●第227話●猫外交と巨人外交
“ボニャール”は、フランスの画家、ピエール・ボナールの名画“白い猫”から命名された、四つの足を限界まで伸ばして背中を縮めるポーズだ。
寝起きなどに行う事が多いこのポーズを華麗に披露したサバトラ猫は、ひと鳴きした後も慌てることなくゆっくりバスケットから出ると、前足を使って毛繕いを始めた。
「な、なんて可愛らしい……」
それを見た王妃は、両手を重ねるようにして口を押さえると、溜息をつくようにそう零した。
心なしか目も潤み、肩も小さく震えている。
「こちらの生き物は、“ネコ”と言います。イサムが先の表彰式や婚約発表で連れていた使い魔はご存じでしょうか?」
「ええ、もちろんよ。元の世界から付いてきてしまったんですってね? とても可愛いのに勇敢な使い魔だとか」
「はい。その使い魔――オリヒメという名前なのですが、そのオリヒメとこちらの“アッシュ”は、遠縁にあたるそうです」
「遠縁? どういう事かしら? オリヒメは別の世界の子なのでしょう?」
「それには少々驚きの偶然がありまして……」
王妃の疑問に、ニコレットが事情を説明していく。
今は無くなってしまった国を興した人物が、勇と同じ世界から来た迷い人であった事。
その迷い人もまた、勇と同じく猫と共にこちらの世界へとやって来た事。
こちらにも猫とよく似た魔物が、ごく限られたエリアに生息していた事。
その魔物ともう一人の迷い人が連れてきた猫との間で交配が可能で、亡国の子孫と共に現代まで代を重ねてきた事。
そして遺跡を探索していた勇が偶然その子孫と知り合い、意気投合して今はクラウフェンダムにいる事……。
アバルーシの名前を出して説明すると少々ややこしい事になるので、その辺りには触れないが、概ね事実である。
「我が領へ来る際に、ネコも何頭か一緒に来ています。そのうちの一頭がこのアッシュになります」
「なるほど、そうだったのね」
ニコレットが説明をしている間も、王妃の目は、のんびり毛繕いをするアッシュに釘付けだ。
「にゃぁ?」
その熱い視線に気付いたのか、アッシュは小さく首を傾げるように一鳴きすると、王妃の方へと近づいていく。
テーブルの端まで歩いていくとごろりと寝転がり、真っ白なお腹を王妃に見せながらもう一度小さく鳴いた。
「っっ!!」
それを見た王妃が、声にならない声を上げて目を見開く。
「ルル様、喉を撫でていただけないでしょうか? そのポーズは王妃様に心を許した証ですので、喜びこそすれ嫌がる事はありませんよ」
「わ、分かったわ!」
微笑みながら促すニコレットに、王妃がコクコクと小さく頷く。
「こ、こうかしら?」
そう言いながら、寝ころんだままパタリパタリと尻尾を揺らすアッシュの喉をそっと撫でた。
撫でられたアッシュは、目を細めて嬉しそうにくるくると喉を鳴らす。
「っ~~~っ!!」
再び声にならない声を上げる王妃。その目は、まるで初孫を見た祖母のようである。
その後も、「普通は嫌がりますが、ルル様ならどこを撫でても大丈夫そうですね」というニコレットの言葉を受けて、全身を優しく撫で続けるのだった。
(落ちたわね……。さすがアッシュ、恐ろしい子……)
そんな様子を見たニコレットが、内心でそう呟く。
何頭もいる猫たちの中からアッシュを選んで連れてきたのは偶然では無い。
魔法巨人乗りのパートナーとなった以外に、クラウフェンダムには現在三頭の猫がいる。
アッシュもその中の一頭で、主に教会で過ごすことが多い子だ。
そしてアバルーシの猫たちの中で、最も人懐っこくおっとりとした性格をしている。
先程ニコレットが言ったように、猫は喉や耳の裏など自分の舌が届きにくい場所を触られるのは好きな個体が多いのだが、急所であるお腹は触らせない個体が非常に多い。
しかしアッシュは、優しく撫でるのであればお腹であっても自由に触らせてくれる。
ばかりか、触られるのが好きなのか、うっとりと目を細めるのだ。
そんな性格から、あっという間に教会のアイドルと化していたのがアッシュである。
「このアッシュは、現在我が領の教会の猫となっております」
優に十分は撫でていた王妃が現実に戻って来たのを見計らって、ニコレットが再び口を開く。
「司教曰く、アッシュは既に教会で祀るオリヒメの眷属としての地位があるためお譲りできないが、その子供であれば可能性はある、と……」
「ほぅ……」
「そして一頭が、現在どうやらアッシュの子をお腹に宿らせている、との事です」
「…………なるほど、そう来るのね。分かったわ。さっき約束した通り、紙芝居については公式に推奨する書面と寄付をするし、劇場にも初日に足を運ぶから、その生臭司教によろしく伝えておいて」
「……かしこまりました」
「まったく……。まぁいいわ。陛下のお役にも立つでしょうし、悪い事は無いでしょう。今後とも、王家の為に励むのよ?」
恭しく頭を下げたニコレットに、王妃は渋い表情で話を締めるのだった。
「ほぅ、中々に大きいな」
