婚約者の回想5・王宮の庭の相談直前2
「四度目の斬首」
これは、我が王国のことわざだ。
昔、ある王妃がその寛容さと優しさから聖女と呼ばれ、国民から愛され、慕われていた。
ある日、その王妃に無礼を働いた男がいた。その男は三度、王妃に無礼を働いたが、彼女の慈悲により許された。しかし、四度目はとうとう斬首されてしまった、という故事から生まれた言葉だ。
これには諸説あり、度重なる無礼に、心優しき王妃も我慢ができなくなったのだ、とも、大事な王妃に無礼を働く男に国王の堪忍袋の緒が切れたのだ、とも、または、王妃への男の態度に激怒した民衆が、私刑で殺してしまったのだ、とも言われている。
正確には「四度目の斬首、三度は僥倖」と言う。
無礼な行いも四度続けば首を斬られる。見逃された三回はたまたま運が良かっただけ、ということ。偶然、上手く行ったことも、続ければ、最悪の結果になる、ということわざである。
後半を省略し、「四度の斬首」と言う場合は、四度目はない、または、四度続けば他人の怒りを買う、という意味になる。
なぜ、そんな故事の話をするのか。
それは、私がその日、とうとうフィルメリア殿下に対して、「キレた」からである。
言い訳をさせてもらえば、私もいい加減、限界だったのだ。
彼から常に向けられる、嫌悪の感情。周囲からの期待と要望。報われない努力。周囲で起きる出来事に感情を乱され、振り回される自身への嫌悪感。そんな状況で起きた殿下の女性問題。彼が忠告を無視し続けた結果といえる、昨日の不穏な会話。
――どうにかしなくては。でも、何をやっても駄目だった。これ以上、何をすればいい?
気ばかり焦って。でも、なにも行動できなくて、苛立って。そんな自分を立て直そうと足掻いても、心をコントロールできなくて。心はぐちゃぐちゃに乱れて、ギリギリのところで平静を装っていた。
そんな状態でも学園には行かなくてはならなくて。極力、殿下と顔を合わせないよう気をつけていても、通路で目があってしまえば、さすがに無視もできない。緊張しつつも、なんとか笑顔を取り繕って挨拶をした。
彼の反応は分かりきっていた。いつもどおり、笑顔で挨拶した私に対し、顔を歪めて、ゴミを見るような視線を向けて、無視して通り過ぎる。
そう、予想通り――いつもどおりの行動。
でも、私のほうがいつもどおりではなかった。心の奥底に沈めて、蓋をしていた感情が、一気に溢れ出す。
――ふざけないでよ……。なんで、私が……。私がこんなにも努力して、悩んで、苦労しているのに、あなたはいつも勝手なことばかり。尻拭いは全部、私。感謝しろとは言わないけれど、申し訳ないぐらいの感情もないわけ?
――前々から思っていたけれど、王族がそんな態度をとったら、普通はその人の人生は終わりよ。私に陛下の後ろ盾があるから、なんともないけれど、普通だったらいじめ抜かれて自殺しかねないわ。
自身を蔑ろにする殿下に、頭に血が上る。彼の粗探しをし始め、非難し、こき下ろし、どれほど彼が間違っている人間なのか、並べ立て始める。
その時、私はそれを義憤であり、正しい感情だと認識して、正義を盾にして殿下を追いかけて、憤りのままに詰め寄った。
『いい加減にしてくださいっ! 今、あなたの行動がどれほどご自身の立場を危うくしているのか、分からないのですかっ?!』
正直、何を言ったのか、正確なところは覚えていない。
責任と義務を果たせ、と。臣下の心が離れてしまう、と。今、行動を改めるべきだ、と。憎悪混じりに、言葉で彼を叩きのめした。
でも、彼も言われたままじゃなかった。
『なにが、私のためだ。私が失脚すると、おまえにとって都合が悪いだけだろうっ!』
『今まで、何をされてもずっと笑っていて、薄気味悪いんだよ、おまえは。陛下への媚びなのか、なんだか知らないが、よく、そこまでできるな。そんなに、王妃の地位が欲しいのか』
『いつも正論を振りかざして、お綺麗な笑顔で、自分こそが正しい、という態度が鼻につくんだ』
『今のおまえが本当のおまえなんだろう? 笑顔の裏で、いつも、本当は怒り狂っていたのか』
私の今までの努力や葛藤を――彼と分かり合おうとし、友情を築こうと足掻いた過去の私を、全部否定する言葉に頭が真っ白になる。
『そんなに私に文句があるなら、さっさと自分から婚約破棄をすればいいだろうっ!』
――できるものなら、とっくにしているわよっ!
今思えば、あのとき、私は殿下に何も伝わっていなかったことに傷ついたのだ。彼の一言一言は、私の心を深く傷つけた。そして、そのことに気がつかせないぐらい素早く、怒りの炎が私の中に燃え上がり、傷を隠すように心を飲み込んだ。
けれど、それも長くは続かず、心がすっと冷えていく。冷たく、固く、凍りつく。
開いた唇から出た声は、自分でも驚くほど冷え切っていた。
『婚約破棄は慣例として女性からするものですが、わたくしにそんなつもりは微塵もありませんわ』
『まさか男性から、しかも王太子から婚約破棄された女、なんて汚点をつけて、私の人生を潰す気ですか?』
自分の目が、表情が、冷え切っているのが分かる。
蔑み? いや、違う。私はフィルメリア殿下に期待するのをやめたのだ。彼を見限った。
一生、変わることができない人間なのだ、と。彼の持つ可能性を否定し、いてもいなくても良い存在だ、と判断した。むしろ、存在する意味がないなら消えてしまえばいいのに、とすら思った。
そして、そのまま、殿下の横をすり抜けて立ち去った。
その瞬間の、彼の傷ついたような顔がずっと……ずっと、忘れられないでいる。
★頭が真っ白になる、頭の中が白くなる
あたまの中が空白になる。何も考えられなくなる。




