●第232話●海の村メルビナ
朝早めの時間にセードラーデを発った勇達一行は、昼前には海の近くにある村メルビナまで来ていた。
眼前にはターコイズブルーの海が、陽光を浴びてキラキラと輝いている。
久々に目にした美しい海を前にして勇のテンションは否応なく爆上がりだ。
早速砂浜へと駆けだしたいところをグッと我慢して、まずは村長の家へと魔動車を向かわせる。
「これはマツモト男爵様、ようこそおいで下さいました。村長を務めているアベラートと申します。何もない辺鄙な村なので、大したおもてなしも出来ず申し訳ございません」
村長の家の前で魔動車を降りると、良く日焼けした壮年の男が挨拶をしてきた。
「いや、この景色が見られただけで十分です。今日はよろしくお願いします」
簡単に挨拶を交わした勇は、そう言ってくるりと後ろを振り返った。
村長の屋敷は、南向きの緩やかな斜面に拓かれた村の最上部に位置していた。
周りの家よりは大きいが、邸宅と呼べるような広さではない、白い塗料で塗られた木造平屋建てだ。
潮風に強い石造りではないのは、領内に森があるためだろうか。
屋敷を取り囲むように松のような木と広葉樹が風除けに植わっている。
地面をよく見ると、どんぐりのような木の実がいくつか落ちているので、広葉樹のほうはカシやシイのような種類と思われた。
眼下に点在する村の家々も、規模こそ違えど似たような造りをしており、村全体に統一感を持たせていた。
地形や植生は、以前テレビなどでみた地中海沿岸の村のようだが、あれは石造りの家ばかりだったので、似ているようで異なる景色である。
「そう言っていただけるとありがたいです。この眺めが村一番の名物みたいなものですから。ささ、まずはお入りください」
勇の返答を聞き嬉しそうに目を細めたアベラートに案内され、一行は村長の屋敷へと招き入れられた。
「なるほど、それで漁村っぽい雰囲気が無かったんですね」
「ええ。小舟では大型の魔物が出た場合ひとたまりもありませんからね……」
応接室に通された勇は、村長から村の概要説明を受けていた。
村の規模としては標準的で、およそ百世帯五百人が住んでいる事。
店は小さな雑貨屋と宿屋を兼ねた食堂が数軒だけで、それ以外は全て一次産業に従事していると言う事。
小さいが教会もちゃんとあり、海の女神を祀っている事などを聞き、今は村の産業についてに話題が移ったところだ。
「多くが砂浜で水深もあまり深くないので港を作る事が出来ず、大きな船を運用できないのです」
「あーー、砂だと掘り下げる訳にもいかないですからね」
「はい。かつてはそのような試みもされたと聞いていますが、断念したそうです」
メルビナの眼下に広がる海岸線は、見渡す限りほぼ白い砂浜だ。海中も緩やかな傾斜である。
波が穏やかなので海水浴にはもってこいなのだろうが、港には不向きな地質だろう。
まず水深が無いのが痛い。
大型の船、特に波のある海をいく大型の海洋船は、重心を下げるためにある程度深い喫水を確保していることがほとんどだ。
これでは仮に港を開いても、大型の船は入港できない。
また水深を確保するため浚渫しようにも、砂地の場合は掘ったそばから砂が流れ込んで埋まってしまうため、困難を極める。
こうした理由でメルビナには小舟しか存在せず、専ら自分達が食べる分を獲る程度しか漁は行われていないとの事だった。
「代わりに菜種を栽培しております」
「菜種? 食用ですか? それとも油を搾る?」
「油ですね」
海沿いなのに産業が菜種油というのは少々趣に欠けるが、アブラナ科の植物は地球でも塩害に強い種だったので、理にはかなっている。
アベラートの話では、クラウフェンダム含めてこの辺り一帯で使われる菜種油のほとんどが、ここメルビナ近辺で作られているとの事だ。
「夏の終わりに種を撒いたので、今は十センチくらいにまで育っております」
「ああ、斜面に広がっていたのは菜種だったんですね」
斜面いっぱいに茂っていた青々とした背の低い植物の正体が分かり、勇が納得する。
春の早い段階で花を咲かせるアブラナは、ある程度育った状態で冬を越すのだ。
「春になると、一面に黄色い花が咲きます。景色が一番きれいなのはその時期かもしれません」
「おお、それは良いですね! 来年の春が楽しみです」
きれいな海をバックに、斜面一帯に咲き誇る菜の花畑を想像して、勇の表情が緩む。
