場にあっただろう。あれだけしっかり噛まれては、化け物の唾液を解して何か病症を移されていたとしてもなんら不思議ではない。

 仮に化け物の唾液から、自分が同じような化け物やゾンビと化すようなウィルスを移されていたのであれば……遅かれ早かれ、訪れた結果は同じことだったのかもしれない。

 ゴミ袋の上から体を下ろしながら、英人はズボンのポケットに手を突っ込んで携帯電話を探す。時間を確認しようと思ったのだ。あれから、どれだけ時間が経ったのだろうか……。


「……! ない!?」


 だが、いつもの場所に携帯電話がなかった。

 あわてて反対側のポケットをまさぐるが、そこにも携帯電話はなかった。


「まさか落とした……!? いつ!?」


 英人は顔面蒼白になって、あちらこちらのポケットをまさぐり始める。

 携帯電話がないと、まともに連絡も取れないし、時間もわからない、情報収集もままならなくなってしまう。

 暇ができたら、武蔵か湊に連絡を取ってみようと思っていた矢先にこれでは、この先が思いやられてしまう。

 ……と、必死になって全身をまさぐっていたら、胸ポケットに固い感触を感じた。


「ッ!」


 急いで、胸ポケットに収まっていたものを引き出してみると、いつも持って歩いている自分の携帯電話がそこに収まっていた。


「よかった……!」


 安堵のあまりひざを突いてしまう英人。まさか携帯電話を探して中間高校まで戻るわけにもいかない。戻ったところで、快く迎え入れてくれるわけもなかろう。

 ほっと一息ついた英人は、二つ折りになっている携帯電話の間に、何か紙が挟まっていることに気が付いた。


「……? なんだ?」


 携帯電話を開いて中の紙を取り出してみる。

 二つ折りにされたメモ用紙で、ためしに開いてみると読みにくい字でこう書かれていた。


『英人へ


 お前がこいつを読めてるってことは、ゾンビになってないってことか。一応おめでとう

っていっておくぜ。

 いきなり変なところに放り出されて驚いてるだろうが……お前は学校から追い出された。

 ゾンビになるかもしれない奴を置いておけないってな。武蔵や湊の奴は反対してたから、

そこは安心しておけ。

 なるたけゾンビどもに見つからない場所にお前を置いておく。運がよけりゃ助かるだろ

う。

 俺は俺で、町からの脱出手段を探すつもりだ。縁があれば、また会えるかもな。

 最後になるが、携帯がなってたぜ。妹さんの名前が表示されてたし、留守電も入ってる

だろ。確認しておけよ?

黒沢』


「黒沢の奴か……」


 自分をここまで運んだ下手人の名前を確認し、英人は手にしていたメモ用紙をクシャクシャに握り締める。

 そもそも学校を出たがっていた彼のことだ。英人を連れ出す代わりに、バリケードの開放かなにかを要求したのだろう。

 怒りとも呆れとも付かない感情を胸の奥底にしまいつつ、英人は携帯電話を確認してみる。

 ディスプレイを見てみれば、黒沢のメモにあったとおりに留守電メッセージが吹き込まれていることが表示された。


「………」


 黒沢によれば、礼奈がメッセージの主であるはずだ。

 英人は携帯を操作し、耳に押し当てて耳を澄ませた。


《……お兄ちゃん? 礼奈です。

 突然ですけど、お父さんとお母さんと一緒に、中間北小学校の体育館に行くことになりました。

 なんだかよくわからないけれど、学校の先生から連絡網が回ってきて、北小の体育館に来てほしいってことになったんだって。

 お父さんは心配ないって言ってるけれど、なんだか様子が少しおかしいんです。

 ともあれ、私たちはこれから北小体育館に行きます。お兄ちゃんも、学校の夏期講習が終わったら、北小の体育館まで来てください。

 もし、何かあってこれないときは、電話ください。それじゃあね》


 礼奈のメッセージを聞いた英人は、小さく安堵のため息をついた。

 どうやら、小学校の先生たちも現在の異常を把握して、生徒の安全を確保しようとしてくれているようだ。……取っているのが正しい方法かどうかはともかくとして。

 メッセージが吹き込まれているのは、12:22となっている。

 ディスプレイを確認すると、今は14:32であった。

 英人は自分の携帯がなったことを確認していない。

 つまり、このメッセージは気絶したタイミングで吹き込まれた可能性が高いということだ。


「あれから、二時間も経ってるのか……」


 苦々しくつぶやきながら、英人はゆっくり立ち上がる。


「……湊……」


 小さくつぶやく、幼馴染の名前。学校を追い出され、おそらく体も化け物のウィルスに犯され始め、彼女を守ることさえ叶わなくなってしまった。

 ……だが、まだ武蔵がいる。彼女のそばに、きっと親友がいるはずだ。

 彼がいるのであれば、湊をきっと守ってくれるだろう。普段はおちゃらけた男であるが、やることはしっかりとできる男だ。信頼に値する、立派な奴だ。

 ……いつ、人でなくなるかわからない自分よりも、きっと彼のほうが湊をしっかり守ってくれる。

 そう信じて、英人は携帯電話を握り締める。


「……中間北小学校だな……」


 そうしてつぶやくのは、礼奈が残した、彼女たちの行く先。

 そこまで到達できれば、家族に会える可能性は高い。


「……礼奈」


 英人は携帯電話を握り締める。

 行けぬのであれば、電話で連絡すべきだろう。そうして今の状況を伝え、末期の言葉を両親にも伝えることができよう。

 ……だが、まだ自分はしっかりと両足で立っている。意識もはっきりしている。

 まだ……人間だと胸を張っていうことができる。

 ならば、人である限りは進むべきだろう。

 たとえいずれは人でなくなるにしても……最期の言葉くらい、きちんと向き合って伝えたい。


「……待っててくれ。これが最後になるから……きちんと伝えるよ」


 英人は小さくつぶやき、ふと携帯を握っている腕に巻かれたシャツの切れ端を見やる。

 武蔵が、傷口をふさごうと懸命に巻いてくれたものだ。


「………」


 あれから二時間経ち、あの時は痛みで気絶してしまいそうであったというのに、今はなんともなくなっている。携帯電話を握り締めることさえ可能だ。


「………」


 英人は無言のまま、シャツの結び目を紐解いた。

 赤黒く染まったシャツの切れ端の下から出てきたのは、鋭い牙で噛まれた思われるであろう傷が……治った後であった。

 きちんとした治療を受けたわけではない……傷口に肉が生まれ、盛り上がって無理やり埋められたような、そんな粗雑な跡だ。

 ……だが、英人は覚えている。二時間前……確かに、この腕には穴が開いていたと。

 骨にも届いたあの傷跡は、確かにこうして残っている。……たった二時間で、癒えてしまっているが。


「………」


 英人は手にしていたシャツの切れ端をゴミ袋の上の放り投げ、路地を脱すべく歩み始めた。

 ――なんであれ、まずは目的を果たさなければなるまい。




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