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異世界スローライフ希望なのに、女神の過保護が止まらない  作者: 葉泪 秋
勢力拡大編

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43 女神の囁き

 風を切って走るユランの背の上で、俺は奥歯を強く噛み締めていた。

 焦燥が、思考を焼き切っていく。

 罠だと頭では理解している。帝国の掌の上で踊らされている可能性も。だが、それでも俺の足を動かしているのは、領主としての打算や計算ではなかった。ただ、間に合ってくれという、祈りに似た、剥き出しの感情だった。


「見えたぞ、南の丘の向こうだ!」


 先行していたシェルカの鋭い声が、現実を突きつける合図となった。

 丘を越えた先――そこに広がっていたのは、地獄だった。

 立ち上る黒煙は、空を汚し、焦げ付いた肉の匂いが風に乗って鼻腔を刺す。無残にへし折られた木柵は、まるで巨獣に食い散らかされた骨のようだ。

 そして、その惨状の中心に、そいつはいた。

 鋼の身体を持つ、多脚の異形。その中央で、血のように赤い単眼が、まるでこの世の絶望を凝縮したかのように、ぎょろりと動いていた。


「……あ……」


 声にならない声が、喉の奥で潰れた。

 村は、すでに蹂躙されていた。逃げ惑う人々の絶叫が、断末魔が、風に乗って耳にこびりつく。一人の男が、古代兵器の巨大な脚に踏み潰される瞬間が見えた。赤い飛沫が上がり、それはすぐに土埃に紛れて消えた。

 その光景に、俺の中の理性の箍が、粉々に砕け散った。

 ……そうだ。俺は、まだ本物の「魔物」がどんなものか理解していなかったんだ。自分に懐いているルオや、忠誠を誓ってくれているユランのような、好意的な魔物じゃない。こちらの命を奪いかねない、危うい存在。それが本物の「魔物」だ。


「──ユランッ!!」

「待て、カイ! 突出するな! 命令を!」


 フィオナの悲痛な制止の声が、遠くなる。

 聞こえない。聞きたくない。

 ここまで生々しい、人の遺体を目の当たりにしたのは初めてだ。吐き気と動悸を、俺は怒りでなんとか抑え込んでいた。

 ――殺す。あの鉄屑を、跡形もなく。

 

 ユランが俺の殺気に呼応し、獣の本能のままに咆哮を上げて突進する。

 俺は背から飛び降りると同時に、怒りのままに創造の力を奔流させた。手の中に現れた光の刃は、あまりの激情に形を保てず、不格好に揺らめいている。だが、どうでもよかった。


「あああああああああっ!!」


 意味のある言葉は出てこない。ただの獣の叫び。

 古代兵器の金属の爪が、俺の身体を薙ぎ払おうと迫る。それを、人間離れした反射神経でかいくぐり、俺はその巨躯に肉薄した。

 斬る。斬る。斬る。

 脚の関節、胴体の装甲、見境なく刃を叩きつける。

 ガキン! ガギン! と耳障りな金属音が響き渡り、火花が俺の顔を焼く。手応えはある。だが、致命傷には程遠い。この鉄の塊は、俺の怒りを嘲笑うかのように、びくともしない。


「旦那、無茶だ! 一人でどうにかなる相手じゃねえ!」


 ザルクの怒声が聞こえる。うるさい。黙っていろ。俺が、俺の手で、こいつを……。


「だったら、どうしろって言うんだよ!!」


 俺は叫び返した。その一瞬、思考が途切れた。

 古代兵器の赤い単眼が、俺を捉える。その中心が、灼熱の光を収束させていくのが見えた。

 ――死ぬ。

 そう思った瞬間、俺の視界を、巨大な影が覆った。


「ゴウランッ!」


 トウラの大盾を構えたゴウランが、俺の盾になっていた。凄まじい熱線が盾を直撃し、金属が悲鳴を上げて融解していく。衝撃にゴウランの巨体が大きく後退し、その口から苦悶の呻きが漏れた。


「退がれ、カイ殿! 貴殿のその目は、領主の目ではない! ただの復讐者の目だ! それでは、誰も救えんぞ!」

 

 ゴウランの叱責が、金槌のように俺の頭を殴りつけた。

 俺は今、何をしている?

 怒りで我を忘れ、仲間を死地に晒し、眼の前の敵しか見えなくなっている。

 領主が、目前の出来事にここまで惑わされてどうする。どんな状況でも、最も冷静であるべきなのが領主じゃないのか?


