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75.魔王城を勇者から守れ! 前編


 その日、ルミテス教総本山ローム教皇国バツカン大聖堂にて、ローム教皇パウルス7世は従者の者たちに本日の修道衣を着せられ、歩み出した。

 大会議室では各国代表のルミテス教大司教たちが集合している。

「……はじめなさい」

「はい、では」


 大司教の一人が黙示録のページをくくり、読み上げた。

「百二十七章十九。『彗星アルデローン(あらわ)れ、月にその姿がかかるとき、魔王復活せり』」

「……彗星は?」

「明日には月の裏側に隠れ、一時的ですが月の周囲を通過すると天文部より報告が」

「明日ですか……。報告が遅いのではありませんか? なぜ今までこのことが放置されていたのです?」


「それが、その、天文部の言うことには、『今になって魔王も無いだろう』とほうっておかれていたとのことで」

「愚かな……。どうですか? ルミテス様からの啓示は」

「なにもございません」

「何もないとは! ルミテス様はどうしてしまったのだ!」

「そういわれましても、もう七十年以上ルミテス様からのお言葉は何もありませんし」


「最新の報告では、供物の注文があったと聞いておりますが?」

 急に俗っぽくなった。

「ここ数か月はどこの教会支部にも降りておりませぬ」

「……あり得ません」

 教会では季節の農産物を収穫の恵みとしてお供えが行われていた。

 それがいつの間にか消えてしまうのだから、ルミテス様はお喜びだとどの教会でも勝手に思っていたのである。

 それが、ここ一年ほどパンだのジャムだのバターだの紅茶だの肉だの野菜だの調味料などと妙に具体的になりだしたとの報告が各教会より上がっている。

 それは小さな教会の神父の夢枕にルミテスの使いという妖精が立ち、(ことづ)けされるだけで、神父が目が覚めてから「そういえばそんな夢を見た」と修道士、修道女に話し、供物に加えてもらったらそれも消えていた、という程度の物で、その報告が各地の教会から上がっていた。


 それは名もなき地方教会ばかりで、しかも教会の負担にならぬように特定の教会に集中することもなく世界中のルミテス教会でランダムであり、どれも一回こっきり。教会同士のネットワークではただのネタ、笑い話にすぎなかった。

