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譲歩する第二王子


 頭を下げる兄の婚約者の姿に、ザワザワとした不快感が心の底から這い上がってくる。

 何故だろう。

 何故、彼女は自分を蔑ろにするような男のために頭を下げるのだろう。

 苛立ちと、悔しさと。よく分からない様々な気持ちがごちゃ混ぜになって、苦々しい思いが喉元を塞ぐ。


 ――どうして、この人があんなやつのために……。


「なぜ……」


 絞り出すような声が出た。彼女は顔を上げ、不安そうにこちらを見ている。


「なぜ君は、あんな態度を取られ続けているのに、兄上の為に動こうとするんだっ……!」


 憤りと共に言葉が溢れ出す。言ってしまってから、慌てて取り消そうとするが、間に合わない。


 ――嫌だ、聞きたくない。


「いや、私には関け――」

「理想の自分でありたいから……でしょうか」

「………………は?」


 予想外の言葉だった。虚をつかれ、呆然とする。


「拒絶され、嫌悪されれば悲しいし、腹立たしいし、苦しいです。怒りと憎しみでおかしくなるかとも思いました」


 実際に、その姿を見たのでしょう? と、彼女は苦笑する。


わたくし自身、何度も疑問に思いました。なぜ、彼のために自分が頑張らなくてはならないのだろう。なぜ、私はこんなことに必死になるのだろう、と。それこそ、何度も、何度も……」


 その時の記憶が甦ったのか、彼女は昂ぶる気持ちを抑えるかのように、深く息をついた。


「でも、結局は私は、彼のためだけに頑張ってたわけじゃなかったんです。ただ、他人に優しくできる自分でありたいから――」


 ――だから、他人を評価して、切り捨てたくない。


 続いた言葉にギクリとした。

 聞きたくもないのに、彼女の話は終わらない。


 自分の価値観から、逸脱しているから。

 自分が傷ついたり、腹立たしく思ったから。

 だから、相手は常識がない、悪い人間なんだ、などと決めつけて。

 相手が問題のある人だから悪者で。

 どんな目に合おうが、どんな態度を取られようが、仕方がない存在だ、と。

 そんなふうに、他人をぞんざいに扱う自分になりたくなかった、と彼女は言う。


「『悪い人間だから、酷い目に合っていい』というのは『理由があれば、他人を尊重しなくて良いのだ』というのと同じ事なのではないか、と思うんです。そういった、人の根幹にある思想が『嫌いな人間に理由をつければ、辛く当たっていいし、傷つけてもいい』という考えに人を至らしめているんだって。他人を傷つけることを、正当化させているんじゃないか、って……」


 彼女はそこまで言うと、苦しげに唇を噛み締めた。


「私は、そんな人間になりたくなかった。それなのに、フィルメリア殿下へは嫌悪感から冷たく当たってしまった。そんな自分は冷酷で、醜くて、思い出したくもないのに、何度も何度もその事実について考えてしまって……」


 言葉に詰まりつつも、彼女は自身の内面を見つめているのか、自身の本当の思いを拾い上げるように発していく。


「私はただ……。もう、自己嫌悪で苦しみたくないだけで、結局、自分のためなんだと思います。他人を傷つけるのは醜く、誰をも尊重し、優しく接する人は美しい。そんな自分の価値観、理想を大事にしているだけ。……でも、そんな自分なら好きでいられるから。私はそういう我儘で自分勝手な理由から、フィルメリア殿下のため、と付きまとうことにしたのです。どうか、ご協力いただけませんか?」


 最後はいたずらっぽく微笑んだが、私がじっとその顔を見つめているときまずげに目をそらした。


「……君は、馬鹿だ。そんな綺麗事のために?  あんな扱いを受けて、そんな理想論で婚約者に尽くすなんて、どれだけお人好しなんだ? 本当に、ただの大馬鹿者じゃないかっ!」


 なぜだろう。

 私は腹を立てていた。いや、この感情には覚えがある。私は……拗ねているのだろうか?

 なぜだか悔しくてたまらない。


「……すまない。言葉が過ぎた。君は何も悪くなどない。……私は兄のことで、少し冷静さを失っているようだ」


 彼女は困ったような微笑を浮かべつつ、首を傾げる。



「綺麗事、理想論……。そう思いますよね、普通は。ただの、空想でしかないと。でも、実際に他人や領民のために睡眠を削ったり、問題解決のために伝手を頼って奔走したり。そして、絶望する人を遠巻きにする輪の中へ、一歩足を踏み入れ、励ましたり。『あぁ、人は他人のためにここまで心を砕くことができるのだな』と、実感として知ってしまうと、感動するし、『自分も』と思ってしまうのです」


 どうやら、両親や領地の薬師、神父のことらしく、身内のことをこんな風に語ってしまうのは恥ずかしいのですが、と彼女は身を縮める。


「私は彼らのようになりたい。……いいえ、あのように生きたいのです」


 私は言葉を返そうと口を開いたが、……そのまま、口をつぐんだ。心は千々に乱れ、自分が何を感じているのかも、よく分からなかった。

 だが、私は……。


「……私には理解できない。自分に敵対するやつは無視すればいいし、煩わしいならひねり潰せばいい。君の言うことは理想論で現実的じゃない。ただの偽善者だとさえ、思えるような話だ」


 彼女はぐっと口を引き結び、下を向く。


「だが……。君が頑張りたい、というのなら。私には君のように生きることはできないが、邪魔をしないことぐらいはできる」


 彼女ははっとしたように顔を上げた。

 信じられない、というようなその顔に笑みが漏れた。


「せいぜい、僕が『実感として知る』ことができるように、頑張ればいいさ」


 彼女は初めて出会う人間を見るかのような、そんな顔をしていた。


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