不機嫌な第二王子
私は眉間にシワを寄せ、目の前の書類を睨みつけた。
先程からずっとこの体勢でいるものの、視線が文字の上を滑るばかりで何一つ進まない。
この一枚をグシャグシャと握りしめたくなる衝動を堪え、代わりとばかりに歯をくいしばる。頭を占めているのは一人の女性、兄の婚約者。
――あれもこれもそれも、全部、彼女のせいだ。
八つ当たり上等、とばかりに心の内で罵倒する。
あの日の彼女のセリフが棘のように刺さり、ふとした瞬間に思い出してはイライラする。
『本質的な問題は、彼の家族にあったんじゃないか、って考え始めたところで……』
――あの愚か者の兄の原因が家族にある? つまり、私や陛下に非があるというのか。
ぐぐっ、と眉間のシワが深くなり、自身の過ちや失敗を指摘されたとき特有の、怒りと反発が胸の内で膨れ上がる。
彼女たちはずっと「彼」と呼ぶことで対象をぼかしていたが、どう考えてもあれは兄の話だ、間違いない。 王族に対しての批判だなんていい度胸だな、とどす黒い感情とともに口角が上がる。「不敬罪」なんて、何十年も使われていない形式的な法律のことを頭に浮かべながら、彼女をいたぶること考える。
――頭がお花畑なんだか、偽善者なんだか、知らないが。何も知らない者が、適当なことを……っ。
これまでの彼女の行いから、批判できるものを記憶から拾い上げては彼女を貶め、彼女の意見を無価値のものだ、と否定する。そうやって、彼女が発した「自身への批判的な言葉」を聞く価値のないものだと声高に主張し、私を否定する人間を否定して。自身のプライドを守ろうと、無意識の内に立ち回る。
このときの私は、そんな自分の心の動きに気づいてはいなかった。
……いや、本当にそうだろうか?
兄の婚約者を貶め、安心する反面、脳裏に浮かぶ記憶があった。
それは、悩み、苦しみ、燻っていた兄と、それを不快そうに眺めるだけの自分の姿。
だが、私はそれを見て見ぬ振りで通した。
決して視線を向けず。
向き合うことを避け、深くは考えない。
そんな記憶が甦ったことなど、気づいていないかのように振る舞った。
まるで、そんなものは存在しないかのように、徹底して無視した。
自分は何も気づいていないのだ、と。私は自分自身さえも騙そうとしていたのだろう。
もし、気づいてしまえば……。
そう、気づいてしまえば、「それ」と真正面から向き合わねばならない。
――それは、都合が悪いから。
私は自身を騙そうと、必死に話をすり替え、他人を批判し。
そして、もう一方の私は何も気づいていない体を装い、騙されたフリをしていたのだ。
「……殿下、そろそろお時間です」
側近の声にハッとする。机の上の置き時計を見れば、もう、こんな時間かと目を見開いた。そして、手の中の書類に顔をしかめ、ため息をつく。
――また、何も進まなかったか……。
ここ数日、仕事の進捗が目に見えて遅くなっている。原因はどう考えてもあの日の彼女の言葉のせいだ。腹立たしい。もう、何度目になるかも分からない恨み言を、心の中で繰り返す。
私の苛立ちを感じ取っているだろう側近たちは、いつもどおりの態度を崩さない上で、普段より控えめに、もともと稀だった雑談も少なく行動している。
有能だったから取り立てた彼らだが、本当にハイスペックだな、と感心すると同時に、申し訳なさが込み上げてくる。
――彼らにふさわしい主でありたい。
私が席を立つことで護衛たちが動き、全員を視界に収めたタイミングで、私は声をかけようと口を開いた。
――すまない。
これはダメだ。王族は簡単に頭を下げるべきではない。
――迷惑をかけた。
これも違う。それは有能な彼らに対する侮辱だ。
彼らにとって、主の癇癪のあしらいなど取るに足らないことで、仕事の一部でしかないだろう。仕事を一つ済ますたびに、一々、申し訳ない、やら、ありがとう、なんて、時間をかけて感情を伝えてくるやつは、その度に仕事の流れをぶった切って、邪魔をしていることに気づくべきだ。
自分は感謝している、ちゃんと申し訳なく思っているのだ、と言い訳するようにさえずる声ほど煩わしいものはない。そんなことをする暇があれば、身を縮め、二度と迷惑をかけないよう、黙々と務める方がよっぽど好感がもてる。だから……。
なにか話し始めようとしたものの黙りこくってしまった主に対し、困惑するでもなく、ただ静かに待っている彼らに、私は淡々と告げた。
「……明日までには、感情の整理をつける。執務の遅れは……明日からだと三日で挽回できるはずだ。そのつもりで動いてくれ」
普段の仕事の指示出しとほとんど変わらない口調のそれに、彼らは表情を変えることなく、はいっ、と了承の返事を返してくる。全員、無表情を保っていたが、その声はどこか明るく感じられ、苦笑した。
目上の人間、しかも王族の人間が不機嫌でいる仕事場なんて、これ以上ない最悪最低の環境に違いない。
流石の彼らもストレスを感じていたのだろうと考えて、申し訳無さとともに感謝の念が湧く。
彼らほどの有能な人間が自分のもとで働いてくれるのは、当然のことではないのだ、と当たり前のことに改めて気づき、なにか褒美か賞与を用意し、労おうと頭の片隅にメモをする。
私は扉を抜けると、魔法を学び、学友との交流を深めるため、学園へと足を向けた。
周囲を固める側近の存在が、今日はいつにもまして心強かった。




