スタンリー・オーバン3
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長くなってしまいました。
エミリーがこれ以上実家にいられないと言うので、一緒に住むために寮から出て郊外に家を借りた。副局長の奥方が手を回してくれたので格安で借りれたのと、隣室から響く酷いいびきから解放されたのだけはありがたかった。防音結界を張っているといびき以外の音も遮断してしまうからだ。
エーファが帰ってこないなんて思ってたわけじゃない。ただ、伯爵家からの圧力が怖かった。両親と兄と領民に迷惑がかかったらどうしよう。せっかくエーファのおかげで取引もうまくいっているのに。
そして、どうにかしてエミリーとの関係を解消しようとしているのに着実に外堀が埋められていく。
どこから知ったのか、両親が王都に来た時にエミリーは俺に内緒で会って挨拶までしたらしい。後から両親に聞かされて驚いた。
両親にはもちろん、一年で帰って来るというエーファとの約束は告げていない。エミリーの妊娠を喜ぶ両親に、仕事がまだ一年目で落ち着かないから結婚はまだしないと食い下がることしかできなかった。
それなのにまさか、妊娠が嘘だったなんて。
あの涙も医者の診断書も全部嘘か。青い顔でどうしていいか分からないと迷子のように涙を流していた彼女に、少しでも同情した自分がとてつもなく愚かに思えた。
あの日。
家から出たら急にオオカミ獣人に襲われ、戦闘になって家が焼けた。あまりの獣人のスピードについていけず、訳も分からないなりにエーファの援護をしたが途中で気を失っていたらしい。
ドラクロアから帰って来たエーファと話したものの、エミリーが乱入した上に妊娠は嘘だと二人の獣人から言われてしまった。
さらにエーファによって部屋から追い出されたかと思えば、彼女はもうさっさと遠くに行ってヴァルトルトにはもう戻らないと局長から言われた。エミリーとのことがバレたから。エーファは激しい戦闘の後で疲れていたようだし、もっと冷静になってからゆっくり話し合えると思っていたのに。
しかし、思い切り落ち込みたいのになぜ俺はこの人の機嫌取りをしないといけないのか。
俺の目の前には、竜人の鱗をもらえなかったと全身を床に投げ出して拗ねている局長アモン・スペンサーがいる。
「竜人様はそれほど魔力をお持ちではなかったですね」
「バカか、君はバカなのか。そうか、バカだな。バカだからあんなことができるんだな」
エーファの隣でよく会話に口を挟んできた竜人はそれほど魔力を持っていなさそうだった。押しつぶされるような魔力を感じなかったのだ。それを口にしたら激しく呆れられた。
「あの方が認識阻害を自身にかけていたことさえ分からないとは。はぁ、これだからオールマイティーを気取っただけの本質も見抜けない優等生のタマなしが。今年の新入りは全員ダメだ。魔物にでも食われてしまえ」
悪口の羅列と共にジト目で見られた。この人は公爵家の人間のはずなのに口が悪すぎないか? そしておそらく、この人はスタンリーの名前を覚えていない。さっきは青い髪の獣人がわざわざフルネームで呼んでいたから呼べていただけだったのか。
「俺は君よりエーファ・シュミットに残って欲しかった。今の君を魔物の餌に平気でできる。むしろ今すぐ死んでほしい。頼むから死んでくれ」
エーファの名前は最初からこの局長は覚えていた。それこそ就職試験の時から。
ジタバタ地面で暴れている自分より年上の局長を見ると、自分のバカさ加減も笑えてくる。
「そもそも、君の股が緩いのがいけない。浮気さえしなければエーファ・シュミットは今頃俺の部下だったのに! ガーデン谷に突き落として素晴らしい修行ができたのに! いや彼女はドラクロアにいていろいろあっただろうからそんな訓練はいらんか。じゃあすぐに実践訓練に入れる」