「……すまない……」


 かろうじて絞り出した声は、自分でも情けないほど震えていた。

 後方へ下がり、仲間たちの顔を見る。フィオナ、ザルク、シェルカ。誰もが、俺を案じる目をしていた。俺を責める者は、誰もいない。だが、その信頼が、今は何よりも痛かった。

 俺は、震える手で光の刃を握り直し、深く、深く息を吸った。

 怒りを、殺意を、心の奥底に押し込める。代わりに、守るべき者たちの顔を、この街の未来を、脳裏に刻み込む。


「カイ様。貴方お一人で、すべてを背負う必要はございません」


 その声は、脳内に直接、しかし水面に落ちる雫のように静かに響いた。レイナだ。


「……黙ってろ。今それどころじゃ……」

「いいえ、今だからこそ、お聞きください」


 レイナの声は、いつもの軽やかさを消し、どこまでも澄んだ響きを持っていた。


「貴方の力は『創造』。それは、無から有を生む力ではありません。そこにあるもの、仲間たちの力、この大地の意志、それらを『繋ぎ』『束ね』、新たな形を与える力です。貴方一人で戦おうとする限り、その真価は発揮されません」


 仲間たちの力……大地の意志を……束ねる?


「一人で立てないのなら、支えてもらいなさい。一人で見えないのなら、仲間たちの目をお借りなさい。それこそが、貴方を領主たらしめる本当の力。さあ、顔を上げて。貴方の仲間は、まだ誰一人、貴方を見捨ててはいませんよ」

 

 レイナの言葉に、はっと我に返る。

 そうだ。俺は、一人じゃなかった。

 フィオナが、ザルクが、シェルカが、ゴウランが、俺の背後で、俺が立ち直るのを信じて待ってくれている。

 俺は、震える手で光の刃を握り直し、深く、深く息を吸った。

 怒りではない。焦りでもない。

 ただ、仲間と共に、守るべきものを守るという、領主としての覚悟。


「……みんな、すまなかった。俺が、間違っていた」


 俺の謝罪に、フィオナが静かに首を振った。


「誰にでも過ちはある。だが、立ち直れぬ過ちなどない。……指示を、カイ。我々は、貴殿の剣であり、盾だ」


「おう、ようやくお目覚めか、旦那。で、どうやってあの鉄クズをスクラップにする?」


 ザルクの言葉に、俺の中で、バラバラだった戦術のピースが、一つの形に収束していく。


「――連携する。フィオナ、シェルカは奴の視覚を攪乱。ザルク、ゴウランは左右から同時に脚部を攻撃し、動きを止めてくれ。俺は、この土地の力を借りる」


 俺は剣を地面に突き立て、創造の力を大地へと流し込んだ。

 今度は、無理やり生み出すのではない。大地の声を聞き、その力を借り受ける。

 俺の魔力に呼応し、地面が唸りを上げた。古代兵器の足元のアスファルトが、まるで生き物のように隆起し、無数の岩の腕となってその巨躯に絡みついた。


「なっ……!?」


 古代兵器が、初めて狼狽の気配を見せる。

 その隙を、仲間たちが見逃すはずもなかった。

 フィオナとシェルカが幻影のように動き回り、赤い単眼を惑わす。ザルクとゴウランの渾身の一撃が、左右の脚を同時に砕いた。

 バランスを崩し、大きく体勢を傾ける鋼の巨人。

 ――今だ!


「ありがとう、みんな!!」


 俺は天に手をかざし、叫んだ。

 その声に応じるかのように、古代兵器に絡みついていた岩の腕の一本が、ひときわ巨大な拳を形成する。それは、まるで大地そのものが怒りの鉄槌を振り上げたかのようだった。

 

「……お前も、帝国の駒なんだろ? もっと良い生き方もあっただろうに……気の毒だよ」


 岩の拳が、空気を引き裂く轟音と共に、古代兵器の胴体――あの忌まわしい赤い単眼を目掛けて、叩きつけられた。

 もはや金属音ではない。山が崩れるような、地殻が軋むような、圧倒的な破壊音。

 鋼の巨躯は、まるで紙細工のようにくしゃりとひしゃげ、赤い単眼は光を失い、内部から連鎖的な爆発を起こしながら、原型を留めない鉄屑の山と化した。

 静寂が戻った戦場で、俺はぜえぜえと肩で息をしながら、地面に膝をついた。

 魔力は空っぽだったが、心は不思議と満たされていた。


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