15.要救助者を確保せよ!
その日の午前、例によって今日はロープを使った訓練をハッコツとやった。
まずはロープの結び方。本結びにもやい結び、フェラー結びに8の字結び、テグス(フィッシャーマン)結びに巻き結び。あまり知られていないが強力でありながらほどきやすいツェッペリンベント。
みんなでロープを引っ張るときに途中で輪を作る鎧結びにバタフライノット。
結び方に名前がついて現代まで残っているものは、ほどいて再利用できるように工夫がされているものがほとんどだ。ロープの結び目をほどくのに力がいるという縛り方は素人の間違った縛り方。ちゃんと名前のついた結び方をすれば使い終わった後簡単にほどくことができるのである。
それができるようになったら次は人を運んだりロープを上ったり下りたりするのに必要な腰回りを縛るラペルシートその他その他……。
これは人間の太助には楽勝だが、骨しかないハッコツになかなか困難。
腰って言っても骨盤と背骨しかないハッコツじゃ太助と同じ縛り方ができないのだ。
「……もうお前、もやい結びだけ覚えるか。それで全部通せばいいんじゃね?」
「それなら私にも楽ですな!」
「ケタケタ笑ってんじゃねーよ!!」
「でもせっかくだから、色々覚えておきたいですな。要救助者を縛ることもあるでしょうしな」
ちゃんとしたコイツ専用のベルトが必要か? と何とか新しい縛り方を工夫しなきゃならんなと太助が考えているとき……。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ~!
「出動だ!」
「行きますかな!」
直ちに訓練を中止してパレスの指令室に走り出す。
「教会で火事じゃ!」
女神ルミテスが焦ってパネルを指さす。ものすげー焦ってる。
「教会? 今度こそ人間の教会? いつも異種族多かったけど?」
「人間の町じゃ! パトラス町!」
本格的な人間の町か。他種族に差別意識があるわけじゃないが、連載15話目にしてやっと本番が来たような気がする太助である。見ると確かに教会らしい建物の一階から火が出てもくもくと煙が出始めている。教会のハトさん映像かな……。
「はよいけ――――!!」
ルミテスの慌てっぷりったら尋常じゃない。いつも冷静、というかどこか他人事で火災も事件もあわてないルミテスが、こんなふうになるのは珍しい。
とにかくパネルに映った教会をちゃんと見て、状況を把握する。町の真ん中に建った数階建て、高い建物だ。周囲は住宅街か商店か。一刻も早く延焼を食い止めなければならない。人がすでに多く出ていて、バケツリレーみたいなことを始めて水をかけているが、まともな消防組織ってやつはなさそうだ。
「スラちゃん!」
指令室の中でルミテスにくっついていたペットのスラちゃんがぽよんぽよんと跳ねている。それをすくいあげて胸に抱え庭園までハッコツとダッシュ。
すでに庭園中央には銀色に光るドラちゃんが待機中。消防道具をいろいろ積み込んだバケットを左右に振り分けたものを鞍の後ろに跨がせて乗せる。
ハッコツといろんな訓練で新しく使えるようになった道具が増えて、またドラちゃんの荷物が増えてしまった。これも今後の改善点か。
「そのうち二号が必要になるかもなあ!」
「なんですかなその二号って!」
「ドラちゃんが一号ってこと!」
「なに言ってるかわかりませんがな!」
太助、ハッコツ、スラちゃんの二人と一匹でドラちゃんにまたがり、「出動!」と声を上げるとともに銀の翼が広がり、力強く羽ばたいてパレス空中に踊りだし、ものすごいスピードの急降下が始まる!