「鎧をまとった大きな騎士のようですな」
「これが人と同じように動くなどと、にわかには信じられんが……」
演習場に設けられた観覧席に姿を現した国王、宰相、軍務大臣が、演習場の中央に建つ第一世代の魔法巨人を見てそれぞれ感想を口にする。
「今回は運よく完動品を鹵獲出来ましたので、実際に動くところをご覧に入れたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
その脇に控えるセルファースが、国王らに確認を取る。
魔法巨人は魔法具である以前にれっきとした兵器である。
観覧席にいて距離が離れているとは言え、頭部の高さは観覧席の最下段より上だ。おいそれと国王の目の前で動かすわけにもいかない。
「ああ、構わん。何かする気だったら、待っている必要などないだろうしな」
「ありがとうございます」
許可を出す王に一礼すると、セルファースは観覧席の最前列まで降りていき声を掛ける。
「始めてくれ!」
「了解しました!」
クラウフェンダムで操縦訓練を日々積み重ねてきた騎士が、サポートの兵士の手を借りて、背後から第一世代へと乗り込む。
「乗り込んで操縦するのか」
準備する様を見ていた国王が呟く。
「はい。筒のような装置に手足を入れて動かすと、その動きが魔法巨人に伝わる仕組みのようです」
「ほぅ。そうなると、素人と騎士では、随分と差がでそうだな」
答えたセルファースの言葉に、今度は軍務大臣のベルトランが口を開く。
「仰る通りです。大きさと力があるため、素人が扱ってもかなりの戦力となりますが、戦闘訓練を受けたものが操縦するとまさに一騎当千となります。ただ……」
「ただ?」
「動かし方にコツが必要なのです。例えば、魔法巨人側は完全に腕を曲げた状態だったとしても、操縦する側の腕は三分の二くらいしか曲がっていないのです」
「ほぅ」
基本的にはマスタースレイブ方式を採用している第一世代だが、人と魔法巨人の動きの比率が1:1である第二世代に対して、およそ1:1.5程度となっていた。
ニュートラルな状態を基準として、人の動きがおよそ一・五倍に増幅されて魔法巨人に反映されるのだ。
小さな動きで動かすことができる反面、細かな調整は難しい。
勇の見立てでは、操縦席に割くことが出来る広さによる可動範囲の制限と、レスポンスの向上を目指してのものでは無いかとの事だ。
「ですので、剣の達人が即魔法巨人でも同じ動きが出来るという訳でもないのです。むしろ……」
「むしろ、その動きが染みついているものほど、違和感が強くなる、か……」
「仰る通りでございます」
セルファースの説明に、ベルトランが眉間に皺を寄せた。
「実際、私も試しに操縦してみたのですが、ただ歩くとか物を運ぶのは大丈夫でも、いざ戦闘となるとつい動きすぎてしまって駄目でしたね……」
その時の事を思い出したのか、セルファースが苦笑しながら零した。
何事も上級者程頭で考える前に身体が動く。
剣術や格闘術など、一秒以下の隙が勝敗を分けるようなものは特にその傾向が強い。
なので、思わず反射的に身体が動いてしまうのだが、比率が一対一ではない第一世代でそれをやってしまうと、結果として再現される動きは全く違うものとなってしまう。
実際、今回連れてきた操縦者も、まだ入隊して間もない戦闘経験の浅い騎士だった。歴戦の騎士程、操縦に慣れることが出来なかったのである。
「逆に言えば、そこそこ程度の人間を専用に訓練をすれば十分活躍が出来る、と言う事でもありますな」
今度は宰相のザイドが口を開く。
彼の言う通り、知識として戦闘の基礎があり、ある程度生身の戦闘経験も積んだ程度の人間を、操縦者の専門に育てる方が効率が良いだろう。
戦闘訓練は必要だが、必要以上の訓練は逆効果になる。中々運用が難しい兵器と言えよう。
これ以上質問が出ないと見たセルファースは、大きく手を振って演習場へデモ開始の合図を送る。
それを見た魔法巨人は小さく頷くと、腰に差した剣を抜き構えを取った。
演習用に刃を潰した刀身に、傾き始めた午後の陽光が反射して鈍く光る。
やがて構えを取って一拍おいた魔法巨人が、再び動き始めた。
ギュインという駆動音を響かせながら、王国の代表的な剣術の型をなぞっていく。
方向転換するたび足下から砂煙があがり、踏み込むたびに小さな振動が観覧席まで届いた。
「なかなかに滑らかだな」
「ここまで動きますか……」
「むぅ、あの大きさでこの速さで動けるのか……」
動きを見つめる三人から、言葉は違えどその動きの滑らかさに対する驚嘆の呟きが漏れる。
「はい。私も初めて見た時は驚きました」
三人の呟きを拾ったセルファースもそう口にする。
それから五分ほど型による演武を行った後は、三人(主にベルトラン)からのリクエストに答えて十五分ほど様々な動きを披露し、デモンストレーションは終わった。
動作を停止させ駐機姿勢を取らせた魔法巨人から操縦者を降ろすと、一行は観覧席から降りて演習場へと移動した。