 教皇庁にそのことづけの報告が上がったのはごく最近のことである。

 慌てた教皇庁がその事態について本格的に調査を開始した時には、その供物の注文はぱったりと止まってしまっていた。

 実のところパレスでは、マリーが買い出しに行くようになって、供物の必要がなくなっていたのである。


「恐れながら、その、ローム教皇庁は……」

「よい、申してください」

「ルミテス様に見放されているのでは?」

「ばかな!」

 終始穏やかな口調であったパウルス七世は声を上げた。


「ルミテス様は魔王の復活をお見逃しになるのでしょうか?」

「ありえぬ、ありえぬ、ありえぬ……」

 パウルス七世は頭を抱えて苦悩する。

「このままではローム教皇庁の権威は地に落ちます」

「聖剣派遣軍の派遣を検討いたしたく」

「………………」


 長い沈黙の後、パウルス七世は静かにうなずいた。

 パウルス七世はうなずいただけだったが、集められた大司教たちは色めき立った。

「各国の冒険者ギルドに通達! 勇者を集結させよ!」

「七十年ぶりの聖剣派遣軍だ、今度こそ魔王城を叩き潰す!」

「聖剣! 聖剣の封印を解くのだ!」

「今冒険者ギルドの勇者は何人おる?」

「把握しておりません……。なにぶん冒険者ギルドも各国で廃止、解散が続いており、数も減る一方ですし」

「すぐに報告せよ!」


 そんな大司教たちの騒ぎに無言のまま顔を上げたパウルス七世。その目は暗く光っていた。




「あれ? グリンさんは?」

 パレスでの昼食。いつもの通り食堂に集まってメンバー全員で、ヘレスの配膳する焼き魚の料理に喜んでいた太助は、グリーンホエールのグリン姉さんがいないことに驚いた。

「せっかくの魚なのに」

 寝起きが悪く朝食にもめったに顔を出さないグリンだが、昼食には顔を出して眠そうに食べているのがいつものことだったが、今日は見回しても食卓にいない。


「グリンはしばらく休みじゃ」

 ルミテスは魚の骨をよけながら答える。

「魔族の国で、知り合いの国王夫婦に初孫が生まれたそうでの、お祝いに行っておる」

「自由だなグリンさん……。ここしばらくは二号抜きで救助活動をやらなきゃいけないってことか……」

「二号ってなんじゃ。おぬしのう、そのメンバーに番号をつける小ネタはいいかげんにやめんか!」

「ごめん……」

 太助しょんぼり。


「でも魔族っているんだな、この世界」

 太助のいまさらな疑問にマリーが答える。

「いますわよ。別に他の種族と何も変わりません。魔族の種族が集まって住んで国になっているってだけですわ。今ではどこにでもある普通の小国ですのよ」

 マリーの態度からそんなことは当たり前で、「魔王」という存在が特別なものではないことがわかる。


「ふーん。俺の知ってる世界だと魔族って、人間征服しようとしていつも戦争仕掛けてくる悪い奴扱いなんだけどな」

「それ人間から見た話なだけですわ。ナーロッパの中央、やや北方になりますか。農産と畜産、それに時計や印刷などの精密機械工業に銃器の製造などで財政を賄っている中立国ですの」

「中立国? そういえばこの世界にも永世中立国があるって話聞いたことある。確かスイサとか」

 そんなのあるんだと太助は驚く。


「スイサはナーロッパの中央近くにあるからの。各国から干渉を受けやすい土地柄じゃ。昔からいざこざが絶えなかった。それで国王の……魔族じゃから魔王と呼ばれておるが、七十年前にその魔王アルデランが全世界に永世中立を宣言したのじゃ」

「宣言したからって、誰も戦争仕掛けてこないとはならないだろ」

 日本の憲法九条と同じである。実際に戦争になれば誰もがそんなことを無視して国土に踏み込んでくる。宣言してしまえばもう安全、などと思うのでは「バリアー!」と叫んで手を四角く回す小学生と同じである。


「そこは魔族じゃからの、国民の一人一人がめっぽう強い。世界有数の軍事力を誇る強国じゃ。他国に侵攻はせぬが、そのかわり他国の侵略も許さぬ力がスイサの国民にはある」

「国民皆兵制度か」

「それだけではない。スイサはナーロッパの隠し金庫と呼ばれておっての」

「うわっそれどこのスイス銀行……」

「スイサじゃ。中立不干渉を良いことに、世界中の金持ち、政治家、有力者や大企業の隠し財産を一手に引き受けておるからもはや誰も手が出せぬのじゃ。ナーロッパの奇跡的な勢力バランスの上に、こんな国も無いと困るという暗黙の必要悪により、中立を保てているのが魔族のスイサという国ということになるかのう」

「はー……」


「そんなわけでの、いまさらスイサが魔族だからって、魔王討伐に攻め込もうなどと言う国は……」


 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ~~~~!

 昼食中、いきなり非常ベルが鳴った。出動だ!