「おい、そういやなんかルミテスの様子がおかしくなかったか!?」
「だいぶ焦っておられたようですな!」
「なんでだよっ!」
振り向いて後ろを見るとハッコツがケタケタ笑う。
「そりゃ火事になってるのが、女神教会だったからじゃないですかな!」
「ああ……、そういう……」
妙に納得いった。お身内の火事でしたか……。
眼下にはぐんぐんと市街地が見えてくる。ぶわっと頭を上げて減速にかかるドラちゃん。その姿を見た町の人たちが迫りくるワイバーンに「うっぎゃああああああ――――!」と悲鳴を上げてバケツをひっくり返して離れ、着地できるだけのスペースができる。
「やっぱ消防車にはサイレンがないとダメかもな」
ドラちゃんにサイレンをつけてうーうー大音響を響かせながらの着地。うん、なんかいけそうだ。ドラちゃんはうるさいから嫌がるかもしれないが。
着地して身を伏せたドラちゃんの背中から飛び降り、すぐに鞍にかけた荷物を下ろす太助とハッコツ。
「ドラちゃん上空待機!」
いつもはすぐに飛び立って、仕事が終わるまでいなくなるドラちゃんだが、今日は上空を旋回していてもらうことにした。なにしろ高い建物だ。ドラちゃんの出番もあるかもしれない。軽くうなずいたドラちゃんは羽ばたいて上空に飛び去った。
「な、な、な、なんだアンタたち!」
防火服に身を包んでヘルメットをかぶった太助とハッコツ。まわりを教会関係者に取り囲まれ何事かと詰め寄られる。
えーとえーとえーと。ここで答えるべき言葉を考えていなかった……。
とっさに出た言葉は……。
「私たちは『異世界救助隊』の者です!」と言ってしまった。
「直ちに消火活動をします! 離れてください!」
背負っていた放水くんを手に持ち換えて、上空に向ってリングを回し、水を噴き上げた!
びっくりした教会の連中も信者や町の人たちも、その水の勢いに驚いて距離を開ける。
こういうのは実際に見てもらうのが一番いい。一目瞭然というやつだ。
バケツリレーなどとは比較にならない、大量の放水ができる男。消火の役に立つに決まっていたし、すげえ奴が来たと誰でも思うだろう。
「ハッコツ! 放水開始! 中に入るぞ!」
まず教会の正面扉。水をぶっかけて湿らせ延焼を防いでおく。
教会のドアのノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。
「『教会の扉はいつでも開かれております』ってのは、神父の常とう句ですからな!」
「そういうもんかね。ゆっくり開くぞ。開いたらすぐ伏せろ!」
そう叫んでホースレス空気呼吸器の面体を装着する。普通ならここで「面体装着!」とハッコツにも指示するところだが、死んでいるハッコツにはそれが必要なかったので太助一人で被る。
教会の正面扉を開くと煙が充満しているが、幸いバックドラフトの爆発はなかった。
逆にびゅううううう~と風が教会の内部に吹き込む。
「入り口が吸気口になっちまってるな」
ぼそっとつぶやく。
「る、ルミテス様を、ルミテス様をお救い下され~~~~!」
教会の神父らしい男が駆け寄ってくる。
「まだ中に人がいるのか!」
「ルミテス様を~~~~!」
「あぶねえから下がってろ! 俺らに任せとけ!」
そう叫んで二人は放水しながら火の中に飛び込んでいった。
「扉を閉めろ!」
太助の命令でハッコツが正面扉を閉める。通常こんな消火活動で扉を閉めたりはしない。ホースがあるし、万一の時の脱出が遅れるから。
だが、この教会のような高い建物だと火災中、上昇気流が発生し、建物全体が巨大な煙突になる。さながらストーブの中だ。吸気口となり得る正面扉は閉じておいたほうがいいだろう。そうしないと火の勢いが増しどんどん燃え広がる。
ストーブの煙突は、煙を高い位置で拡散させ煙害を防ぐ目的もあるが、熱せられた火煙が筒を上昇する過程で熱を放出し冷やされ、体積が小さくなることで吸引力を確保し燃料に吸気する燃焼構造でもある。高い煙突ほど吸気能力が高いわけだ。
祭壇のろうそくでも倒れたか、それが香油にでも燃え移ったか。長椅子が並んだ教会一階礼拝堂の周囲に火が移っている。カーテンが燃え上がって天井に火が移りそうだ。
「天井への延焼を食い止めろ!」
「了解!」
訓練のたまものか、ハッコツは巧みな放水くんの操作で壁や天井に水を振りかけ、延焼を防ぐ。太助は床一面に広がった炎を放水で次々に消してゆく。やはり火のついた油をひっくり返したような火事だった。
「誰かいるか――――! ルミテスって、どこだ――――?!」
面体を一時的に外して声をかけたが返事はない。
ルミテスと言えばこの世界じゃあの幼女の女神様だが、地球だって聖母にちなんでマリアと名乗る女性は多い。変に思っている暇はない。
祭壇奥の部屋まで太助は斧を片手にドアをぶち壊し、声をかけながら進んで捜索したが人はいなかった。すでに避難済のようである。
「そうすると二階か……。ハッコツ、手に負えなくなったら退却して外から放水しろよ!」
「了解、でもなんとかなりそうですな!」
そこにとどまって消火を続けるよう指示し、一度正面扉を開けて外に飛び出して教会を見上げ、火災状況を見る。すでに二階に延焼していたか、二階の窓からももくもくと煙が出始めていた。太助は周囲の群衆の中にいたさっきの神父に駆け寄る。
「おい、さっき言ってたルミテスってのは女か!?」
「あ、あの、ルミテス様っていうのは……」
カンカンカンカンカン!