「ふむ。金属では無さそうだな」
魔法巨人の外装をコンコンと叩きながら国王が言う。
「はい。かなりの強度ですが、かなり軽量です。イサムも何かは分からない未知の素材との事でした」
FRPのような物だろうかと勇はアタリを付けてはいたが、説明が難しいので未知の素材であると公言している。
「これが百体以上いるとなれば、かなりの脅威でしょうな……」
「ズンの連中が攻め込んだのも納得だな。何の対策も無く戦ったら、手も足も出んぞ……」
ザイドとベルトランが、その性能を見て大きく嘆息する。
「唯一の課題が動力源となる無属性の魔石、ですか」
「ズンの奴らも、無属性の魔石さえ手に入れれば後はどうとでもなると思っておったのだろうな……」
「……その尻馬に乗ろうとしたどこぞの連中もな」
その上で、無属性の魔石を大量に消費するとの説明を思い出して、国王含めた三人が再び嘆息した。
「しかし良くコイツを相手にして勝ちを拾ったものだな。しかも鹵獲するなど……」
魔法巨人の戦闘能力を目の当たりにしたベルトランが、あらためて先の戦闘の成果に驚く。
自身も長く現場にいただけに、彼我の戦力差がよりリアルに感じられるのだろう。
「イサムのスキルと機転、そしてフェルカー閣下のお力添えが大きかったものと考えております」
丁度良く水を向けられたので、セルファースは勇から受けた戦闘内容の報告をサマリーして国王らにあらためて説明する。
所定の書式による報告書は当然上げていたが、そこには書かれていない詳細な内容の報告だ。
「ふっ、サミュエルの奴め。相変わらずだな」
報告を聞いた国王が、サミュエル・フェルカー侯爵が自ら乗り込んでいった事に苦笑する。
ザイドとベルトランも「ですな」と言いながら同じく苦笑しているので、サミュエルの行動は彼らにとって想定されたものなのだろう。
「そして何と言ってもイサムのスキルと魔法具だ。それが無ければ、大変な事になっていただろう」
「でしょうな。早々にその有効性に気付いて、マツモト殿に魔法具を自由に作らせたクラウフェルト卿の功績も大きいかと」
「うむ。そのマツモト殿だが、魔法巨人に無属性魔石が必要と把握してすぐ、クラウフェンダムの魔石を隠させたのも慧眼だったな」
「ええ。そのおかげで、賊が侵入した際に奪われることが無かったのは大きいですからね」
そして話は、自然に勇へと移る。今回最大の功労者であることは疑いようがないので当然の流れだろう。
また、その勇を抱えているセルファースも当然大きな功労者となる。
「そこで、だ。今回の一件を鑑みて、セルファースとイサムには褒賞を与えるつもりだ」
「ありがたきお言葉」
「何が欲しい?」
「……褒賞でいただける栄誉に、我々臣下から申し上げることはございません」
「ふむ、聞き方を変えるか。セルファースは陞爵、イサムは叙爵しようと思っているが、それで良いか?」
「なっ!? ……失礼しました。過分なご評価をいただき恐縮です。急なお話故、イサムにも確認した上でお返事させていただきたく……」
国王から飛び出した想定外の話に思わず絶句したセルファースが、慌てて二の句を継ぐ。
「ふ。ようやく驚いた顔が見られたな」
それを見た国王がニヤリと笑う。
ザイドは特に表情を変えていないので周知なのだろうが、ベルトランや護衛の近衛騎士たちは皆一瞬驚いた表情を見せていた。
「フェルカー卿らも褒賞の対象でございますが、お二方の功績は飛びぬけておりますれば。爵位を以てこれに報いるのが妥当かと」
国王の言葉をザイドが補足する。
「まだ戦況は予断を許さんから、結果が出た後にはなるがな。イサムにも確認しておいてくれ。過去の迷い人には断った者も結構いるようだからな」
「左様ですな。こちらとは考え方が違う方も多いそうなので辞退する事は仕方がないのですが、褒賞を受けた後に断るのはよろしくないですな」
「承知しました。確認次第、すぐにお知らせいたします」
「うむ。ああそうだ、一つ留意すべき事があったのを忘れていたな」
ザイドの説明に頷いた国王が、取って付けたように言葉を続ける。
「上が詰まっていると、爵位を与えるのもちと面倒でなぁ。代わりにどこかしらを降爵したり奪爵できると楽なのだ。さて、そう言えば狼藉を働いた不届き者がどこかにいたような……?」
「…………」
「とまぁそう言う事だ。この度の働き、並びに献上、誠に大義であった。願わくばそれを労えることを希望する」
「かしこまりました」
国王は最敬礼するセルファースにそう言い残すと、ザイドとベルトランを伴って演習場から去っていく。
「やれやれ、まだまだ色々とおこりそうだねぇ……」
去っていく国王らの背中を見つめながら、セルファースが小さくそう独り言ちる。
こうして、国王との謁見と王妃との茶会は幕を閉じるのだった。
週1~2話更新予定予定。
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