冬の森とひとりぼっちのたいまつ
冬のまよい森は、音がしずかに消えていく場所。
空から落ちる雪の粒が、世界のすべてを包みこみ、動くものの息づかいさえやわらげてしまいます。
風の音も、枝のきしみも、ふかふかの雪に吸いこまれて、やがて森は、ただの白い気配だけになります。
その日、コトリは、いつものように森の奥を歩いていました。
吐く息が白く、木々の枝には、霜の結晶がきらきらと光っています。
足をふみしめるたび、雪の下からかすかに音がしました。
ぎゅっ、ぎゅっ。
まるで森がゆっくり呼吸をしているようでした。
そのときです。
遠くの木のあいだから、小さな灯りが、ひとつだけゆらめいているのが見えました。
白の中に、ぽつりと浮かぶ、金色のあかり。
まるで雪の世界の奥に、ひとつだけ残された“こころ”のようでした。
コトリは、足あとをたどりながら、そっと近づきました。
するとそこには、たいまつを抱えて立っている、おばけがいました。
おばけの姿は、炎のように透けていて、
ときおり、風が通り抜けるたびに輪郭がゆらいでいました。
けれど、おばけの手の中のたいまつだけは、しっかりと現実のように燃えていました。
その火は、雪の冷たさに消されることもなく、まるで心臓の鼓動のように、静かに明滅していました。
「こんにちは」
コトリが声をかけると、おばけはびくりとして、ゆっくりふりかえりました。
その目は、どこか遠くを見ているようで、けれど、光を宿したようにやさしかった。
「……たいまつ、にぎってるの?」
コトリがたずねると、おばけは小さくうなずきました。
「これは、わたしのひかりだから」
「だれかを照らしてるの?」
「ううん。だれもいないよ。これは、いつかだれかが来たときのために燃やしてるの」
たいまつの火は、風に逆らうように、まっすぐに立っていました。
炎の揺らめきは、まるで言葉を持っているようで、
そのひとつひとつが「まだここにいるよ」と語っているように見えました。
「寒くない?」
とコトリがたずねると、おばけは少し笑いました。
「とっても寒いよ。でも、たいまつをにぎってるとね、さみしいのと、あたたかいのが、いっしょになるの」
その言葉に、コトリは小さく息をのんで、手ぶくろを外しました。
雪の上に、コトリの指が白く浮かびます。
「じゃあ、これ使って。あなたのたいまつ、きっと大事なひかりだから」
おばけは、驚いたように目を見開き、それから、そっとコトリの手ぶくろを受けとりました。
「……ありがとう」
おばけは少し考えて、たいまつをコトリに差し出しました。
「少しだけ、持っててくれる?」
「うん」
コトリはたいまつを両手で受けとりました。
その瞬間、冷たい空気の中に、ほのかな熱が広がりました。
たいまつの炎は、体の表面ではなく、
心の奥をじんわりとあたためてくれるような、不思議な光でした。
炎の中には、言葉にできない気持ちが見え隠れしていました。
“待ってる”
“さみしい”
“でも、あきらめない”
まるで、それらの想いが火の粒ひとつひとつになって、
雪の中で消えずに燃えているようでした。
「あなたは、いつからここに?」
コトリがたずねると、おばけは、空を見上げました。
灰色の雲のすきまから、雪がしんしんと降りつづいています。
「たぶん、すごく前から。……でも、たいまつを消さなかったから、
わたしはまだ、ここにいられるのかもしれない」
その言葉は、雪よりも静かに落ちました。
コトリはうなずきながら、たいまつの火を見つめました。
その炎の中に、自分の息づかいが混じっているような気がしました。
炎が揺れるたび、雪の結晶が光を返し、
森の奥がほんのすこしだけ、やさしい色に照らされていました。
やがて、空がすこしずつ暗くなってきました。
夕暮れの青が雪の上に落ちて、世界が静かに夜を迎えようとしていました。
コトリはたいまつをおばけに返しました。
その火は、まるで笑っているようにゆらめいていました。
「また来るね。わたし、たいまつの火のこと、忘れないよ」
おばけは、やさしくうなずいて、
コトリの手ぶくろをはめた手を、ふわりと振りました。
雪の中で、たいまつの火が遠ざかっていきます。
その光は、やがて木々の間に溶け、でも、不思議なことに、消えてしまったあとも、コトリの胸の中で、まだ小さく燃えつづけていました。
森の奥には、いまもたいまつの火がある。
それは、だれかのために灯され、だれかの胸にも、小さな火をともすことがある。
照らすことは、待つこと。
待つことは、あきらめないこと。
そして、灯りを見つけた誰かは、また別の場所で、その火を思い出すのです。
雪は、しずかに降りつづいていました。
まよい森の冬は白く、冷たく、そしてどこか、あたたかかったのです。




