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第59話 筆頭執事の作戦

前回までのあらすじ


フェルの絶望感は、ハゲに追い詰められた時以上。

納得。

 翌日は朝早くから出発した。

 

 旅籠に無理を言って一番早い時間に朝食を用意してもらうと、その時間に合わせて発つことにしたのだ。

 それはできるだけ早くレンテリア伯爵夫妻に息子や孫の無事な姿を見せてあげたいと願うエッケルハルトの想いを反映したものだったが、それに反して不安に思う者がいるのも事実だった。


 それは誰あろう、エメだった。

 これから夫の実家で娘を保護してもらうことになるのだが、それに関して彼女に否やはない。

 しかし、もとより彼女の立場は非常に曖昧だった。

 だからレンテリア伯爵夫妻に何と言われるのか皆目見当がつかなかったので、その点に関して彼女はとても心配していたのだ。


 フェルもエメも互いを夫婦だと思っているが、それは法的に認められた正式なものではない。

 確かに平民であれば、年頃の男女が一緒に住んでさえいればそれは夫婦と見なされるし、そこに婚姻届の提出など、如何なる手続きも必要ない。


 しかし貴族の場合は別だった。

 国の基幹を担う一族の婚姻に関しては、国にその届けを出さなければならないのだ。

 だからあくまでも駆け落ちをしただけでしかない二人の関係は、そのどちらの実家からも認められたものではなかったし、もちろん婚姻届など出しているわけもなかった。


 そもそも貴族にとっての結婚とは家と家との繋がりを作ることと同義なので、そこに互いの実家の同意は不可欠だ。

 しかし彼らの場合にはもとよりそんなものは存在しなかった。

 

 確かに二人の間にはリタという娘が生まれている。

 そしてその帰属先がどちらの家になるのかと言えば、それはもちろんレンテリア家だろう。

 もちろんそれは男系の血が優先されるからであり、もしかするとそれを理由にリタを取り上げられてしまうかもしれない。


 その思いが常にエメの頭から離れなかったのだ。 




 ご存じのようにフェルの実家――レンテリア家は伯爵家だ。

 そしてエメの実家――ラローチャ家は子爵家だ。


 つまり夫であるフェルの方が爵位は上なので、それを貴族のルールに当てはめると、そもそも法的に妻ですらないエメには当然のように発言権もない。

 そしてラローチャ家がどうであれ、レンテリア家が二人の関係を認めないと判断すれば、当然のようにエメはリタと引き離されてしまうだろう。

 そしてリタは、フェルの婚外子としての地位を強制されることになってしまうのだ。


 それはあまりにも不憫だ。

 愛し合った二人の間に生まれていながら婚外子などという不名誉な地位を押し付けられるくらいなら、実の母親の自分に返してほしい。

 しかしそう願ったとしても、きっとそれは聞き届けられないだろう。

 そのくらい貴族の位と血と結婚とは当事者同士だけでどうにかなるものではなったのだ。



 そんな想いが顔に現れていたからだろうか、エッケルハルトはまるでエメの心が読めるかのように言葉をかけた。

 

「エメラルダ様、そんな顔をしないでください。大丈夫ですよ、旦那様も奥様も怒ってはいませんから」 


「でも……私はフェルの正式な妻として認めてはいただけないのでは……そうしたらリタも取り上げられてしまう……」


「エメ……」


 横でフェルが心配そうな顔をしている。

 彼とて両親の決定を確実に翻させる自信はないようだ。

 しかしそんな姿を尻目に、レンテリア家の敏腕執事は自信ありげな顔をした。 


「まぁ、確かにお二人の関係は正式なご夫婦とは未だに認められてはいませんが……でも大丈夫ですよ、きっと。お二人にはリタ様がいますからね」


「えっ? それはどういう意味?」


「どういうことだ?」


 フェルとエメの顔に、同時に怪訝な表情が浮かぶ。

 するとエッケルハルトはその横でピピ美に干し芋を食べさせていたリタを見つめた。


「リタ様、いいですか?」


「あ゛? なんぞ?」


「もしもお爺様とお婆様が無茶なことを仰った時には、思い切り泣いてあげてください。いいですね?」


「……泣く? なんでじゃ? お(じじ)しゃまもお(ばば)しゃまも、なんぞ無茶なこと言うのかの?」


「いえ、一概にそうとも言えません。あくまでも場合によっては、ということです。まぁ、基本的に悪い方たちではないので……おっと、これ以上は不敬になりますね。フェルディナンド様、失礼いたしました」


