78 北の荒野と賢者の石
ルディアの緑豊かな大地を背に、俺たちの旅は始まった。
北へ向かうにつれて、風景は日に日にその様相を変えていった。豊かな森はまばらな低木地帯となり、やがては赤茶けた岩と乾いた土がどこまでも広がる、荒涼とした荒野へと変わっていった。
「……こりゃひでえ土地だな。生命の気配がほとんどしねえ」
馬上で周囲を警戒していたラズが、吐き捨てるように言った。
彼の言う通り、時折見かけるのはサソリのような魔物や、枯れ木に巣食う怪鳥くらいのもの。人間の集落はもちろん、まともな水源すらない。
「道は間違っていないはずだ」
先頭を行くシェルカが、地面に残された微かな痕跡を指差す。
「古い隊商の轍だ。この先に、オアシスか何かがあったのかもしれない」
彼女の狩人としての目は、この死の大地ですら微かな生命の痕跡を読み取っていた。
旅は、過酷だった。
昼は灼熱の太陽が体力を奪い、夜は凍えるような風が骨身に染みる。
だが、俺たちの心は折れなかった。
「フィオナ、もう少しだ、頑張れ」
「……うむ。これしきのことで、へこたれはしない」
渇きで唇を切りながらも、フィオナは気丈に前を向いている。その姿に、俺も勇気づけられた。
旅を始めて五日目の夜。
俺たちは、風化した巨岩の陰で野営を張っていた。
焚き火の心許ない炎が、俺たちの疲れた顔を照らし出す。
「……旦那、少しいいか?」
見張りを交代したラズが、俺の隣に腰を下ろした。
「どうした?」
「いや……ただ、考えてたんだ。還し手のババアが言ってた、『女神の力を還す』って言葉の意味をな」
彼の目はいつになく真剣だった。
「あいつらは、旦那の力を奪おうとしてる。だが、それはただの破壊じゃねぇ。何か別の目的がある……そんな気がしてならねえんだ」
「……ああ、俺も同じことを思ってた」
還し手の目的は、おそらく単なる俺への敵意ではない。もっと巨大で、根源的な、歪んだ信仰。
俺たちが倒した老婆は、氷山の一角に過ぎない。
この謎を解き明かさない限り、ルディアに、そしてこの世界に、本当の平和は訪れない。
「必ず、見つけ出してやるさ。あいつらの本当の目的も、お前の妹さんが平和に暮らす方法もな」
「頼りにしてるぜ、旦那」
ラズが、少しだけ照れくさそうに笑った。
その時だった。
「──敵襲!」
見張り台にいたシェルカの鋭い声が、夜の静寂を切り裂いた。
ほぼ同時に、砂の中から、無数の影が鎌首をもたげた。
巨大な蟻のような魔物、サンドウォームの群れだ。
「クソ、こんなタイミングで……!」
「数が多い! 囲まれるぞ!」
フィオナが剣を抜き、叫ぶ。
「──創世の権能・金剛壁!」
俺たちの周囲に、瞬時にして巨大な岩の壁が出現し、サンドウォームの突進を防ぐ。
だが、奴らは強酸性の体液を吐きかけ、分厚い岩壁をじわじわと溶かしていく。
「これじゃキリがねえ!」
ラズがナイフを構える。
このままでは、ジリ貧だ。
何か、一撃でこの状況を打開する手は……。
「カイ様、彼らの弱点は『振動』です」
脳内に、レイナの冷静な声が響く。
「彼らは地中の微細な振動を感知して行動します。逆に強力な衝撃を与えれば、彼らの感覚器官は麻痺し、混乱するはずです」
「振動か……流石だなレイナ!」
俺はニヤリと笑い、両手を地面に叩きつけた。
「──創世の権能・大地の律動!」
俺の魔力が、大地そのものを巨大な太鼓へと変える。
ドクン、ドクンと、星の中心から響いてくるかのような、巨大で規則的な振動が、荒野全体を揺るがした。
サンドウォームたちは、その超低周波に耐えきれず、苦しげに身をよじらせ、次々と砂の中へ逃げ帰っていく。
「……行ったか」
フィオナが呆然と呟いた。
俺は、ぜえぜえと肩で息をしながら、その場にへたり込んだ。
まだ、この新しい力の制御は完全にはいかないらしい。
「カイ!」
「大丈夫だ。少し、魔力を使いすぎただけ」
仲間たちが駆け寄ってくる。
その時、俺は気付いた。
サンドウォームたちが逃げ帰った後、地面に何かが残されている。拳ほどの大きさの、赤く脈動する石だった。
「……なんだこれ?」
ラズが用心深くをそれを拾い上げる。
石は、まるで生きているかのように、力強い魔力を放っていた。
「これは、古文書に記されていた『賢者の石』の原石です」
レイナが姿を現し、説明口調で言った。
「賢者の石……!?」
フィオナが、信じられないといった声で言った。
「大地の魔力が、極限まで凝縮された、伝説の触媒。カイ様の放った『大地の律動』が、偶然にも、この荒野の地下深くに眠っていたそれを、地上へと押し上げたのです」
「おいおい、マジかよ……」
ラズがゴクリと唾を飲む。
この石があれば、デリンたちの合金開発は飛躍的に進むだろう。あるいはリゼットなら、どんな病も治す万能薬すら作れるかもしれない。
「これもまた、運命の導きです」
「決め台詞みたいに言うなよ。別に格好良くないからなそれ」
「えぇ……」
少し悲しそうな顔をしながら、レイナは姿を消してしまった。
俺は赤く輝く石を見つめながら、確信していた。
「どうやら、この旅で得られるものは『情報』だけじゃないみたいだな」
そして、その先には、俺たちの想像を遥かに超える、壮大な運命が待ち構えているに違いない。