現代地球であれば、さぞや映える景色だったであろう。
ちなみにアブラナは連作障害が起こりやすい植物だが、この世界でもそれは知られているようで、トマトのような野菜やそら豆のような野菜と輪作しているそうだ。
その後も色々と話を聞いた後、昼食となった。
食卓には、今朝獲れたという魚を使った料理が並んでいた。
スープに煮魚にソテー。植物油が主な産業というだけあって、この世界では珍しい揚げ物まで並んでいる。
刺身は無いか、と思って何気なく聞いてみた勇だったが、なんと村人の間では普通に食べられていると聞いて驚く。
よろしければお出ししましょうか? というアベラートの問いかけに勇だけが答え、久しぶりの刺身に舌鼓を打つ。
もっとも、さすがに醤油は無く香草が散りばめられたそれは、刺身というよりはカルパッチョに近いものであった。
「にゃっふぅ」
織姫も鯛のような肉厚の白身魚を茹でてもらっていた。
こちらへ来て初めて食べる新鮮な海の魚の味にご満悦である。
昼食後は腹ごなしを兼ねて海へと向かった。
ざぱ~ん
「にゃにゃっ!」
ざぷ~ん
「にゃにゃにゃっ!」
波打ち際へ行くと、寄せては返す波を織姫が楽しそうに飛び跳ねるように避けて遊び始める。
地球では完全に室内飼いだった織姫にとっては、初めての海だ。
楽しそうに遊ぶ織姫を、勇は沖へと向かう小舟の上から見ていた。
食事中に勇が釣り好きだと聞いた村長が、ちょっとした船釣りに誘ったのである。
木で出来た十メートルほどある桟橋から、勇、村長、護衛のフェリクス、船頭兼漁師を乗せた五人乗りの小舟が沖へと進んでいく。
大量の水が苦手な織姫は、もちろん乗船を拒んでいた。
海水浴場程では無いが緩やかな傾斜が続く海を、沖へ向かって小舟は進む。
およそ五十メートル程行ったところが好ポイントのようで、船頭がアンカーを降ろした。
ここまで沖に出てもようやく水深は三メートル~四メートルといったところだろうか。透明度が高いので、底のほうまで何となく見通せる。
この辺りの海底は岩や海藻が生えており、魚影が濃いのだとか。
さらに先へ進むともう一段深くなるとの事だが、そこまでいくと魔物の出現率が上がるらしく、滅多な事では行かないらしい。
以前ルサルサ河を下っていた時に遭遇した川鮫と同じく、浅場では上手く泳げないとの事だ。
リールはまだ無いようで、糸巻きが付いただけのシンプルな竿で釣り糸を垂らして海中の様子を見ていた勇がふと閃き、横で同じく釣り糸を垂らしていたフェリクスに尋ねる。
「フェリクスさん、魔法って水の中でも発現しますよね?」
「水の中、ですか? 試したことは無いですが、使えないという話は聞きませんね」
唐突な質問に首を傾げながらフェリクスが答える。
「なるほど……。ちょっと試してみて良いですか? 船頭さん、ちょっと実験したい事があるので、すみませんが半分くらい船を戻してもらって良いですか? ここだとせっかくの釣り場を荒らしかねないので……」
「実験、ですかい? 分かりやした。今錨を上げますんで、少々おまちくだせぇ」
フェリクスと同じように小さく首を傾げた船頭が、錨を引き上げ海岸へ向かって船を進めはじめる。
「マツモト様、何を実験されるおつもりでしょうか?」
「水中、いや海底と言ったほうが正確ですね。そこに魔法がちゃんと発現するか試してみようかと。上手くいけば、今よりは大きな船が停泊できる桟橋が作れるかもしれません」
「桟橋、ですか……?」
アベラートの質問に勇が答えるが、いまいち言っている事が理解できずアベラートは首を傾げる。
そうこうしているうちに、小舟は沖合二十メートルほどの所まで戻ってきた。
この辺りだと水深は二メートル程度。海底もはっきり目視できるレベルだ。
「うん、この辺りなら良さそうですね。ちょっと右側で魔法を使うので下がってもらってもいいですか?」
海底を確認した勇は、そのまま海底を見つめながら両手を突き出した。
砂浜からも見える位置まで戻ってきていたため、船に乗っていなかった面々も勇が何やらしようとしているのを見てざわつき始めていた。
『天を睨む乱杭は、大地より生じるもの也。天地杭!』
勇の呪文が水面の上を滑るように響く。
一拍間を置いて、船の右舷から五メートルほど離れた海底が薄っすら光を放った。
そして……
ドッパァーン!
