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婚約者の回想4・王宮の庭の相談直前




 もう、ぐちゃぐちゃだ。

 彼を救うんだ、と良心がささやく。

 あんな人、どうなろうが知ったこっちゃない、と心が咆哮ほうこうを上げる。

 私を傷つけて、苦しめて、悩ませる人間なんて、相手は悪だと断罪して、切り捨てればいい。

 救う?

 むしろ、彼が窮地きゅうちおちいれば、自業自得だ、と胸がすくだろう。早く、ひどい目に合えばいい、とさえ思う。


 ――違うっ! 違う違う違うっ!!! わたくしは、私は……っ!


『なに、良い子ぶってるの?』

『偽善者』

『人間だもの。酷い事されて怒るのも、許せないのも普通よ』

『あなたが、そこまでする必要がある?』

『いつもいつも、前向きで善良とか薄気味悪い。不自然よ』


 これまで、どこかで聞いたようなセリフが、もう、いいじゃないか、と甘くささやく。

 これ以上、頑張る必要なんてない。汚い感情に負けるのも仕方がない。周りが悪い、自分は悪くない。だから、気にする必要もない。

 言い訳なんていくらでも浮かんでくる。それが言い訳だ、と冷静に見ている自分さえいなければ、いつだって、その声に従ってしまえるのに……。


 ……どうして、上を向こう、前へ進もう、と一歩を踏み出すと、邪魔が入るのだろう。良い方へ変われたと思った途端、今までいた場所よりも、さらに下へと引きずり落とすようなことが起こる。まるで、本当に悪魔がこの世にいて、人格を磨く人間を意図的に堕落させようとしているかのようだ。

 いや、そもそも何も努力していなければ。殿下が悪いんだ、と不平不満をこぼし続けていたのなら。きっと、これほどの怒りも、憎悪も湧き上がることはなかったはずだ。殿下はどうしようもない人間なんだ、と切り捨てていれば、今回の件でも眉をひそめ、軽蔑けいべつの視線を彼へ向けて、それで終わっていたのではないだろうか。


 そこまで考えが思いいたると、ふっと、足元が――私の世界の根幹が揺らいだような気がした。

 これまで、私はひたすら努力をしてきた。そして、その度に、自分の駄目なところを、いたらなさ、弱さを見つめ、乗り越えてきた。

 私は自分で言うのもなんだけど優秀だから。ちょっと頑張れば、それらをすぐに乗り越えてしまい、ほとんど気にしたことがなかった。それが今になって、大きな壁として立ちふさがるなんて、思いもしなかった。

 だから、今、初めての事態におびえている。

 これから、努力して一つ階段を登るたびに、二段、三段と落ちていくのだとしたら?

 今回のように、心をぐちゃぐちゃにされ、周囲に振り回されて、醜い自分と向き合わなくてはいけないのだとしたら?

 すぐに乗り越えられない壁の前で、駄目な自分をずっと眼前に突きつけらる日々が続くの?

 今、まさに、自己嫌悪でうずくまっているように……。


 ――そんなの、無理よ。


 思わず、否定してしまう。


 ――何もしなければ、これ以上、悪化しないのだとしたら、その方が良いのかもしれない……。


 そんな考えが浮かんで、少しほっとしてしまう。


 ――そうよ。他人のことなんて、そういう人なんだな、と受け入れて、そのまま放っておくのが一番良いんだわ。一々、気にするだけ無駄よ。そう、そうだわ。


 ……目頭が熱い。涙で、視界がにじむ。

 殿下を救おう、なんて言っていたくせに、壁にぶつかった途端、前言撤回。平気でフィルメリア殿下を見捨てようと、見て見ぬ振りをしようとする自分が恥ずかしくて、惨めで、死んでしまいたい。

