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十年後、元男爵令嬢の独白




 愛をささげれば、愛で報いてもらえる。

 愛されれば、幸せになれる。

 愛さえあれば、それでいい。


 若かったわたしは、「愛」という一つの感情を至高と信じ、それを我武者羅がむしゃらに求めた。

 その結果、一人の男性に自身の貞操ていそうさえも捧げた。

 学生だったわたしは、自分が略奪愛という賭け事をしていることに気づいていなかった。

 貞操を捧げたのは愛であり、献身だと信じていたが、賭け金を釣り上げるようなものでしかなかったのだ。

 いや、切り札として使った、という方が正しいだろうか。

 だが、それも失敗する。

 わたしの貞操は切り札と成り得なかった、という残酷な現実を知っただけ。


 今なら分かる。

 愛は、怒りや悲しみといった感情の一つでしかない、ということが。


 ――愛の形は人それぞれ。

 ――それは愛ではない。


 世間で「愛」という言葉がそんなふうに使われるのには、理由があったのだ。


 ある人は、愛を感じた相手を束縛し、愛を強要する。

 またある人は、愛を感じた相手の自由と幸せを求め、祈り、尽力じんりょくする。


 だから、愛を行動として定義しようとすると意見が割れる。

 愛は感じるものでしかなく、愛を感じた後の行動は個人の人間性に基づくからだ。

 それなのに、わたしは自分の寂しさも、苦しみも、悲しみも。

 すべては愛さえあれば、なんとかなる。自分は幸せになれる、と盲信もうしんし、たまたま手にした優しさにしがみつき、すがり、手放すまい、と必死になった。

 いや、優しさに惹かれたのではないかもしれない。

 弱い人で、悩んでいたから。わたしを必要とし、手放せなくなるようにできるはずだ、とどこかで思っていたのかもしれない。


 わたしがいないとダメな人。

 周囲とうまくやれず、わたしぐらいにしか優しくしてもらえない人。

 わたしの優しさと献身に、感謝して恩を感じ、崇めてくれる人。

 弱さを受け入れてあげる。

 孤立しているから、見捨てられない。


 そんな、言葉にすると、どこか相手を見下したような、自分を上に思っているような。

 傲慢さや優越感。

 自分に酔っているような、自己満足。

 愛を感じたわたしはそんな心根で、「愛」という言葉を免罪符めんざいふに好き勝手に振る舞った。


 ――わたしは貴方を愛している。


 そう声高に示せば、相手も「愛」を感じてくれるだろう、なんて。

 なんと幼稚で、浅はかな考えだったのだろう。

 わたしがすべきだったのは相手を思いやり、誠実さを示し、支えることだったのではないだろうか。愛を乞うのではなく、絆を築き、深める努力をすれば良かったのだ。

 なぜ、愛を強請ねだり、自分を優先するよう圧力プレッシャーをかけ、彼が自分との関係を周囲に認めさせるのを当然のこととして、自分はなんの努力もせずに待っていたのだろう。

 今振り返ってみると、自分の厚顔無恥な態度に羞恥よりも、若さゆえの図々しさに恐ろしさを感じてしまう。


 ――今だったら、もっと、上手くやれたのに。


 そう思うと同時に、愚かだったからこそ、今の幸せにたどり着けたのだ、とも思う。

 もしも、今。過去に戻ってやり直せるとしても、わたしは現在にたどり着くために、あの愚かな選択を苦痛を感じながらも繰り返すだろう。

 過去に思いを馳せていると、膝の上で開いたまま、放置されていた本に影が差す。


「ルルリアナ」


 優しく穏やかな声に顔を上げれば、そこには愛する彼の顔があった。

 わたしに、心の平穏をくれた人。


「旦那様」


 声に、表情に。

 愛と慈しみがにじむのが分かる。

 恋情とは違う。

 恋をするには、彼は歳が離れすぎていた。

 だが、彼の誠実さ。慈悲深さ。聡明さ。

 そして、愛情深い人格はわたしの魂を救ってくれた。


 あの日、陛下がわたしに提案してくださった結婚相手。

 それが、この旦那様だ。


 陛下は信頼する臣下である彼に、わたしの結婚相手の相談をした。彼に誰かを紹介してもらうつもりで。

 ところが、予想外にも彼自身が立候補したらしい。

 彼に言わせれば、精神面で幼いわたしに結婚はまだ早く、経験の少ない若者と結婚させれば不幸になる、と考えたようだ。

 若ければ若いほど、理想とのズレというものに嫌悪や蔑みを感じ、潔癖故に過ちを許すのはむずかしい。そう考えれば、若者と結婚をさせるのは躊躇われたようだ。

 一方で当時の彼は大病を患い、ようやく快癒かいゆしたばかり。病を克服したとはいえ、老い先短い身だ。彼に言わせれば、自身はちょうどいい物件だったらしい。


 ――私のところで五年か十年、面倒を見ましょう。その頃には、彼女も二十か三十かになりますか。それまでには分別をつけさせますので、未亡人として再婚しても問題ないでしょう。陛下、どうか、ご安心して私にお預けください。


