第211話 コンテスティ家の夕食
前回までのあらすじ
3歳三女のロクサンヌかわゆす
義理の父――先王アレハンドロの言葉に、思わず黙り込んでしまう勇者ケビン。
突然感謝の言葉を口にした義父に、彼はどう答えれば良いのかわからなかったのだ。
何故なら、結果的にアレハンドロに感謝されるようなことになってはいるが、ケビンとてそこまで考えてきたわけではなかったからだ。
今から13年前、当時18歳だったケビンはブルゴー王国の末姫――15歳のエルミニア姫に突然愛の告白をされた。
それはケビンが魔王討伐の遠征に出る少し前の話で、もしも無事に帰って来られたら結婚してほしいと懇願されたのだ。
この出来事に、さすがのケビンも戸惑いを隠せなかった。
当時エルミニアとそれほど親しい間柄ではなかった彼にとって、その求婚はあまりに唐突過ぎたのだ。
しかし彼女の熱い胸の内を滔々と聞かされているうちに、次第にケビンも絆されていく。
そして魔王放伐に出る直前に、エルミニアの父――ブルゴー王国国王アレハンドロに姫との結婚の許可を願い出たのだ。
あまりに唐突すぎるその申し出は、当然のように国王の不興を買ってしまう。
アレハンドロが末姫であるエルミニアを溺愛しているのは有名な話だったし、勇者の称号を得ていたとは言え、ケビンの身分は変わらず平民でしかなかったからだ。
しかし無下もなく断った父王を、エルミニアは泣いて説得しようと試みた。
涙ながらにケビンに対する想いを語りながら、時には煽て、時には宥め、そして時には脅して父親を説得し続けたのだ。
結局その熱意とともに「もしも許しが貰えなければ、金輪際口をきかない」という、父親にとっては死活問題とも言いかねない殺し文句によって、渋々アレハンドロは許可したのだった。
ただしその条件として、ケビンが生きて帰ってくることを挙げた。
もちろんそれは、ただ生きて帰ってくるだけではなく、魔王討伐を見事に果たすという意味だ。
しかし如何に勇者とは言え、ケビンの身分は平民だ。
仮にも一国の姫をそんな身分の者に嫁がせるわけにもいかないし、周囲の理解も得られない。
そこで考えた苦肉の策は、魔王討伐の恩賞としてケビンを何処かの有力貴族家に養子縁組させることだった。
そして貴族の身分を与えた上で、貴族家へ嫁ぐ形でその結婚を実現しようとしたのだ。
とは言え、実を言うと誰もそれが実現されるとは思っていなかった。
魔族の侵攻を止めるには魔王を討つのが一番の近道なのだが、そのような偉業を成し遂げられるとは誰も思っていなかったのだ。
しかしその予想に反して、見事にケビンは達成して見せた。
もちろん彼一人の力ではなく、仲間たちと師匠――アニエスの存在が大きかったのだが。
結局ケビンは誰も予想だにしなかった「魔王殺し」の称号を引っさげて悠々と帰還を果たすと、瞬く間に国民の人気者になり、国王の末姫と結婚することを国を挙げて歓迎されたのだった。
その後の彼らは、ご存知のとおりだ。
いつまでも仲睦まじいケビンとエルミニアの間には、長男クリスティアンを先頭に毎年のように子供が生まれ続けた。
そして気付けば、8人もの子供の親になっていたのだ。
長男は犯罪者として訴追された挙句に行方不明になり、現国王である次男にはいつまで経っても世継ぎが生まれない。
そんな先王アレハンドロの心の安らぎとして、孫たちは大活躍した。
王位を次男に譲って引退生活に入ったアレハンドロは、3日と置かずにコンテスティ家を訪れて孫たちと遊ぶ日々だった。
そんな先王アレハンドロが娘婿に声をかける。
その顔からは、直前まで孫に向けていた優しい笑みは消えていた。
「さて、この辺で余談は終わりにしよう。 ――それで、だ。これが本題なのだが、どうやら我が息子――イサンドロは戦を始めるつもりらしい」
