81 運命の絆
絶望的な静寂。
身体から力が抜けていく。地下祭壇に満ちる禍々しい魔力は、俺という器を通して、世界そのものを喰らおうとしているかのようだ。
「カイ様!」
結界に囚われたレイナの悲痛な声が、遠くに聞こえる。
神官は、仮面の奥で笑っていた。
「無駄だ。もはや誰にも、この儀式は止められぬ。貴様も、貴様が守ろうとした者たちも、全ては偉大なる女神再誕のための贄となるのだ!」
黒水晶の脈動が激しくなり、捕らわれた民たちの苦悶の表情が脳裏に焼き付く。
クソ……ここまでなのか?
仲間たちの顔が、次々と浮かんで消える。フィオナ、ラズ、ザルク……。
すまない、みんな。俺は結局、一人の人間以上の存在にはなれなかった。
──そう、諦めかけた瞬間だった。
俺たちの頭上から、天を揺るがすほどの凄まじい轟音が響き渡った。
神官が、即座に顔を上げる。
「な、何だ!? この衝撃は……!」
「遅えんだよ、馬鹿」
俺は胸の高鳴りを抑えながら、そう呟いた。
地下祭壇の天井が粉々に砕け散り、降り注ぐ瓦礫の中から二つの影が流星のように舞い降りてくる。
一人は、その白銀の鎧に月光を反射させながら、流麗な剣を構える剣士。もう一人は、その身に神聖なオーラをまとわせ、天罰の如きを威厳を放つ神獣。
「フィオナ! ユラン!」
「カイ、無事か!」
「我が主!!」
フィオナが俺の前に着地し、剣を構えて庇う。ユランも神官の前に立ちはだかり、その角から青白い光を放ちながら威嚇した。
「馬鹿な……! あの結界を、外から破壊しただと!?」
「てめえらの小細工なんざ、力と気合でどうにでもなんだよ!」
天井の穴から、瓦礫を蹴散らしながらラズとシェルカが飛び降りてきた。
ラズの手には、彼が作ったであろう新型の小型爆弾の残骸握られている。フィオナたちが結界に亀裂を入れ、その隙間にラズが爆弾をねじ込んだのだろう。
無茶苦茶だが、最高の頼もしい仲間たちだ。
「……みんな」
俺の身体に、再び力が戻って来る。いや、違う。力が戻ったんじゃない。仲間がそこにいるだけで、力が漲ってくる。もう一度、立ち上がることができる。
「……面白い。虫けらが雁首を揃えたか。だが、儀式は最終段階に入った。もはや貴様らが何をしようと止められはしない!」
神官が叫び、黒水晶の輝きが極限まで高まる。捕らわれた民の生命力が、濁流のように祭壇へと注ぎ込まれていく。
まずい、時間がない!
