遺されたものたち
おれなりに重い覚悟で引き受けた夫役の仕事は、二ヶ月足らずで無事に終わった。
スルド村から一緒に来た四人はもちろん、他の村などから徴用されてきた連中たちも大きなケガをすることなく、それぞれの郷里へと帰っていった。
クロウ将軍とその直属の部下達は慰労のためにゴメルの市街に立ち寄り、おれとトラッシュはゴメルの市街の西側にある養父ホレイショの墓を訪れた。
「ここか」
養父の墓石を無言で見下ろすトラッシュ。
トラッシュは元々、養父が製作したマントだったらしい。
思うところはいろいろあるのだろう。
こっちも何も言わずにいると、トラッシュの頬を、光るものが伝って行った。
一瞬眼を疑ったが、間違いない。
涙だった。
おれが目を丸くすると、トラッシュは「フン」と鼻を鳴らした。
「笑うがいい」
「無理をいわないでくださいよ」
驚きはしたが、茶化すようなことじゃない。
「外しましょうか?」
ここまではっきり悲嘆の感情を見せるとは思わなかった。
おれはいないほうがいいかも知れない。
そう思ったんだが、トラッシュは「ここにいろ」と言った。
「おまえがアスガルに行く前に、話しておかなければならないことがある」
トラッシュは顔を拭っていった。
「なんでしょう」
ルフィオが迎えに来るまではヒマだ。
話をする時間は充分にある。
「まず話しておかなければいけないことは、おまえの立場についてだ。アスガルで見聞きしたことは、こちらの世界では口外するな」
「はい」
そのあたりは、サヴォーカさんにも言われている。
言っても問題ないことがほとんどらしいが、万一問題のあることを口にして、それが発覚すると刺客が飛んでくる上、ルフィオやサヴォーカさんも責任を問われるらしい。
「それと、アスガルでは、ホレイショの関係者であることは他言するな。ホレイショはアスガルでは有名人だ。相手によっては攻撃をふっかけられる可能性がある」
「アスガルでなにかやらかしたんでしょうか。養父は」
ルフィオが時々口を滑らせる内容を総合すると、相当に物騒な土地柄であることは間違いないが、仕立屋がいきなり攻撃をふっかけられるようなものなんだろうか。
少しためらうような間の後、トラッシュは言った。
「ホレイショは、候殺しと言われている」
「コウゴロシ?」
「アスガルには三候と呼ばれる強力な魔物がいた。魔王ではないが、魔王に準じる程度の力を持つものだ。その一角が、おれがロッソと呼ばれていたころの所有者、白猿候スパーダ。ホレイショの個人的な友人であり、最大のパトロンでもあった。だが、ある年、スパーダの頭の中に悪性の腫瘍が生じた。スパーダはのたうち苦しみ、狂乱しながら、生物として強力過ぎたために、死ぬこともできなかった。最後には理性を失い、血族を食い殺す始末でな。俺が布屑になったのはその時だ。狂乱したスパーダ自身の爪牙に引き裂かれた」
トラッシュは灰色の空を見上げる。
涙をこらえているようにも見えた。
「そこで動いたのが、ホレイショだった。結果は逆だが、おまえがルフィオにしたことと似たことをした。強靱すぎ、誰にも殺せなかったスパーダの胸を鋏で貫き、スパーダに引導をわたした。その時にまき散らされた血から、俺は魔力と生命を得た。それを最後に、ホレイショはアスガルから姿を消した。ホレイショは、スパーダを殺したかったわけじゃない。スパーダ自身にそう望まれて、スパーダの為にやったことだった。それでも、候殺しということで、伝説的な存在になった」
そう言った後、トラッシュは「カカカ」と笑った。
なぜかはわからないが、強がりのように聞こえた。
「おまえはその伝説の候殺しの後継者ということになる。アスガルは腕力主義のバカの巣窟だ。迂闊に身元を明かせば、おまえを倒して武名を挙げようという者がわんさと湧いてくるだろう」