「戦?」
「い、戦……」
その言葉に胡乱な顔を返すケビンと、緊張を隠せないクリスティアン。
対照的な二人の顔を交互に見つめながら、アレハンドロは話を続けた。
「そうだ、戦だ。 ――ときにケビンよ、隣国カルデイアの話は聞いているな? 行方不明になっていたはずのセブリアンが生きており、しかも新大公になったという……」
何気に複雑な顔をするアレハンドロ。
しかしそれも無理はなかった。
最終的に血の繋がりがないことはわかったが、三十年近くにも渡ってセブリアンを実の息子だと思って来たのだから。
そのセブリアンが突如姿をくらましたかと思えば、10年も経ってから隣国から名前が聞こえてきたのだ。
しかも新しい国家元首になることが決まったというのだから、これで驚くなという方が無理な話だった。
「はい、聞いております。まさかセブリアン殿下……おっと、もう殿下ではありませんね……彼が新しいカルデイア大公になるとは思いもよりませんでした。と言うよりも、そもそも彼が生きていたとは……」
「うむ、そうだな。もっともわしとしては、奴が生きていても全くおかしくはないと思っておったがな。なにせあのオイゲンの唯一の血筋なのだ。カルデイアとしてそんな人間をむざむざ見殺しにするとも思えん。 ――あの後わしは何度も彼の国に問い合わせをしたのだ。よもやセブリアンを匿ってはいないか、とな」
「はい。それは存じ上げております。もとよりその噂は後を絶ちませんでしたからね。彼はカルデイアで生きていると」
「そうだ。しかしカルデイアは尽く否定してきおった。知らぬ存ぜぬと言い張ったのだ。 ――それなのに、このようなことになるとは……」
大人の話に同席させてもらったクリスティアンではあるが、先ほどから一言も口を開かずに黙って話を聞いている。
それでは退屈しているのかと思えば決してそうではなく、彼は彼なりに10歳児としての興味を持っているようだ。
そんな長男に気づいたケビンは、少しだけ微笑んだ。
弱冠10歳にして世情の話に興味を持つ姿を頼もしく思ったらしく、ケビンは彼に話を振ってみる。
「どうした? 何か言いたそうな顔だな。せっかく先王殿下もいるのだし、今の話に疑問があるのなら訊いてもかまわんぞ?」
「は、はい。それでは失礼します。 ――お爺さま。戦なんか起こして、陛下はどうするつもりなのでしょうか? カルデイアの大公を捕えるおつもりなのですか?」
「ふむ。まぁ、有体に言えばそういうことになるな。隣国で即位した新しい大公が、実は自国の犯罪者だったということだ。国のメンツを考えた場合、このまま放置もできまい」
「だからと言って、それを捕えてどうするのです? 自国の犯罪者だからと言って、それを処刑するためだけに捕えるのですか? わざわざ戦を起こしてまで?」
若く穢れを知らない彼は、純粋すぎる疑問をぶつけてくる。
世の中の仕組みを未だ理解できないクリスティアンは、濁りのない瞳で真っ直ぐに祖父を見つめた。
そんな孫とは対照的に、宮廷において長年腹の探り合いに終始してきたアレハンドロは、思わずその瞳を眩しく感じてしまう。
魑魅魍魎の跋扈する宮廷社会においては、一人前に腹芸ができなければ生き残っていけない。
それは他国との関係のみならず、たとえ身内に対してでも本音を語るのが危険であることを意味しており、数十年に渡ってそんな社会を生き抜いてきたアレハンドロは、骨の髄まですっかり毒されていたのだ。
「ふむ。お前が言うのももっともだな。たとえセブリアンを捕えたところで、10年前に執行しそこなった死刑を再度行うだけだからな。 ――殺すために生きたまま捕える。そこに意味があるかと問われれば、些か首を傾げざるを得ぬな」
