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中間市:中間高校・3-B教室 -11:3-





 ……中間高校が、謎の狂人たちよる襲撃を受けてから、一時間ほどが経過した。

 教師たちの話し合いはまだ結論が出ないのか、あれから一度も顔を見ていない。


「………」

「………」

「………」


 英人たち三人は、不安を誤魔化すようにお互い寄り添って教室の床に座り込んでいた。

 先ほどのバリケード作成に机も椅子も持っていかれてしまい、ほとんど何も残っていないのだ。かろうじて教室内に残っているのは、清掃用の道具が入っているロッカー位なものか。

 英人たち以外のクラスメイトも、いくつかのグループに分かれて固まって座り込んでいる。

 状況が全く不透明な中、かろうじてパニックを起こさないだけの理性を残せているのは、やはり親しい友人たちがまだそばにいるおかげだろう。


「えりなちゃん……えりなちゃんっ……!」

「やまもとぉ……くっそ……」


 ……もちろん、里子のようにえりなや山本の死を受け止めきれずに嗚咽を溢す者もいる。

 だが、彼らを誰も咎めなかった。……いや、誰も気にする余裕がないというのが正しいのだろうか。

 涙を流す彼らを見ても、誰も慰めようとしない。優しく肩を叩くわけでも、無言で寄り添うわけでもなく、友人の死を悲しむ彼らはただ放逐されていた。


「………」


 そんな教室内の光景を、英人は険しい表情で眺めていた。

 ……誰も彼も、精神的な余裕がなくなってきているのだろう。

 ちらりと見上げた時計は、十一時を回った頃。いつもであれば、夏期講習が終わる一時間前で、生徒も教師もいい具合に頭のネジがゆるんでくる頃だ。担当教師によっては、講習そっちのけで生徒との雑談に突入する者もいるらしかった。

 英人もいつも通りであれば、昼食のメニューが何かと夢想したり、湊たちと何をして遊ぶかを考えたりするので忙しくなる時間のはずだった。

 だが、外は相変わらず霧が晴れない。まだ階段に築いたバリケードの向こうからうめき声が聞こえる気がする。とてもではないが、教室の外を出てどこかへ行こうなどという気にはなれなかった。

 ……しかし、そのままではどうしようもない、と脳内のどこかでささやく声も聞こえていた。いつ助けが来るかわからないこの状況で、どこまで学校に籠っていられるかが全く分からない。

 問題となるのは、やはり食料や水だ。霧が晴れても外にあの狂ったゾンビのような連中がいる限りは、まともに外を歩けない。外から助けが来るか、ゾンビが何かの理由でいなくならない限りは学校に籠っていた方が安全だが……ここは学校。そんな蓄えがあるわけがない。

 ならば生徒たちが自主的に持ってきているかと言えばそれも厳しい。夏期講習は半ドン……つまり午前中で終わる。当然弁当など持ってきていないし、学校の購買も動いていない。購買は一階にあるため、どちらにせよ利用できないが。

 持ってきていてせいぜい熱中症対策の水筒やペットボトル位なものだろう。それとて全員が持ち寄っているわけではない。英人や武蔵などは、学校の水道をあてにしているため、鞄の中には最低限の筆記具や教科書しか入っていない。

 対して湊は小さなペットボトルに、小腹がすいた時のためのお菓子などを鞄に入れている。彼女のような者は他にもいるだろうが、全員に潤沢に行き渡るわけもない。おそらく、そう言った食料をかき集めたとして、大人一人が数日生き延びられるかどうかといった程度ではないだろうか。

 この状況が長期間続いてしまうと……最悪、食料を巡って争いが起こるだろう。争いという言葉が、優しく聞こえるような状況に発展する可能性もある。

 ならば性急に学校を脱出し安全圏まで逃げるべきではないのか、と焦る理性が騒ぐ声が英人の脳内で上がっているのだ。外ならば、水も食料も潤沢にある。外の狂人どもが荒らしていなければ、ではあるが。

 だが怯える本能は叫ぶ。ここに留まるべきだと。外に出て自身を……引いては湊を危険にさらすべきではないと。

 どうすべきなのか、英人には判断が付かなかった。判断材料が少ないというのもあったが……今という異常事態に思考が追い付いてこないというのもあった。

 喉の奥が痺れ、脳みそをカリカリと引っかかれているかのような焦燥感。今までに味わったことのない気持ち悪さが、胸の奥に溜まりこんでいくのを感じる。

 脳裏に浮かぶ、口の紅い狂人たち。そして、先ほど聞こえてきたえりなの最期の言葉……。

 仮に、あれら狂人たちに理性……というより自意識が残っているのであれば、和解の道があるのだろうか? あるいは殺したとして、彼らは苦しむのだろうか?