教会の鐘が鳴る。「助けてくれ――――!! 助けて――――!」
見上げると教会の鐘を鳴らしている老人がいる。あんな高いところに……。
「くそーっ、上に逃げた奴がいたか。巻き込まれるぞ!」
煙に巻かれて上に逃げたか、最初から上にいた鐘突き係か、とにかくルミテスとかいう女もそこにいる可能性が高い。
また教会に飛び込む太助。
「ハッコツ! 上に要救助者! 鐘の下にエアバッグ頼む!」
「了解!」
放水しながら通路を確保し、階段を上っていく太助。二階に到達。
燃え上がっている火を噴きだしている二階床、壁を水を撒いて消火しながら三階階段を昇る。
あとは鐘突き堂につながるらせん階段を駆け上がる。この螺旋階段の通路、悪いことにちょうどこの火事の煙突の役目をしていて煙が猛烈に立ち上る。肩のルミテス印の電源不明発光ランプで足元を照らしながら移動し、バンッと勢いよく扉を開けると煙が上がって、鐘突き堂から煙が噴き出し、下で見上げていたやじ馬たちからもうおおおおおおっ! と声が上がる。
「じいさん! 無事か!」
ドアを閉め、四つん這いでげほごほと咳をしている爺さんを抱き起す。
「じいさん、他に人は? ルミテスって女はいなかったか?」
「げほ……、いや、ここは私一人で」
くそっ、どこにいる! と思っても、今はまずこのじいさんが先である。
「よしじいさん、飛び降りろ!」
「ええええええええ!」
「大丈夫だ! いいから飛び降りろ!」
「そんなああああ!」
「うりゃあああああ!」
太助は鐘突きじいさんを抱え上げて、下が見下ろせる鐘突き堂の大きく解放された窓から下を確認し、じいさんを地面に放り投げた!
「ぎゃああああああああああああ――――――――!!」
ぼふっ。
絶叫を上げて落ちていった爺さん。巨大なエアバッグの上に落ち、柔らかなショックでその身を包まれ、無事に地上に避難できた。下ではハッコツがすぐにじいさんをエアバッグから下ろし、群衆に預けて手当を頼む。
教会の鐘突き堂の下に展開された巨大なエアバッグ、空気を吸ってぽよんぽよんに膨らんだ直径10メートル、厚さ3メートルのスラちゃんであった。
「ハッコツ――――! もう一人女がいるはずだ! 捜索頼む!」
「了解!」
ハッコツが下層から、太助が上から、順次、放水くんで水を振りまき消火をしながら要救助者捜索をやり直す。
だが、どこを探してももう一人の女はいなかった。
「……神父さんの勘違いか……」
大方、無事に火を消し止めて、正面扉から出てきた煤だらけで真っ黒な顔になった太助とハッコツは、教会を取り囲んだ群衆の盛大な拍手に迎えられた。
うおおおおおおお――――! 歓声が上がる。
照れたようにちょっと片手をあげて、正面扉階段を降りる太助。教会の神父が駆け寄って手を取り涙した。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「いやあ。……それにしても女はいませんでしたけど、無事は確認できました?」
「ご安心を。それだったら救助済ですな」
横から煤で真っ黒になったハッコツが声をかけた。
「どこだ?」
「これですよ、ルミテス様。火が消えてから教会の人が運び出してくれましてな」
ハッコツが指さしたものを見ると、それは大きく豪勢な額に囲まれた一枚の絵だった。
「ルミテス様ぁ?」
そこには薄いベールをまとった、半裸に近いやたらめったらスーパープロポーションの金髪美女が、光を掲げて手を上げている神々しい絵があった。ところどころ黒くすすけてるが。
「……ルミテスってこんないい女じゃねーだろ」