「はい、僕もそう思います。だからこそ陛下の行動には――」
「クリスティアン、そこまでにしておくんだ。どのような事情があろうとも、表立って陛下を批判してはいけない。最早それは不敬というものだ」
「も、申し訳ありません、言葉が過ぎました。どうかご容赦を」
やんわりとケビンが嗜めると、己の言葉を顧みたクリスティアンはハッとした顔をする。
そして即座に謝罪した。
父親の言う通り、たとえどんな事情があろうとも国王を非難するのは不敬に当たる。
それも悪口のような言葉を吐くなど、凡そ許されることではなかった。
この部屋には祖父と父親しかいないので問題ないが、もしもそれを聞いた第三者が密告しようものなら、下手をすれば不敬罪で死罪も免れられないのだ。
そこに考えが至ったクリスティアンは、そのまま口を閉じると二人に話を続けるようにジェスチャーを送る。
そんな孫の様子に苦笑を浮かべながら、アレハンドロは話を続けた。
「ケビンよ。恐らく明日にでもお前に話がいくはずだ。実態がどうであれ、お前も国王近衛隊の一員なのだから、イサンドロが出征すると言うのであればお前も同行せねばなるまい」
「……陛下自らが出られると? なにもそのようなことをせずとも――」
「いや、間違いなく彼奴自ら出るはずだ。 ――即位から五年。国王として未だなにも成し遂げていないうえに、国民が待ち望む世継ぎすら生まれておらんからな。そこでこの戦だ。必ずや自ら軍を率いてその存在を知らしめようとするだろう。何はなくとも、プライドだけは高い男だからな」
「そうですか……」
まるで吐き捨てるようなアレハンドロの言葉に、ケビンは何も言及しようとはしない。
国王への不敬について息子に注意したばかりである手前、自らがそれを犯すわけにいかなかったのだ。
その後アレハンドロとエルシュはケビン一家と一緒に夕食を囲んだ。
そしてそのあまりに賑やか――を通り越して騒がしい夕餉を大いに楽しんでいた。
長男のクリスティアンこそマナーを守って静かに食事をしていたが、それに対して双子の赤ん坊は泣き叫ぶし、1歳三男のコンスタンは途中で居眠りを始める始末だ。
5歳次男のアルフォンスと3歳三女のロクサンヌはその席で喧嘩を始めて喚き散らし、それを咎めた7歳次女のカタリーナが最後に二人に泣かされてしまった。
9歳長女のヘルミーナは我関せずとばかりに粛々と食事をしていたが、途中でロクサンヌの投げたリンゴを顔面に受けてしまい、これまた大声で泣き出してしまう。
そんな阿鼻叫喚な光景を尻目にまるで飲み込むように素早く食事を終わらせると、ケビンとエルミニアは子どもたち一人ひとりに声をかけていく。
本来であればそのような仕事は専属のメイドが行うべきものなのだが、ケビンもエルミニアも自身の手で直接子供の躾をしようとする。
それは彼ら自身が幼少時にそうして育てられたからであり、いまでも鮮明にその記憶が残っているからだ。
エルミニアの母であり先王の側妃でもあったジャクリーヌ・トレイユがこの世を去ったのは、彼女が28歳で、エルミニアが3歳の時だった。
奇しくもそれは現在のエルミニアと三女のロクサンヌと同じ年齢であり、その偶然にどうしても彼女は自身の姿を重ねてしまう。
これほど愛おしく幼気な娘を残してこの世を去らなければならなかったジャクリーヌ。
その無念さと心残りを想像する度に、エルミニアの瞳には涙が溢れてしまう。
そしてそんな母親の想いを受け継ぐように、今日も彼女は子どもたちの世話に全力を注いでいた。
結婚11年目を迎えても未だ仲の良い娘夫婦と、二人にそっくりな可愛い盛りの8人の孫に囲まれたアレハンドロとエルシェは、食事の手を止めたままいつまでもその光景を眺めていたのだった。