 こちらを襲うとき、罪悪感を感じたりはするのか? そうであるなら、躊躇してくれている隙に、逃げるなり殺すなり出来るのか?

 ――そんな、益体もない考えが英人の脳裏を駆け巡り、おかげでまったく結論が出ない。

 あらゆる議論が平行線を辿り、結局は元の問題へと帰ってきてしまう。

 ……今、自分たちに、なにができるのだろうか?と……。


「……やっぱ脱出すべきだ! このままじゃ、じり貧だろう!?」

「何度も言うが、ここで救援を待つべきだ。あまりにも無謀すぎる」

「っ」


 不意に上がった議論の声に、英人の意識が現実へと戻る。

 気が付けば、黒沢と委員長が対峙し、何かを話し合っているようだった。


「このまま、いつ来るかもわからねぇ助けなんかまってられるかよ! いつまでもあんなバリケードが持つとも限らねぇ! とっとと外に出て、逃げるべきだろう!」


 そう声高に、学校からの脱出を叫ぶのは黒沢。

 大きな動きで周りを先導するかのように叫ぶ彼を、小さな動作で肩をすくめた委員長が冷然と見つめる。


「何を言われたとしても、僕の結論は変わらない。……留まるべきだ、助けが来るまでね。わざわざあのゾンビたちの前に身を晒し、危険な目にあう必要はないだろう」


 疑問符すら浮かべずそう言い切る委員長を睨みつけ、顔を紅くした黒沢はまた叫んだ。


「危険!? ハッ! 確かにさっきはビビったが、連中の動きはそうたいしたことはねぇ! 間をすり抜けて走りまわってりゃ捕まらねぇし、車だってある! 邪魔する連中は、皆ぶっ殺して進めばいいんだ!」

「その考え方が危ない……いや、危ういんだよ、黒沢。君だってえりなの言葉を聞いただろう? 噛まれれば、連中の仲間入りをするんだ。あの大量のゾンビの間を、噛まれることなく逃げ切れるというのかい?」

「噛まれなきゃいいんだろうが!! 楽勝だろ!?」

「噛まれる、ということはあのゾンビたちは何らかの感染症にかかっているということだ。……連中に取りついている細菌が、果たして粘膜感染しかしないのか? 空気感染は? あるいは飛沫感染は? その危険性もわからないのに、連中に近づけるのかい?」

「何もせずに、ここで餓死するよりゃましだろうが!! 街の外に助けを呼べねぇんだろ!? 助けを待つってんなら、いつ来るか言ってみろ!!」

「―――いつかは、わからない」

「ハッ! 賢い賢い委員長様が分からねぇと!? じゃあ、助けなんて期待できねぇ! 座して待って死ぬくらいなら、とっとと俺ぁこの場から逃げ出すぜ……!」

「逃げるのは勝手だ……だが、そうして逃げた後のことを考えたか? 君たちが逃げた場所から連中が侵入し、助けを待つことを選択する者たちを危険にさらす事を考えたか?」

「……この場から逃げねぇ奴なんざいやしねぇよ。ビビりの委員長以外はな」

「ビビらないものから死んでいくのさ……。自殺志願者の仲間入りをしたがる奴がいるのかな?」

「テメェ……!」

「フン……」


 徐々に互いへの批判が中心になり始めたが、議論の内容は簡潔だった。「逃げる」か「留まる」か。ただそれだけだ。

 見れば、丁度教室の真ん中で対立する二人を中心に、クラス内の人間も二派に分かれ始めているように見えた。


「いつまでもこんな場所にいられるかよ……!」

「私は家に帰りたいの! ただそれだけよ!」


 黒沢の主張に同意する者たちは声高に学校からの脱出を叫んでいる。彼らは動かない状況に耐え切れず、安全への逃避という変化を求めて動こうとしているのだろうか。


「そんなの危険よ……私、死にたくないわ……!」

「お前らに付きあって死ねるか! 俺はここを一歩も動かないぞ!」


 対し、委員長の主張に同意する者たちは頑として動こうとしない。目の前に迫る死の恐怖から少しでも遠のくために、安全圏から動きたくないと考えているのだろう。

 どちらも、おそらく正しい。だからこそ、意見は平行線を辿っていた。


「逃げるべきだ!」

「いや、留まるべきだ」


 堂々巡りを続ける議論と同じように、黒沢と委員長のグループはほぼ同人数程度で構成されているように見えた。

 男女比で言えば、黒沢のグループの方に男子が多いようだったが、人数の少ない教室内で考えれば誤差で済む程度であり、全体としての数はほぼ互角のようだ。おかげで、どちらも数を頼みにした強行策には出られないようであった。