「……二回しか関係を持っていません」
「パーティーで盛られたのはカウントしないにしても、なんでさらに一回関係を持つんだ」
「その……迫られて……実践訓練の後でしたし……」
「オッエー、気持ち悪い。据え膳食わぬは男の恥ってやつなのか。頭空っぽなのか。股に脳みそがあるのか」
局長はやっと起き上がってゲーゲー吐く真似をする。
分かっている、自分がバカなことくらい。伯爵家の圧力に屈しなければいけなかった自分が情けなくて腹立たしいし、そもそもパーティーで盛られてしまった自分が許せない。そしてなによりも、妊娠したと言われて受け入れてしまったことが。
エーファは子供が好きではなかったから。男爵領でも子供にまとわりつかれて困っていて、どう接すればいいのか分からないらしく子供は欲しくないと言っていた。
エーファの前では言わなかったが、スタンリーは子供が欲しかった。
「エミリーと話してきていいですか」
「どうせのらりくらり交わされるか泣き落としだろうから医者を呼んでいる。竜人様と獣人のお墨付きだから妊娠は嘘だと思うが、一応」
「ありがとうございます」
「俺の前で話し合いをしろ。男女のドロドロを思う存分見せてくれ」
「局長はそういったことに興味がないでしょう……」
「俺は今猛烈に誰かに八つ当たりしたい気分だ。竜人様に会えたことだけは良かったが、それ以外はマイナスもマイナスだ。だから男女のドロドロを見て、自分より可哀想で愚かな存在がいると溜飲を下げたい」
結局、局長の呼んだ医者によってエミリーの妊娠は嘘だったと分かった。
「妊娠が嘘だったなら結婚する必要なんてないよな。今すぐ家を出て行ってくれないか。あ、もう燃えたんだった。じゃあ新しい家でも部屋でも勝手に探してくれ」
「スタンリー! 違うの! 流産したことを言い出せなかっただけなの!」
医者を横目に見ると、首を横に振る。細かい魔力の跡をたどればそういうことも医者には分かるようだ。
「どうせパーティーの時も何か入れたんだろ。目を覚ましたら目撃するように使用人まで配置して」
一緒に住んでいてエミリーに情が湧かなかったわけじゃない。
エーファはいつも頭と心の片隅にいた。ドラクロアに連れて行かれて帰って来た人間はいない。エーファが帰って来ると、毎日無邪気に100%信じていられたわけじゃなかった。もしかしたらあのオオカミ獣人に手籠めにされているかもしれないとか、監禁されているかもしれないとか、恐ろしいことを一人になった瞬間にいろいろ考えた。
何もできずにエーファを待つ不安から逃げ出したかったのかもしれない。いつもそうだ。エーファはいつも一人で何かをなし得る。魔法では特に。スタンリーはエーファの後を走ってついて行って怪我をしていたら治癒魔法をかけるのが精一杯だ。エーファにいつも置いて行かれる。
エミリーは毎日食事を作ってくれて、一緒に食べ一緒に暮らしていた。始まり方があれだったといっても二人の間に何かは育っていた。両親への強引な挨拶に疑問を感じていても「子供を祝福して欲しくて」と涙ながらに言われたらそれ以上疑えなかった。エミリーはスタンリーを置いて行くという雰囲気が一切なかったし、妊娠しているから逃げられないとでも思ったのかもしれない。
「二十も上の貴族に嫁ぐのは嫌だったの! スタンリーはかっこよかったけど、あのパーティーの後も元婚約者の人を想って全然相手にしてくれなくて……だから」
「だから妊娠したって副局長の奥方まで巻き込んで嘘ついたのか。うちの子爵家のことで脅して」
エミリーは泣きながら何か言っているが、もう彼女の涙を見ても何も感じない。そういえばエーファは骨折しても、魔法で失敗しても泣かなかった。