 そんな彼の寛容さも知らないで、わたしは絶望して結婚に望んだ。

 棺桶に片足を突っ込んだ、四倍以上の年齢の老人。白い結婚という約束ではあったものの、実際どうなるかなんて分からない。

 それでも、この結婚を受けたのは保身のためだ。

 殿下のお手つきを引き取って、二十代ぐらいの男性がわたしを大事にしてくれる保証はない。恩に着せて横暴に振る舞うかもしれないし、身持ちの悪い女だ、と蔑むかも分からない。きっと、離婚、別居も相手の要望を黙って受け入れるしかない、弱い立場になるだろう。

 それが、王家から頼まれたのではなく、わたし個人で選んだ相手であれば、もっと酷いことにだって成り得た。

 あの頃のわたしは、そこまで考えが及んでおらず、殿下に説明された時は恐怖で真っ青になった。

「陛下の慈悲なんていらない。愛する人、結婚相手は自分で見つけるわ」なんて豪語したのが一転、わたしは大人しく提案を受け入れた。


 だが、この結婚への不安は杞憂きゆうで終わり、それどころか、とても温かく、居心地のいいものだった。

 細身で長身の、顔にたくさんのシワを刻んだ旦那さまは、真っ白な髪に、淡い青の瞳をいたずらっ子のようにきらめかせた、とても優しい方だった。

 すでに隠居をして領地でのんびり暮らしていて、わたしは夫人というよりは雇われた老人の話し相手のように過ごした。

 旦那様の知識は深く、経験も豊富で、お話を聞くのはとても楽しかった。

 そんな旦那さまは勉強家で、新しく取り寄せた本をわたしに音読させることもよくあった。

 慈善事業として、一緒に孤児院への訪問なども行った。最初のうちは旦那様ばかり子供たちに人気なのが不満で。そして、それ以上に子供たちに旦那様を取られてしまうのが不服だったのは、懐かしい思い出だ。

 穏やかで、優しい毎日。


 わたしは、殿下とのことなども、彼にポツポツと語るようになった。

 子供の頃のこと。今まで経験した、寂しさ、悲しみ、苦しみ。

 彼は静かにそれらを聞いてくれた。


 いつからか、わたしは彼を愛していた。

 この日々を愛おしく思っていた。

 心は満たされ、領地を愛し、学園にいた頃より学ぶ歓びを感じていた。


「ふうむ、今年もまた、お迎えがこなかったなぁ」


 今年もまた、空色の瞳が春の領地の花々を眺め、つぶやいた。

 天気がいいからと、旦那様に連れ出されて領地を散歩するのは良いのだが、数年前から始まったこの口癖はいただけない。


「旦那様、冗談でもそんなことを言わないでください」


 私が眉間にシワを寄せて咎めるように言うと、旦那様は困ったように笑う。


「だがなぁ。私は老い先短いと思ったから、君と結婚したんだよ? 君が再婚して、子供を生むことを考えると、君が三十を迎える前に未亡人にならないと困るじゃないか」

「そんなの、旦那様が勝手に言っているだけじゃないですか。わたしはまだ二十半ばですし、心配いりません」


 わたしはこの話になるといつもするように、不機嫌そうに、つん、とそっぽを向く。


「二十をすぎると、三十なんて、あっという間さ。経験者が言うんだ、間違いない」

「いったい、何十年前の話をしてるんですか。信憑性皆無しんぴょうせいかいむです」

「いや、だが……」

「旦那様は心置きなく、十年、二十年、生き続ければ良いのです。もう、いっそ、わたしを看取ってくださる心意気で良いんじゃないでしょうか?」

「おいおい……。それは流石に嫌だなぁ……。若いんだから、老いぼれより先に死なんでくれよ?」


 わたしは苦笑する旦那様を見て、考え込むようにたっぷりと間を開ける。


「……そうですね、旦那様があと十年は死なないと約束してくだされば、看取って差し上げますわ」

「十年かい? 君、それだと三十歳を超えてしまうよ?」

「いいんですっ! それより、約束ですよ?」


 不機嫌そうなわたしに、旦那様は頭をかく。


「君も無茶を言うねぇ。でも、君の頼みだし、せいぜい頑張るよ」

「はい、ぜひ頑張ってくださいね!」


 わたしが旦那さまの腕にギュッと抱きつくと、旦那様は仕方がないな、というように微笑んだ。


 ――もう、わたしは大丈夫。


 唐突に、そう確信する。

 この先、どんな悲しみと苦しみが襲いかかろうが、わたしは歩き続けるだろう。

 旦那様の言葉が、思い出が。

 きっと、行く手を照らすから。


免罪符めんざいふ

カトリック教会が善行(献金など)を代償として信徒に与えた一時的罪に対する罰の免除証書。

転じて、自身の罪や落ち度に由来する非難を免れる名目等のこと。


杞憂きゆう

心配しないでいい事を心配すること。とりこし苦労。

中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列子」天瑞の故事から。

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