神官は自らの周囲に強力な魔力障壁を展開し、儀式の歓声までの時間を稼ぐ構えだ。ユランの光線も、フィオナの剣戟も、その障壁に阻まれて届かない。
「くそっ、硬え!」
「カイ、何か手は……!」
仲間たちの焦燥に満ちた声。
そうだ。普通に考えれば、俺の「創世の権能」であの障壁を上回る大技を放つのがセオリーだろう。神官も、それを警戒しているはずだ。
だが。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
その手に、光の剣も、大地の力も宿してはいない。ただ、固く拳を握りしめて。
「……なあ、みんな」
俺は、不敵に笑ってみせた。
「俺たちを馬まで勝利に導いてきたのは、なんだと思う? いつだって、相手の想像を超えた『イレギュラー』だ。相手の想像の範囲内で戦ったって、意味なんてないんだよ」
その言葉と共に、俺の身体の内側で、何かが弾けた。
《スキル『身体強化【中】』が、極限状態での闘志と共鳴し、最終段階へと覚醒します》
《スキル『身体強化【極】』を獲得しました》
脳内に響く無機質な声とともに、半透明のウィンドウにポップアップが表示される。
俺の身体を駆け巡る、そこまでも熱く、生々しい力の奔流。
筋肉が軋み、骨が悲鳴を上げる。だが、それ以上の速度で、身体が再構築されていく。
俺はただ一歩、前に踏み出した。それだけで、床の大理石がクモの巣状に砕け散る。
「な……!?」
神官が、仮面の奥の瞳に初めて狼狽の色を見せた。
「馬鹿な! 創世の権能はどうした!? 貴様の切り札は、神の御業のはず!」
「ああ、そうかもな」
地を蹴った。
音速を超えたかのような移動。俺の姿は、仲間たちの目ですら捉えきれなかっただろう。
一瞬にして、神官の魔力障壁の目の前に到達する。
「──ただの人間であることの、一番の強みってのを教えてやる! それは、愚かで、非合理的で、そして……本気で怒れること!!」
スキルでも魔法でもない。ただ、怒りと、仲間たちの想いを込めた渾身の右ストレート。
俺の拳が、魔力障壁に叩き込まれた。ミシリ、と空間そのものが軋むような音が響く。
神官が誇った鉄壁の障壁に、巨大な亀裂が走った。
「創世の権能の対策ばかりで、物理的な力への防御はお粗末なもんだな!!」
「ありえん、この結界が、ただのパンチで……!」
俺は構わず、二撃目、三撃目を叩き込む。
殴る。殴る。殴る。
障壁はガラスのように砕け散り、俺の拳はがら空きになった神官の鳩尾へと、深くめり込んだ。
「ぐ……ぼ……っ!」
神官の身体が、ありえない角度でくの字に折れ曲がる。仮面は砕け散り、その下から現れたのは、驚愕と苦痛に悶える、ごく普通の男の顔だった。
「……これは、天罰じゃない。俺の等身大の怒りを込めた鉄槌だ!」
意識を失い崩れ落ちる神官の襟首を掴むと、そのまま祭壇の核である黒い宝玉へと叩きつけた。
凄まじい衝撃音と共に、宝玉は粉々に砕け散る。
その瞬間、黒水晶の輝きは完全に失われ、捕らわれていた民たちを縛っていた呪いも、霧が晴れるように消え去っていった。
「……はぁ……はぁ……」
俺はぜえぜえと肩で息をつきながら、その場に膝をついた。
仲間たちが、呆然とした表情で駆け寄ってくる。
疲れているはずなのに、なんだこの爽快感は。神の力を借りた、高尚な戦いじゃない。泥臭い、人間同士の喧嘩に勝った、そんな快感だ。
「……旦那。あんた、一体……」
「カイ……貴殿は、いつの間にそんな……ゴリラに……」
フィオナの素直すぎる感想に、俺は力なく笑った。
「ここで身体強化のスキルを覚醒させるとは……貴方はどれだけ私の予想を裏切れば気が済むのでしょうね」
レイナが身体についた土埃をはらいながら言った。
「……それより、水晶の中の人たちを」
俺の言葉に仲間たちははっと我に返り、開放された民たちの救護へと向かった。
祭壇の中央、砕け散った宝玉の残骸の中に、一冊の古びた革張りの書物が残されていたのを、ラズが見つけた。
「……『三つ目の塔は、聖地への道標を起動させるための鍵なり』……?」
フィオナがそこに書かれた一文を読み上げ、それを聞いた俺たちは顔を見合わせる。
ジェイルの情報、そしてこの古文書。
バラバラだったピースが、今、この一つの線を結ぼうとしていた。
「ジェイルからの情報につられてしまったが、やはり答えは、当初の目標だった『三つ目の塔』にあったということか」
フィオナが言った。
俺は、救出した民を仲間たちに託すと、まだ痺れの残る拳を握りしめながら立ち上がった。
「寄り道も旅の醍醐味だ。この神殿を制圧したことは、無駄にはならない。行くぞ、休んでる暇はない」




