85、決戦 中編
不安がっている有栖ちゃんの手前、怯えた顔をする事は許されない。
私は梓さんと視線を合わせ、頷きあった。
自分たちが自分たち自身を信用できなくて、どうして成功すると言えるのだろう。強がりでも、胸を張って前を向かなければ。
事前の打ち合わせ内容は、ジークフリードさん経由で聞いている。
少女の部屋はそれほど広くないので実動隊である私たちだけが中に入り、男性たちは扉の前で待機。何かあった場合は、すぐに動ける私が皆を呼ぶという形だ。
「行ってきます」
梓さんがドアノブを回す傍ら、私はふいに視線を感じて後ろを振り向いた。
固唾をのんで見守っている男性陣の奥。廊下の突き当たりに立っていた少女の母親が、静かに頭を下げた。
きっと、心配していないわけじゃないのだ。
夫が拘束され、娘が原因不明の病で医者すら匙を投げる始末。もはや立っているのもやっとなのだろう。
人を拒み追い返していたのも、下手な噂を立てられないため。内々で解決してしまいたかったからかもしれない。人は、噂話が大好きだ。一度風に乗れば、瞬く間に広がってしまう。
彼女にはもう、善意と好奇心の区別がつかなかった。何もかもが悪意に見える。だから、全てを拒むしかなかった。
気持ちは分かります、なんて言葉、とてもじゃないが口には出来ない。
私はゼリーの入った箱をぎゅっと抱いて、頭を下げた。
そして、部屋の中へ入る。
途端――。
「な、んですか、これ……」
あまりの息苦しさに一歩後ずさってしまう。
肺を鷲掴みにされているような、胸を土足で踏みつけられているような、言いようもない不快感と威圧感に満ちている。
「この前きた時よりも酷いわね。……ふふ、随分手荒な歓迎じゃないの。全力で叩きのめしてあげるから、覚悟しなさいよ」
「梓、それ全然聖女っぽくない」
今回ばかりは有栖ちゃんに全面同意だ。やる気というか、殺る気に満ちていますよ、聖女様。
私たちはお互い顔を見合わせ、指定の位置に向かう。
ベッドに横になって浅い息を繰り返している少女。口の周りから鼻、左目を残してほとんどが黒に浸食されている。話には聞いていたが、なんて酷い。
絶対、助けるからね。もう少しだけ我慢してね。
そっと彼女の頬に触れると、ぴくりと眉が動いた。ゆっくりと開いていく瞼。しかしその瞳は真っ暗で、何も映してしないようだった。
私はゼリーを彼女に食べさせる役なので、振動が起きないようゆっくりと枕元に腰掛ける。向かって左に有栖ちゃん、右側に梓さんがいる。
「だ、れ……?」
「こんにちは。聞こえていますか? よく今まで頑張りましたね。今ここには聖女様が二人と、えー、付き添いの料理番がいます」
「りょうり、ばん? さん?」
魔女としての方が知られてるかもしれないけど。弱っているところに魔女が来たなんて言われたら、逆に不安を覚えるかもしれない。そう考え、あえて料理番と名乗る。でもまぁ、やっぱり違和感あるわよね。
私はお薬的なものを運ぶ係ですよ、と説明した。
「おくすり……。ごめん、なさい」
「どうして謝るんですか?」
「みんな、かなしそうなかお、するから。なにをしても、わたしがよくならないから。みんな、みんな、かなしいかおするの。ごめんなさい。もういい。もういいの。わたし、もうだいじょぶだから」
「大丈夫じゃない!」
突然、有栖ちゃんが声を張り上げた。
「助けるから! 絶対絶対助けるから! 約束したもん、私が助けるんだって! 私たちは諦めない。だから!」
ほぼ一息に言い切り、ぎゅうと少女の手を握りしめた。
失敗の記憶が頭の隅を掠めるのか。今にもガタガタと震えだしそうな身体を歯を食いしばる事で耐え、大きく息を吸う。
梓さんは何も言わない。ただ、有栖ちゃんを見つめている。
「あなたが駄目だと思ってても、わたしは駄目だと思わない。だから、……待ってて」
喉の奥から、必死になって絞り出した声。
風に吹かれれば掻き消えてしまいそうなか細さだったが、そこには絶対倒れまいとする芯の強さが見え隠れしていた。
少女はしばらくの間黙っていた。
一分だったか。五分だったか。あるいはもっと長かったかもしれない。
何を伝えるべきなのか。何と言葉にすればいいのか。たっぷりと時間をかけた少女の答えはただ一言。「うん」という短いものだった。
「ありがとう。今度こそ、負けないから」
「それでは、梓さん有栖ちゃんは浄化作業を開始してください」
二人は「オッケー」「任せて」と返事をくれたあと、各々の作業に移った。
よし。それじゃあ私も自分の務めを果たしましょう。
持ってきた箱を地面に置き、蓋を開ける。ふわりと漂う冷気の霧。その中からお目当てのもの――浄化ゼリーを取り出す。
食べやすいよう一口大に切った蜂蜜色のゼリー。ぷるんと震えるそれをスプーンですくい、少女の口元へ持っていく。
「はい、それじゃあこれが中から悪いものを出す食べ物です。あーんしてくれますか?」
「あ、あーん?」
「そうそう。良い子ですね」
スプーンから舌へ。ゆっくりとゼリーを乗せる。
こくり、と少女の喉が動いた。
「……ん。あまい。おいしい。これなぁに? ほんとうにおくすり?」
「ゼリーっていうお薬……いや、デザート? かなぁ?」
「ぜりい? ぜりいおいしい」
唯一動く左目をうっとりと細めて、少女は笑った。
まだ浄化作戦を開始したばかりだというのに、随分と柔らかい表情である。病は気からと言われるくらいだ。まず気力で勝たなければ勝利は遠のく。
有栖ちゃんの真摯な言葉。そして浄化ゼリー。この二つが少女の気持ちを上に向かせたのかもしれない。良かった。これなら――。
「駄目よ、凛さん。こいつめっちゃ性格悪いから。油断したら一気にもってかれるわよ」
「うーん。でも、前回よりすっごい楽じゃない? まるでこっちに割く力がないみたい。押し返してこないもん」
「まぁ、それはそうなんだけどさ」
ふむ。なるほど。
二人の話から察するに、恐らくお腹に巣食っているものが呪詛の中枢。それをゼリーで直接攻撃しているから、防戦するのに精いっぱいで聖女二人の力を押し返している余裕がないという事か。
「ゼリーまだまだ一杯ありますから。お腹いっぱい食べましょうね!」
「わぁい、やったぁ」
自分で動かせる場所はもうほとんど残っていないのに、その少ない部分を必死に動かして喜びを表現する少女があまりにもいじらしい。
こんなに可愛い子の身体を蝕むなんて。許せない。全力で叩き潰して綺麗に浄化してあげるから待っていなさい。
私はにっこり微笑んで、スプーンを手に取った。