海底から直径五十センチほどの石柱が生え、水面から水しぶきを上げながら勢いよく顔を出した。
その余波で石柱を中心に波が広がり、小舟をちゃぷちゃぷと揺らす。
「ふぅ、思ったほど揺れなくて良かった。思った通りちゃんと生えたな。後はどれくらいの強度があるかだけど……。すいません船頭さん、ちょっと寄せてもらっても、ってあれ?」
「「「…………」」」
予想通りの結果だったのか、満足そうに頷いた勇が振り返ると、驚きの表情を浮かべたまま固まる同船者三名がいた。
「使われたのが天地杭でしたので、何をされたのかは分かりましたが、よくそんな事を思いつきましたね……」
慣れもあり、最初に正気に戻ったフェリクスが苦笑しながら言う。
勇がやったことは、至極単純なものだった。
海底を起点に天地杭で石柱を生成しただけである。
天地杭の魔法は、地面と思われる場所から石柱を発現させる魔法である。
形状や本数、大きさは、イメージと魔力の制御次第でかなりの自由度を持っている。
以前オーガ相手に使用した時は、尖った円錐状のものを複数生成したが、今回は円柱状のものを一本生成しただけだ。
「あはは、海底といっても地面とは繋がってますからね。行けるとは思ったんですよ。問題は砂の上から生えるのか、その下の岩盤? から生えるのか……。この感じだと、岩盤から生えてるかなぁ?」
そんな事を言いながら、寄せてもらった船から石柱をグイグイと押して確認する。
「うん。これなら割と丈夫な桟橋が作れると思いますよ。魔力をそこそこ使うので、多少時間はかかると思いますけどね」
勇が考えたのは、天地杭を海底から海面上まで生やして、それを支柱にして桟橋を作ることだ。
並行に生やした支柱の間に丈夫な横木を渡して橋脚とし、それを沖に向けて何組も作っていく。
そしてその上にクロスさせる形で橋桁を並べていけば、桟橋の完成だ。構造としては非常に単純で、地球でも割と古くから存在している。
勇が心配していたのは、天地杭がどこを起点にして石柱が作られるのか、だ。
仮に見た目上の地表から生えるのだとしたら、今回は水底に積もった砂の上から生えることになる。
土の地面ならまだしも、柔らかい砂の上からとなると、危なっかしくてとても桟橋の橋脚としては使えない。
しかしその下にある地盤から生えるのだとしたら……。
それを確かめたのだった。
果たして結果は後者。晴れて桟橋の橋脚として使えるという確信を得るに至った。
もっとも、何を基準に地盤と判断しているのかは不明。相変わらず魔法というのは良くも悪くもいい加減なものだと思う勇だった。
「水面に出てる長さから、この辺りだと海底に一メートルくらい砂が積もってる感じか。多分沖に行くにつれて堆積量は減るはずだから……。うん、何とかなりそうだ」
一メートル程水面から頭を出している石柱を見て、そう勇が結論付ける。
何度も天地杭を使い込んできた結果、勇はかなり正確に太さや長さを調整できるようになっている。
今回は、四メートルの長さの石柱を顕現させていたので、水深二メートルの海から一メートル頭が出ているという事は、地盤は砂の下一メートルだという事になる。
天地杭はそこそこ魔力消費が大きい魔法なので、あまり長い石柱が必要だと、作業できる人間が極端に少なくなってしまうだろう。
沖合二十メートルでこの状況なら、沖合百メートルくらいまでなら現実的な範囲だろうという目算が立ったことで、勇はほっと胸をなでおろした。
一方、とんでもない方法で桟橋を作ろうとする新しい領主を見て、今後とんでもないことになる事を、村長のアベラートは直感的に確信するのだった。
週1~2話更新予定予定。
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