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第199話 思わぬ良縁

前回までのあらすじ


おっと、ここにきてあのツンデレに縁談だとっ!? エミリー!!

「貴家のご息女であられるエミリエンヌ嬢を、我が息子ラインハルトの妻に迎えたく存じます。 ――如何でしょうか?」


「……は?」


 その言葉は唐突すぎた。

 東部辺境侯バティスト・ラングロワが今日ここを訪ねてきたのは、就任の挨拶と今後の打ち合わせのためだったはずだ。

 少々の雑談を抜かせば、その内容は実務的なものだったし、そもそもオスカルもバティストも世間話をするほど親しい間柄でもない。


 しかし気づけば、最後に爆弾を投げられていた。

 そのせいで完全に虚を突かれた形になったオスカルとシャルロッテは、まるでアホのように口を開けたまま何も言えずにいる。

 そんな二人に気づいたバティストは、額の汗を拭きながら言葉を続けた。


「大変申し訳ありません。あまりに唐突すぎて、答えに窮してしまいますよね……わかります。しかしこの話は決して思いつきではないのです」


「あ……あぁ、まぁ、そうだな。お主の話が突然すぎて、なんと答えたらよいのか――」


 正面に佇むラングロワ夫妻から視線を外すと、オスカルは隣に座るシャルロッテを盗み見る。

 するとそこには、変わらず美しいままの妻がいた。


 若い時から絶世の美女と謳われてきた彼女も、今では38歳になっていた。

 その年齢は女としてとっくに下り坂と言えるが、ことシャルロッテに関してはまるで当てはまらない。

 四十歳も目前に控えた彼女は、最近ではその美しさに妖艶さが増しており、若い時には見られなかった熟した色香すら漂っていた。

 確かに近くで見れば、その顔の端々には小じわが目立つし隠し切れない肌のたるみも目に付く。

 しかし、それを補って余りある色香は、決して若い女には出せないものだったのだ。


 このように、今では「絶世の美女」改め「絶世の美熟女」になっているシャルロッテではあるが、オスカルが視線を向けたその顔は、間抜けのように呆けていた。

 大きく目を見開いて、ぽかんと口を開けた様は、(およ)そバティストの言葉を理解しているようには見えなかった。


 それでもシャルロッテは美しかった。

 虚を突かれ、呆気にとられているその顔さえも、思わず見惚れてしまいそうになる。

 そんな最愛の妻に向かって一瞬優しい笑みを向けたオスカルは、妻より先に返事を返した。


 

「なるほど……確かにそれは説得力のある話ではあるな。東の辺境侯が西の娘を嫁に迎える――東西の辺境侯が親戚になれば、これほど盤石なものはないだろう」


「おわかりいただけますか? 私が思うに、これは決して無理な話ではないと思うのです」


「まぁな。新しい時代の象徴として、それぞれの閥族連中も納得してくれるやもしれぬ。 ――なにより、長年にわたる東西貴族家の反目を終わらせる良い切っ掛けになるだろう」


「はい。そのとおりです」


()いては国のためにもなる――か。陛下もきっとお喜びになるに違いない」

 

「おぉ。ご理解していただけますか!?」


 うんうんと頷きながら、何やら納得する様子のオスカル。

 その姿を見たバティストは、一目でわかるほど安堵の表情を浮かべた。



 実を言うとバティストは、この提案は一蹴されると思っていた。

 何故なら、あまりにこの話が唐突すぎたからだ。


 辺境候に就任したばかりの彼は、当然のように何も実績を残していない。

 それどころか、引き継いだばかりの軍隊も未だにその再編すら着手していなかった。

 国から買い取ったばかりの領地の経営も早く軌道に乗せなければならないし、配下の閥貴族への根回しも終わっていない。

 このように、新辺境候としてやらねばならぬことが山積しているこの状況で、唐突に嫁取りの話をしても相手にされるはずがなかったのだ。


 しかし、そんなバティストに向かって鷹揚に頷くオスカル。

 その厳つい顔には、変わらず笑顔が浮かんでいた。

 