 なんで、こうも客観的に自分を見つめて、分析してしまうのだろう。どうして、私は誤魔化されてくれないのだろう。

 もう、諦めてしまえばいいのに。

 もう、目をつぶって、耳をふさいで、足を止めてしまえばいいのに。

 ほとんどの人が日々の問題点を放置して、適当にあしらって、面倒事は全部、要領よく避けて生きている。私だって、同じようにして良いはずだ。


 ……そして、何かに挑戦することは大変だからと、のらりくらりと避けて。

 そのくせ、過ごす日々が平凡だ、退屈だ、刺激がない、とぼやきながら座り込んで。

 真剣に何かに取り組む人たちが、壁を登り、輝くのを見て、羨ましいな、と見上げて。


 ――……それで? そのまま、なんとなく、生きていくの……?


 答えの出ないまま日々は過ぎて……。私は学園で不穏な会話を聞いてしまった。

 それは、本館の図書室の近くにある、空き教室の前を通りかかったときのことだ。

 いつもの午前中だけ行われる授業が終わり、ほとんどの生徒が帰った後。生徒の一人に捕まって、殿下への不満を延々と聞かされていた私は、図書室で待つお目付け役のセラフィオーネのもとへと急いでいた。だから足早に廊下を通り過ぎようとしたのだが、剣呑な声が耳に留まり、思わず立ち止まってしまった。そして、彼らの会話を盗み聞きしてしまったのだ。


『……父上は第一王子を傀儡かいらいにして、自分の力を強めようとしているようだが、私は嫌だね。あんな、女にだらしがない無能にかしずくだなんて、想像しただけで反吐へどが出る』

『バカ、こんなところで何を言っている。誰かに聞かれたらどうするっ!』

『聞かれたら、どうだと言うんだ。誰だって、私の意見に同意するだろうさ。または、うちを追い落として第一王子の派閥の力を削ぐとか? 大歓迎さ。第二王子が国を治めたほうが、絶対にこの国は良くなるに決まってる』

『おいっ!』

『じゃぁ、聞くが、兄さんはアイツに忠誠を誓えるのか? 本気で?』

『…………とにかく、この話は家でしよう。頼むから、家でも使用人には注意を払えよ?』


 彼らが部屋から出てくる気配に、咄嗟とっさに魔法で隠れようとして腕のバングルが視界に入った。距離的に、彼らのバングルにも私が使った魔法の反応が記録されてしまう事に迷いが生まれ、数歩先にある廊下の角に身を隠した。扉を開ければ音がするから、近くの空き教室へも入れない。学園から出るなら、図書室とは反対方向へ行くことになるので、ここなら見つからないはずだが……。

 万が一のことを考えると安心もできず、息を詰めて、彼らの声に耳を澄ます。

 扉を開く音がし、二人分の足音が聞こえる。彼らが足を止め、二言三言、言葉を交わす。早く、この場を去って欲しい私には、そのわずかな時間が耐えがたかった。

 そして、足音が聞こえ始め、耳を澄ます。音は、離れていっているだろうか? 本当に?

 身をこわばらせ、じっと待っていれば、とうとう足音は小さくなっていき、聞こえなくなった。


「…………ふぅっ」


 脱力した体を、壁に預ける。数度、深呼吸して、やっと、まともに思考できる。

 よく考えれば、異常を感じていない彼らがバングルの履歴を確認する可能性は低かったのだから、普通に魔法で隠れてしまえばよかったのではないだろうか。記録が残ったところで、彼らが他人のバングルの記録を確認する手段もない。密談を聞かれていないかの確認のため、自分たちのバングルを確認できても、誰に聞かれてしまったのかを知ることはないだろう。バングルの調査をするには、王宮の調査室へ依頼を出さなくてはならないのだから。

 だが、今考えるべき問題はそこではなかった。


 ――殿下、だから、あれほど忠告してきましたのにっ……!


 私は、焦燥と苛立ちに唇を噛み締めた。


傀儡かいらい(くぐつ)

1 あやつり人形。くぐつ。

2 自分の意志や主義を表さず、他人の言いなりに動いて利用されている者。

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