第四十五話 陰謀、そして急転
三郎は獄中で考えを巡らせていた。
明かりはほとんどない。能代城の地下武器庫跡に急ごしらえで作られた牢屋なのだろう、遠くの方に地上への出入り口から漏れる微かな光だけが闇に浮かんでいる。
……まあ落ち着いて考えるには、いい環境か。
深く息を吐き、思考を研ぎ澄ませる。
「どうしてこうなったのか、……いや、問題はそこじゃないな」
私がこうして囚われの身となっていること、その理由よりも、誰が何を目的としてこの状況を作り出したか。
誰が、というのは明白である。あの、鎌瀬満久だ。
では、何が目的か。以前から企んでいたように八咫家を取り潰して領地を奪うためか。
「まあ、あとは私怨かな。嫉妬させすぎたかもな」
そう考えれば、実に単純なことである。バカに嫉妬されてハメられたのだ。
だが、
「どうも、引っかかる……」
起こった出来事の表面をなぞればその通りではあるが、いくつか疑問が残っているのだ。
まず、満久である。
あの狐が権謀術数を好むのはわかるが、それにしても今回は手の込んだ仕掛けであった。今までのやり口を鑑みれば、もっと直接的に圧力をかけてきそうなものである。そう、例えば「八咫軍だけで敵の本拠を落とせ」などという途方も無い命令を押し付けるのが、奴の好みであるはずなのだ。誰かの入れ知恵でもあったのだろうか。
次に、囚えるのが、なぜこのタイミングであったのか。
三郎に言い掛かりをつけて拘禁するのであれば、その気になればいつでも出来たはずである。内通の証拠は、「三郎が慎重論を唱えること」であったが、それで言えば三郎は岐洲城の軍議の場ですでに慎重論を述べていたのである。
なぜ、岐洲城ではなく、この能代城という敵国の最中で囚えたのか。
「……待てよ」
私が岐洲城に残留していれば、誰かにとって都合が悪い?
いや、私個人ではなく、八咫軍と考えてもいい。
私はそんなことを望んではいないが、私が捕まったことで八咫の皆が反発する可能性はあるんだ。
仮に岐洲城の段階でそれが起きれば、南斗軍は出撃どころではなくなる。
「うーん……」
つまり、これを仕組んだ誰かは、南斗軍に出撃してもらいたかったんだ。そして、戦場の最中で混乱が生じれば、なおのこといい。
そんなことは、南斗軍の誰もが望まない。望むとすれば、むしろ敵方である。
「おいおい……」
じゃあ、これは……、この策略を仕組んだ、真の犯人は……。
いや、まだそれを結論付けるのは早計だ。
三郎は頭を振って思い直した。そうして、別の角度から事象を改めて見る。
「それにしても、鎌瀬の狐野郎はどうしてついて来なかったんだろうな」
前線に出るのが嫌だったのはわかるけど、それ以上に私を囚える瞬間を見たいと思いそうなものなのにな。
よっぽど、戦いたくなかったか、あるいは岐洲城を離れたくなかったか――
「マズイ!!」
そうだ、鎌瀬が岐洲城に残る理由ができる状況が、一つだけある。
つまり、
「内通していたのは私じゃない、鎌瀬だ!!」
三郎は思い出していた。自分が思い描いていた南斗軍を全滅させる方法を。
……まさにあのシナリオの通りじゃないか! 南斗軍を深くおびき寄せ、補給線を断った上で、一斉に反転攻勢に出る。それを、こんな壮大なスケールで実現させようとしているんだ! しかも、シナリオの進行に最大の障害となる私を、理想的な形で排除した上で!