「あぁ、理解した。お主の言う通り、確かにそれはウィンウィンの結果になるだろうな。しかし――」


 そこまで言うと、オスカルは急に押し黙ってしまう。

 そして隣で固まるシャルロッテに視線を向けると、それを合図にしたかのように彼女が息を吹き返す。

 如何にも気が強そうな吊り上がった瞳で見つめると、矢庭(やにわ)に口を開いた。 


「バティスト卿……確かにそのお話は納得がいくものですわ。これまで東西に分かれていがみ合ってきた貴族たちは和解し、両辺境候が親戚になればその体制は盤石のものになるでしょう。その結果は陛下もお喜びになるものですし、まさにすべてが丸く収まるものですわね」


「おぉ!! 奥方もご理解いただけますか!!」


「しかし……しかしです。失礼を承知で申し上げれば、貴家のご子息の評判については以前より色々と聞き及んでおります。それによれば、あまり芳しくないお話も……」


「あぁ……」




 シャルロッテの言う通り、ラングロワ侯爵家の嫡男――ラインハルトは良くも悪くも有名だった。

 常識に囚われない自由奔放な性格と、あまりに大胆かつ破天荒な行動は、規律、規則を尊ぶ貴族の常識からかなり外れていたからだ。


 お気に入りの娼婦のもとに入り浸り、朝から酒を飲んでいるかと思えば、酒場では破落戸(ごろつき)どもを相手に大立ち回りを演じる。

 魔獣が出たと聞けば単身討伐に出向き、盗賊が出没したと陳情を受ければ、配下の騎士を引き連れて大暴れする。

 彼に全滅させられた夜盗集団は数知れず、今やラングロワ領に盗賊はいないと言われる始末だ。


 己の身分などどこ吹く風と言わんばかりの勝手気ままな振る舞いは、東部貴族たちから「ラングロワの放蕩息子」とあだ名されるほどで、アンペール軍の副将軍として父親が苦労していることなど我関せずだったのだ。


 そんな「放蕩息子」を地でいくようなラインハルトは、有能な父親の名を汚すものとして周辺貴族家からその存在を忌避されていた。

 しかし不思議と領民たちからの評判は悪くなかった。

 いや、むしろ多くの領民たちからは慕われており、親しみを込めて「ラングロワの暴れん坊」と呼ばれるほどだったのだ。



 ラインハルトの噂は、それだけでは終わらない。

 剣闘試合などには決して出場しないためにその詳細は不明だが、どうやら彼の剣の腕は相当なものらしい。

 その実力は、若い頃に剣闘試合の殿堂入りを果たした父親をして、「当時の自分よりも強い」と言わしめたほどだ。


 確かにその話だけを聞けば、話を盛っているとか、眉唾ものだという者も多いのだろうが、その噂には裏付けがあった。

 それは単身で魔獣を屠ったり、有名な夜盗集団を根絶やしにしたなどと、ラインハルトの武勇は枚挙に(いとま)がなかったからだ。

 

 そんなラングロワ侯爵家の嫡男には、実を言うとオスカルもシャルロッテもこれまで直接会ったことがなかった。

 確かにその噂は以前から聞いていたし興味もあったのだが、当時は東部貴族と疎遠な関係だったために、貴族が集まるパーティーなどでは意図的に避けていたのだ。


 そこに思いが至ったシャルロッテが、尚も言い募る。

 些か否定的な言葉を担保するように、その顔には少々渋い表情が浮かんでいた。



「ご子息が領民から慕われている話は、以前から聞き及んでおります。民を脅かす盗賊集団が、彼のおかげで根絶やしになったとも伺いました。領民を大切にする姿勢も評価できるものです。 ――しかし、女性に少々だらしがないとも聞いておりますが」