「副局長の奥方? え、何? 君って親戚かなんか?」
つまらなそうにやり取りを見ていた局長が口を挟む。関係性を説明すると、局長はゲラゲラ笑った。ひとしきり笑った後、怪訝な表情になってしまったスタンリーに向かって咳払いをする。
「いやー、フィリップが君に目をかけていたけど。まさか性質まで同じだったとはね。これぞ同じ穴の狢だ。フィリップもこの件に絡んでたら俺は確実にキレるけど」
フィリップというのは副局長の名前だ。
「フィリップは昔、婚約者の浮気で婚約解消してね。それはそれは傷心していたところをある令嬢につけ込まれたんだよ。君みたいに朝起きたら裸の令嬢が横にいたってわけ。あ、詳細は違ったかも。それが今のフィリップの奥さん。はー、ウケる。フィリップの奥さんからいろいろ詳しく手口聞いて真似したんじゃないの。それか、そそのかされたか」
スタンリーが何も言えないでいると局長は続けた。
「その子の年齢で婚約者いなかったら、魔法省の職員捕まえるのが一番だよ。高給取りだし安泰に暮らせる。スタンリー、君は最初っから狙われたわけだ。あぁ、伯爵家の圧力かけられたならその子とフィリップの奥さんの共謀かな」
「ははは」
「スタンリー、違うの! 私はどうしてもスタンリーと結婚したくて!」
思わず、情けなくて乾いた笑いが出る。
「エーファがドラクロアに行ってしまって傷心で、狙いやすかったでしょうね」
「だろうね~。だってさ、君と結婚したいならなんで伯爵家の力で脅すんだよ。フィリップはもともと侯爵家の人間だよ? 侯爵家パワーで結婚させちゃえばいいのにさ。それかフィリップに紹介してセッティングしてくれと言えばいい。良かった、フィリップは絡んでないみたいだ。多分奥方にうっかり君の情報を喋って奥方がそれを横流ししてただけ。さすがにフィリップを殺すわけにはいかないからね」
そういえば、エミリーには話したことがないのに好物や嫌いな物を把握されていたことが何度かあったな。
俺はバカだ。大バカだ、気が動転してそんなこと考えつかなかった。いや、そんな駆け引きや脅しがあるなんて田舎出身では考えつかなかった。エミリーや副局長の奥方が使った汚い手口も。
「スタンリー! お願い。私、実家にもう帰れないの。私たちうまくいってたじゃない。最初はあなたを騙したけど……一緒に暮らしてあなたのことを愛してしまったの」
「君はそもそもずっと俺を騙してた。そんな人間、もう信用できない」
エミリーは泣いて喚いていたが、局長の指示で摘まみだされた。
気付くといつの間にか窓辺に鮮やかな青い髪の獣人が立っていた。スタンリーに厳しい言葉を投げかけてきた獣人だ。
「後処理は終わった。ギデオン、いやオオカミ獣人の体はあなたの屋敷まで運ばせた」
「ありがとうございます」
局長は嬉しそうに立ち上がる。この人、竜人の鱗は諦めたけどあのオオカミ獣人の死体を引き取るのか。まぁ、ドラクロアまで持って帰るのも大変か……。
そんなことを考えていると、青い髪の獣人と目が合った。
「あの、エーファがどこに行ったか分かりませんか?」
「俺は全く分からない。竜人様と一緒だから。虹の谷に行った後どこに行くつもりなのかも知らない」
青い髪の獣人は最初にヴァルトルトに来た三人のうちの一人だったが、オオカミ獣人ギデオンの存在が大きすぎてあまり覚えていなかった。
「エーファは……ドラクロアでどう過ごしてましたか」
「それを聞いてどうする、スタンリー・オーバン」
「自分のバカさ加減を再認識しようと」
黄色い目がすうっと細められる。彼も彼で綺麗な顔立ちをしている。怜悧な容貌が目を細めたことでより鋭くなり、ヘビにでも睨まれている気分だ。しばらく沈黙があったが、やがて彼は遠くを見ながら口を開いた。