「もう疑いようもない! これは南斗軍を全滅させ、同時に私も消し去るための、壮大な戦略の一環だ!」
そして、
「こんなことを仕出かすのは、鎌瀬のわけがない。やっこさんに決まっているじゃないか!」
……鹿島長政、恐るべき敵だ。
であれば、敵の次の一手は……。
翌朝、嘉納頼高は清々しい気持ちで目覚めを迎えた。
「気持ちの良い朝じゃのう」
なにせ、あの生意気で鬱陶しかった三郎を牢に放り込むことが出来たのだ。これまで散々辛酸を嘗めさせられた鬱憤を晴らせて爽快だった。
あとは、風前の灯火である拓馬家の本拠を落とせば、万事上手くいくのである。
こんなに心が踊るのは久しぶりだった。
「殿! 殿ーッ!!」
家臣が寝所に駆け込んでくる。
「なんだ、うるさい! 朝くらい静かにできんのか!」
せっかく気分良く目覚めたのが台無しである。頼高は怒り狂った。
「それが、一大事にございます!!」
「ええい、うるさい! あとにしろ!」
「いえ、それが……岐洲城が……」
「なんだ! 鎌瀬殿の守る岐洲城が何だというのだ!?」
「その鎌瀬殿が、岐洲城ごと、敵に寝返りました!!!」
「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいい!!!?!?!??!?!!???」
頼高にとってまさに青天の霹靂であった。満久は、頼高にとって最も信頼を置いていた、云わば盟友なのである。
「そんなバカなことがあるか!? 鎌瀬殿はワシに八咫の寝返りを教えてくれたのだぞ!? それだけではない、こたびの遠征も鎌瀬殿が提案したのだぞ!? 何かの間違いに決まっている!!」
そこへ、別の家臣が駆け込む。
「殿、一大事にございます!!」
「今度はなんだ!?」
「先鋒の南斗秀勝殿の軍が敵の奇襲にあい、敗北!! 敵が、こちらに向かっております!!」
「そんなバカなぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
これら二つの凶報は瞬く間に南斗の陣を駆け巡った。
それを聞きつけた各将が一斉に頼高の元へ押し寄せたのである。
「岐洲城が寝返ったというのはまことですか!?」
「あの『鬼秀勝』が敗れるとは、敵は一体何者なのです!?」
「我らは敵国内に孤立しております、この後いかがなされるおつもりか!?」
「岐洲城が敵の手にあるのなら、我らに逃げ道はございませんぞ!?」
皆、口々に言うばかりで誰も提案しようとしない。あまつさえ、この事態は頼高の責任だと言わんばかりである。まあ、その通りなのだが。
「ええい、うるさい! たとえ岐洲城が奪われようと、拓馬家を滅亡させれば問題ないわ! 敵の本拠は目と鼻の先なのだ、ここで退くわけにはいかん! 絶対にここを死守するのだ!!」
そう言い放って、頼高は各将を追い返してしまった。
諸将も納得はいかないが、誰も提案出来ないのだ、渋々自陣に帰るしかなかった。
その数分後。
能代城の搦手口から抜け出る一人の男がいた。
男は馬に乗っているが、頭から衣を被って顔を伏せていた。
そうして木戸を抜けようとして、警護の兵に呼び止められたのである。
「貴様、何者だ! どこへ行く!」
「いや、ワシは……」
「怪しいやつ、その衣を取れ!」
「あっ、やめ……!」
抵抗する男に構わず、衣を剥ぎ取る。
するとそれは、
「これは、嘉納殿!」
総大将の嘉納頼高である。
「失礼いたしました、嘉納殿とは知らず、申し訳ございません!」
「よい、だから、そう声を上げるな」
「ハア、なんと?」
「そうだ、お主以外に、ここに人はおらんのか?」
「ハッ、某だけでございます!」
それはよかった、と頼高は声を低くして言った。
ハア? と首を傾げた兵だったが、次の瞬間、その首が地に落ちた。
続けて、主を亡くした胴体が仰向けに倒れる。
「……悪く思うな。ワシが生きてこそ、南斗家の再興が叶うのだ」
頼高は刀を鞘に納め、馬を走らせた。
向かうのは南――海の方角である。
「走れ、早く走れ! 敵が来る前に!!」
嘉納頼高、南斗軍総大将の敵前逃亡であった。
「……来たか」
三郎は目を開けた。松明の明かりが近づいて来ていた。
「やあ、早かったね。もう少し後かと思ってたよ」
三郎は皮肉を言っておどけてみせた。
「いえ、申し訳ございません。遅くなりました」
その凛としつつも涼やかな声に三郎は振り向く。
火に照らされたその美しく整った顔立ちは、
「舞耶……」
「三郎様、お待たせしました」
八咫家一の勇将、三郎の側近、舞耶であった。
「どうして、舞耶が?」
「三郎様が囚われたと聞いて、家臣一同で南斗家の皆様方に掛け合っていたのです。なかなか応じてくれなかったのですが、今朝になって皆様の態度が変わって、こうしてお救いすることができました」
舞耶が牢を開ける。