 全員食事中にもかかわらず、すぐに指令室に駆けだした。

 それが仕事なのだから毎度のことなのだが、やっぱり食事を配膳したヘレスはちょっと腰に手を当てておかんむりになるのは仕方がない。


「スイサ国境に勇者軍が集結しているんです!」

 一人で昼食時間、ハチミツを舐めながら監視を代わっていた妖精のベルが指令室メインパネルを指さした。口の周りがベタベタだ。

「警報止めよ。なにを考えておるのじゃ教皇庁は……」

 ルミテスが頭を抱える。

「アンタの責任かい」

「聖剣派遣軍の勝手な暴走じゃ。わちのせいにするでない」

 ルミテスがにらみ返す。

「七十年ぶりになりますか……」

 ベルもあきれたように言う。


「勇者っつっても、俺、あのバミューダトライアングルで溺れかけてた奴しか知らないんだけど」

 あんなやつが一国に戦争仕掛けてるのかと思うと疑問が尽きない。

「ベル、冒険者ギルドがいまだにある国ってどれぐらいじゃ?」

「七か国です」

「そんなに減っておるのかの……。ま、今じゃマスケット銃や大砲や爆弾でたいていの魔物は追い払えるからの。勇者や冒険者など時代遅れと言うほかないわの」

「つらいなこの世界の勇者」

「では集まっている勇者は七人と言うことですかな?」

 ハッコツがケタケタ笑う。


「グリンもちょうどスイサにおるし、何も問題ないわ。昼食に戻るぞ」

 ルミテスが急速に興味を失って振り返った。

「了解っす!」

 太助は全力ダッシュで厨房に駆けだした。

 早くしないとヘレスが全部昼食の残りを残飯にして皿を洗ってしまう。


「あああああああ!」

 厨房に戻ってみると、すでにスラちゃんがテーブルの上に乗って、食べかけの食事を片っ端から体の中に取り込んでいた。

「……間に合わなかった。ヘレスちゃん、出動中止になったんだけど」

 ちらっとヘレスを見る。

 何事もなかったかのようにヘレスは非常に非常に冷淡な態度で、綺麗になった皿を集めていた。

 太助たち救助隊のメンバー、腹を空かせながら夕食まで仕事を頑張ったのは仕方がなかった。



「かわいいのう――――! 可愛いのう――――!」

 スイサの魔王城では、グリンが産着に包まれた赤子を抱いてにやけていた。

 いつもの水中活動用紐ビキニではなく、ちゃんとした黒いドレスを着て正装している。

「でかしたのうエルザ!」

「ありがとうございますグリンおばさま!」

 出産を終えた王子妃のエルザも嬉しそうだ。

「今まで重荷を背負わせているようで余も辛かった。許せよエルザ。そして、おめでとう。心より礼を申す」

 頭から二本、角を生やした魔族の王、魔王アルデランはそっと赤子の頭に手を添える。ちいさな角がうっすらと、生えかかっていた。


「これでスイサも安泰ですわ」

 王妃であるライラーンも初孫の誕生に涙ぐむ。

「そんな、子供が生まれたぐらいで」

「いや、この子は魔族の希望なのだ。強く、よい子に育つことを期待しておる」

「父上、ありがとうございます」

 傍にいた王子アルデンテの言葉にうなずくアルデラン。

「慣例通り、王位を後継者ができたそなたに継承しよう。余は隠居だ。後は頼むぞ」

「はい!」

 新魔王、アルデンテは力強く返事した。


「ほれほれ、べろべろばー、べろべろばー」

「きゃっきゃっ」

「……グリン殿、そろそろ二人を休ませてやってよろしいかな」

「おう、すまんのう。調子に乗りすぎたわ。二人、ゆっくり休むとよいの」

「はい、ありがとうございます」

 魔王アルデランがグリンに声をかけると、元、魔王の息子とその嫁、アルデンテとエルザはグリンに頭を垂れた。グリンはそっと赤子をエルザに手渡し、そのまま二人は部屋を出てゆく。


「グリン殿には世話になりっぱなしだ……。あの時受けた説教、今でも心に刻んでいます。余がこうして孫の顔を見て喜べるのも、みなあなたのおかげです」

「それほどのことはしておらんの」

「あなたに殴られた一発一発が、心にしみて痛かった。亡き母にぶたれたかのごとくでした」

「あれは勇者どもも悪いの。もう水に流すの」

「そうですね。私もいよいよ魔王を引退ですし、これからは好きに遊んで生きていくことにしましょう」

馬上少年過(ばじょうしょうねんすぐ)

 世平白髪多(よたいらかにしてはくはつおおし)

 残躯天所赦(ざんくてんのゆるすところ)

 不楽是如何(たのしまずしてこれいかん)、じゃの」

「……どういう意味ですか?」


「なに、昔の武将の言葉だの。『子供の時から戦争ばかり、平和になって白髪になったが、ここまで生き残れたのは天が許してくれたから。ならば残された人生楽しんでいいんじゃないか』という意味だの」

「……いい言葉です。そうありたいと思います」


 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ~~~~!

 魔王城に非常ベルが鳴る。

「なにごとなの!」

 グリンが驚いて魔王城の回廊を見回す。

「どうやら無粋な連中がお祝いに推参してきたようですな」

 魔王アルデランはこのことを予感していたかのように、冷静に答えた。

「警報切れ! 赤子が目を覚ます!」


 ベルが鳴りやみ、側近の魔族が駆け寄る。

「魔王様! 勇者の一団が魔族領に侵入しました!」

「……楽しませてくれるわ。よかろう。相手しよう。他の者には知らせるな」

「わっちょも出てよいかの?」

 グリンの参戦表明に魔王が目をむく。


「いけません。あなたは仮にでも勇者パーティーのおひとりだったのですから」

「かまわぬの。だからこそなおのこと今の勇者には説教が必要なの」

「あいかわらずですなあ……。では共に最後の(いくさ)、楽しみましょうか」

「おう!」




次回「76,魔王城を勇者から守れ! 後編」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 魔王位を譲ったら、前魔王なのか大魔王なのかな。
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