幕間7 チェスの懺悔 其の三
「ときにチェス君、君は結婚する気はないかね?」
確かに司祭長は単刀直入にとは言ったが、あまりにもその言はストレート過ぎた。
事実チェスは、尊敬すべき司祭長の前で大きな口を開けて仰け反っていたのだから。
しかしその反応も想定の範囲内と言わんばかりに、司祭長ネストリはにこやかなままだった。
「け、け、け、結婚って……司祭長様……それは一体どういう……?」
「あぁ、すまんすまん。言葉が足りな過ぎたな。はっはっは」
豪快に笑い始める司祭長ネストリ。
その姿をポカンとした顔で見つめながら、チェスは思う。
いやそれは言葉が足りないなどと言うレベルではないだろう。
いきなり結婚しないかなどと言われれば、誰だって仰け反ってしまうに決まってる。
それが僧侶であれば尚の事だ。
そんな些かジットリとしたチェスの視線を面白そうに見つめ返しながら、尚もにこやかにネストリが口を開く。
「いや、実はな、今日の御前会議で君の話が出たんだよ」
「は、はぁ。私の……ですか?」
「そう、君の話だよチェス君。 ――ご存じの通り、君はあの魔王討伐メンバーに選抜されるほどの『魔力持ち』だ。事実今でも君に敵うほどの実力を持つ僧侶はおらんだろう」
その言葉に、一瞬チェスの眉が上がる。
確かにあの魔王討伐の際には自分が僧侶代表として選ばれたが、なにもそれは自分の実力が一番高かったわけではない。
その理由には政治的、組織的思惑がその背景にあったのだ。
俗にいう白魔法――治療、治癒、防御や身体能力向上のバフなど――の能力だけで言えば、決してチェスは聖教会の中で一番ではない。
確かに持って生まれた能力と才能、そして努力する姿勢を言えば彼女はこの組織の中でもトップクラスではあるが、それでも優れた諸先輩たちを差し置くほどではなかったのだ。
討伐メンバーにチェスが選ばれた理由――それは彼女が有力貴族家の子女ではなかったからだ。
チェスの実家は男爵家だ。
それも首都から離れた小さな町に狭い領地を持つだけの貧乏男爵で、その序列も経済状態もまさに貴族界でも最底辺と言っていい。
領主自らが市場に野菜を売りに行かなければならないほど経済状態はひっ迫しており、むしろ町の商家のほうがよっぽど裕福なほどだ。
そんな家の三女なのだから当然家を継げるわけもなく、普通であれば同じような他家か裕福な商家に嫁ぐかといったところだろう。
魔法の実力だけで言えば、チェスよりももっと上の者もいる。それも何人もだ。
しかし彼らは何処かしらの有力貴族家の出だったり、親が政治的に力を持っていたりする。
そんな家の子息女を、生きて戻れないほど危険な魔王討伐になど行かせられるわけもなかった。
つまりチェスは「捨て駒」として選ばれたに過ぎなかったのだ。それも可能な限り実力を持つ者の中から。
もちろんそれは彼女自身も承知していた。
そんな裏事情を察しないほど鈍感でもなければ純真でもなかったからだ。
それでも彼女は文句ひとつ言わずに魔王討伐に旅立った。それが聖教会から託された崇高な使命なのだと、無理やり己を納得させて。
そんなチェスの心の内を知ってか知らずか、事も無げにネストリは告げる。
そしてチェスも司祭長の言葉に口を挟むことなく、一瞬で表情を元に戻した。
その様子に変わらぬ微笑みを浮かべたまま、尚もネストリは話を続ける。
「まぁそれはいいとして、君ほどの強力な魔力持ちの血を絶やすのは国家的損失なのではないかと話が出てな」
「は、はぁ……」
「魔王討伐の英雄の君だ。それを一生独身のまま教会に閉じ込めておくのは勿体ないのでは、という話になった。それで君を還俗させて結婚させてはどうかとなったわけだな、これが。つまり、子を産ませよ、ということだ」
「……」
あまりの突拍子のなさにチェスが言葉を失っていると、その顔を見た司祭長がにこやかなまま訊いてくる。
それを見ていると、彼のその顔は本心を隠す仮面に過ぎないのだということが良くわかる。
「なんだね? 不服かね?」
「いえ、決してそのような。 ――しかし私は四歳からずっと教会で育ってきたものですから、急にそのように言われましても混乱するばかりで……」
「まぁそうだな。君の気持ちも理解できる」
