90話 末路
扉の向こうは、いくつかの部屋に分かれていた。
一見すると牢屋みたいだけど……
一目で拷問用とわかる凶悪な器具が置かれているなど、かなり異質だ。
そして、一つの部屋にシニアスの姿があった。
壁に繋がった鎖に両手両足を拘束されている。
上半身は裸で、見るに堪えないほどの傷を負っている。
戦いで受けたものではなくて、拷問で受けたものだろう。
相対した時は、猛獣のように獰猛な男だと思っていたのだけど……
今は、その力強さは微塵も感じさせない。
ひどく静かで、うなだれているせいで表情が見えない。
「ハルは、この人を知っているの?」
俺の様子を見て、アリスがそんなことを言う。
「知っているというか……まあ、一応。コイツが、紅の牙の隊長だよ」
「えっ!?」
「じゃあ、この方がハルさまを襲った……?」
その人が、なぜこんなところに?
そして、この有様は?
二人は色々な疑問を処理できない様子で、頭の上にハテナマークを浮かべていた。
「大丈夫か?」
「……」
呼びかけてみるものの、反応はない。
ただ、呼吸はしているみたいだから、死んでいるわけではなさそうだ。
「これならたぶん、助けられるかな?」
「えっ、助けるの?」
「大丈夫でしょうか……? 回復したら、いきなりハルさまに斬りかかるとか……」
「武器はないし、拘束されているから大丈夫だと思うよ。ここでなにが起きているのか。なにをされたのか。それを知るためにも、シニアスは重要な立ち位置にいるからね」
「一応、いつでも動けるように用心しておくわ」
アリスはそう言い、腰の剣の柄に手をかけた。
「アンジュは俺の後ろに」
「は、はいっ」
本当は、聖女見習いのアンジュの魔法の方が、問題なく回復させられるのかもしれないけど……
シニアスが暴れる可能性もあるから、近づくことは危険だ。
アンジュを後ろに下がらせて、俺はシニアスに近づく。
「ヒール」
シニアスの体が淡い光に包まれて、時間を巻き戻すかのように傷が癒えていく。
流れた血の跡はそのままだけど、傷口は完全に塞がる。
「シニアス」
「……」
「おい、聞こえているか?」
「……」
返事はない。
失った体力を戻すことはできないから、そのせいで意識を取り戻すことができないのか。
このままだと死んでしまう。
コイツがやらかしたこと、やらかしてきたことを考えると自業自得なのだけど……できることなら情報が欲しい。
この屋敷でなにが起きているのか?
領主はなにを企んでいるのか?
その事実に一番近いところにいるのが、この男だろう。
「……うっ」
ピクリとシニアスが動いた。
ややあって、ゆっくりと目を開く。
「……お前は?」
「よかった、起きたか。色々と聞きたいこともあるし……それとまあ、悪党でも目の前で死なれたら、ちょっと目覚めが悪くなるからね」
「ハル・トレイター……か。なぜ、こんなところにいる……?」
「それ、俺のセリフなんだけど。紅の牙の隊長ともあろう人が、こんなところで拷問を受けて……いったい、なにが?」
「そうか……俺はまだ、生きているのか……」
シニアスはそうつぶやくと、自嘲めいた笑みをこぼす。
「俺は狩る側と思っていたが、実は狩られる側だった……ということか。こんな目に遭わないと自覚できないとは……ははっ、滑稽だな。自分のことなのに、滑稽すぎて笑えてくる」
「勝手に自己完結していないで、どういう状況なのか教えてくれないかな?」
「……いいだろう。お前は勝者だからな」
こちらを見るシニアスは、嘘を教えてやろうとか、そういう様子はない。
ただただ、淡々とした様子だ。
敗者は勝者に従う。
戦闘狂だからこそ、そんな思いがあるのかもしれない。
「一から説明するのは面倒だ。好きなことを聞け」
「じゃあ……この部屋のことを教えてくれない?」
「この部屋は、見ての通りの拷問部屋だ。領主は、そういう性癖の持ち主なのか、それは知らんが……度々、この部屋を利用している。尋問目的ではなくて、ただただ痛めつけるだけだな」
「拷問をする理由は?」
「知らん。が……一度、軽くではあるが話をしたことがあるな。強者をいたぶることで、より大きな負の感情を手に入れられる、とか」
負の感情?
苦しいとか憎しみとか、そういうもの……かな?
でも、そんなものを引き出してどうするのだろう?
生贄に捧げるとか、そういう目的があるなら、心が淀んでいた方がいいとか聞いたことがあるけど、そういうことなのかな?
って……あれ?
俺、どこでそんな話を聞いたんだ?
レティシアと一緒にいた時は、そんな話を聞くタイミングなんてないし、それ以降も、そんな機会はない。
いったい、どこで……?
「質問はもう終わりか?」
「あ……いや、まだまだ」
我に返る。
どこで聞いた話なのか、そんなことはどうでもいいか。
きっと、単に忘れているだけなのだろう。
「領主について聞きたいんだけど、少し前に、急に人が変わったらしいんだよね。それについて、なにか知っていることはない?」
「そうだな……俺は最近になって雇われたから、詳しいことは知らん。ただ、そういう話はよく聞いている。以前は穏やかな性格で、聖女のように優しいと評判だったらしい。事実、教会に仕える神官だったらしい」
それは初耳だ。
貴重な情報かもしれないので、しっかりと覚えておこう。
「とある任を受けて……それから後、人が変わったらしい」
「その任っていうのは?」
「そこまでは知らん。教会絡みだろうが、詳細は聞いていないな。そして、それ以降にこの迷宮都市の領主となった……というわけだ」
「なるほど……うん、なるほど」
少しずつ、ミリエラ・ユルスクールについての情報が集まってきた。
さらに情報をつめていきたいと思う。
「俺、領主に命を狙われているみたいなんだけど、知っている?」
「ああ、知っている」
「その理由は?」
「お前は、領主の邪魔をして、アーランドを救ったのだろう? そのことが不愉快だったのだろうな。ジンが失敗したと聞かされた後、すぐに命令がくだされた」
「俺が邪魔をしたから……うん、シンプルな理由だな。アーランドをかき乱そうとした理由は?」
「それは不明だが……この部屋の存在理由と似ているような気がするな」
「この部屋と?」
「これは、単なる俺の感想だ」
そう断りを入れてから、シニアスは言葉を続ける。
「あの女、ありとあらゆるものを敵視して、攻撃しているように見えた。この部屋で拷問することも、圧政を敷くことも同じ。アーランドをかき乱そうとしたのも、この都市と同じように、混沌を撒き散らそうとしているように見えた」
「それは……」
混沌を撒き散らすという存在に、一つだけ心当たりがある。
それは……悪魔だ。
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