73.北洋航路探検隊を救助せよ! 中編
あきれたことにあの「異世界救助隊」と名乗る男は、ずっと流氷の上で、最初の会見をした探検船と空中宮殿の中間地点で、折り畳みの椅子の上に座って待っていた。どれだけ自信があるのか、イグルス兵たちには、それが空から降りてきたあの巨大な城の威圧そのものに見え震えあがったものである。
探検船からは次々と降ろされた網のロープを伝って海軍兵が降りてくる。
その兵たちに太助は歩み寄った。
「あー、武装はダメ。鉄砲担いでるやつの救助はしませんので、船に戻って。それから収容は重傷者が先。病人とか、倒れた兵隊さんがいるでしょ?」
「私は艦長のジョン・フランクトン。グレートイグルス王国海軍大佐である。誇り高き王国海軍は断じて降伏はせぬ!」
なんだか威圧的な男が出てきた。
「降伏しろなんて言ってないでしょ。救助ですってば。悪いけど艦長は最後まで船に残って。それが艦長の責任ってもんです」
「なんだと!」
「王国海軍の大佐が、真っ先に船を逃げ出しちゃ、部下に示しがつきませんでしょうが。もう降りちゃったみなさんは重傷者の下船に手を貸してください。うーん仕方ないか。作業の邪魔でしょうから鉄砲は預かります。この布の上に置いてください。」
太助は別に慌てる様子も怖がる様子もなく、氷の上に大きな風呂敷を広げた。
大荷物を運ぶときに使う、例の無重力風呂敷だった。
「ぬぬぬぬ……」
軍人の意地か、銃を手放すのは全員が渋ったが……、副官のフイッツジェラルドが「我々は救助要請をしているのだから当然のことです。今ここで戦ってわれらに何の得があります? この上さらに恥を上塗りしますか」と言うと、全員、黙った。
「兵隊さん、暖かい紅茶を飲み、焼き立てのスコーンを食いたくないんですか?」
この太助のセリフにはイグルス兵士、全員白旗である。担いでいた銃を降ろして次々に風呂敷の上に乗せた。
「弾丸と、火薬も」
先込めマスケット銃の兵士はみな、弾丸と黒色火薬を入れた牛角の火薬入れを別に持っている。当時のマスケット銃はまず銃口から黒色火薬を流し込み、布や羊毛で弾丸をくるんで突き、火皿に着火用の火薬をさらにこぼしてから発射していた。別に携帯している黒色火薬は集めれば十分爆弾となりえたのである。そのことを太助はちゃんとルミテスに注意されて知っていた。
全部で二十丁はあったその鉄砲と道具を風呂敷で包むと、太助はそれを軽々と背負って氷の上を歩き出した。それを信じられない化け物を見る目で兵士たちが見送る。
「たいした男だ……」
フイッツジェラルドは、ちょっと笑った。
下船した王国海軍兵たちは、ロープで次々と降ろされ、まず担架から起き上がれない重傷者から先に、パレス下層の非常ハッチからエレベーターで乗船した。
エレベーターの停止した先は、パレス中層、地下水道である。
広々と改装され、大人数が収容可能なその空間は暗く陰湿ではあったが、特に不潔なこともなく、コット(折り畳み寝台)と寝袋が並べてあった。
薪が積まれてあり、フードをかぶった痩せこけた男があちこちに配置されたストーブにケタケタと笑いながら火をつけて回っている。
太助はストーブの上に水の入った薬缶を並べて、お湯の準備をしていた。
「あー、コットの使い方を教えます。手の空いている人は手伝ってください」
太助は子供キャンプの添乗員みたいに、コットを袋から出し、組み立てて見せた。折り畳み式の鉄パイプの布張りベッドだ。
重傷者を担架で運んできた、まだ動ける兵士たちはそれを見習ってベッドを組み立て、並べる。
「はいはい、寝袋と毛布はこれ。組み立てたコットの上に置いていって」
兵士たちは従順に従った。全員、「助かった」という安堵を隠せない。
「健康診断じゃ!」
かなりの数の重傷者がベッドに寝かされ、並ぶようになると、白衣を着た十歳ぐらいの幼女が来て一人一人診て回るのである。これには兵たちも驚いた。