 これでどちらかの人数が多いようであれば、一方的な意見のごり押しから今保たれている均衡が崩れ、教師たちの話し合いの結論を待たずに何らかの行動が起こされているところであっただろう。

 そうならずに、英人はほっとしていた。未だ自分の結論も出ないうちに状況が動かれては困る。そんなままでは自分の身すら危ういところだ。

 ……そんな英人のように、自分の行く末を決めかねているものもまだいるようだ。黒沢と委員長の議論に参加しているのは、クラス全体で言えば半数程度。残りの半分は英人たちも含め、彼らの議論を遠巻きに眺めているばかりであった。


「秋山君。君は、どう思う?」

「わ、私? 私は……」


 不意に、委員長が秋山に声をかけた。

 英人たちのように、教室の壁に寄りかかって座っていた秋山は不意に声を掛けられたせいか、若干挙動不審になりつつも、ゆっくりと委員長の言葉に答えた。


「……わからない、よ。私じゃ、決められないよ。先生たちの結論を待つんじゃ、駄目なのかな……?」

「……一理あるな」

「チッ、煮え切らねぇ……!」


 黒沢は秋山の意見に苛立たしげに舌打ちしながらクラス内を見廻し――。


「……おい、英人! お前は!」

「……俺?」


 視線のあった英人に声をかける。


「そうだよ、英人! お前はどう思うんだよ!? このままここにいて……湊や武蔵がどうなってもいいのかよ!?」


 黒沢はそう言って、英人の傍にいる湊や武蔵を示してみせる。

 なかなかに痛いところをついてくる。英人たち三人がいつも一緒にいるのを、黒沢も知っている。三人の中心に英人がいることも。

 英人さえ引き込まれば、湊と武蔵もついてくる。そう考えて声をかけてきたのだろう。


「……おい、どうすんの?」

「英人君……?」


 問われた英人に、武蔵と湊も声をかけてくる。

 さらに委員長に秋山、それ以外のクラスメイト達の視線もいつの間にか自分に集中していることに気が付き、英人は嫌な汗をかく。


「………」


 迂闊なことを言えそうにない。まかり間違えば、自分の一言で議論の方向が一気に傾きそうな気がする。

 まさかそんなことにはなるまい、と思いつつ英人は慎重に口を開く。


「……確かに、このままじゃジリ貧だ。下手をすれば、餓死の前に同じクラスの誰かに殺されかねないよな……」

「ハッ! 言うねぇ。確かにその通りだ!」


 英人の言葉に、喜色満面になる黒沢。

 そのまま議論の勢いを持っていこうとするが、彼が口を開く前に英人は首を横に振る。


「けど、下手に外に出て誰かが死ぬのもごめんだ……。同じ姿形をした人間を殺せるかどうかも分からない……」

「君の言うとおりだ。何事もうまくいく保証など、どこにもない」


 英人の言葉に、委員長は大きく頷いて見せる。

 黒沢は渋面になるが、それに構わず英人は言葉を続けた。


「なんというか……何か足りないんだ。どっちの意見も正しいからこそ……どっちかに決めるための何かが足りないと、思う」

「そんなの待ってたら、くたばっちまうぞ!!」

「そうして危険な方に転んでしまっては、元も子もないだろう?」


 煮え切らない返事を返す英人に詰め寄る黒沢と委員長。

 黒沢は今にも胸ぐらをつかみかねないほどに近寄り、委員長も黒沢程ではないが威圧的に英人へと近づいてくる。

 ……英人は何となく、二人とも焦っているように感じた。自らの意見を黙殺されぬよう、必死に気を張っているように見える。


「逃げるのが一番だろうが! そうすりゃ、皆安全な場所にいけるだろ!?」

「留まるべきだ。そうすれば、誰も傷つかずに済む……!」


 別に英人の一言ですべてが決まるわけではないというのに、必死に彼から自身の望む意見を引きずり出そうとする二人の姿に、英人は微かな狂気を感じた。

 ……妙なことを口走れば、自分が一番最初の犠牲者になってしまいそうだ。


「なあ、おい!」

「どうなんだ……!」

「………っ」


 迂闊に口を開けなくなってしまった英人が進退窮まったとき、教室の扉ががらりと音を立てて開いた。




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