「魔窟かなにかですか、アスガルってのは」
「魔窟以外のなんだと思っていた」
トラッシュは鼻を鳴らす。
「魔物の国だぞ」
○
カルロとトラッシュがホレイショの墓所を訪れていたころ、無人となったイベル山の山肌に、一人の男がたたずんでいた。
銀色の髪と赤茶色の瞳。カルロに似た背格好の青年。
亡きゴメル統治官ナスカの長子、賢士ドルカスである。
父ナスカの死、家の取り潰し、そして逃亡生活によって、かつての秀才、貴公子の面影は喪われている。
顔を隠すためのぼろぼろのケープを羽織ったドルカスは、痩せ衰えた体に鞭打ち、荒い息をはきながら、イベル山の火口付近に魔石を埋め込んでいた。
反応石。
稲妻の魔力を通すと強力な爆発を起こす。
賢者学院時代にドルカス自身が開発したが、出力が安定しないことから、ゴメルの外れの地下壕に保管していたものだ。
ズタ袋一杯の魔石を火口の側面に仕掛け、距離を取る。
大岩の影に身を隠し、仕掛けた魔石に向けて人差し指を伸ばす。
指先に魔力を収束し、解き放つ。
「雷撃」
青い稲妻が、反応石を撃つ。
次いで、爆音が轟いた。
大気が震撼し、大小の爆発が火口の側面をえぐり、砕いた。
赤く輝く岩漿が流れ出す。
「……そうだ! いけ! あふれだせ!」
ドルカスは狂気めいた表情で叫び、笑う。
だが、その笑いは、すぐに途切れる。
たったひとり、時間も準備もなく、ろくな計画もなく仕掛けた発破。
狙い通りにいくはずがなかった。
岩漿はドルカスが望んだように、氷の森に流れ落ちることはなかった。
氷の森のある南方ではなく、西の方向にわずかに広がっただけだ。
流出そのものも、すぐに勢いを失う。
「違う! そうじゃない! そっちじゃない!」
ドルカスは絶叫する。
この程度では、話にならない。
ドルカスの望みは、氷の森に溶岩を流すことだ。
そうしなければ、溶岩忌避説の正しさを、ドルカスの正しさを証明できない。
たとえ間違いであったとしても、かまいはしなかった。
溶岩忌避説が間違いでも問題はない。
氷の森の暴走。
望むところだ。
全て凍って、滅びてしまえばいい。
自分を、父ナスカを斬り捨てて、葬ろうとしたブレン王国など、凍って砕けてしまえばいい。
だが、これでは、どうにもならない。
なにも変わらない。
「流れろ!」
絶叫した。
「流れろ! 流れろっ! 流れろ流れろ流れろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
血走った目で、狂気めいた勢いで叫ぶドルカス。
その叫びに答えるように、大地が揺らいだ。
イベル山の火山活動によるものではなく、氷の森から生じた衝撃だった。
突如として現れた地割れが、イベル山の山肌を這い上がっていく。
そのまま一息に、岩漿をたたえた火口へと到達する。
岩漿が流れ出す。
ドルカスが望んだとおりに。
だが、岩漿が、氷の森に到達することはなかった。
火口からの岩漿に立ち塞がるように、白いものが地割れを逆流していく。
それは雪だった。
雪崩のように地割れを遡り、這い上がった雪は白い大蛇が食らいつくように岩漿とぶつかり合う。
爆発的な勢いで水蒸気がまき散らされ、入道雲のような煙があがる。
雪の勢いはイベル山の岩漿のそれを完全に上回っていた。
岩漿を押しつぶし、凍り付かせて遡上。そしてイベル山の火口に到達し、火口におおいかぶさる。
岩漿との接触で生じた水蒸気が大きな圧力を発して爆発、押し寄せる雪を吹き飛ばしたが、その勢いが衰えることはなかった。
もがく獣を絞め殺すように、雪の大蛇はイベル山の火口を押しつぶし、凍てつかせた。