「起きんでよい。寝ておれ。そろいもそろって脚気と栄養失調じゃのう。おぬしら全員点滴じゃ! なんで鉛中毒がこんなに多いんじゃ!? ベル、生理食塩水500ミリリットルとビタミン剤とブドウ糖、水銀と鉛の吸着剤の点滴をエレベーターに百三十人分じゃ」
幼女ルミテスもほほに張った無線パッチで指令室のベルに連絡する。
「お、お嬢ちゃんが医者をやるのかい?」
起き上がれない兵士が小さい幼女の女医を見て驚く。
「文句あるかの?」
「いや、あの」
「鉛中毒はなんたることかの。おぬしの船、食器に鉛とか使っておらんかの?」
「鉛かい? そういえば浄水設備に鉛管使われていたような」
「缶詰も、はんだで蓋がしてあったな」
「それじゃ原因は。鉛は体に毒なのじゃ。覚えておかんか」
「……すみません。本国に帰ったら具申します」
「よろしいのじゃ。それにしてもおぬしら臭いのう……。最後に風呂に入ったのはいったいいつじゃ!」
船医も倒れてベッドで寝ていたが、「点滴」という見たこともない治療方法に驚いている。いろいろ聞きたかったが、狼男の怖い顔をした大男の獣人が小さな女医の後ろで仁王立ちし、兵士たちににらみを利かせていた。
「手が空いた人から休憩してください」
太助が貨物用エレベーターから大量の、ティーカップと山盛りされた焼き立てスコーンを台に乗せて運んできたときは兵士たちから歓声が上がったものである。
もちろん、ヘレスとマリーが手分けして準備した。
「なんということだ、これは……」
最後にパレスに乗船してきたジョン・フランクトン。グレートイグルス王国海軍大佐は、ベッドに並べられて治療を受け、元気な者はストーブを囲んで、お茶とスコーンで助かったことを喜び合う姿に驚愕したものである。
「……ヘレスちゃん、イグルス人、嫌い?」
?
ヘレスは厨房でさっそく、129人分の料理を大量にマリーと一緒に調理しているわけだが、その料理が……なんというか……ひどい。
「なにこれ……燕麦を煮ただけのお粥、ウナギをぶつ切りで煮込んだ生臭いゼリー、なんかの膜で包んだ汚いひき肉のかたまり、ニシンが顔を出してこちらをにらみつけているパイ、油で揚げただけのジャガイモと魚、血がまじってそうな毒々しい真っ黒なソーセージ……。いくらなんでもかわいそうだよ」
見るからに残飯である。イグルス首都ランドンの貧困層で生まれ、幼少期から虐待と隷属の日々を送ってきた元娼婦のヘレス。イグルス人に並々ならぬ恨みを持っていてもおかしくなかった。
ヘレスは誤解だとばかりに手をぶんぶんと左右に振る。
「太助様。イグルス人にはそれで十分なんですわ」
イタルアの元公爵令嬢、マリーが本当に嫌そうに食器運びの台にその料理を並べてゆく。
「マリーもイグルス人に偏見を持っているとは」
「偏見じゃありませんのよ。どれもイグルスの代表的な家庭料理ですわ」
「ウソだろ!? 信じられんわ!」
「こんなもの食ってる連中は信用できないかもしれませんけどね、ほんとですの」
「捕虜虐待じゃなくって?」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないで。ウソだと思ったら持って行ってくださいな。連中、涙流して喜びますわよ」
……太助が心底驚いたことに、兵士たちはその不気味で汚らしい料理を見たとたんに歓声を上げて大喜びし、泣きながら全部残さず食ったのである。
「なんなんだよこいつら」
そこだけは、全く理解ができない太助であった。
とにかく臭い兵士たち。
下水施設の水溜め場を綺麗に清掃させ、神泉の風呂水を流し込めるように兵士たちを使って作り替えた。流れてくる冷めたお湯は太助たちが使った残り湯だが、それでも兵士たちは大喜びして入浴し、どんどん健康になってゆく。それは不思議なぐらいの効用だった。
「どうじゃ? 連中は」
サロンでお茶とお菓子で一休みの太助たちとルミテス。収容したイグルス兵たちの話になる。
「もう点滴いらないね。だいぶ回復したよ。そろそろ本国に送ってやるか」
「そうじゃの。そうでないと、そろそろやらかすころじゃからな」
「……やらかすって、なにを?」