「……恥ずかしながら事実です。いまさら言い繕うつもりもありませんので正直に申し上げますが、大凡(おおよそ)噂通りかと」


 40歳手前とは言え、未だシャルロッテの顔は美しい。

 いや、むしろ妖艶さを増しているほどだ。

 一見その顔を近寄りがたくしている鋭く釣り目がちの瞳を細めながら、真意を見抜くような視線を投げかける。

 

 それを必死に受け止めながら、尚も汗を拭き続けるバティスト。

 横でオスカルが何か言いたそうにしていたが、そんなことなどお構いなしにシャルロッテが話を続けた。


「ご子息は今お幾つでしたかしら?」


「今年22になりました」

 

「そうですか。それでは、エミリエンヌとは7歳差なのですね。 ――その年齢であれば、これまでも結婚の話はあったのでは?」


「えぇ。何度かそのようなお話をいただきました。しかしその度に息子に断られまして」


「断った?」


「はい。まだやり残していることがあるからと。暫くは独り身のままがいいと申しておりました」


「……なれば、今回のお話はご子息には?」


「もちろん通してあります。年齢もすでに20を過ぎております故、そろそろ落ち着けと申しましたところ、わかったと」


「そうですか……」



 それから少しの間何かを考えていたシャルロッテは、今度は対面に座るバティストの妻――ユゲットに話しかけた。

 夫に対するものよりも、その表情は少しだけ柔らかくなっていた。


「ユゲット様。母親として、ご子息をどうご覧になりますの? ここは親の贔屓目抜きにお願いできますかしら?」


 突然話しかけられたユゲットは、思わずビクリと肩を震わせてしまう。

 初めの挨拶以外ずっと無言のままだった彼女は、正面からシャルロッテに見つめられてドギマギしていた。


 同じ辺境候夫人とはいえ、片や上位のバルテリンク公爵家出身のシャルロッテと、片や新米のユゲット。

 その出自と辺境候の妻としての経験の差は如何ともしがたく、全身に緊張感をみなぎらせたまま必死にユゲットは口を開いた。



「は、はい。確かに息子の破天荒ぶりは目に余る時があります。そして、女性に対して少々ルーズなのも事実です。 ――しかしその全ては己のためだけではないのです。常に人のため、領民のためを思って行動しています。そしてなにより、母親である(わたくし)にはとても優しくしてくれます」

 

「……」


「残念ながら多くの方々に誤解されておりますが、あの子は心根の優しい素晴らしい子なのです。さらに言えば、次代の東部辺境候になるだけの力も持っております。実際に会っていただければおわかりになっていただけると、私は信じております」


 まるで相手を説得するかのような勢いで話すユゲット。

 母親として実の息子を擁護するのは当たり前なのだろうが、その姿には間違いようのない愛情が見て取れた。

 如何に母親とは言え、単に息子を庇うだけではここまで必死になれないだろう。

 その姿を見たシャルロッテは、何気に小さく頷いた。


「そうですか――承知いたしました。確かにこの申し出は妥当だと思いますわ。互いに同じ爵位であるうえに、東西の辺境候なのですから。どこからどう見ても、適切な縁談でしょう」


「おぉ、それでは――」


「しかし、私や夫の口から、この場でお答えするのは差し控えさせていただきます。もしも我が娘――エミリエンヌとのご縁をご所望であるならば、娘本人を説き伏せていただきたく存じます」



 その言葉に、怪訝な表情を返すバティスト。

 それから、恐る恐る質問を返した。


「それはつまり――ご息女を口説き落せと?」


「はい、その通りでございます。先ほども申しました通り、(わたくし)どもはこの縁談に否やはございません。様々な事情、情勢などを鑑みた場合、このお話ほど互いにとっての良縁はないのですから。 ――ただしその条件として、娘本人の口から承諾を取り付けていただきたいのです。それも、ご子息自身の手によって」


「……」



 意図せぬ提案に、思わず身を強張らせるラングロワ家夫妻。

 その二人に向かって、シャルロッテは今や薄ら笑いにも見える微笑みを浮かべていたのだった。

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