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第69話 寒い(1)

 朝起きた時から寒いと思っていたが、一歩外に出たら風もあって凍死するかと思った。これは無理なやつだ。

 家族が最高5度と言っていたが、5度とはこんなにも寒かっただろうか。ほんのひと月前まで、まだ紅葉は少し早いとか話していたのに、異常な気象だ。あるいは、忘れているだけで、例年こんなものだっただろうか。

「寒い……」

 奈都と合流して開口一番そう言うと、奈都が無念そうに首を振った。

「おはよーじゃなかった。私の一日はチサのおはよーから始まるのに」

「おはよー」

「言わせた感が強いね。朝から罪悪感に押し潰されそう」

 奈都は元気だ。特別寒さに強かった記憶はないが、私も特別自分が寒さに弱いという認識はない。急激に気温が下がりすぎて、まだ体が慣れていないのだろう。1月2月は毎日こんなものだった気もする。

「奈都、面倒くさい女だってよく言われるでしょ」

 逃げ込むように駅の階段を降りる。風がなくなるだけで随分暖かい。そもそもフリースがもう無理な気がする。現に奈都はダウンを着ている。

 奈都のダウンの表面を意味もなく撫でていると、奈都が表情を変えずに言った。

「チサにしか言われないね」

「私しか、本音で語り合える友達がいないってこと?」

「驚くほど見当外れな解釈だけど、そういう特別感は悪くないね」

 何やら嬉しそうに微笑んで、同じように私の袖を撫でた。

「チサの腕がある」

「なかったら怖いね。学校まで上を交換しようか。私たち仲良しだし」

「遠慮しておく」

「仲良しじゃなかった。私の勘違い」

 ごめんなさいと謝ると、奈都が「仲良しだから!」と秒で否定した。服の交換とか、奈都が喜びそうな提案だと思ったが、なかなか難しい子だ。

 電車の中はぬくぬく過ごして、上ノ水の改札を出ると再び寒風に吹きさらされた。

「寒いの無理……」

 身を縮こめながら涼夏の真似をすると、奈都に「似てない」と切り捨てられた。ひどい女だ。

「体育館でバトン回してる私の方がだいぶツライ」

 奈都が勝ち誇ったようにそう言ったが、何の戦いをしているのだろう。

「奈都は、大変な話をしてる誰かに、私の方が大変って返し方をするタイプの女だ」

「しないから!」

 私の的確な分析は、再び秒で否定された。たった今したばかりだと思うが、気付いていないのだろうか。

 寒さに震えながら歩いていると、途中でトボトボと歩いている涼夏に追いついた。毎朝来る時間がバラバラなので、時々一緒になることもある。今日は1本前の電車に乗っていたようだ。2分の差を縮めるほど速く歩いてはいないので、涼夏が相当ゆっくり歩いているのだろう。

 驚かせないように軽く背中に触れながら「おはよー」と声をかけると、涼夏はゆっくりと振り返って虚ろな瞳で口を開いた。

「千紗都と、えーっと……」

「こっちは奈都。私の中学からの友達」

 陽気に紹介すると、奈都が「初めまして」と丁寧に頭を下げた。帰宅部のノリがわかってきたのは嬉しいが、3人もいて誰も突っ込まないのも締まりが悪い。

 言い出しっぺに突っ込んでもらおうと思ったが、涼夏はもう挨拶には興味を失ったように、疲れた顔で白い息を吐いた。

「寒いの無理……」

「本場はキレが違うね」

 奈都が感嘆の声を漏らす。確かに、無理な度合いが私とは雲泥の差だ。

「温め合う?」

 横から抱き付いてみたが、衣服が厚すぎてあまり涼夏感がなかった。スリスリしていたら多少元気になったのか、涼夏が若干持ち直した瞳で顔を上げた。

「学校までは行けそうな気がする」

「学校まで行けばあったかいよ」

 奈都が呆れながらそう言ったが、涼夏は難しそうに首を振った。

「問題は帰りだ。行った分だけ戻らないといけないなら、今から家に引き返した方が、戻る距離も短くなるのではないか?」

「理屈は合ってるね」

 何を言っているのかわからないが、その距離を0まで縮めたら立派な引きこもりの完成だ。

「いっそ学校に泊まるとか」

 奈都がさも名案だというようにそう言ったが、涼夏はそれはダメだと手を広げた。

「私たちは帰宅部だから、家に帰らないといけない」

「そこまで部活を頑張らなくてもいいのに」

 奈都がいたわるような眼差しを向けた。今の会話はむずむずする。涼夏の発言を冗談と理解した上で言ったのか、それとも本気なのか。

 帰宅部じゃなくても家には帰る。そんなことは突っ込むまでもないので、私もスルーすることにした。

「寒い時に何をするか。寒い時だからこそ楽しめることはあるか」

 命題を掲げると、奈都が「スキーとか?」と解の一つを提示した。

 帰宅部の遊びの話をしたつもりだったが、何もそれに限定することはないのかも知れない。その流れでか、涼夏が幾分元気を取り戻した声で言った。

「オシドリが見たい」

「オシドリって?」

「オシドリは鳥だよ」

 私の質問に、奈都がそんなことも知らないのかという目をした。一々反応が難しい。恐らく冗談なのでここは乗ろう。

「鳥なんだ。飛べるの? ニワトリタイプの鳥?」

 問いかけながら両手をはためかせると、涼夏が力強く頷いた。

「オシドリはニワトリタイプの鳥だ」

 どう考えても違うが、そっとしておこう。

「オシドリを見るのは、寒い時だから楽しめることなの?」

 実のところ、私はそこまでオシドリについて知らないわけでもないのだが、涼夏の知識を試すために聞いてみた。涼夏は「うむ」と首肯した。

「オシドリは越冬してくるから、寒い時しか見られない」

「こんな寒いところに越冬してくるの?」

「夏はソ連にいる」

「ソ連から泳いでくるの?」

 真顔で聞くと、涼夏があははと笑った。

「泳いできたら面白いな。もちろん、飛来してくる。ヤツら、可愛い顔して千キロ飛べる」

 どうやら、先程のニワトリタイプの設定はなくなってしまったようだ。冗談の持続時間が短い。奈都は「千キロ飛ぶニワトリ」と呟いていたので、私の言いたかったことを理解してくれたようだ。もしかしたら、涼夏もわかった上で、別の冗談を優先したのかも知れない。

「オシドリって、夏も日本にいるんじゃないの?」

 念のために確認すると、涼夏は今度は素で首を傾げた。

「いないでしょ。シベリアから飛んでくると思うけど」

 冗談を言っている感じではなかったので調べてみると、シベリアから飛んでくるオシドリもいれば、日本の山地に棲息しているオシドリもいるようだった。ちなみに、夏は綺麗な羽をしていないらしく、これをオシドリのエクリプスと呼ぶらしい。カッコイイから使っていきたい。

「歩きながらスマホ見てると危ないよ」

 奈都に注意されたので、そのために奈都がいると返しておいた。私たちは奈都に全幅の信頼を置いているから、前を見ずに歩けるのだ。

 そう言ったら、照れるかと思ったのに、前を見てとダメ押しされた。まったく、難しい女である。


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