ウォオオオオオオオオオオオオン~~、ウォオオオオオオオオオオオオン~~、ウォオオオオオオオオオオオオン~~。
パレス全域に、非常サイレンが鳴り響く。
非常ベルじゃない。サイレンだ。それはパレス自身に危機が迫っていることを示していた。
「イグルス兵たちが暴れ出しました!」
ベルが宮内放送で報告してくる。
「ほらの」
「って、大変じゃないか!」
「最初からこうなるとは思っていたのじゃ」
内線電話を取り、ルミテスはベルに指示をする。
「警報止めよ。全員、指令室に集合じゃ。指令室で待機。よいな」
受話器を置いて、ルミテスは通路を歩き出す。
「イグルスの伝統。イグルス人の本性じゃ」
「伝統と本性って?」
「海賊行為じゃよ」
「海賊!」
太助はルミテスの言葉に驚いた。
「イグルス王室は大航海時代から、海賊行為で財源を稼いでいた。国を挙げて外国船を襲撃し、財貨を略奪していたのじゃ。そんな事実はないととぼけながらの」
「ひでえ」
「れっきとした正規軍の海軍が、海軍の船を使って、洋上の他国の貿易船を襲い、乗員を殺害し、財宝を奪って、それを国に献上していたのじゃ。歴史的な事実じゃの」
「そんなこと許されるのかよ!」
「時の女王が推奨し、後ろ盾になっていたのう。二流国家だったイグルスは海賊行為で国家財政を潤し、国を建て直して一流国家に発展させたのじゃ」
「なんだよそれ……」
「この世界の絵本に出てくる海賊の船長、よく見てみい。あれ、イグルスの正式な海軍士官の制服じゃぞ。海賊にしてはやけにいい服といい帽子かぶっておるとは思わなんだか?」
「いやそんなこと言われても海賊マンガぐらいしか読んだことないからわからんけど」
ピーターパンに出てくるフック船長。あれ、英国海軍の軍服だったのかといまさらながら思う。
「イグルス王室は奴隷貿易でも儲けていたのう。植民地から奴隷を捕獲しては、新大陸に売りつけておった。麻薬のアヘンも堂々と売り買いしておる。一方的な強制でな」
「鬼畜、ド畜生じゃねーか!」
「それがイグルス人というものでの」
「なにが紳士淑女の国だよ!」
「……おぬしの世界ではどうだったか知らんがの、イグルスを紳士淑女の国なんてこの世界では誰も呼ばん。世界一の野蛮国じゃ」
よく考えてみればあんな小さな島国が、石炭を掘り出したぐらいで世界の覇権を握れるわけないのである。そこには極悪非道な犯罪行為が、公然と国策で行われていたのだ。
ただ奪うだけ。儲かるに決まっていた。大して大きくもない島国のイグルスがこの世界で大国にのし上がった理由である。
「地下水路の閉鎖扉、破られました!」
指令室に到着したルミテスをベル、マリー、ジョン、ハッコツにスラちゃんが出迎えた。
兵士たちはパレス中枢にはもちろん出入り禁止。地下水路から上に上がる通路は扉で閉鎖し、「立ち入り禁止」とちゃんと表示されていたはずだ。だが決起した兵士たちがそんなもの守るわけがなかった。
パネルには、手に斧や棒、ナイフに石材などを抱えた兵士たちの集団が映っている。
「百二十九人、全員が参加しておるのかの?」
「いえ、決起したのは三十人ぐらいではないかと」
「ちょっと待て、ヘレスちゃんがいない!」
太助は慌てて指令室を見回す。
「……人質に取られたかの」
「うっ、くそっド畜生どもがああああああ!」
太助はパネルを見て声を上げた。そこには厨房でロープに縛られて、連れ出されるメイド姿のヘレスがいた。
「あいつら、何が目的なんだ!」
「決まっておるわ。このパレスの乗っ取りじゃよ」
「海賊そのものじゃねーか」
「落ち着け太助」
ぺちん。ルミテスにほほを殴られる。
「よいか太助。逆上するな。何があっても逆らうな。いいか。わちを信じろ」
「そんなこと言ってもなあ」
「わちはこの世界を管理する女神じゃぞ。何も心配するな」
「マジ?」
「マジじゃ」
ルミテスは悪い顔でにやりと笑った。
絶対に悪いことを考えているに違いない、いつもの女神ルミテスだった。
次回「74.北洋航路探検隊を救助せよ! 後編」




