61話 なんとなくイヤ
ハルと別れたシルファは、人気のない裏路地に移動した。
このような場所にシルファのような女の子が来れば、ロクでもないことになるのは間違いないのだけど……
誰も手を出すことはない。
街の暗部に住まう人々は、常に暴力などと隣合わせに生きている。
それ故に、危機探知能力に長けている。
シルファを見て、いい鴨が現れた、なんて思う愚か者は皆無だ。
あの子供の皮をかぶった化け物はなんだ? と恐れおののいている。
「やっほー」
周囲の恐れの視線なんて無視して……というか、まるで気がついていない様子で、シルファは片手を挙げて挨拶をした。
挨拶をされた側……深いフードを身につける男は、気の抜けそうなシルファの挨拶にがっくりとしそうになる。
しかし気を取り直して、本題に入る。
「こっちへ」
「うん」
シルファは男についていく。
5分ほど歩いたところで、一軒の古びた家に到着した。
ここでなら安心して話ができるということだろう。
中へ入り、椅子に座る。
隠れ家ではあるが、綺麗に掃除されていた。
いざという時のセーフハウスとしても利用されるため、綺麗にしているのだろう。
避難先が汚れていて、変な病気にかかったりしたら目もあてられない。
「どうかしたの? いつもの手紙じゃなくて、気配をぶつけてくるから、敵かと思ったよ」
「勘弁してくれ……お前に狙われたら、ただの連絡役の俺なんて生きていられないだろう」
「だったら、紛らわしいことをしないでほしいな」
「予定外の連絡なんだ。仕方ないだろう」
「予定外?」
「お前……なんで仕事をしない?」
「……」
シルファは、子供がいたずらを見つかった時のような顔になる。
「我らが主の命を忘れたか? ハル・トレイターを殺す。それが、お前に与えられた仕事だ」
「うん、わかっているよ」
「なら、なぜ実行しない?」
「……対象を殺すことは、けっこう難しいの」
「難しい?」
「レベル八十超えの賢者。しかも、膨大な魔力を持っている。魔法の威力は知っているよね? だから、手強い相手。難しい」
「ふむ」
「一度失敗したら、二度目は警戒されちゃう。だから、慎重に……確実にいける時を待っているの。時間がかかっちゃうけど、それはもう仕方ないよ。そういう相手なんだから」
「つまり、隙ができるのを待っていると?」
「うん」
フードの奥から、じっと観察されるような視線を感じた。
しかし、シルファは顔色を変えない。
動揺することもない。
そんな彼女の態度を見て納得したらしく、男は視線を外す。
「わかった。お前がそう言うのなら、そうなのだろう」
「うん、そうだよ」
「ただ、これ以上は時間をかけるな」
「……」
「我らが主は、早急に解決することを望んでいる。時間をかけなければいけない相手というのは理解したが、それでも、主が望むのならば、我らは刃を抜かなくてはいけない。わかっているな?」
「わかっているよ」
「三日以内にケリをつけろ。必要なもの、増援等、求めるものがあれば、できる限り応えよう」
「……うん、了解。次会う時は、成功の報告をするね」
「期待しているぞ」
男は音もなく、幻のように消えた。
連絡役と言っているが、彼も暗殺組織の一員。
隠密行動に長けている。
「うーん」
一人になったシルファは、珍しく迷うような声をこぼす。
顔は無表情のままだけど、明らかな迷いを見せていた。
「どうしよう?」
仕事を忘れたつもりはない。
ただ、なんとなくではあるが、ハルと一緒にいると不思議な気分になる。
今まで味わったことのないぽかぽかが胸に広がる。
その正体を確かめたくて、仕事をほったらかしていたのだけど……
さすがに、上も我慢の限界らしい。
そろそろ仕事をしないと、ハルではなくて、先にシルファが粛清されてしまうだろう。
簡単に味方を切り捨てる……それくらいのことはやってのける組織だ。
「……なんとなくイヤだな」
なぜかわからないけど、ハルを殺したくないと思う。
どうしてそう思うのか、それはシルファもわからない。
ただ、ハルに対して力を振るう自分を想像すると、ひどくイヤな気分になる。
それいいの? と、もう一人の自分が心に語りかけてくる。
「にゃー」
シルファの胸元から、ひょこっとシロが顔を出した。
いつも一緒ということで、お腹に入れていたのだ。
「シロはどう思う?」
「にゃう」
「……教えてくれないの?」
「にゃっ」
答える代わりに、シロはシルファの頬をぺろぺろと舐めた。
くすぐったい感触に、シルファは、こころなしか穏やかな顔になる。
「うーん……でも、仕事をしないといけないからね」
ハルを殺してしまうのは、なんとなくイヤだ。
でも、仕事なのだから仕方ない。
「仕方ないよね」
そんな一言で済ませてしまうシルファの心は、大きく歪んでいた。
いや。
歪んでいるというよりは、壊れていた。
生きるために殺してきた。
たくさんの命を奪ってきた。
しかし、シルファは罪悪感を覚えていない。
そんな心の機能は、すでに壊れてしまっている。
命を奪ったとしても、なにも感じることはない。
それは、ある種の自己防衛だ。
命を奪うという事実の重みに心が耐えられなくなり、なにも受け止めず、考えないようにして……
そうすることで正気を保つように。
そのようにして、シルファという女の子はここにある。
ただ、ここに来て変化が生じていた。
なにも思わないはずなのに、ハルを殺したくないと思い始めている。
その変化は、なにをもたらすのか?
どんな結末を迎えることになるのか?
シルファは、己の変化に気づくことなく、この先にどんな運命が待ち受けているのかまったく想像できず……
ただただ、いつもどおりであろうとする。
殺すことで生きようとする。
「仕方ないか」
シルファはシロを一度撫でて、前を見る。
「ハルを殺そう」
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