三郎は立ち上がろうとしたが、縄で両腕を縛られていたためバランスを崩してしまった。
よろめいたところを、舞耶が支えてくれる。
「ああ、ありがとう」
「いえ。……ご無事でなによりです」
舞耶が笑みを見せる。
三郎は頭を掻こうとしたが、いかんせん腕の自由が効かず、舞耶に笑みを返すことしか出来なかった。
舞耶が縄を解きながら言う。
「外で皆様がお待ちです。参りましょう」
三郎は地下から出た。日が眩しい。手をかざしながら周りを見渡すと、南斗家の将たちが集まっていた。皆、神妙な面持ちで、こちらを見ている。
……やれやれ、相手してやるか。
三郎は今度こそ頭を掻いてから口を開いた。
「これは、南斗家の皆様。お揃いでお出迎えとは、光栄の限りです」
「八咫殿……、実は……」
「鎌瀬殿が岐洲城ごと寝返った」
一同が固まる。
ああ、的中してしまった。となれば、やはりあのシナリオ通りなのだろう。次はアレだな。
「先鋒の秀勝殿が敗退した」
「……そのとおりです」
敵がまず狙うなら数の少ない先鋒だったからな。しかし、あの秀勝殿が本当に負けてしまうとは。そして、最後の仕上げはこれだな。
「嘉納殿が一人で逃げた」
「なぜ、それを!?」
ははははははははははははは、ここまで来たら喜劇だな。……まったく笑えない。
「それで、罪人である私を牢から出して、一体なにをなさるおつもりですか?」
どうせ、私の知恵を借りたいって言うんだろう? まあ、みんなバカばっかだからな、自分の頭で考えようという気概もないんだから。
そりゃあ私だって死にたくないからな、一応力を貸してやらんでもないが――
「そこまでお見通しなら話が早い。八咫殿に我らをまとめて率いてほしいのです」
「はいはい、知恵を貸すぐらいなら、本を寄贈してくれれば――なんだって?」
「八咫殿、昨夜のお言葉、一同感服いたしました。我ら武士として主命とあらば生命を投げる覚悟はございますが、あれほど下々の者を思っているのは八咫殿しかござらん。何卒、我らの総大将となっていただきたい」
諸将が一斉に跪く。今まで散々、八咫の穀潰し、軟弱者、引きこもりと罵ってきた連中がである。
……おいおい、どういう風の吹き回しだ?
三郎が呆気に取られていると、別の声が上がった。
「八咫殿、儂からも……お頼み申す……」
三郎が振り向くと、刀を杖代わりにした秀勝が立っていた。
「秀勝殿、ご無事でしたか!」
三郎は思わず秀勝に駆け寄った。秀勝の右脇に手を差し入れ、身体を支える。
甲冑には至るところに刀傷が残り、秀勝自身憔悴しきっている。
南斗家最強の『鬼』と呼ばれる豪傑がここまで追い詰められるとは、長政の実力はいかなものか。
「不甲斐ない……。多くの味方を失ってしまった。儂は、またしても……」
「秀勝殿が生きておいでなら、まだ希望はあります」
「……敵は見たこともない新兵器を持っておった」
え? と三郎は問い返した。嫌な予感がした。
「鉛の礫を飛ばす、火を噴く筒だ」
――鉄砲か!! なんてこった、時代はそこまで進んでいたのか。
「それも、かなりの数だ。百……いや、五百は下らないだろう」
「五百……!」
三郎は思い出した。岐崎湊の商人の言葉を。
『……なんでも、最近大量に買い占めた者がいたらしく、他の港でも品薄になっているとか』
あの鉄砲を買い占めたのは拓馬家だったのか。しまった、あの時に誰が買い占めたのか聞いておくんだった。知っていれば、まだ対策が立てられたのに……!
いや、今更言っても遅い。それよりも、五百丁なんて大量の鉄砲を戦場で運用しようだなんて、やっこさんは時代の先駆者にでもなるつもりか。まるで、織田信長のように。
……いや待て。確かにこの世界に織田信長は存在しない。だけど、この世界における、織田信長の役割を担った者がいたっておかしくないんだ。それが、あの鹿島長政だというのか!
私は、織田信長を相手にして、勝たなければいけないのか……!
「貴殿、その様子だと、知っているのだな。新兵器についても」
三郎はゆっくりと頷いた。
「では、やはり貴殿しかおらん。貴殿にはアレに対抗できる手段があるのであろう?」
「……あるにはあります」
三郎は大きく息を吐いた。
……やれやれ、とんでもないことになってしまった。私は歴史の研究者でいたかったのに、まさか歴史の当事者になってしまうなんてな。
三郎は周囲を見渡した。
秀勝が強い眼差しを向けている。
南斗の将たちが願うような面持ちで見つめている。
そして舞耶が、ニコニコと微笑んでいる。
……仕事なんてしたくないんだが。
前世の後輩の姿が目に浮かぶ。
皆を守るためなら、か。
「わかりました」
三郎は腹を決めた。
「この八咫三郎朋弘が、僭越ながら引き受けさせていただきます!」
おお! と歓声が上がる。
……あーあ、期待されたものだな。
三郎がまた頭を掻くと、舞耶がやはり嬉しそうに微笑んでいるのだった。