「いや、お前の言いたいことは私にもよくわかるよ。父も母も少し難しいところがあるのは確かだ。変にヘソを曲げられたら本当に厄介だからな」


「そ、そんな……」


 フェルの言葉にエメが泣きそうになっている。

 リタの前では優しく強い母ではあるが、やはり貴族の枠組みの中では彼女は弱い存在でしかないのだ。

 それこそ伯爵家を怒らせることがどれだけ恐ろしいことかは、彼女にして十分に理解しているし、駆け落ちの件では既に一度怒らせているに違いないからだ。



「だ、大丈夫だ。私がついている。たとえ父と母であろうとも、理不尽なことを言うのであれば――」


「そこでリタ様の出番というわけです。さぁ、お屋敷に着く前にできるだけリタ様を飾り立てますからね。いいですか?」


 二人の不安をよそにエッケルハルトは一人で大仰に頷くと、何やら自信ありげに微笑んでいたのだった。





 レンテリア家の屋敷がある首都アルガニルの一つ手前の町、モンティエルに立ち寄った一行は、そこで一軒の服飾店に入った。

 そこは裕福な商人などを相手にしている、それなりに高価な洋服が買える店だった。

 そこで何やらエッケルハルトの作戦とやらの準備のために、女児用の洋服を購入することになったのだ。


 本来であれば貴族の子女であるリタが洋服を買う場合、全てがオーダーメードなのだろう。

 しかし今回は時間がないということで、吊るしの既製品で間に合わせることにした。

 それでも金に糸目はつけずに、高級な素材とフリルをふんだんに使った豪華なドレスといった趣の洋服を買い、靴を揃え、それに合わせて髪も切り、最後に薄く化粧まで施したのだった。




 

 そして暫くの後、リタは全員の前に姿を現した。


 その姿は一言で言うと、まさに「姫」だった。


 マルチェノの温泉旅籠で着替えた普段使いの洋服も可愛らしかったが、プロの服飾店員に金に糸目をつけずにコーディネートさせた結果は凄まじいものだった。

 エッケルハルトがレンテリア家の名前を出してすべてを任せた結果、そこには一人の姫が出来上がっていたのだ。


 夏場の間に日焼けした顔は白粉で白く誤魔化したおかげで、母親譲りのプラチナブロンドの髪は余計に輝いて見えた。

 そして両親の良いところだけを受け継いだとしか思えないような神憑り的に整ったその顔は、まさに美少女と呼ぶに相応しい。


 まさにレンテリア家を象徴する透き通るような灰色の瞳は、彼女の顔つきを神秘的な妖精のように見せており、その姿は貴族の令嬢というよりも、むしろ何処かの国の姫君と言っても差し支えないほどの神々しさを醸していたのだった。



「か、かわいい……まさに姫君だな……いや、天使か……」


「す、凄いわ……リタ、本当にお姫様みたい……」


「ねぇねぇ、リタ、リタ、どうしてそんなに顔が白いの? ねぇねぇ」


 何気にドヤ顔でリタを連れて来た服飾店員は、そのあまりの出来栄えに我ながら大満足のようだった。

 彼女ら服飾店員にしても、これほどまでに自分達の作った洋服が映えるモデルを着飾らせたことはなかったらしい。

 そのやり切った感は、リタの「姫」として形に現れていた。


 そのあまりの出来栄えに、両親のみならず世話役の侍女や護衛の騎士たちまでもがぽかんと口を開けてしまう始末だった。

 そのあまりに神がかったリタの姿は、もしも本当に彼女がレンテリア家の令嬢となった暁には、これほど自慢できて鼻が高いことはないと、その場の使用人全員に思わせるものだったのだ。

 それほどまでに対外的に自慢の種になるような愛らしさだった。

 



「なんじゃ、こりぇは……どうして、こうなった……」


 しかし周りの思惑をよそに、当のリタ本人は鏡に映る自分の姿に茫然としていた。

 というよりも、いままでの貧しい生活では自分の姿を鏡に映して見たこともなければ、客観的に自分の容姿を評価したことさえなかったのだ。


 これまでも水桶に映る自分の顔を何度か見たことはあったが、それだけで自分が可愛いのかどうかはわからなかった。

 それでも自分の容姿は母親のエメにそっくりだと言われ続けてきたし、当のエメは美女と言っても差し支えないほどの美貌を誇っているので、それは暗に自分は可愛いということなのだろうか、くらいは思っていたのだが。


 しかしオルカホ村に転生して以来、生きていくのに精一杯で凡そそんな余裕などなかったし、自分が可愛いかどうかよりも、日々の食糧の方がよっぽど心配だった。

 そもそも四歳の幼女が自分の容姿にそれほど頓着することも()()うなかったのだ。



 しかし実際にプロの服飾店員にいじくり回された結果、リタでさえも己の愛らしさは認めざるを得なかった。

 確かにこの容姿で瞳をウルウルとさせた孫娘に「お爺様、お婆様」などと言われた日には、普通の老人であれば速攻で陥落するのは目に見えている。


 エッケルハルトが言うところの「作戦」とはまさにこのことなのかと理解したリタは、満足げに頷くレンテリア伯爵家筆頭執事の顔をジットリとした瞳で見つめていたのだった。

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