37.手に入れた故の野心
最近、仕事が少なくなった。
そんなことを感じながら、書類にサインを入れる。すぐ側でカップを手にしている愛しい女がいるからか、彼の表情は柔らかい。
青年はジョシュア・イヴァン・エーデルシュタイン。
エーデルシュタイン王国の第二王子だ。
王太子と同じく王妃から生まれ、それなりに優秀だと言われてきた。
けれども、自分がスペアでしかないことを彼は幼い頃から知っていた。兄アンリに何かあった時の控えでしかないのだ。それにも拘らず教えられる勉学の内容は同じものを厳しく叩き込まれ、婚姻相手も好きに選ぶことができず、兄と比較されるような目で見られた。
うんざりだった。大して権力を与えられるわけでもないのに、求められる能力は大きい。下の弟は役にも立たない愚か者。婚約者は幼い時から無表情で自分に向けて何の反応も示さない人形のような令嬢だった。
婚約者とそれなりに距離を縮めようと努力しても、一向に報われることがなかった。家庭環境に問題はあったようだけれど、彼女の家に後妻が入り込む前からずっと彼女の態度は変わらない。その異母妹も「わたくしの方があなたに相応しいと思いますわ」などと擦り寄ってきて、気分が悪かった。
全てにうんざりしていた。
そんな時に召喚された少女と出会った。
美しい黒髪と神秘的な黒い瞳。その瞳は真っ直ぐに自分を、ジョシュアだけを見つめてくれていた。
名を尋ねてきた時のその愛らしい声を聞いた瞬間から、彼はずっと聖女だといわれる彼女の虜だ。
(兄上は婚約者に逃げられた。母上の実家が後ろ盾にはなるが、それは俺も同じこと。彼女の加護があれば、俺はスペア以上のものになれる)
もし何かあった時の、だなんてもう言わせない。
控えではなく、己こそが優れていると証明してみせる。
親や兄の心など知らず、彼はうっそりと笑みを浮かべた。それは、聖女というフォルツァートの寵愛めでたき少女を手に入れたからかもしれない。
最近、仕事が増えた。ちょっと引くほど。
そんなことを考えながらルートヴィヒは机に肘をついた。「疲れたの?ハロルドくん配合のハーブティー飲む?」と聞いてくるブライトに「飲む」と返すと、アンリのところから異動してきた侍女がブライトからそれを受け取って目の前で作業を始める。
「なんでこんなに仕事が増えてるんだ。ジョシュア兄上に回せ、兄上に」
「アンリ殿下が“最近役に立たん。ルイの方に持っていけ”と仰るので」
「いや、私は臣籍降下か婿入りだろう。本人のためにならんぞ」
ルートヴィヒも流石にその兄が「あいつ何か企んでそうだしな。ハロルドとの繋がりも持てるし、ルイを王族に置いてあれは臣籍降下させるか出荷するかな」なんて思っているとは知らない。ルートヴィヒは五つも年齢が下の弟に諸々押し付けてくるジョシュアを苦々しく思いながら、出されたハーブティーに口をつけた。
「ん……これは、いいな。ハロルドに礼を言わねば」
ほのかに香る花の匂いと、身体の疲労感が少しだけ抜けていくような感覚。ハロルドのジョブスキルが仕事をして通常以上の効力を発揮していた。彼が育てたハーブを使用しているので元々効能が高いのは置いておく。
「厄介な連中の力は削ぐことができたし、愚か者の処理は終わった。とはいえ、やはり連中の支持はそれなりにあるな」
宗教が元になっているだけあってか、フォルツァートを信仰する教会の力は完全に落ちたとはいえない。全面的な争いになっていないのは下に見られていた女神の寵愛を受けたハロルドが、それを願ってはいないからだ。彼らの友人は比較的温厚だ。彼自身は田舎に畑付きの家とゆっくり暮らせる環境を用意すれば喜んで引っ込むだろう。
それをさせてやれない自分たちの非力さをこそ呪うべきだろうか。それとも、ハロルドの温厚さに感謝もせずにキレ倒している阿呆共を呪うべきだろうか。
「まぁ、妖精たちのおかげで帰省もできるようだし、少しでも気分転換をしてくれればよいが」
「僕もハロルドくんのおばあちゃんの玉ねぎスープ食べたかった〜。ねぇ、ルイ。僕も行っちゃダメ?」
「私も一緒なら構わないぞ」
「構いますよ、王太子殿下が」
侍女の言葉に「敵は兄上か……」と割と真剣な顔で言うルートヴィヒ。
外は冷たい風が吹き、木の葉のほとんどが落ちている。
雪の季節が、来ようとしていた。
いつも読んで頂き、ありがとうございます!!
これで2章が終わりです!
3章も頑張って書いていきたい……!