「お訊きしても宜しいでしょうか? ちなみにお相手とかは……?」
「まぁ、そうなるだろうな。 ――実は相手はもう決まっている。聖教会を所管する貴族家――ジーゲルト伯爵家の次男坊だよ。彼は未だに独身だからな。それにもう25歳だというのに婚約者すらいない」
「えぇっ!! ディートフリート様なのですか!?」
「おぉ、知っているのか。なら話は早いな。君としては彼をどう思う?」
思わず驚きの声を上げたチェスに、意外そうな顔で訊き返すネストリ。
しかしその彼に、チェスは申し訳なさそうな顔をする。
仮にも聖教会を所管する貴族家の次男なのに、そんな人物を自分は知らなかったのだ。その事実を思うと、とても申し訳ない気持ちになってしまう。
しかしここで適当な事を言っても仕方ないと思い、チェスは正直に話した。
「申し訳ありません。私はそのお方をお名前程度しか存じ上げません。あの……ディートフリート様とは一体どのようなお方でしょうか? なぜそのお歳で独身なのでしょうか?」
「ふむ、そうだな……男の私が言うのもアレだが、見目はなかなかいいと思う。背は高く、顔も男前だと思うぞ。それに気性も穏やかで優しい男らしいな。もっともそのせいで、自分で婚約者も決められないほどに優柔不断らしいがな。はっはっは」
「そうですか……」
ネストリからの情報を考慮しても、やはりリンジーの情報は正しいようだ。
そしてここが一番大事なのだが、間違いなくディートフリートはイケメンらしい。
そこに安堵したチェスは、この際だからと詳しく彼の情報を聞き出そうとした。
「それはそうと、ディートフリート様ほどの素敵な方であれば、これまでも良縁はあったのでは? 何故そのお歳で婚約者もいないのでしょうか」
「ふむ。まぁ、君の疑問ももっともだ。見目も良ければ性格も優しい、そんな青年に良縁が無いわけがないな。 ――実はここだけの話なのだが、ジーゲルト伯爵家には周辺貴族家との間に色々と利権が絡んでいるのだ。だから、こちらから嫁を貰えばこちらが立たず、なんて感じらしいぞ」
「あぁ……なるほど。それでお相手選びに慎重になっておられるのですね?」
「そうだ。先ほど彼を優柔不断だと私は評したが、事はそう簡単ではないのだ。なにせ自分の選ぶ相手によっては、自身の家とこの聖教会の将来に大きく影響が生じるのだからな」
「……理由はわかりました。まさかおかしな性癖でもあるのかと心配しましたが、これで安心しました」
「おかしな性癖……? なんだね、それは?」
「い、いえ、なんでもありませんっ!!」
怪訝な顔のネストリの質問に、チェスは自分のぺたんこな胸とイカ腹を思い出してしまう。
しかし慌てて頭から追い払うと、チェスは尚も質問を重ねた。
「しかし、そこに私がしゃしゃり出たりしてもいいのでしょうか? 仮にも私は僧侶ですし、結婚が許されるなど――」
「いや、そこは問題ない。もともと有力貴族家の便宜を図るために、特段の事情があれば僧侶の還俗は認められている。それに今回の件では、むしろ君のような女性の方が都合がいいのだ」
「都合? なんです?」
「ふむ。さきほど私はジーゲルト伯爵家には利権が絡んでいると言ったな? それを考えると、そこの息子が嫁を貰うのであれば全く関係のないところからなのが一番だ。特に次男坊であれば尚の事。しかし普通の貴族家であれば何処かしらの派閥には属しているし、まさか伯爵家が平民から嫁を取るわけにもいかん。 ――そこで君なんだよ」
「私――ですか? はぁ……」
そこまで聞いても、チェスの顔には怪訝な表情が浮かんだままだ。
まるで意味がわからないと言わんばかりに、司祭長を見つめる。
そんなチェスに向かって、まるで孫娘に言い聞かせるように優しく微笑むと、ネストリは話を続けた。
「ジーゲルト伯爵家は聖教会を所管する貴族家だ。だからそこの息子が還俗した女性僧侶を娶るのはおかしなことではない。実際過去にもそういった例はある。そして君は『魔力持ち』であるうえに、魔王討伐の英雄でもあるのだ。そんな女性を娶ったとしても、誰も文句は言わんよ。 ――いや、言わせない、と言った方が正確か」
「……なるほど。しかし私の実家は男爵家です。お恥ずかしいほどの貧乏貴族家ですが、一応何処かの派閥にも属しているはずですが」