「信仰というやつは、いわゆる客集めの商売の一つでしてな……」
「なにそのドライな宗教観」
いまさら神も仏も関係なさそうな白骨男、ハッコツはケタケタ笑う。
周囲の野次馬、信者たちが涙ながらに煤だらけになったその絵を取り囲んでありがたや、ありがたや、ついに見ることができたと拝んでいた。
「リーベンスという有名画家が描いた絵だそうで。普段は金取って見せているらしいですな。教会の貴重な収入源ってとこですかな」
「ま、救助できたんだったら文句ねえよ。さぞかしルミテス様も喜ぶだろ」
消火が終わって、まだ湯気を立てている教会を見上げる。これなら大きな修繕をすればまた使えないこともないだろう。火が出てから放水までが早くてよかった。
小さくなってくるくると転がりながら太助の足元にスラちゃんが甘えるようにとりついてきた。抱き上げて撫でまわし、「よくやった! GJだぞスラちゃん」と声をかける。エアバッグはいくつも考えたスラちゃんの救助作戦の一つだった。今回は初の現場投入となる。爺さん一人助けられれば大成功と言えるだろう。
「ハッコツもな。お前にしてみればこれが初出動みたいなもんだったと思うけど、よくやってくれたよ。言うことないわ」
「恐縮ですな」
ケタケタと不気味に笑うハッコツ、嬉しそうだ。
「神父さん、鐘なんだけど、上からロープ垂らして、下からそれ引っ張れば鳴るようにしてあげて。毎回あんな上までじいさんが上るのは大変でしょ」
「はあ、確かにそうですな。文句ひとつ言わずやってくれていましたので……」
「かわいそうだと思わなかった?」
「申し訳ありません!」
いまさらながら神父が頭を下げる。
「あの、それであなたたちは……」
神父が問いかける。
消火前はとっさに『異世界救助隊』と名乗ったが、考えてみれば妙なネーミングである。太助から見ればこちらは異世界だが、ここの住民にはそうじゃない。先に某「国際救助隊」が脳裏を横切ったが、著作権的にそう名乗るのはマズイと思ったのは内緒である。「国際消防救助隊」というのも、日本や各国が共同のネットワークで海外での大規模災害などに派遣して活躍している、実在する組織であるため使えない……。
だが、まるで異世界からやってきたような装備に身を包んだ太助たち。こちらの住民にしてみればそれでも通用するかもしれない。だいいち太助は異世界人だ。気にすることか?
「異世界救助隊の者です。これからも何かあれば駆け付けます。その時はご協力をお願いします」
そして太助は、ハッコツと並んでさっと敬礼した。
「ぎゃあああああああああ!!!! ぞ、ゾンビィイイイイイイ!」
「……いまさらかい。こればっかりは慣れてもらわんとダメかぁ」
「……私が慣れましたがな」
群衆がハッコツを見て逃げ出して遠巻きの輪ができたところで太助はぴぃぃぃぃいいい! と笛を吹き、舞い降りてきたドラちゃんに荷物を撤収して乗り込み、さっさと舞い上がった。
「『異世界救助隊』ってなんじゃ! そこは『ルミテス救助隊』じゃろ!」
後で無線で聞いていたルミテスにさんざん文句を言われたのはもちろんである。
「あんたにネーミングセンスのことは言われたくねえよ! とにかくこれからはそれで通すからよろしくな!」
太助はにやにやしながら、言い切った。
「……まあ良いか。異教徒もおることだし、『神界救助隊』とも名乗れぬし……。異世界から来た救助隊としておいたほうが都合がよいかもしれぬのう……。『異世界救助隊』かの。うーんうーん、なんか違和感あるのう……」
まだ納得いかないのか、ぶつぶつうるさいルミテスであった。
次回「16.地雷女を救助せよ!」