「俺が見た彼女は何かにずっと怒っているようだった。恐らくドラクロアのすべてに怒っていたんだろう。稀に、いや程よくその怒りのエネルギーを発散しながらギデオン、番だと連れて行ったオオカミ獣人に決して心を許していなかった。そのあまりの頑なさに俺は驚いた。こんなに強い人間がいるのかと」
「……そうですか」
唇を噛みしめる。エーファは、どこに行ってもエーファだった。
ドラクロアで番は溺愛されると聞いていたが、そんなことエーファには関係なかったんだ。エーファは俺を置いて行ってなんていなかった。
「彼女だけが見据えている目的があるようで、俺にはそれが何か理解できなかった。それがお前のもとに帰ることだったんだろう。何が起きても、誰かが死んでも彼女は迷いながらもギデオンには靡くことはなく、最終的にそれを貫いた。結果は……この通りだが」
「はい」
スタンリーはエーファが隣にいてもいつも置いて行かれる感覚がしていた。
魔法でそれは顕著だった。エーファは派手で威力の高い攻撃魔法がとても得意なのだ。堕落火や鉄火扇とか。スタンリーはそんな威力の高い派手な攻撃魔法は繰り出せない。幸い、スタンリーは細かい魔力操作が得意だったので一緒に魔法省の試験に合格することはできたのだが。
エーファがドラクロアに行った時も、約束したのに置いて行かれた感覚があった。これまではエーファが隣にいたから良かったが、毎日不安だった。その不安に蓋をした。
彼女は約束を守って帰って来たのに。彼女のおかげで子爵家もうまくいっていたのに。結局、すべて悪いのは自分だ。置いて行かれるかもしれない恐怖で、エーファも自分も信じ切れなかった。
「ずっと後悔し続けるといい、スタンリー・オーバン。今日と今日までのことを」
しばらくスタンリーを眺めていたが、ひらりと窓の枠を飛び越えて青い髪の獣人エーギルは外に出る。
「俺もずっと後悔していることがある。つまらない見栄とプライドで愛を永遠に逃した日々のことを」
彼は笑って小さなトカゲの姿になり、迎えに来たようなカラスにへばりついて飛び去った。
スタンリーはエーファに完全に置いて行かれた。
エミリーはしばらく俺に付きまとってきた。同期から「可哀想だろ」とかいろいろ言われたが無視して、局長に頼んで常に討伐の遠征メンバーに加えてもらっていたらやがて姿を見かけなくなった。二十上の貴族のところに無理矢理嫁がされたらしい。
最初からこうしておけば良かったんだ。何を不安で外野に振り回されていたんだろうか。
「スタンリー。遠征続きだから休めと言いたいところだが、今度の遠征先はオーバン子爵領とシュミット男爵領なんだ。行くかい?」
「はい。うちとエーファの領地で何が?」
「治水工事の影響なのか分からないが、魔物の動きが活発になってきて民家まで降りてきているらしい。それの討伐」
「行きます」
局長はスタンリーをじぃっと眺めた。局長に名前を呼ばれ始めたのはつい最近だ。
「今の君なら魔物の餌にしなくて良さそうだ。いい戦士の面構えになった」
「ここは魔法省で俺は職員ですけど……戦士でも兵士でもありません」
「まぁまぁ。細かいことは良いけど、書類仕事は頼むよ」
「副局長がやればいいじゃないですか」
副局長は自分の妻がやっていたことを何も知らず、謝られた。スタンリーが目をつけられたのは、副局長が妻に「面白い子が入った」と喋っていたかららしい。それは嬉しかったのだが、素直に喜べない。副局長の以前の婚約者の浮気もあの奥方が仕組んだことだったらしく、とうとう離婚したようだ。
エーファにはあれ以来会っていない。エーファの両親にも。
合わせる顔がない。どこにいるかも分からないし、一生もう会わないのだろうと思っていた。運命というのは不思議だ。