「それに関しては問題ない。君が出家した時点で、君と実家の縁は切れているからな。それを以て影響力を行使しようとする者もおらんだろう」
「はぁ……」
何気にネストリの話を聞いているチェスだが、思えばこれは自分の将来に大きく関わることなのだ。
そして気付けばどんどん外堀を埋められているような気がする。
ネストリの話を聞けば聞くほど、今回のディートフリートの結婚話には自分の存在が欠かせないのではないかと思ってしまう。
そこに思い至ったチェスは、思い切って訊いてみることにした。
「あの、失礼ですが、先ほどからお話を聞いている限り、ディートフリート様の結婚には私の存在が欠かせないのでは……つまりこのお話は、提案ではなく命令と受け取るべきなのでしょうか……?」
その言葉を聞いたネストリは、徐に背筋を伸ばすと真っすぐ正目からチェスを見据えた。
そして真面目な顔で語り掛けてくる。
その様子は、祖父が孫に言い聞かせる姿にも似て、何処か相手を思い遣るような想いが感じられた。
「……いや、これは強制ではない。もちろん君が嫌であれば、断ってくれて構わないし、その場合は他の者に話を持っていくだけだ。 ――ただこれだけは言わせてほしい。今回の話には君が適任なんだと私は思っている。それはジーゲルト伯爵家の抱える問題はもとより、何より君の『魔力持ち』としての血を後世に残してほしいからだ」
「司祭長……」
「いいかい、チェス君。君はここで一生を独りで終わらせるべきではない。君の血を次代に繋げてほしいのだ。幸いにもジーゲルト家も魔力持ちの血筋だ。だから君とディートフリート殿の間には強力な魔力持ちの子供が生まれるだろう」
「わかりました。 ――しかし一つだけお願いがあります。返事を一週間だけ待っていただけませんか? 来週のこのお時間には必ずお返事をいたします。それまで少しだけ考える時間をください」
司祭長の部屋を辞したチェスは、寮までの道を歩きながら考える。
小さな歩幅でとぼとぼと歩きながら、自らの思考の渦に巻き込まれていく。
自分は男爵家の生まれだ。
幸か不幸か「魔力持ち」が発覚したために実家とは縁が切れてしまったが、もしもそのまま実家に残っていたとしても何処かの家に政略結婚させられていただろう。
貴族家に生まれた以上、その将来は自分の思い通りにはならない。それが女であれば尚の事だ。
顔も知らない何処かの貴族と結婚をして、子を産み、育て、死んでいく。
きっとそんな人生を歩んでいたに違いない。
事実、姉は二人とも他家に嫁いで行った。
二人とも顔も見たことのない相手と結婚したと聞いている。
そこに愛があるのかはわからないが、少なくとも市井の者たちのように自由な恋愛の末の結婚でないことは確かだ。
もちろんそれが駄目だとは言わない。
結婚してから育む愛情だってあるだろうし、一緒に住んでいれば愛着だって芽生えるはずだ。
だからそれが駄目だとは一方的に言えないのだ。
そうだ。それが当たり前なのだ。
もとより「魔力持ち」として教会に放り込まれた時から、結婚などとうの昔に諦めていた。
実際、懺悔に来た相手と会ってみようなどと、ついさっきまで企んだりもしていた。それが決していい話になり得ないのをわかっていながら。
それなのに、会ったこともない相手とは言え、教会の許可の元に結婚を許されるのだ。
こんな奇跡のようなことは有り得ないし、それを考えると、本当に自分は運が良かったとしか言えない。
魔王討伐を命じられた時は本気で自分の運命を呪ったものだが、やはり神様は見ていてくださったのだ。
こんな自分の本当の願いを聞き入れてくれたのだから。
あとは来週に会う約束をした人物だけが気になる。
話の流れで行けば、きっとそれはディートフリート様その人に違いないと思うのだが、本当にそんな神がかったような出来事があり得るのだろうか。
――いや、そもそもこのご縁自体が神のお導きなのだ。
だから来週会う人物も、きっと運命の人に違いない。
少なくとも自分はそう信じている。
教会の裏庭を歩いて、寮に着いたチェス。
初めはその背中を小さく丸めていたが、自分の部屋に入る頃にはすっかりその顔は明るくなっていたのだった。








